002 『純潔』の大剣霊ターチス・ザミ

 真っ白い炎に焼き焦がされ、意味も分からずに死んでいく――といった展開を想像していたが、まず、熱を感じなかった。


「……は?」


 無理解の声を漏らす。白い炎に包まれ、永絆の身体は浮いている。視線の先ではターチス・ザミと名乗った桃髪の女が不敵に笑んで言った。


「ひとまず、『冥剣』に持っていかれた分の体力と、それを少しはまともに扱えるようにするための魔気はその『悪滅善癒の白焔』がもろもろ何とかしてくれるわ」


「……あんたは、今から何をする?」


「決まっているでしょう」


 そう答えて敵軍の方へと振り向いたターチスは、白く綺麗な片腕を異形の怪物たちに向け、


「――我が剣霊術に焼かれて消え失せなさい。下位魔剣より生まれし出来損ないの魔獣共」


 細い五指揃う手のひらから、今一度、白亜の灼熱が放たれる。津波の如く荒れ狂うそれは、辺りに聳える建物ごと怪物の軍勢をまとめて飲み込んでいく。


 魔獣とターチスが呼んだそれらは、瞬きを何度かした後には既に、姿が消えていた。


 不思議なものだった。今、永絆を包み込んでいるものと同じ炎だろうに、こちらには痛みや火傷は無く。それどころか、重度の貧血じみた症状がだんだんと改善されていく感覚すらある。


 そのことに感動と疑問を抱きつつ、永絆は白焔に抱かれながらターチスに問う。


「ここら一帯、このアパートも含めて目を背けたくなるような惨状になっちまったわけだが……それを元通りにすることも、出来たりするのか?


「元通り、ねえ。生憎、そういった術式をわたくしは持ち合わせていないの。……わたくしの可愛い弟子なら、あるいは――」


 あっさりと否定され、永絆は唇を噛む。唐突に剣が届いていたと思ったら、異形の怪物たちによって日常を一瞬で破壊されてしまった。近くには人気が無かったにせよ、被害は甚大ではない筈。


 我が身のことしか考えられなかった寸前の自分に対して、思わず嫌悪感を抱いてしまう始末だ。 


 そんな永絆に、ターチスは軽い調子で言った。


「そう落ち込む必要は無くてよ? これはあく『剣戟回廊』によって複製された世界。いくら荒れ果てようが、現実世界に干渉を齎すことは無い」


 続けて指を鳴らす。すると、今まで空を覆っていた紫色が消え、茜色が濃く彩る夕方へと世界は姿を戻した。

 崩落した建物も元通りになっていて、火炎の球が直撃した同階層の部屋も、目の前の柵の全てに破壊の痕跡は感じられなくなっていた。


「結界術式が一種、名は『剣ノ刻限』。因みにこれは、大剣霊のみに赦された超広範囲型結界よ」


 変化を見て愕然としている永絆に対し、ターチスはなんともないといった様子で言う。

 言葉が出ないとはまさにこのこと。未知の情報に頭をタコ殴りにされて、今にも知恵熱が出そうである。

 と、その一方で永絆はある変化に気付く。


「身体が、軽い……」


「終わったようね」


 ターチスが永絆の前に降り立って白焔を消す。


「おわっ、と」


 突如無重力から投げ出された永絆はよろめくが、休む間など無かった。


「お邪魔するわよ」


「って、おいっ、勝手に入るな」


「あら、あらあら。話を聞きたくないのかしら? 貴女を急に訳の分からない展開に引きずりこんだ、貴女から見て異世界にあたるわたくしの故郷で起きた出来事のことを」


「異世界、話……」


 遠慮なく上がっていくターチスの言葉を永絆は反芻し、傍らに落ちていた剣を拾って後に続く。


「おわっ!」

 

