008 片喰蓮花の斬り傷・腹斬りの女生徒

 ギーコ、ギーコ、と二人でシーソーに乗って話す。夜の公園で見知らぬ女性に話しかけられて、気が付けばその人と一緒にシーソーを傾き合って相談をしている。


 なんだこの展開、と蓮花はふと我に返ったが、でも今はそんなことどうでも良くて。


「……いじめ、ね」


 思いのほかすんなりと漏れ出た悩みは膿のように、波月永絆と名乗った女性へと吐露されていった。勿論、鈴木由奈や菊田航太がどこかで見張っていることも危惧して、名前や所業などは伏せたが。


 それでも、永絆は真剣な表情で聞いてくれた。だって、蓮花は泣きじゃくっていたから。言葉を紡いでいくごとに喉が震え、感情の制御ができなくなってくる。


「ウチ、来るか?」


 そう言って差し伸べてくれた手に、蓮花は縋った。

 

 そうして家に向かう道中、永絆は歌を歌ってくれた。流行りの曲のアレンジで、内容がなんだかおかしくて。


 気が付けば、涙は止まって蓮花は笑っていた。心の底から穏やかと思える時間。こんな思いは、一体どれくらいぶりだろうか。


 本当に楽しいと思える時間はあっという間で、永絆と話し込んでいるうちに彼女が住むアパートに到着していた。

 初めて入る大人の一人部屋というのにやや緊張しつつ、彼女が作ってくれた料理の美味しさに感動し、再び相談に乗ってもらって――、


「私もいじめられた経験はあるが、それとはまた違うか。仲の良かった友達がある時を境に悪魔に化けた……いや、そいつらはある意味、元から悪魔だったのかもしれないぜ? つまり、今は化けの皮が剥がれている状態で、もしかしたらそれすらもどっかの誰かによって操られているとかな」


 永絆が、優しくそう言ってくれる。


「なにも、学校だけを全てだと思う必要は無いんだ。自分の内と外、世界なんていくらでもある。だからさ、元友達から酷い仕打ちを受けていようが、それは必ずしもそこで耐え続けるべき問題じゃない」


 頭を撫でて、寄り添ってくれる。

 暖かな時間に心が安ぐ。気が付けば、蓮花は無防備に寝てしまっていた。



 ――夢を見た。


 どこまでも鮮明で、悲しくて、それでいて微かに勇気を貰えた夢。


 ——アイリスが、目の前で鳴いていた。


 駆け寄ろうとしてもその距離だけ遠ざかって、永遠にあの子を抱き締めることが出来なくて。

 これは夢であると、自然に合点がいく。途端、言葉にならない悲しさが込み上げてきて、胸を掻き毟りたくなるほどに苦しくなった。


 そんな蓮花を置き去りにするように、景色は絵の具を筆で描くように変わりゆく。


 それは、蓮花の家の庭、そしてアイリスの犬小屋だった。そこから、真っ白な光が顔を出し、ゆらゆらと軌跡を描いて庭の奥へと進んでいく。

 そして、小さな木々がそびえる辺りで止まり、まるで何かを指し示すように宙で円を描いて舞っている。


 蓮花は、すぐに直感した。

 これは、アイリスからのメッセージであると。きっと、菊田航太によって殺される直前に得た何かを伝えるために残した渾身の遺言であると。


 何とはなしに、ただそう思って、あの子の名前を呼んだ。


「……アイ、リス……」


 やがて、目を開けて頬を伝う涙をぬぐう。


 夢は途絶え、いつもの現実が蓮花を迎える。本当は、いつまでもあのまま、夢の中でアイリスと戯れていたかったし、もういっそあのまま目覚めることなく現実と離別したかったとも思った。


