003 片喰蓮花

 淫乱女と言われて指を突き付けられたターチスは、反論をする代わりに首を傾げていた。異世界人だからこの世界の言語が分からないのかと永絆は一瞬思ったが、自分と話せている時点でその説は薄い。


 つまり、単純に疑問符を浮かべているということだろう。


「もう一度言うよ。あたしのナズ姉にアンタは何してるんだ!」


「アンタではないわ。わたくしの名はターチス・ザミ。オーディア魔剣響国が誇る四大剣霊が一人、『純潔』の霊位を冠する者よ」


「何を言っているのか全く意味が分からないんですけど!」


「……それが普通の反応だ」


 ぼそりと零した永絆は溜息をつき、


「蓮花、今日もありがとな。晩飯作ってくれるんだろ?」


「だからお礼なんていらないって。あたしが好きでやってることなんだから……あたしはナズ姉の通い妻なんだからっ」


 歌うようにそう言った蓮花に、永絆も頬を緩める。それから、ターチスにも蓮花のことを手で示して紹介する。


「こいつは片喰蓮花。私の大切な妹みたいなもんだ」


 続けて、今度はターチスを手で示し、


「こいつはターチス・ザミ。えっと、まあ大まかに言えば、たった今こいつが自己紹介した通り、異世界にある一つの国の中で偉い剣の精霊さんだ」


「意味が分からないよ」


「だろうな」


 と、即答に対して即答。しかし、永絆とターチスはこの『冥剣』に纏わることのあらましを蓮花にも説明しなければならない。


「それに、この人はどういう原理で浮いているのさ」


 白い炎で未だ浮遊しているターチスを指差した蓮花が、永絆に説明を求める。永絆は「あー」と頭を掻き、


「とりあえず、メシは後にしよう。そんで、状況整理も兼ねて説明タイムだ」 


 スーパーの袋をテーブルに置いた蓮花にベッドに座るよう促し、自分も隣に座って永絆は脳内で情報を整理しつつ、時折ターチスにも正誤の判断を仰いで蓮花に今の状況を説明するのだった。



 永絆が蓮花と出会ったのは、夜の公園で酔いを覚ましていた時だった。この街では割と有名な森林公園。その中にある遊具が多い遊び場の前で、彼女は制服を着たまま立ち尽くして泣いていたのだ。


 居ても立っても居られずに話を聞けば、蓮花はいじめについて酷く悩んでいたとのことだった。シーソーに乗りながら話を聞いた後で、永絆は彼女を自宅に誘って相談に乗ったり、自分なりのアトバイスをしたりした。


 その後、手料理をご馳走して幾らかマシな笑顔になったと思えば、そのまま無防備に寝てしまった。女好きの永絆だが、流石に未成年の少女に夜ばいをかけるなどということはせず、またその度胸もなく。


 気が付けば永絆も寝落ちして二人で一緒に寝てしまっていた。


 それからというものの、蓮花は毎日のように永絆の家に遊びに来るようになった。


 そして、今に至る――。



 こうして、永絆が頑張ってターチスの監督のもとに紡いだ現状説明の後に、永絆が蓮花と出会ったエピソードも話し終えた。


 永絆と出会った時のエピソードはともかく、思いのほか蓮花の様子は冷静といえるものだった。そもそも彼女はどちらかと言えば賢い人種に属するのだから、あまり違和感は無いが。


