007 片喰蓮花の斬り傷・虐め

 藤実剛志は言った。

 これは実験である、と。


 この男が持つ魔剣、『三毒種の尾針』と彼自身の業が、片喰蓮花に傷を負わせた。これはその、斬り傷を紡いだものである。



『腹斬りの女生徒』なる一つ目の怪事件。

だが本来は、一人だけでなく三人の女生徒が居た。

 蓮花と、結局は仮初めであると後に発覚したものの、友達であった少女達である。


 髪が長くて綺麗な顔立ちをした、まるでモデルのような鈴木由奈。その取り巻きのような生徒二人。

 俗に言う、スクールカーストのトップに属するような者達。そんな彼女たちが、ひっそりと学校生活を送ろうとしていた蓮花に声をかけてくれたのだった。


「ウチらさ、片喰さんと仲良くしたいって思ってたんだよね。ほら、可愛いのに寡黙とか勿体無いし」


 可愛いのに寡黙――それは、蓮花の核心に迫る評価だった。中学に入ったあたりから、周りに対して急激に冷めたような眼差しを向けるようになった。

 思春期の少女だから、という話でもなく、本当に、社会の縮図である学校という環境にうんざりしていて。


 でも、そんな蓮花を彼女たちは見つけて手を引いてくれた。


「……。あたしなんかで良ければ、よろしくね」


 この時より、『実験』は始まった。



「ねねね、今ゴール入れた菊田航太君ってさ、お医者さんの息子さんなんだって!」

 

 それに加えて頭もいいし顔もいい、と取り巻きの片方の田口。なにより顔が最高、ともう片方の井口が加えた。


 言われて蓮花も、体育館の扉からサッカーコートをガッツポーズと共に駆ける少年に視線を移す。と言っても、興味なんて微塵も湧かない。


 他人のことを心の底から愛したことなんて、今までで一度も無かったから。


 でもそれは人に対してだけで、愛犬のアイリスは違った。あの白くて柔らかな毛に包まれた愛くるしい子犬は、いつだって蓮花の支えになっていた。

 くりりとした大きな黒瞳に見上げられれば、誰だって虜になってしまう。今も、早く家に帰ってあの小さな庭で戯れたいと思っている。


 多分、蓮花はこれからも、アイリスを……彼女だけを愛し続けるだろう。


 ――だから、


「――好きなんだ、片喰さんが。俺と、付き合って欲しい」


 校舎裏、自分を真摯に見つめてそう言ってきた菊田に対して、蓮花は何て返せばいいのか分からなかった。

 顔、性格、人望、成績、運動、家柄――男がうらやみ、女が欲するパートナー像の殆を兼ね備えているような相手。それは分かっている。


 でも、だからといって彼と付き合うビジョンはまるで浮かばなかった。


「ごめんなさい。あたし、そういうの興味ないんだ。……じゃあね」


 あっさりと口をついて出た答弁。蓮花は逃げる様にしてその場を後にした。

 立ち尽くす彼がどんな表情をしていたのかは分からない。分からないが、


「……絶対に、モノにしてやる」


 低く、力のこもった声を聞いたような声がして、蓮花の逃げ足はより早まった。



 噂はすぐに広まっていく。次の日にはもう、菊田航太は片喰蓮花によって振られた生徒として見られていた。

 否、気にかけてもらっていた。


 人望の厚い人間は得だなぁ、とレンカは感心する。


「ね、蓮花。ちょっとトイレ行かない?」


 鈴木由奈がいつもの調子で誘う。違和感に、気付いておくべきだった。


 ――屋上前の踊り場で、蓮花は腹を思い切り蹴られた。


「あ、あ……っ?」


 まるで理解が出来なかった。取り巻き二人に両腕を抑えられて、身動きが取れない。ただ鈍く重い痛みが蓮花の思考を焦がす。


「どうして私じゃなくてお前が菊田君に告られる。どうしてお前はそれを無碍に断る。当てつけか……当てつけなのかって聞いてんだよっ!」


 その後、何発も腹を蹴られ、殴られ、それだけでは飽き足らず、取り巻きの二人にはブラウスの中に手を這わされて肌が千切れんばかりに強くつねられ、『尋問』と称して口の中に手を突っ込まれは文字通り吐かされた。


