005 針まみれのゾンビ


 頬がやけに冷たい。

 身体の節々が妙に痛い。

 それなのに、熟睡からの寝起きのように、意識はすんなりと目覚め出していて。


「なんで、倒れて……」


 世界が横に見える。そんな寝ぼけた感想は、瞬く間に湧き上がる感情の数々によって塗りつぶされていく。


「なんっなんだよ‪、いったい……っ」‬‬


 短時間のうちに詰め込まれた情報が、ここに来て一挙に氾濫。永絆の脳内は困惑や恐怖、緊張による大洪水と化し、十分なゆとりを欲している。


「気を失った……だけなのか? いや、問題はそこじゃない。直前に来やがったあのでっけぇ電気の弾……それが私と蓮花を襲って……直後、急に苦しくなって眠くなって、針が刺さって——」


 そしてここにきて、ようやく自分が陥っている危機を思い出す。

 永絆は勢いよく立ち上がり、愛剣の柄を握り締めるや否や声を張り上げて叫ぶ。


「蓮花ッ!! おい蓮花! 居たら返事しろ! というかしてくれッ!」


 胃の奥底から迫り上がる不安が、永絆を焦燥の渦に陥れる。


 魔剣による攻撃を受けてからどのくらい経つのか。自分が倒れている間に何があり、蓮花はどこへ行ったのか。


 また、何故か肩あたりに刺さっていたであろう針が見当たらず、それ以前に溢れ出していた筈の血すら一滴も滴っていない。

 

 分からない。全くもって分からない。


「……分からないからこそ、前へ進む……」


 昔、蓮花からの相談を受けて放った言葉だ。

 無責任も甚だしい。未知と恐怖に塗れた状況でそんな前向きな芸当が出来たのなら、波月永絆はとっくの昔に真っ当なレール上へと踵を返している。


 けれど。


「それこそ、なよなよしてたら示しがつかねぇよな」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、柄を握る手にさらに力を込め、薄闇に覆われた廊下の先を睨みつける。

 どこに居るか分からず、そもそも探している段階でまたあの砲撃や、訳の分からない仕打ちを受けて死の危機に瀕するかもしれない。


 もしくは、今この瞬間、こうして思考を張り巡らせている最中に『死』が確定するかもしれない。


「……でも、それは蓮花やターチスだって同じだろ」


 もはや、蓮花には魔剣のことはバレている。ターチスがここに来るまでの間に何度か見せていた考え込むような仕草を見るに、蓮花が言っていた『三つの怪事件』の真相も魔剣絡みの可能性が高いことが明白だ。

 だったら、尚更。


「進むっきゃねぇ」


 前に足を踏み出し、それを勢いに任せて段々と早め、未知なる闇へと駆けていく。

 ヴァージのずっしりとした重みがかえって安心し、研ぎ澄まされた五感は恐怖を越えて莫大な集中力へと昇華している。

 だからこそ、永絆は寸前にそれに気付いた。


「——おや、こんな時間にまだ人が……」


 一般人。灰色のポロシャツを着た、しがれた中年男。銀縁の眼鏡の奥から覗く驚きの眼差しが、永絆を真っ向から射抜いている。


「……これはどうも、初めまして。私、片喰蓮花の付き添いで参りました波月永絆と申します」


 礼をする代わりに顎を引き、眼光を鋭くしないよう必死に抑える。


「ああ、片喰さんの……。ぼくは藤実剛志と申します。……して、何か忘れ物でも?」


「ええ、そうみたいで。まったく、親でもないのに保護者役を買わされるとは、困りものです」


「でもいいじゃないですか、信頼されていて。ぼくは彼女のクラスの担任をしているから分かりますが、彼女はとても誠実で良い子です。そんな子に心から信頼を置かれるあなたもまた、良心溢れるとても良い人柄をしているのでしょうね」


 うっすらと皺を見せて微笑む藤実に、永絆もまた口元を緩めて答える。


「先生からお褒めの言葉を頂けるなんて光栄ですね。でも、私を口説いても何も出ませんよ? ……あ、いえ、一つありました。いや、正確には三つかな。質問です、質問。なんでも、その蓮花が三つほどの『怪事件』に遭遇したらしいんですよ」


「ほほぉ。それはぼくも興味深い。いいでしょう、承ります」


「では早速」


 そう言って、永絆は窓の外から見える別棟を指差し、藤実を真っ向から睨んで続ける。


「——『屋上のスナイパー』。ありゃ何人居るんだ?」


 夜風が窓を叩きつける。空気に重みが増していくのを肌で感じる。

 藤実は微笑を湛えたまま答える。


「一人、です」


「では次の質問……『腹斬りの女生徒』についての見解を聞かせてもらおうか」


「腹斬りの、女生徒……ああ、なるほど。そういうことですか」


「どうした、まさか今ここで初めて聞きましたって言うんじゃないだろうな」


 永絆は魔剣の柄を握る力をさらに強くし、切っ先を微かに床から斜め上へとずらして問うた。

 対し、藤実は軽く肩を竦めて言う。


「いえね。それが少しおかしいのですよ。『腹斬りの女生徒』……その事件も実話です。しかし、ぼくはその生徒が『腹を斬られて』搬送されただなんて、生徒達には一言も口外してはいないのです。だから、その名前が広まること自体、おかしなことだと思いませんか。……あと、よろしければ、次はぼくから質問、いいですか」


