006 霧の魔剣使い
あの片喰蓮花という少女が自分を認識していると分かった途端、ターチスは『彼女が魔剣使いである』という観点から今に至るまでこの件に関わっていた。
永絆は、相手が片喰蓮花という身近で大切な存在だからこそ、気付けなかったのだろう。
あの少女の魔剣が、既に人の血を啜っているのだということに。
「それにしても、不愉快ね……」
校舎の上空、月明かりを後頭に従えて結界の術式を操作しながら、ターチスは不快の色を乗せて呟いた。
(あの馬鹿娘にとって、永絆は大事な人な筈……それなのに、どうしてそんな相手が『魔剣を手に取るように』仕向けたのかしら)
そう。ターチスは、彼女が永絆の家に来る前から彼女を見かけていた。
今はヴァージと命名されているあの『冥剣』を、永絆の部屋の扉に設置しているところを見ていたからだ。
片喰蓮花はそれに気付いてはいないだろう。だから、その行為が何を思ってのものなのか、聞くに聞くことが出来なかった。
そして恐らく、今起きている出来事にも、あの少女は深く関わっている筈だ。
とにかく、どんな理由があるにせよ、大切な人を血生臭い戦場に踏み込ませるなどあってはならない事態だとターチスは考える。
彼女にそのような考えを根付かせた悔恨が、彼女にとって最も贖罪すべく罪の一つなのだから。
「……それにしても」
と、ターチス顎に手を添え、霧が蔓延している屋上を見遣って言う。
「あの馬鹿娘の『剣能』、わたくしの剣霊術に似ていますわね」
「――『悪滅善癒の白焔』に、ですか?」
声が、聞こえた、
良く知っていて、それでいてここに居る筈のない、ここに居ていい筈のない少女の声が、ターチスを微かに動揺させた。
「あら、随分と早い到着じゃない。——案の定、『三日間』の克服は出来なかったのかしら」
振り向かずとも分かる気迫と危機は明白。そもそも、振り向くことを禁じさせている時点で、声の主である少女がそういった存在であるかが分かっている。
自然的、もしくは魔剣による『剣能』や他国有するい『聖導術』、『錬金術』、『霊装術』、『魔獣術』などの文明とも異なる、当たり前の様で根本から違う力。
「ルメの氷が全てを凍らせないうちに、愛の巣へ帰りましょう? ——最愛のお姉様」
あの四大剣霊であるターチス・ザミが動けない。そんな状況を作り出している少しの凍結と、それを成す存在。
「そうね……貴女のその『剣霊術』にはこのわたくしでさえも手を焼かされるから、大人しくお願いは叶えるべきなのだけれど」
だが、突如として生じた熱波によって、ターチスは氷の呪縛から解き放たれた。彼女の背から生える白い炎で形作られた一対の翼がそれを成し、同時に、少女との相対を意味していた。
「どうしてですか、お姉様……」
ターチスは少しの距離を置くと振り向き、改めて少女と対峙して答える。
「やらなければならないことがあるの。今ここで」
純白のローブに身を包んだ小柄な少女。フードに覆われた表情はきっと、寂寥と困惑と憤慨に満たされているのだろう。
恐ろしく、度を超えたそれに。
その厄介さと愛おしさも、姉の立場であるターチスはよく知っている。
「分かりました、お姉様。力づくで……いえ、この世界をぶっ壊してでも、あなたと二人だけの世界を築きます」
筋がずれた文言。しかしその内容を可能にしかねない力と可能性を秘めた少女が、フードの下から覗く双眸で、ターチスを射抜く。
想定内か、それ以上か。一つの都市が蹂躙された直後のように幾千もの情が渦巻く二つの瞳を見て、『純潔』を司る大剣霊は己の出せる最大火力の力を以て、少女に対抗する。
やがて。
上空、地上で剣戟が鳴る最中、月光に照らされて超常同士の交錯がひっそりと幕を開けた。
*
「————ッ!」
渦を巻く鋼の剣の切っ先は、男子生徒の首を微かに斬って地を叩き、甲高い金属音を上げた。
腕を斬り飛ばされ、おびただしい出血と心身を劈く激痛に見舞われた挙句、未だ襲い掛かる恐怖。彼はもう、叫び声すら、まともに上げることは出来ないのだろう。
