第8話

 ファウバスィーヤは呆れるしかなかった。

 クソ司祭を脅して案内させた最高神官の部屋にいたのは、彼女にとって子どもと呼ぶしかない、教会の吹聴するような崇高な存在ではなかったからだ。率直な感想は「こんな子どもを部屋に閉じ込めて、当たるかどうかもわからない予言をさせてるとか正気じゃない」である。元から狂気の集団だったわ、とファウバスィーヤは首根っこを掴んでいた司祭の足を踏んづけて八つ当たりをした。


「ギャァッ! 何をするッ!」


 その叫びを無視して、ファウバスィーヤは子どもに近寄る。

 誂えだけは豪華な部屋の真ん中の、淡く光を放っている聖なる円陣の中心に子どもは立っていた。


「あなたが最高神官? さんなのかしら」

「…………」


 子どもは眠たげな眼でファウバスィーヤを見るだけで、返答はない。寝起きなのかしら、とファウバスィーヤは思った。それとも、と無駄に煌びやかな刺繍の入っている襟首を掴んでいた指先に力がこもる。


「あんたたち、まさか、子どもが感情を出せなくなるような行為コトをしでかしてるんじゃないでしょうね」


 ミリミリと布が千切れていく音がした。首元が締まって苦しみ出した司祭が違う、と喚いた。


「違う、知らん! 少なくともワシはやってない! 本当だ! ワシのような下っ端が用もなくここに入れるわけがないだろうが!」

「それもそうね」


 窒息されても迷惑なので、とりあえず手指の力を抜いてやる。


「日がな一日こんな辛気臭い場所にひとりで閉じ込められてたら無表情にもなるわよね。

 は~い、ごめんね~。ちょっと触らせてね~。嫌だったら言ってね~」


 面倒になったので司祭を捨てて、ファウバスィーヤは子どもに外傷がないかを確かめる。見える場所に傷は見当たらなかったし、骨が折れたりもしていない。栄養状態も良く、食事はまともに与えられているようだった。


「初めまして、自己紹介が遅れちゃってごめんね。あたしはファウバスィーヤ。あなたのお名前は?」

「………………」


 ファウバスィーヤとしては精一杯、人好きのする笑顔で挨拶をしたのだが、返ってきたのはやはり無言のみだ。怖がる素振りさえ見せない子どもに、ファウバスィーヤは表情に出さず心を曇らせた。


聖陣これのせいかしら……」


 呟いて、ファウバスィーヤは今も淡く光を放ち続けている聖陣を見下ろした。聖陣は文字通り、聖なるものだ。邪を通さず、聖なる力を増幅させる効果がある。それなりに大きな部屋いっぱいに描かれ、これだけ緻密な聖陣ならばさぞ効果があるだろう。聖陣が悪いわけではなく、おそらく運用の仕方が問題なのだ。

 ほとんど直感でファウバスィーヤは子どもを聖陣の外へと引っ張り出した。中心の円から出た途端に子どもは崩れ落ちて、糸の切れた操り人形のように、くたり、とその体をファウバスィーヤに預けた。子どもは豪奢な衣装のせいで着膨れしていたのか、ぞっとするほど軽い。人間ではないかのようだった。おそらく、神使化が始まっている。


「き、貴様、なんてことを……! 最高神官様を聖陣から出すなぞ、穢れてしまわれるだろうが! 今すぐ聖陣に戻ギャッ!」


 うるさい雑音を止めて、ファウバスィーヤは部屋に備え付けられていた長椅子に子どもを横たえた。


「呼吸も脈も正常……。体温も平熱。よし、大丈夫ね」


 ただ眠っている様子の子どもの頭を撫でて、何か上掛けになるようなものがないかと、ファウバスィーヤは部屋を見回した。やたらめったら高価そうな埃よけを見つけて、ないよりはマシか、と絹織物であろう埃よけを取りに部屋を横断した。その途中、聖陣の中心に足を踏み入れる。


『感謝する……我が眷属よ……』


 知らない、聞いたこともない声が聞こえたが、大して重要とも思えなかったのでそのまま埃よけを取って返す。最短距離を行くものだから、再び聖陣の真ん中を通った。やはりどこからともなく声が聞こえたが、子どもに掛布を提供する方が先であったので、また無視をした。