 でも。


「んぅ……」


 今は永絆が隣に居てくれる。黒くてセクシーなブラとショーツのみを纏って寝息を立てている彼女の顔は、今は子供のように無邪気で愛おしくて。


「……ありがと、永絆お姉ちゃん」


 耳元でそっと、囁いた。


「——ッ!」


 そっと囁いた筈なのに、当の本人は直角九十度にピンッと身体を起こした。蓮花は目をぱちくりさせながら挨拶を口にする。


「お、おはよう」


「おはよう、我が妹分。素晴らしい朝だな」


 どことなく肌がツヤツヤと潤っていた永絆に対し、蓮花は「……バカ」とそっぽを向いた。


 それからは、結局無断で外泊になってしまったことを親に伝え、私服で鞄も家にある関係で一度帰宅してから登校することにした。


 昨夜とはまた違ったブラウスとスラックスを纏った永絆は、朝食も作ってやろうかと言ってくれた。が、流石にそこまで世話になるのは気が引けると思って断った。


 お暇する蓮花を扉の前で見送る永絆は、蓮花に言った。


「……学校さ。ひとまず頑張れ……とは言わねえよ。その代わり——」


 不意に、抱き寄せられる。


「お前がお前を一番に愛してやれ。その点に関しちゃあ、嘘つくのは無しにしようぜ」


 自分の頬が、いや顔全体がじわじわと火照っていくのが分かる。


「……うん」


 暖かくて嬉しくて心地いい筈なのに、どうしようもなく胸が痛くて苦しい。

 けれど、その感覚さえもやっぱり気持ち良くて、愛おしい。


「ナズ姉、ありがとっ」


 別れ際、蓮花は満面の笑顔でそう言った。

 家に戻る時、いつもならしていた警戒を、蓮花はもうしなかった。


 目線はただ前一心を見据えて、確かな決意を胸に帰路を往く。


 そして——、


「これ、は……」


 夢でアイリスが示してくれた場所。そこに浮かぶほんの小さな光に触れた瞬間、それは蓮花の手に形を帯びた。


 鋼鉄が蚊取り線香のように渦を巻き、細いそれが切っ先まで伸びている妙な形の武器。菊田が言っていた魔剣という代物にこれも含まれるのなら。


「これで、ようやく……」


 もう既に、やることは決まっていた。



 朝の通学路、菊田の襲撃は来なかった。彼も彼で部活や勉強、家のことなどで忙しいのだろう。もしくは、既に蓮花が魔剣を手にしたことを悟って警戒しているのか。


 何にせよ、好都合だった。


 教室に入るなり、当然のように挨拶をして近付いてくる鈴木由奈と、取り巻きの田口と井口。鈴木は耳打ちで蓮花に「今日も」と言ったが、


「ごめん」


 と。震えながらも、確かに断った。三人は呆気にとられている。何せ、利用対象が利用側に逆らったのだ。


 当然、暫くして怒りを帯びた鈴木が蓮花を無理やりにでも連れていこうとする。


 蓮花の肩を掴もうとした手。白く滑らかなそれが、唐突に裂けた。

 カッターナイフで斬り裂いたように、真一文字の傷が生じて鮮血が滴り落ちていく。


 取り巻き二人は手を口に当て、傷を負った当の本人である鈴木は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。


 蓮花の意思よりも先に、多分、魔剣の方が動いたのだ。何となく、分かる。この剣は、蓮花のことを守ってくれる。だって、よく見れば、蓮花の周囲に濃密な霧が蔓延しているから。


「痛い、痛い……っ」


 涙目になって痛がっている鈴木に、蓮花は、今度は声を震わせずに行った。


 保健室に言った方が良いよ――それと、放課後、教室待っているから、と。


 取り巻きを連れて鈴木は教室を後にする。教室で起こるどよめきの中に佇んでいた蓮花は、皆にバレないように口角を釣り上げた。


 やがて、放課後。夕日が差し込む教室で鈴木の怒鳴り声を聞いた。


 何をやったのか。

  

 その質問の繰り返し。  

 蓮花は答えない。

 それが彼女たちをさらに憤らせたのだろう。

 

 鈴木はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、何度か画面をスクロールした後に蓮花のあられもない姿が映った画像を見せてくる。


「これを、ばらす」


 血走った眼が凄みと勢いを生む。指先にはクラスのほぼ全員が参加しているSNSのグループ。メッセージに載せて拡散する気だ。

 

 蓮花の尊厳と共に彼女達の立場も危うくなるだろうに、と冷静に思慮するが相手に同じ余裕は無く。


 問答無用で、鈴木は送信ボタンを押そうとした。蓮花は、ただ見ていた。


 ――スマートフォンが魔剣の切っ先に貫かれるのを、ただ見ていた。


 取り巻き二人は口をあんぐりと開け、しかし鈴木は腹を抱えて笑っている。


 ――その腹を、腕ごと蓮花は斬り裂いた。


「……う、あ……?」


 そこからはもう、言葉にならない悲鳴が響き渡った。深すぎたものでは無いが、かといって浅くも無い。

 裂かれた制服から白い柔肌に出来た斬り傷に手を当て、噴水のようにわき出る血を止めようとする様は壮観だった。


 白磁の肌から溢れ出る黒く濁った血と露わになる桃色の肉壁。


 タガは、外れた。

   

 取り巻きの片方――確か田口の大口の奥に切っ先をぶち込み、吐き気と恐怖で痙攣している彼女の体内に濃霧を送る。

 

 さっき鈴木のお蔭で分かった霧の能力、『剣能』その内容。それは、霧に包まれて蓮花が敵対対象と判別したものを斬り刻むというものだ。


 鈴木の腹にも、田口の体内にも、斬撃を孕んだ霧が舞い込んで無数の裂傷を生んでいく。


「おぼっ、ぼえぇぇ……っ!?」

 

 滝のように吐瀉物と血を撒き散らし始めた田口は白目を剥いて痙攣を加速させる。

 

 後はそう、確か井口だ。彼女の背中に既に這わせていた濃霧がブラウスの隙間から背中へと伝っていき、血しぶきが巻き起こる。


「あ、ぎぃ……っ!!」


 散々つねられて出来た火傷のような痕の倍以上の痛みと数が、彼女の滑らかな肌に刻まれるだろう。


 蓮花は、天井を仰いで笑っていた。

 背中を大きく反らせて、ただひたすら嗤っていた。


 声にならない声を上げて鈴木の腹をかっさばく。何度も、何度も、何度も。相手を殺してしまうとか、そんなことはもう考えられなかった。


 気分が良かった。足の爪先から頭のてっぺんまで駆け抜けるような電流に似た快感。下腹部の辺りがキュンと疼き、瞳をとろんとさせて口は裂けそうなくらいに歪んでいて。


 ――ふと窓に映る自分を見て、蓮花は停止した。


 狂気に支配された顔。返り血にまみれた制服。


 ――こんなのは自分じゃない。


 だって、これではまるで。


「――君も彼女たちと同類だよ、片喰さん」


 自身では躊躇した言葉が、背後より投げかけられた。

 

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