 現に、彼女は今真面目な表情で、永絆が振るった大剣を軽く叩いたり握ったりしている。


「それで、レンカ・カタバミはナズナとわたくしの魔剣回収に関してはどうするのかしら?」


「蓮花って呼んでいいよ。あたし、アンタのこと少し誤解してたみたい。ナズ姉のことを助けてくれたんだよね? それは本当に、ありがとう」


 そう言って、蓮花は永絆の隣に座ったままターチスに頭を下げた。永絆はすぐに頬を緩めたが、ターチスは驚きを隠せない様子である。そんな大剣霊に、永絆は助長してやる。


「つまり、いい子で可愛い蓮花もまた、お前が味方だって分かったからお前のことも信じるってこった」


「……随分と、物分かりがいいのね」


「あたしはナズ姉の言葉ならどんなことでも信じるし、地球上の皆がナズ姉を星八分にしてもあたしはナズ姉の味方でいるつもりだし」


 惑星規模で永絆一人を迫害しようなんてことはほぼ確実に起こり得ない話だが、今はその蓮花の揺らがない決心が嬉しかった。


 ともあれ、これにて、片喰蓮花も正式にパーティに加わったというわけだ。


 ターチスは珍しく、クスリと笑う。


「レンカ、貴女を見ているとわたくしの愛し

い妹のことを思いだすわ」


「ターチス、お前って妹居たんだな」


「まあ、正確には弟子の方が正しいのだけれどね。ずっと一緒に暮らしているから、もう妹みたいなものなのよ」


 そう言った彼女の瞳には、心底からの親愛が込められているように見えた。


 やはり、異世界の大剣霊という超常的存在も、一人の人間であることに変わりはないのだと、永絆は思った。


「――あ、あのさ」


 そこへ、蓮花が微かに声を震わせた様子で声を上げた。


「どした? やっぱり、怖いってんなら無理はしなくても……」


「違うの、その件については本当に大丈夫。けど、これはまた別件っていうか」


 自らの指を弄りながら俯いて話す蓮花に、永絆は眉を寄せる。真っ先に浮かんだ疑問を、彼女の心を傷付けないように、遠回しに問う。


「……また、学校で何かあったとか?」


「そう、そうっ。学校!」


「うん?」


「学校に、今日中に必ず成し遂げておきたいことを忘れちゃったんだ。で、今は夜でしょ? 夜の学校って怖いじゃん?」


「あー、なるほどね」


「うんうん」


 笑顔で頷く蓮花の髪を撫でながら、


「そういうことだ、ターチス。魔剣収集の前に、ちょっと寄り道してもいいか?」


「忘れ物を取りに行くのでしょう? 眷属の頼みなら仕方が無いわね。わたくしも同行するわ」


「いつまたあの魔獣みたいな奴らが襲ってくるかも分からないしな」


「それもあるけれど、それ以上にわたくしの方が駆け出しの貴女たちよりも『感知』しやすいのよ。大剣霊だし」


 豊満な胸を張ってそう言ったターチスの言葉を、永絆はすんなりと飲み込むことが出来なかった。

 何かが、引っ掛かったのだ。そんな眷属の様子を察知したのか、契約主は付け加える。


「……普通、魔剣を始めとした現象というのは、直接見て触れないと感知できないものなのよ。ま、使用者の意識が譲渡対象を明確に結べば、例外はあるけどね」


 その説明を聞いても、永絆の表情は釈然としない。蓮花を撫でる手を止めて、考える。もっと深く思考の海に沈めば、何かが閃く予感がしたのだ。

 だが、


「さっ、とりあえず学校に向かおう!」


 蓮花の元気な掛け声でせかされ、晩御飯同様に後でもいいかと結論付けたのだった。


 

 道中、永絆は『冥剣』を霧散させていた。ターチスの話を聞くに、魔剣使いは魔剣の名を唱えればいつでも顕現出来るらしい。

 

