現界ノ章・第一幕『魔剣怪事件編』
001 始まりはポストに刺さる魔剣と共に
「……んあ?」
永絆は、のそのそとベッド上の毛布から足を出し、爪先からつむじまでを這うような寒さに身を震わせる。と言っても、もう既に夕方なのだが。
今日はバイトのシフトが入っていないのと昨夜に行きつけのバーで飲み過ぎたのが災いし、本日は一日中惰眠を貪るはめとなってしまった。いい歳してなんたらかんたらという指摘も、とうの昔に聞き飽きた。
ローテーブルに投げてあったスマートフォンの画面を見て、現在時刻にげんなりし、一件の通知をタップして頬を緩める。
「蓮花のやつ、最近は学校のほうは大丈夫そうだな」
赤みがかったセミロングを揺らして甘えてくる子犬のような女子高生の姿を脳裏に思い浮かべ、凍てついた床を踏み締める勇気を貰った。
「んっ、ぐぁ……っ!」
肩が攣りそうになるのを感じながら背伸びし、ボサボサの藍髪をポニーテールで雑に結び、よれよれの白いブラウスに出来ていた皺を軽く直して玄関へと向かう。
そういえば、今日の晩御飯はどうしようか、流石に女子高生にそう何度も家政婦のようなことをさせるわけにはいかない――といったようなことをぼんやりとした頭で考えて、ドアの前に立つ。
「は?」
目の前のそれを認識するのに、少しのタイムラグがあった。
永絆は別に、現在進行形でオタク的な趣味は持ち合わせていない。
だから、これが『そういうグッズ』だったとしても、永絆にとっては管轄外の代物だ。もっとも、それ以前に『こういうブツ』を手配した覚えなど微塵も無いのだが。
ありていに言えば、ドアのポストに大剣が突き刺さっていた。
微かに舞う埃と差し込む光が相まって、それがやたらと幻想的に見える。
漆のように黒く、真ん中には銀色の刺繍が施されていて、鍔は大きいのか、ポストの入口に引っ掛かっているらしい。と、ここまで何となく分析してみて、やっぱり有り得ないと首を傾げる。
「二日酔いなんて今更だし、危ない薬にも手は出していないし……」
一体何なのか。とりあえず実際に触れて確かめることにした。
まずは剣身を軽くノックしてみる。
コォン、コォン、と良い感じに金属音が鳴り響く。
楽しくなってきた。
コォン、コォン、コォン、コォン。
ついでに撫でてもみる。感触はマットで、思いのほか滑らかだ。それが分かったところで、二重の鍵を開けてドアを思い切り開ける。
その拍子に、床を引っ掻くかたちで大剣の切っ先がずれ、
「おわっ!?」
一瞬、赤黒い雷が走ったかのように見えた。
「気のせい、か……?」
今の時期は寒いから静電気が凄い、みたいな問題ではなく。しかしもう一度試すのも気が引けるので、ぎりぎりと居れる程度の隙間から外に出て、今度は後ろから大剣を見てみる。
高級な金塊でも使っていそうな鍔。柄の部分も黒い包帯のようなもので良質なグリップを確保している。
間違いなく、この剣は高級品である。
フリーマーケットアプリだと心もとないから、どこかよさそうな質屋でも探して高く売ってもらおうか――そんな考えが脳裏を過った時だった。
爆音のようなものが聞こえたのだ。
「何だっ!?」
永絆は勢いよく振り返り、荒唐無稽な光景を目の当たりにする。
――ドラゴンを始めとした異形の怪物たちが、こちらに向かっていた。
「――――」
目を見開いて、息をするのを忘れて。呆然と、世界の終わりを表すようなそれをただただ見ていた。
空が紫色に彩られている。
数多の怪物たちは建物を薙ぎ倒し、立ち尽くす永絆の方へ進軍している。
何故。そんな疑問が、ひたすら頭の中を行き交っていた。それに次いで、一体どうすればいいのかという得も言われぬような焦燥に駆られる。
悲鳴もまともに上げることが出来ず、膝が盛大に笑ってその場から動けない。
途端、視界の端を熱が横切った。
一拍遅れて、衝撃と熱波が吹き荒れる。
「うぐ……っ!?」
恐らく、近くのどこかの部屋が今の一撃で爆ぜただろう。
咄嗟に腕で顔を庇い、必死にどうするかを考える。
考えて考えて、やはり思考そのものが機能してないことに気付く。
近付く死の予感。これほどまでに味わうことの無かった恐怖が、心臓を痛いくらいに脈打たせる。
とにかく。
とにかく、とにかく、とにかく。
ここから逃げ出すのが最善の判断だ。
不思議と、他人の気配は感じない。それも、怪物たちの進軍と紫色に染まった世界が関係しているのだろうか。