 常軌を逸した所業に悲鳴を上げ、心身を痛苦でなぶられる。狂ったように笑う鈴木由奈と取り巻きの二人は、蓮花にとって悪魔に見えた。


「優れた人、上に立つ人、求められる人……そういう人種が、お前みたいな奴を利用し、搾取するんだよ」


 床に倒れ伏している蓮花の、吐瀉物や涙、唾液に塗れた顔を上履きで踏みつけながら鈴木由奈は冷たく言い放つ。やがて、彼女は取り巻きの二人になにやら指示を出し、


「はい、チーズっ」


 意識が朦朧としていた蓮花のブラウスを取り巻きがはだけさせ、股を開きスカートの中身を露わにさせた状態で、鈴木由奈がスマートフォンのカメラのシャッターを切った。


 何度も腹をいたぶり、背中を焼くようにつねり、故意に何度も嘔吐させ、挙句にヌード写真のようなもので蓮花の弱みを握った。


 拷問じみた虐めと脅迫。

 日に日にそれは、『見えないところ』で加速していった。


 そんなことが当たり前になっていって、蓮花の心身は徐々に摩耗していく。


 しかし、菊田は勿論、他の生徒たちからは決して勘付かれないように、彼女たち蓮花の外見はいたぶらす、外からは見ることの出来ない部分と心を蹂躙していった。


 そのことを、教師はおろか両親にだって言えるわけがなく。恐怖に溺れ、ふと対抗手段が浮かんでも報復を恐れてすぐに嘔吐してしまう。


 蓮花の日常は暗く染まっていった。


 光があるとすれば、それはもう、アイリスとの時間だけだった。



 このままでは殺される。そうでなくとも、心か身体のどちらかが死ぬ。それならば、叛逆するか逃げるしかない。  


 でも、そのどちらも、鈴木由奈のスマートフォンの中に眠る蓮花の過度な露出写真の数々が弱みとして機能し、妨げる。


 それ以前に、蓮花はもう、あの女たちに屈服してしまっていた。何をするにもあの悪魔たちの悦楽に浸った表情が脳裏を掠め、蓮花を恐怖でがんじがらめにする。


 ――死にたい。

 逃げ道を模索する。

 ――死にたい。 

 活路を探し出す。

 ――死にたい。

 願望が口を突いて出る。


「……死ねば、楽になる」


 浴室の鏡に映った、痣と赤い斑点にまみれた自分の身体を見て。なにより自身のやつれた顔を見て。


 いつしか、死を求めるようになった。



 しかし、皮肉というにはあまりにも残酷で鬼畜な事態が、蓮花を襲った。


「アイ、リス……?」


 学校帰り、自宅の庭で。蓮花は真っ黒に焦げた塊に、呆然と話しかける。首輪をつけて、白い柔毛の一部が散っていて。


 間違いなく、それは愛犬のアイリスだった。


 焼き殺されていた。

 殺された、と真っ先に断定したのは、鈴木たちの狂笑が浮かんだからである。


 だが、その予感は外れる。

 アイリスの亡き骸を、ガラス細工に触れる様にして抱きかかえる。その、瞬間だった。


『便利だよなぁ。魔剣っていうのは』


 菊田航太の声だった。


『これは、俺が魔気に乗せて君に残した言葉だ。残念ながら、証拠は残らない。だから、多分君が鈴木ちゃんたちに歯向かうための材料にもならない』


 耳障りな声が、段々と狂気を帯びていく。


『――これは見せしめだよ、片喰さぁん。さっさと俺のモノになっちまえよ。じゃないと、さぁ。君の大切な家族ごと、その家焼いちゃうよ? 俺の魔剣ちゃんで。その犬っころみたいにさぁぁぁっ!』


 げらげらと、嘲るような笑い声が響く。ふと、気配がして蓮花は庭を出て周囲を見渡す。


 ――電柱の陰から、狂笑を浮かべている菊田がこちらを見ていた。


「…………あ」


 自分でも理解不能な感情の渦が、蓮花の心を蝕む。


「ああ、あああっ、あああああっ!」


 一心不乱に胸を掻き毟り、赤みがかったセミロングを振り乱す。恐怖がどこかに消えていく。


 筆舌に尽くし難い強い感情が荒れ狂う。


 憎悪だ。

 この世の全てを焼き尽くさん限りの憎悪が、片喰蓮花の心を侵していく。


「……殺す」


 菊田の姿はもう、どこにもない。


 でも、今はどうでもいい。


 だって、今すぐ太刀打ちできる相手ではない。もう少し綿密に策を講じなければならない。


 アイリスの亡き骸を土に埋め、一時的に彼女の墓を立てる。これが終わったら、きちんとした墓を立てて弔いをするのだ。早くそうするためにも、まずは考える。


 肌を痛みで蝕んでいた痣や火傷のような傷は、もう気にならなくなっていた。



 夜の街を、思考に耽りながら歩く。


 目下の脅威は二つ。鈴木由奈のグループと菊田航太。

 前者は、最悪、従順なフリをして機嫌をとってから隙をついて三人の身体とスマートフォンを壊してしまえばいい。しかし、後者に関してはそうはかない。


 何をされたのか、まるで分からないのだ。『焼く』ということを可能にする手段。『魔剣』と口走っていたが、そんなものは架空の伝承だ。到底信じられない。  


 でも、だったらあの残滓していた音声はどうなる。ボイスレコーダーなどといった録音機能を持った機器も見当たらなかった。位置的にも、あんなにクリアに聞こえる距離ではなかった。


「どうしたらいいの……」


 頭を抱えて髪を乱暴に毟る。


「どうしたらいいのッ! どうすれば、あいつら全員殺せるッ!? なにか打つ手は無いの!? なんであたしばかりこんな目に……っ!」


 気が付けば、それは声になって大きく放たれていた。我に返ると、道端を歩いていた通行人たちが蓮花を好奇の視線で見ていて。


「――ッ!」


 かぶりを振って駆け出した。自暴自棄になりそうだった。いや、もう既におかしくなっているのかもしれない。

 そう思って、何気なく足を止めて、

 

「この、公園……」


 そこは、地元でも大きくて有名な森林公園だった。アイリスと、よく遊んだ場所。蓮花は誘われるようにして入っていく。  

 自然に頬を伝う涙に気付かないまま、遊具が設置された場所に辿り着き、


「――おーい、そこのお嬢さん」


 女の人の声が聞こえて、蓮花はゆっくりと振り返った。


「こんな時間に一人歩いてちゃ、危ないぞ」


 よれよれのブラウスに紺色のスラックス。やや乱れた藍がかった髪をポニーテールで結った女。知らないその者が、微笑を浮かべて立っていた。


 ――後に蓮花がナズ姉と慕うことになる女と、出会った瞬間だった。

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