 因みに、名前は『ヴァージ』に命名。正式名称があるらしいが、それをそのまま言っても今の永絆では使いこなせないと言う。


 ならば、と永絆はターチスが冠する『純潔』に因んだカタカナをもじった安直な名を用いたわけだ。

 ターチスだけでなく蓮花でさえもそのネーミングセンスの無さに呆れていたが、まあ問題は無い。


 そして、夜闇に包まれた校舎に辿り着く。


 それが持つ雰囲気は独特なものがあり、主に恐怖心が掻き立てられて怪談の舞台となるのが常なものだ。


 加えて。


『腹斬りの女生徒』。


『針まみれのゾンビ』。


『屋上のスナイパー』。


 先程、蓮花が話した三つの怪事件。

それが果たして空想上の怪談なのか、本当の目撃談なのかは定かではない。蓮花自身も、小耳に挟んだ程度だと言及している。


 ともかくして、そんな日常における非日常を作り出す夜の学校の中で歩きながら、永絆は感慨に耽っていた。


「うひゃあ。学校なんて何年ぶりだって話だよな。これ言うと年齢バレるから言わんけども」


「四捨五入すれば三十路なのだから変わらないでしょうに」


「む、ナズ姉はアラサーでも全然蓮花の大好物なんだからねっ。今でも抱かれたいのを必死に我慢して――」


「蓮花、それはフォローになってない」

 

 と、なんやかんやあって下駄箱前で止まる三人。


「二人ともどうする? スリッパとか持ってないだろうし……悪い気がするけど、適当にサイズ合う子の上履き借りちゃっても」


 そう言われて永絆は逡巡し、


「まあ、そうだな。適当に漁って──」


 その時。


 ただ何となく振り向いた蓮花の背後に、それが迫っているのを目にした。


 時の流れの正常さを疑うほどに、緩慢で、それでいて思考と認識は光の如く一瞬で。


「──蓮花ぁぁぁッ!!」


 ──迫る電撃の巨大な弾丸が、蓮花に迫っていた。


「────」


 驚いて言葉が出ないのだろう。彼女は足を竦ませて固まったままだ。


 咄嗟だった。

 咄嗟に、そして無意識に、永絆はとるべき最善の選択肢を実行に移していた。

 

 永絆は『冥剣』の


「ヴァージ!」


 手のひら、もしくは虚空。いずれにせよ、主が放ったそれに魔剣は呼応し、虚無からその姿を見せる。


 やがて、黒い大剣は黄金に煌めく球と交錯する。


 蓮花を危険に晒させない方法。

 明らかな魔剣による攻撃。

 図ったようなタイミングと未知の目的。


「ターチス!!」


「分かっているわ!」


 瞬時に思案した結果、やはりこうするのが最適解である。


 電撃と拮抗しながら、永絆は剣と己の感覚を研ぎ澄ます。


「ヴァージ、『剣能』──」


 その一方で、ターチスは校庭に出て飛翔し、天高く舞う。


「『剣の刻限』──」


 両者同時に、紡ぐ。


「発動!」

「発動!」


 直後、竜のように放たれた赤黒い影は獰猛に電撃の球を喰らい、景色は空を中心に紫紺に染まりゆく。

 それを確認し、永絆は蓮花に向かって叫ぶ。


「蓮花、お前は私の後ろに――」

 

 言いかけて、彼女の姿がその場に無いことに気付く。血の気が引いていくような感覚に襲われた。


「蓮花! おい、蓮花ッ! まさか、もう魔剣使いの餌食に……っ!?」


 最悪の想定が思考を蝕む。そこへ、間髪入れずにさらなる異変が襲い掛かる。


 ――濃密な霧が、開け放たれた扉から舞い込んでいた。


「なん……っ!?」


 咄嗟に大きく腕を振るってはねのける。だが霧は一向にやむことは無く、


「────は?」


 唐突に。

 剣を手放して倒れゆく自分に疑念を抱いた。


 また、その際、異様に長い赤色の『針』のようなものが肩のあたりから生えていることに、より一層の疑問と恐怖が込み上げて来る。


 だがそれ以前に、猛烈に襲いかかる眠気。底が深い海に溺れゆく感覚と共に、永絆は恐れや痛みに蝕まれるよりも早く、深海へと沈んでゆく。


 数多の記憶が脳内を駆け抜ける。

 

 

 『死』と連想される暗闇が、永絆を覆った。


 

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