未来

 グリステルの右腕が殆ど勝手に反応して鞘から名工クイジナートが鍛えたロングソードを抜き放ち飛来した矢が彼女を射抜く前に両断した。


 その時だ。


 世界が一変した。

 彼女の振るった切っ先が、暗幕を切り裂いたかのようだった。


 喧騒。打たれ弾けれる甲高い金属の音。

 ときの声。

 ヒバリの鳴くような飛び交う矢羽の風切りの音と軍馬の駆ける馬蹄の響き。


「なっ……⁉︎」


 彼女は戦場にいた。

 慌てて装備を確かめると、剣も鎧も王国騎士団正規のそれに変わっていた。

 辺りはあちこちで影の民と正規軍の騎士たちが戦闘を繰り広げている。遠くに見える長城は、ナターラスカヤの砦だろうか。

 彼女は自分の過去の戦いの記憶を見せられているのかと疑ったが、しかしすぐにそれは違うと思い至った。


 土煙の煙たいような肌触り。風が頬を撫でる感覚。怒号や剣戟の騒々しさと、ねっとりと鼻の奥に残る血の匂い。


 目の前の戦の有り様は、あまりにもだった。

 それに、この戦は彼女が今まで戦ったどの戦いよりも大規模なようだ。かつてない規模の騒乱。影の民はほぼ全ての氏族が参加しているのではないか。


「これが! 未来か! 槌打つ女神よ! これが、戦争を止めると誓った私が導く、未来だと言うのか!!!」


 グリステルは思わず絶叫した。

 その声を聞きつけたか、近くの敵が彼女に殺到する。グリステルは兜の面体を降ろし、剣を振り立てて雄叫びを上げた。


 犬頭。拙い槍はくぐるのが容易く、簡単に懐に入って斬り捨てることが出来た。

 鹿頭が石を投げつけて来るのを躱しながら犬頭から奪った槍を投げつける。鹿頭は串刺しになった。熊頭族は巨漢の怪力たちだ。彼女は剥き出しの足を斬り付け、怯んだ所を捨身の体当たりで転倒させ、覆面の裾から除く喉を剣で突いてとどめを刺した。


 その時、彼女の方へ駆けて来る異様な一団があった。


 王家の馬車と、その警護、近衛隊の騎馬の一団だ。


「なぜ王が戦場に⁉︎」


 彼女は動揺しながらも、自然とその進路を護る為に駆け出した。口では散々騎士は辞めたと言いながら、いざ戦場に王の窮地を見れば彼女の身体はあまりにも騎士としての動きをした。


 近衛隊の騎馬たちと王の馬車は、戦場を横断して駆け抜けてしまおうとしているとグリステルは見た。その進路を塞ごうとする影の民の三人組を認めた彼女は息を飲んだ。


 豚顔の魔物たち。

 そう。グリステルの相棒であるザジと同じ、ディスパテルの一族だ。


 近衛隊の先頭、白い鎧の騎馬の騎士が叫んだ。

「どけえっ!」


(私だ……‼︎)


 王の馬車の進路、その妨害者の場所に駆け付けながらグリステルは驚愕した。

 あれは私。未来の私だ。私は未来の大きな決戦の中、近衛隊として王を護っている……?

 しかし考える時間も迷っている暇もありはしなかった。


 ざんっ!


 彼女は一人目の豚頭を一刀のもとに斬り捨てた。

 不意打ちだが卑怯だお経だに構っているゆとりはない。


「行け! 止まらずに!」


 グリステルは叫んだ。未来の自分に向かって。

 身体の回転を剣の回転に変える巧みな斬撃で二人目の豚頭を斬り捨てる。


「あなたのやるべき事のために! 春光の騎士よ!」


 彼女は三人目の豚頭の槌を剣で受け、そのまま全力を傾けて力任せに押し返し、馬車の進路から豚頭を排除した。更に鋭い剣撃を重ねて叩きつけて豚頭を防戦に追い込み、豚頭を自分に引きつける。


「神の御加護を!」

 グリステルのすぐ隣を、グリステルの馬が駆け抜けてゆく。

「ありがとう! 名も知らぬ勇者よ!」

 瞬間、彼女はその騎士たちの異常に気付いた。

 そこには明らかにヒュームでない者たちも混ざっていた。エルフ。ドワーフ。鎧兜は近衛隊だが、大きく曲がった影の民の剣を帯びる者。


 グリステルは、ふっ、と笑った。


「なるほど」

 槌を振るう豚頭は、それを大きく振りかぶって彼女を叩き潰そうとしていた。

 だが、そんな大振りの雑な攻撃をわざわざ受けてやる義理はグリステルにはさらさらなかった。

「未来も捨てたものじゃない、と言うわけだ!」


 迷いの晴れた彼女は、がら空きになった豚頭の腹に深く刃を埋め込んだ。


「お前の神の、導きがあるように」


 グリステルは刺さった剣を抜きながら豚頭の冥福を彼の神に祈った。


『バルディア、ノンマルトス』


 豚頭は血と共に呪いの言葉らしきものを吐いた。


「お前……女だったのか」


 その瞬間、世界が闇に閉ざされた。

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