第1章 黒鉄の騎士:part3 飯田橋


私は先ほどの男性を追っていた。

待ってください、と声をかけても、

男―「風の勇者」と思しき人―は東に歩き続け、こちらには目もむけない様子だった。

新宿から四ツ谷を通り過ぎ、歩きに歩き続けて、気づけば飯田橋の方までたどり着いていた。


とうとう折れたのか、男は私に向き直った。

私は一瞬引く。

これまでの人生で、何か大変なものを見てきたような、光の欠けた眼だ。

男が口を開く。

「…ここまでついてきてくれているのですが、

 君は、僕を誰かと勘違いしているのではないですか?」

「いいえ、私を助けてくれたのはあなたのはずです」

私がはっきりと言う。


「あなたの言っていることはよくわからない」

男が頭を横に振る。

「何か、根拠はあるのですか?」

「…僕はただ、栃木の温泉旅行から帰ってきたばかりの、しがない大学生だ」

私の言葉に返す。


「でしたらあなたのリュック、そのポケットから覗いている」

「『扇』は何ですか?」

男が背負うリュックを、私は指摘する。



自然の力を自在に操る「法具」。

神話かおとぎ話か、実在していても古代の遺物かと思われがちな話ではあるが、

二度行われた、「世界大戦」よりも前に比べて数は少ないものの、この日本にも存在している。世界的に見れば、残っている方だとは言われる。

「扇」は、「風」を自由の操る一族の法具であり、

また一族の象徴でもある。


二次大戦の時期に、日本のみならず世界中で、多くの法具使いが命を落としたことに加えて、

科学の隆盛もあり、今はかつてのような地位はない。

しかしそうであっても、「個人での戦闘力」および「一族での影響力」は今なお高く、

一部の―例えば、私の一族のような―界隈ではよく知られている。

そして正直なところ、科学の領域で、この「法具」の仕組みを解明するには、まだ至っていない。



「この季節、夏にはまだ早いです」

私が続ける。

「おまけに、先日大雪が降ったように、まだ暖かいとも言い難いです」

男は厚手と思しきジャケットを着ている。

私もカーディガンを羽織っているが、まだ肌寒い。

タイツも欠かせない。

そのような季節に扇子を持ち歩くのは、

正直「法具」として使う、それ以外の目的は考えにくい。

直感的に、私はそう思った。

「…」

向こうも、偶然と押し切るには苦しいと考えたのか、足を止めた。



「先ほどは助けてくれて、ありがとうございました」

向こうに煙に巻かれる前に、改めて礼を言う。

「私は陽葵ひなた、と言います」

「…岡谷おかやけん、だ」

男が名を明かした。目のからも、死んだような感じが消えていた。



「建さんですね、ありがとうございました」

「…ただ、納得できないことが、私には一つあります」

「あなたの行動原理は、あまりにもよくわからない」

「これまであなたは多くの人を助けてきた」

「あなた自身の正義感からだというなら、大いに納得のいくことですが」

私が問う。

「あなたはなぜ『風の勇者』をあえて名乗らず、ただ現場を去るのみなのですか?」


「風の法具」はそう簡単に、街中に出てくるような代物ではない。

というのも、「風の法具」をまともに作れる人は、十年以上前に亡くなっている。

今は残された書物をもとにして、彼の後継者が試行錯誤中だと聞く。

だからこそ、東京に「風の勇者」ありと名を知らしめれば、

「抑止力」として、事件の発生を「未然に」防ぐことができると思い、私は建さんに聞いた。



無論、法による規制はあるものの、

緊急時における防衛ということであれば、不問にされた例も多い。

「風の勇者」の例ではないものの、殺人事件に対して無罪になった例もある。

極端なことを言えば、100人が殺しに向かってきて、その100人を殺めた場合でも。


「…先ほどから君は、僕を誰かと勘違いしているのではないか?」

建さんが返す。

「確かに君の言う通り、確かに風の法具使いではあるが、それ以上でもそれ以下でもない」

「だが君を助けたのは確かに、あの場であのような…『権力者と思しき者によるもみ消し』…のようなことを聞かされて」

「助けられるのが自分以外にいないと判断したからにすぎない」

「…あれは緊急時に取り出しただけだ」

建さんが静かに言う。


「でしたらあなたの『扇』は、なぜ『今も』ポケットに入っているのですか?」

今度は私が返す。

「『法具』のような大事なものを持ち運ぶのに、ポケットに入れるなんてことはそうそうないはず」

「つまり、『街を歩いているときに、いつでも、どのタイミングでも使えるように』、その位置に入れているのではないですか?」

「今回のような非常事態だけではなく、いつもそうしているのではないですか?」



私の問いに一瞬沈黙を保った、建さんが口を開いたその時だった。

「そいつだ!」

建さんが発しようとした声を、目の前から聞こえる声が遮る。

「見つけたぞ!こいつさっき新宿で俺を吹き飛ばした奴だ!」

横の車からだ。

あの倒れていた中で、姿を見ていたものが偶然いたらしい。

どうして、あの風の正体を捉えられたというのか。

「あの女が追っていたんだ、あのアマ、とうとう見つけたんだ!」

つまり、私が追ってしまったことで、

彼らもたどり着いてしまったのだ。

ずっとつけられていたのだ。


「こいつが、『風の勇者』だ!」

一人が怒鳴る。

先ほどの男たちだ。人数はざっと50人ほどに増えている。

距離は10から20メートルほど。

男の一人がナイフを出し、ささとこちらに向かってくる。

先端の輝きが変だ。毒か何かを塗っている。

建さんの目と身にまとう空気が急に険しくなる。

さっとポケットに手を伸ばす。

ナイフで襲い掛かる男が、南の方に飛ばされる。

神田川まで落ちていく。

いつの間にか建さんは扇をその手に握っている。

ああ一瞬の早撃ちだ。

これは間違いなく慣れている。

そして何より、先ほどの、

彼らの指摘に対しても、

何ひとつ否定していない。


「やはり、あなたが…!!」

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