「その、なんだ……タチの悪いドッキリか何かなんだろうから、とりあえずそのメタルチックな蚊取り線香をしまえよ」
動揺を隠せないまま、呆然と佇む永絆。なんとか振り絞って出せた言葉は、目の前の現実から目を背けたい一心に放ったものだった。
しかし、蓮花の冷めた表情にいつもの陽気さが戻ることはなく。
「これが、あたしの本性だよ。あたしは、ナズ姉よりも前から魔剣を手にしていたんだ」
霧。どこまでも濃密な霧。無情さながらに辺りを抱擁するそれは、永絆を傷つけず、傍らで片腕を失くして血を零し続ける男子生徒を、容赦なく刻みつけていく。
既に虫の息である彼を一瞥すると、蓮花は冷ややかに笑んで続ける。
「『腹斬りの女生徒』……文字通り、腹をかっさばいてやった。でもしょうがないよね、業にそそのかされてあたしを散々傷つけてきたんだから。咄嗟とはいえ、あれは仕方無かったんだ……」
驚愕と、困惑と、絶望がひしめき合う。それ以上に、ひたすら現実逃避を望む弱い心に失望して。
「蓮花、お前もあたしもバカだからさ。お前が度の過ぎた遊びのネタ晴らしをさっさとして、可愛い声を上げて抱き着いてくれれば……きっと、チョロい私はすぐにお前を許すから、だから——」
「ナズ姉」
そんな醜い弱さが生んだ羅列を、蓮花は斬り捨てる。
「あたしは、ナズ姉に同情も、赦しも求めないよ」
「——っ」
「あたしはただ、見て欲しかっただけ。見守っていて欲しかっただけ。あたしが、あたしを取り巻くクソみたいな運命をぶった斬って、全てを終わらせるところを」
全てを終わらせる——そう言った彼女の表情は、酷く儚げに映った。
されど永絆は、吼える。
「……っ。ざけんなッ! あんな回りくどく誘いやがって! それ以前に、勝手に助けやがって……お前は、助かりたいんだろ? 救ってほしんだろ!? だったらそう言えよ! 今ここでそう言ってくれよ!!」
「……それは無理だよ、ナズ姉。もう終わること、もう終わらせること……もう決めたことだから」
「だからッ! そんな悟った風なこと言ってんじゃねえよッ! まだ、全然間に合うだろうが! とりあえず、救急車呼ぶか『剣能』かターチス使うかなんとかしてその少年の傷を治して、お前が殺人犯になることを阻止して、そんで——」
「いいって言ってるでしょっ!!」
「——っ!」
「魔剣を手にして、あいつの腹を斬って、他の二人も同じ目に遭わせてから全てがどうでもよくなったの! こいつも殺す! そのあとに藤実も斬り殺す! あんなクズは生かしておけない! きっと、ナズ姉やあたしの家族にも迷惑がかかるから!!」
激情が渦巻いていて、それをどこか冷静に俯瞰しているだろう、蓮花の心情。それはきっと、本人の立場になってみなければ永遠に分からない。
だけど。
永絆は再び、しかし今度はさらにゆっくりと優しく深呼吸をする。
そして、雑多な感情を排して、必要最低限な情報と心をもって蓮花と改めて話す。
「……復讐なら、勝手にすれば良かっただろ」
「——っ」
蓮花の表情が、沈痛に歪む。
「わざわざ私を連れて……それこそ、あくまで公正の下に魔剣と術士を取り締まっているターチスに勘づかれてまで、怪事件を話したり巻き込んだりする必要は無かった」
あの大剣霊は知っていた。分かっていた。
蓮花が魔剣使いであることと、それを永絆に隠していることを。
「魔剣を手にしたのがいつ頃なのかは知んねえけど、そんなことはどうでもいい。だって、お前はあの時から頻繁に私に会いに来ていたからな……ずっと、ずっと」
永絆はゆっくりと、蓮花の方に歩んでいく。一歩進むたびに彼女は後ずさるが、関係無い。それ以上の歩幅で近付くだけだ。
永絆の方が、脚は長い。それに、このままずっと後ずさっていれば、そのうち手すりに当たる。
——そんな当たり前なことも把握し切れていない彼女に、永絆はさらに続ける。
「そいつを殺すって啖呵切ったんなら、どうして今ここで、その剣でそいつの喉をぶっ刺さなかったんだ。それに、何でわざわざ私がお前の復讐劇を見守る必要がある? 何で私をわざわざ助けてまでこの場所に誘った? 理由が欲しいのか? きっかけが欲しいのか? それとも、今の斬撃はマジ見事だったぜって褒めてもらいたかったりするのか?」