 動かした途端、また雷光がビリッと鳴った。もはやコントだ。

 思わず溜息をついた永絆は、靴を脱いでリビングへと戻り、雲のようにした白い炎の上で脚を組んで座っているターチスを目にした。


「その術? ってやつ、めちゃくちゃ便利だな」


「剣霊術よ。わたくしは『純潔』の大剣霊なのだから」


「その大剣霊ってやつは、そんなに偉いものなのか?」


「国家の中枢を担うくらいには偉いわね」


「そりゃ偉い」


 ベッドに腰掛けながら、半ば自然的に称賛する。未だ半信半疑な感じが否めないのを自覚しつつ、崇高なる大剣霊様とやらに話を聞いていく。

 そう思ったら、ターチスが「さて」と得意げに前置いて話し始めた。


「現状を簡潔に述べれば、貴女はその『冥剣』を手にしたことによって、わたくしと契約せざるを得ない。何故なら、貴女は我が祖国の女王より目を付けられてしまったから」


「…………」


 瞬時に理解することは、当然不可能だった。


「オーディア魔剣響国、その首都トロンヴォンに位置するピアネ城にて始まった第二王女の叛逆……それは失敗に終わり、女王は実の妹をその剣に封じたのよ」


「固有名詞がちらほら出てきてこんがらがってきたんだが……えっと、なに? この剣の中に女の子が閉じ込められてるの? それを私は振るったの? やばいじゃん。とんだパンドラソードじゃん!」


「大丈夫、こちらにも打つ手はあるわ」

 

 何が大丈夫なのかが分からないが、ターチスは人差し指を立てるとこれまた白い炎を生じさせた。すると、それは正方形の枠組みとなり、その中に物体が映り出す。


「これは、時計……? それにしては、円形じゃなくて八角形だが」


「魔時計。刻限を一から八まで数えるのよ。そして、これは同時に超規模術式の型ともなる。貴女が手にした『冥剣』……それを中心に差し込むのもまた、術式発動に必要な過程というわけね」


「そこで出てくるのか、この剣。っていうか、その超規模術式っていうのは?」


「――『開闢の刻限』。いわゆる、天地創造の類の術式ね」


 これまた仰々しい名前が出てきたものだ、と永絆はどこか他人事のように思いつつ、核心に迫る。


「随分と御大層な野望なこった。そんなもんを発動させて、女王は一体何がしたいんだ」


「まず、代償にこの世界が含まれているという時点で、貴女にとっては由々しき事態な筈よ。それに、女王が見た未来というのも確かなものとは断定できない。超規模術式の威力が他国を滅ぼしかねないという危惧も否めないってことよ」


 荒波の如く流れ込んできた情報を整理すべく、永絆は顎に手を当てて考える。


 時計の異世界版こと魔時計。

 それをモチーフにした術式陣。


 必要なパーツとなるのが、ターチスが何度も『冥剣』と呼び、女王に叛逆した第二王女とやらが閉じ込められているこのポストに刺さっていた大剣で。


 挙句、それはなんたらの刻限なんていう超規模術式を発動させるために必要だから、女王は是が非でも欲しがっている。当然、景品を持っている永絆は異世界から狙われる。


 ――異世界から狙われるという時点で荒唐無稽もいいところだ。


 挙句、その向こう側の見知らぬ世界に滅亡の危機が迫っているから発動する世直し的な大計画に、知らずのうちに巻き込まれていると来た。


 だが、この大剣やあの魔獣の群れ、ターチスのことを見て知った身としては、笑い飛ばせる話ではなく。


「何で、第二王女が封じられたこの剣が、私の家のポストに刺さってたんだ?」


 疑問は結局、そこに帰結する。ターチスは「ああ」と納得した表情で答える。


「それもこの件に関係している者の仕業だと思うわ。魔剣術士……というよりは、まだ魔剣使いといったところかしら」


「いったいどうして私の部屋なんかに……」


「さあ? 明確な動機が無ければ気まぐれではなくて? 魔剣を持つ者はどれほど『剣力』が高くても、例外を除けば基本的に一人一本が原則なのよ。だからまあ、『余ったから』とかそういう理由かもしれないわね」


「お裾分けされも困るってんだよ。こっちはよ」


 永絆は呆れたように吐き捨てて、深く嘆息

すると再びターチスの黄色の双眸を射抜き、


「私は、どうすればいい」


「わたくしの眷属になりなさい。そして、『冥位魔剣』八本の回収に協力するのよ。その『冥剣』を携えて、共犯者としてね」


「物騒な物言いだな。ということはつまり、お前もまたこの『冥剣』とやらの中に封じられた第二王女と共に女王に叛逆した身ってワケか?」


「いえ、まだその旨は示していないわ。もっとも、以前、一度牙を剥いたことがあるから、向こうはわたくしのことをまるで信用していないと思うけれど」


「いやそれダメじゃん」


「しかし、実力は保証するわ。貴女に『冥剣』をお裾分けした輩も含め、この世界にも恐らく、既に魔剣使いによる『剣能』の乱用や戦闘は起こっているかもしれないのだから」


 確かに、彼女が自分で言っていた通り、ターチス・ザミという大剣霊の力は強大だ。異世界人ではない素人目から見ても、その底知れない力は心強く感じ、同時に恐ろしくも感じる。