漠然とそんなことを考えつつ、逃走を実行するために永絆は顔を庇っていた腕を下ろし――、
「あ」
目の前でドラゴンが獰猛な歯を見せているのを見て、思考が停止した。鱗を翡翠に煌めかせるそいつは、大口の先で巨大な火の玉を発していた。
もう、ダメだ。
諦めに近い絶望が、永絆から逃走の意志を根こそぎ奪い取った。
心残りがあるとすれば、それはあの天真爛漫な女子高生にもう二度と会えなくなってしまうということ。
こんな退廃的な生活をしていて、どこか傍観者気取りで世の中に住み着いていても、あの少女と出会えたことは本当に奇跡で、何よりも得難い幸福だと思っているから。
でも、だから、か。
だからこそ、今ここで永絆が灰と化すわけにはいかないのではないだろうか。
ポストに刺さっている大剣のことを思いだす。停止していた思考が、一気に加速し始める。
「くそ、がッ!」
藁にも縋る思いで剣を握り、ポストから勢いよく引き抜く。
再び、雷光が迸る。
気にしてなどいられない。
どうせ足掻かずに無様な死を迎えるのなら、せめて目一杯足掻いてから納得して死んでやる。
「……つか、その前に私は生き延びるッ!」
ドラゴンが装填させていた炎の塊が、奇怪な音を発して放たれる。
永絆は剣の柄を力強く握り、無意識のうちにバッティングフォームで迎え撃つ。
「お、りゃああああああああああああああああああああああああああああッ!」
今一度、赤黒い雷光が瞬く。
今まで以上に、盛大に。
それはやがて竜の形を結び、
「――滅、喰……?」
脳内に流れ込んできた単語が口をついて出たと同時、エメラルドカラーのドラゴンは赤黒い竜の影によって飲み込まれていった。
続けて、骨を砕くような鈍く不気味な音が響く。咀嚼音だろうか、と永絆は反射的に思った。
「ひとまず、コイツの力はやべぇってことは分かった……」
荒い吐息と共にそう呟いた永絆は、眼前を睨みつけて大剣の切っ先を怪物の群れへと向ける。
ドラゴンと馬を合わせたようなものから、蜘蛛に巨大な翼が生えたものまで、『異形』のオールスターズだ。
しかし、抗う術は得た。
ならば、後は精一杯に立ち向かうだけだ。
そう思った、瞬間。
「……な、んだ……?」
視界が、ぐらっ、と揺れたのだ。
気が付けば、構えていた剣の重さに耐えきれずにバランスを崩し、その場で倒れてしまう。
冗談じゃない。せっかく生き延びる保障が出来たというのに、それも外れくじで結局はふりだしに戻ったというのか。
「冗談じゃ、ねえ、ぞ」
文字通り歯を食いしばり、コンクリートの廊下に爪を立て、欠けてヒビの入るそれが血の痕を描いて永絆の意識に鈍くも鋭い刺激をもたらす。
目の前の柵が、衝撃波で壊れた。一つ目で
鬼のような見た目をした灰色の巨人が永絆を見下ろしている。ぎょろぎょろと蠢く目玉は、格好の餌を見つけた喜びに興奮しての反応なのか。
「クソ、が」
短く吐き捨て、怪物を睨み上げる。
意地でも食われてやるものか、と憤怒に顔を歪める。
だが、叛逆の意志は実を結ぶことなく、鬼のような巨人の手は倒れ伏す永絆に這い寄り――、
「――合格よ、異世界人」
鈴のような声音が響くとともに、巨人の身体が真っ白な炎に包まれ、やがてその体表の色よりも濃い灰となって目の前から消えていった。
「なんだ……?」
疑問を零した直後、再び白い炎が辺り一面を埋め尽くしていく。その白焔はまるで白く染まった海であるかのような錯覚を齎す。
轟々と唸る炎。その根源を辿り、永絆は一人の女を目にした。
女と一目で分かったのは、その者が腰まで伸びた髪と長い丈のドレスを風になびかせていたからだ。その女もまたこちらに気付いたのか、宙で浮遊したまま、まるで蝶のように永絆の目の前へと舞って姿を現す。
紫紺の空を背に、その女は勝ち気な瞳で永絆を見下ろして言った。
「ごきげんよう、異世界人。そして『
桜色の髪を払い、漆黒のワンピースドレスを纏う豊満な肢体を踊らせながら、彼女は腕を組んでそう言ったのだ。
「なん、なんだ。あんたは一体」
「わたくしは『オーディア魔剣響国』が誇る四大剣霊が一人、『純潔』の霊位を冠するターチス・ザミ。助かりたかったらわたくしの下僕となりなさい。これは確定事項よ」
そう言って、艶やかな淑女――ターチスは、意味不明な言葉を残し、
「それって、どういう――」
白い炎で、永絆を焼いたのだった。
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