近付いて。近付いて。
彼女がその気になれば、その剣で永絆を斬りつけるぐらいの距離まで迫って。
「本当のことを言えよ。いつものお前らしく、屈託のない本音を」
霧が漂う音と、互いの呼吸と心臓の鼓動が、やけにうるさく聞こえる。傷だらけの男子生徒は、もう気を失っているだろう。そして、それを分かっていても尚蓮花から目を離さない永絆は傍から見れば非情に映るだろう。
だが、永絆はたとえ悪魔に魂を売ってでも、片喰蓮花を助け出したいと、救いたいと思っている。
それが、自分がこれ以上自分を嫌いにならないようにするための、見え透いた偽善と言う名の汚いエゴであると分かっていながら。
そして、そんな永絆の深層をきっと、蓮花は理解していて。
「……その魔剣」
彼女はついさっき、藤実がそうしたようにヴァージを指差し、しかし核心に触れる様にして、重く唇を開いた。
「ナズ姉がそれと出会ったのは、あたしがそうさせたからなんだ」
ぬるい夜風が、頬を撫ぜる。
風に吹かれた前髪が、永絆の表情に影を生む。
俯く蓮花は、言葉を紡いでいく。
「魔剣絡みの事件に関わっている以上、あたしと頻繁に会ってるナズ姉は危険になる……だから、自分で身を守れるようにって今日の夕方、あたしがあの道にそれを置いた……でも、やっぱり巻き込むんじゃなかった。ナズ姉と魔剣を引き合わせるんじゃなかった。こんなところに誘ったのも結局はあたしが臆病でバカだから、ここでこいつを殺せなかったのもそう……っ! 後悔とか罪悪感で胸が苦しいのッ! ナズ姉に……恩を仇で返す以上に図々しくて救いようがないことをしちゃってる! ……自分に、嫌気が差す……」
震える手で、こうでもしなければ示しがつかないと言わんばかりに、蓮花は己の魔剣の切っ先を蓮花は自らの腕に押し付ける。
やがて顔を上げ、涙に塗れた顔で言った。
「ごめんなさい、ナズ——」
「——だから」
そして当然、そんな身勝手な自己完結を永絆が許す筈も無く。
「だから、何だってんだよ」
震える腕を無理やり掴み、もう片方の手で強く抱き寄せる。
「ぁ……」
「一人じゃ怖いから、私を守るって建前を使って……それがどうしたってんだよ。お前、私と出会った時から迷惑かけまくりだっただろうが」
「でも……」
「デモもクソもねぇんだよ。そういう、いちいち悩んで気丈に振舞って、それでもどこか素で陽気なところもあって、けどやっぱり根は繊細で——それら全部含めて片喰蓮花って女の子は可愛いんだよ。今まで相手にしてきた数々の女の中でもとびっきりな」
力強く、それでいてやや早口でぶつけたその言葉を、蓮花は一拍遅れて理解する。
「ふぇ……!?」
じわじわと熱を帯びていく頬に永絆は自分のそれを合わせ、声音を優しくして続ける。
「そうやってすぐ照れる純情なところも、可愛いリストに入ってるよ。てか、そもそも迷惑かけんのとか建前とか弱さとか、人間誰しもが持ってる後ろめたさの代表的なものだろ。……それに、ホント今更って感じだよ。面倒くさがりでどうしようもない私が、好きでもない女のために時間を使うわけないだろうが」
最後の方を若干尖らせるように言ったのは、照れ臭さの裏返し。
けれど、それ以上に大変なのは多分、蓮花のほうだ。「うぅ……」と、どうしようもない呻きを上げ、永絆のブラウスを思い切り掴んで身悶えしている。
「だから、話してくれ」
大切だからこそ、守りたいからこそ、好きだからこそ。
聞きたいのだ。理由を、事実を。
これほど純粋無垢できらきらと輝いている少女が、なぜ復讐のために魔剣を振るうことになってしまったのかを。
「……分かった」
永絆の抱擁をゆっくりと解き、蓮花は真っ
向から視線を受けて語り出す。
穏やかな日々を穿った魔剣と悪意の楔。
それが齎した悲劇の物語を、滔々と――。
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