 永絆は首肯し、無言で先を促す。

 藤実は永絆が握る大剣を指差し、


「──ヴァージっていうのは、その魔剣のお名前ですか?」


 瞬間、永絆は動いた。

 即座に藤実との間合いを詰め、心中で『剣能』を唱え、ヴァージの切っ先が血を模した煌めきを魅せる。

 それを目にした藤実は、今度は子供のように無邪気な笑顔をして叫ぶ。


「嬉しい! 嬉しいですよぼかぁ! なんたって、これで魔剣使いが四人目だっ! ぜひぜひ語り合いですねぇ! その前に打ち合いしたいですねえぇっ!」


 嬌声を上げるさなか、彼は手のひらからそれを顕現させていた。


 ——無数の針。赤、黄、緑の三通りあるそれらが生え、不気味に蠢く太い尻尾のようなそれ。


 奴は、魔剣を引き抜いた。

 そして。


「手っ取り早くぶちのめしてやら——」


 永絆の攻撃の足が止まる。


 薄闇に覆われた廊下の先。


 なぜ、自分が歩いてきたところの電気をわざわざ消していたのか。その悪辣な理由が、電気が点くと共に明らかとなる。


「ところで君にはさっき、『猛毒』の針を刺した筈なんだがね。赤いヤツね。どうしてこんなにピンピンしているのか……はてさて、謎めいてはいるけれど、それは後でじっくり解剖してみれば満たされる好奇心だ。そして、彼らには『操毒』で特攻の真似事をするよう命じてある。その強烈なヴァージ君を持つあなたでも、流石に『操られているだけの罪無き子供たち』を斬ることは出来ないでしょう?」


 藤実の背後、直立姿勢で廊下にひしめき合う大勢の生徒達。各々の首には緑色の針が刺さっており、彼が言っていることが本当だとすれば、彼らは操られているということになる。

 この、下賤で下劣な教師に。


「てめぇ。それがさっき私を殺し損ねたことに対する腹いせのつもりか? まあもっとも、私にはその記憶すら曖昧なんだがな」


「そうそう、あれは本当に驚いたよ。なんたって、一度死んだかのよう見えた君が、ぼくが頑張ってこしらえた魔獣軍隊をまさかものの一瞬で全滅させてしまうのだからねぇ。明らかに別の誰かがその場でやっているように見えることを、君はいともたやすく行っていた……。それとも、『大剣霊』とかいう存在はこの結界を貼っているから、本格的にそれ以上の厄介で壮大な存在が絡んでいると考えるべきか……」


「なによく分かんねぇことぺちゃくちゃ喋ってんだ気持ち悪ぃ!」


 荒っぽく返しつつ、永絆は頭をフル回転させていた。

 今この状況、そして藤実が暴露したことを照らし合わせて導き出される答え。


 それは、『スナイパー』、『針』の攻撃は全て藤実と別の誰かによるもの。蓮花と共に来た瞬間を狙っていたところと永絆を即死させようとしていたことから、狙いは元から蓮花一人。

 

 つまり、今こうしている間にも蓮花が『スナイパー』によって危害を加えられている恐れがあるということだ。であれば、尚更ここで足止めをくらう訳にはいかない。


 ましてや、不明瞭な目的の為に利用されている罪無き生徒たちを傷つけるなど、あってはならない。

 

 永絆は剣を担ぎ、眼光をより一層鋭くさせて問う。


「お前らの目的は何だ。蓮花であるにしても、無垢で無装備なあの子を狙うには力入れ過ぎだと思うが」


 その質問を受けた藤実の顔から、目障りな笑みが消えた。

 そして、彼は目を真ん丸にして、


「無垢? 無装備? 君はいったい何を言っているのかな? ぼくが——と言うより、ぼくの相方であるスナイパー君が抱く目的は、きっと彼女と同じさ」


「あぁ? いったい何を言って——」


 遠回しで不確かな物言いに苛立ちを覚えたと同時、藤実が放った言葉を聞いて言葉を失った。


 ——が、それが最後まで音を成す寸前に、再び『霧』の横槍が入る。


「ぐぁ……っ!?」


 永絆は思わずヴァージの大きな剣身で自分の身を守る。


「まったく、目的を成就させるのなら早くして頂きたいものだね。彼女はぼくの『剣能』を悪辣だと言っていたが、この霧のそれも大概だとぼくは思うよ。何せ、術士本人すらも斬撃の選択範囲は曖昧ときてる……だからこそ、こうして無垢なる肉の壁を使って君の良心に縋るしかできないのだから」