『敵』に位置する女王やその刺客、他の魔剣使いとやらも全くの未知。しかし、ここでターチスの要求をはねのけても、結局はあの魔獣の群れに怖気づいていた時の二の舞になるだけではないのか。


 というか、この現状を知って且つ『冥剣』を一度でも握ってしまったせいで、もう逃げ場はどこにも無いのではないか。


「はあ……」


 恐れや怒りを通り越して溜息しか出ない。


「判断は決まったかしら?」


「ったく、ホント誰なんだよ、こんな面倒事に巻き込まれるきっかけを作ったのはよ」


 次から次へと文句が浮かぶ。だがそれと共に去来するのは、安堵の気持ちだった。だって、異世界からの侵略がもう既に始まっているのだ。

 

 そんななか、もし何も知らずにいたら何も知らないまま殺されていたかもしれない。

 それに、そんなことになれば自分がこの身に変えても守ると誓った少女すら、守れなくなっていたかもしれない。


 そう考えると、少しだけ気が楽になった。


 永絆は腰掛けていたベッドから立ち上がり、白焔に座っているターチスの目の前に立って言った。


「契約を、受ける」


 少しは固く誓えただろう、決意。それが顔にも表れており、ターチスは満面の笑みを浮かべた。


「良い表情ね。さて、では早速契約の履行に移るわ。利き腕を出しなさい」


 言われて、永絆は右腕の裾をまくって差し出す。


「まさか、痛いのとかじゃないよな?」


「まさか」


 痛いことに慣れていそうな異世界側の存在に、こんなことを聞いても無理か、と変に納得した。そして、真っ白な炎が再び永絆を包み込む。


「――『純潔』の霊位を冠する我が名のもとに、無垢なる想念を代償として担わせ、この者を剣霊術士として従えることを誓わん」


 白い世界が凝縮して永絆の身体へと入り込み、やがて契約の儀式は終わる。ふと右腕を見ると、そこには恐らく異世界語で記された文字が虎の紋様として刻まれていた。


「これが、契約の証? っていうか、無垢なる想念が代償って、どういうこと?」


「その右腕を持つ者、つまり眷属である貴女がこの先体験するだろう未知なる事柄に対して抱く、様々な思い……要は、初体験というやつよ」


「言い方」


 しかし、そうとなれば、永絆にはあまり害は無いのかもしれない。てっきり、心だの命だの寿命が削れるだのと言われるかと思ったのだが。


「では早速、冥位魔剣の回収に向かうとするわよ」


「え、もう行くのか? まずはゆっくり互いのことを知り合っていくところから……」


「あまり時間が無いの。女王は……あの女はきっと、すぐに――」


 ターチスが雰囲気を一変させ、玄関のほうへ掌を向ける。永絆も玄関の方で微かだが物音を捉えていた。恐らく、魔剣絡みの襲撃だと察知したのだろう。


 同時に、ローテーブルに置いてあった永絆のスマーフォンが震えた。画面に表示されたメッセージを見て、永絆は「待てっ! ドアの前に居るのは――」と制したが、言い終える前にターチスが白焔を放ってしまった。


「――蓮花ぁッ!!」


 画面に表示されているものと同じ名前を、永絆は悲痛に叫ぶ。取り返しのつかないことになった。

 そう、思った時。


「――ナズ姉、大丈夫!?」


 白い炎のトンネルを潜って永絆の前に立った少女が、振り返って焦燥に満ちた顏で心配の声をかけた。


 赤みがかったセミロングに複雑な編み込みを入れた、濃い色の制服に身を包む女子高生。


 彼女は乱れたチェック柄のスカートを直すことなく、鞄を背負ったまま、スーパーの袋を持つ手でターチスを指差して怒鳴った。


「あたしのナズ姉に何してんだこの淫乱女ッ!!」

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