 濃密な霧の向こう側で、藤実が意味不明な文言を羅列しているのが聞こえる。

 それはそうと、永絆はある一つの解に行き着く。


「……ひとまず、あいつはこの霧で攻撃出来ねえ……しかも、狙いが蓮花だって分かってんなら、やることは一つだ」


 咄嗟に、窓ガラスを叩き割った。

 そして、ヴァージの剣身に足を乗せて、飛行を命じる。


「おいクソ教師! てめえはひとまず後だ。せいぜいそこで歯噛みしながら足止めくらってやがれ!」


 スケボーの要領でバランスをとって飛び始めた永絆は、そう言い残して目的地へと向かう。


 即ち、霧の根源。

 そこに蓮花が居るという確証は無いが、こう三度も助けられては流石に仲間意識が芽生えてくる。勿論、霧使いの魔剣術士が藤実やスナイパーとグルでないという保証はどこにもない。


 しかし、藤実がこの霧を邪険にしているところを見るに、少なくとも仲間関係である確率は低く思える。


 霧のトンネルを滑空してくぐりながら、永絆は考える。

 

「霧使いの真意を見極めて、何とか仲間に引き入れてあいつをぶった斬る……そんで、スナイパーもぶちのめして蓮花を見つけ出し、あとの尻拭いは全てターチスに任せる。そうすれば全てが——」


 丸く収まる。

 そう断言しようとした途端、


「なん……っ!?」


 急に、霧の向こうから雷撃が飛んできたのだ。しかし、霧のせいで狙いが逸れたのか、巨大な電撃の弾は明後日の方向に飛んでいき、しまいには霧散した。


 だが、永絆が驚いたのはそこではなく。


「人の、腕ごと……だったよな」


 そう。消え失せたのは雷撃に限らず、カッターをそのまま巨大化したような物体——恐らく魔剣と、『その柄を握る術士の手から肩口まで』だ。

 

 続けて、耳を覆いたくなるよな凄絶な悲鳴が、耳朶を劈く。


「やったのは……霧使いなのか……?」


 雷撃と腕が飛んできた方へ近づくほど、悲鳴は大きくなり——霧は徐々に濃くなっていく。


 居るのだ、この先に。 

 懐柔しようとした相手が。躊躇なく己の剣で人の腕を斬り飛ばしてしまうほどに、『慣れてしまっている』人間が。


「ちっくしょう……っ!」


 屋上。件の現場に近付いていくごとに、心臓の鼓動が鼓膜を叩き、膝が笑い声を上げる。

 霧の先にどのような光景が広がっているのか、また、どんな相手が待ち受けているのか、はたまた、その者の真意は。


 不可視に続き不可視な問題が頭を駆け巡るのも束の間で。


 ゆっくりと速度を下げたヴァージが、切っ先を軽く鳴らして着地の旨を知らせてくる。

 

 屋上に、着いたのだ。

 ヴァージが叩いているのは、コンクリート。その金属音が、また不穏な展開を知らせるゴングのように聞こえてならない。


「行くっきゃねぇ……」


 再び、自分にそう言い聞かせ、ヴァージを握るもう片方の手で胸を叩く。

 この数メートル先に待つ結果は、今まで以上に凄惨なものかもしれない。けれど、今は進むしかない。


 ターチスが自分の存在の代わりにと授けてくれた加護が刻まれた右腕を見て。


 初めて出会った夜、必ず守ると決めた少女の手を引くための手を見て。


 深呼吸をして、歩を進める。


 前へ。一歩ずつ、前へ。

 

 やがて、霧が明ける。


「————」


 眼前に広がっている光景を目にして、永絆が動くことが出来なかった。


 どうして。

 どうして。

 どうして。


「──言ったでしょ、『忘れ物』を取りに行くって。だから付いてきて欲しいって」


 そんなはずがない。そんなわけがないと、目を背けたい。

 でも。


「『復讐』と言う名の忘れ物……でも大丈夫。もうじき、それも終わるから」


 柄の先で渦を巻く鋼鉄。その切っ先から溢れ出る霧。


 濃霧の抱擁は、片腕を失くして呻き声を漏らす男子生徒の身体に、次々と静かな斬撃を刻んでいて。


 微かに差し込む月明かりが、彼女の虚ろな紅梅色の瞳を艶やかに照らす。


「……ごめんね。そしてありがとう、——ナズ姉」


 ゆっくりと魔剣を振り上げた霧の魔剣使い──片喰蓮花は、口元の端を釣り上げて。


「蓮——ッ」


「さよなら、あたしを弄んだ下衆野郎」


 無情にそれを、振り下ろす。


 無理解の渦の只中に立ち尽くす永絆の前で。

 


 鮮血が、散った——。

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