 子どもに掛布をかけ、呼吸を確認してからファウバスィーヤは聖陣の真ん中へ歩みを進めた。体の中身から洗浄されていくような感覚にファウバスィーヤは少し眉を顰めた。


『我が眷属よ……我が神子みこに安らぎを与えたこと……感謝する……』


 頭に直接響く声にさらに眉を顰める。ファウバスィーヤは思わず耳を掘りながら悪態をついてしまった。


「どこのどちら様か知らないけど、神様を名乗るなら子どもを閉じ込めてる奴らに天罰のひとつやふたつや三つくらい当てたらどう」


 声はしばし沈黙する。ややあって、脳に声が響いた。


『地上に神秘と神威が薄れた今となっては……声を届けるのがせいぜいだ……それすら……途切れてしまう……』


 どこまでも棒読みの声に苛立ちを覚えながら、神様なんてそんなもんよね、とファウバスィーヤは努めて深く呼吸を繰り返す。


「魔王の器を予言するのはどうして? 予言それがなきゃ平穏無事に暮らせて、魔王になるなんてことないと思うんだけど」

『……………?』


 意味が理解できない、という風な沈黙にファウバスィーヤは拳を握りしめた。声の実体があれば殴り飛ばしていたに違いない。


『魔王の器を……聞かれたから答えたまでのこと……魔王の器を……正しく遇すれば……世界の安寧は保たれる……』

「正しく遇されてないから世界の危機になるところだったわよ。もう予言を授けるのはやめたら。まったく役に立ってないから」

『なんと……』


 心底驚いてます、という空気が伝わってきて、ファウバスィーヤは湧き上がった怒りを誤魔化すために長く息を吐き出した。人の世の理など住む次元の違う存在モノに分かりっこないのだから、怒るだけ無駄なのだ。


『人の世に生きる我が眷属が言うのなら……そうなのであろうな……神子に声をかけるのは……やめるとしよう……』

「そうして。あの子、神使になりかけてたわよ」

『なんと……それほど……までに……道理で……今代は……付き合いが長いと……』


 他人事かよ、とファウバスィーヤは呆れた。正しく見守れてすらいないではないか。もう怒るのも馬鹿馬鹿しい。


「ところで我が眷属ってなに? あたしは別にあなたを信仰とかしてないわよ?」

『其方は……我が眷属である……魔王の器を覚醒させぬため……我らが人の世に授けた……我らが眷属……』


 声が語った内容に、ファウバスィーヤは衝撃を受けた。自分はダギルハーズを魔王として覚醒させないために生を受けた、ということだろうか。


「それは、つまり……あたしとダギルハーズは運命ってことね!」

『その通りである……』


 出会ってからこれまで勝手に運命を感じていたのだが、自称とはいえ神にそれを肯定された、即ち、夫との仲を世界に認められたも同然。今までだとて誰に憚ることなく一緒にいたが、これからは文句があるなら神様にどうぞ、と言えるのである。惜しむらくは今現在のファウバスィーヤに文句を言う人間なぞ滅多にいないので、学生時代、ダギルハーズの婚約者がファウバスィーヤだと知った有象無象に難癖つけられた時に言えなかったことか。もっと早く知りたかった。


「そうと分かればさっさとダギルハーズのところへ戻らなくっちゃ! さよなら、神様!」

『うむ……』


 ここに来た理由を綺麗さっぱり忘れ去ったファウバスィーヤはご機嫌で帰ろうとした。床に転がっている司祭を見て、当初の目的を思い出す。


「神様に話を聞いたら、魔王の器を教えるのは覚醒させないために気をつけて接してね、ってことだったんだけど、これからはちゃんと魔王の器の扱いに気をつけなさいよ。嘘ついて人様を陥れて財産を奪うとか、論外だから。ああ、ちなみにもう予言は終わりにするそうよ」

「あ……あ……、そんな……嘘だ……」

「嘘じゃないわよ」

「神子たる最高神官様以外が、神の御言葉を聞けるはずが……!」

「聖陣の真ん中にいれば誰だって聞けるわよ。聖なる力を増幅させるんだから、っと」


 言って、ファウバスィーヤは司祭を聖陣に放り込んだ。神の言葉を直接聞けば納得するだろう、と考えてのことだったが、司祭は聖陣に弾き飛ばされ、床に転がった。


「痛いっ! 焼ける! こんなはずは! ワシは神に仕えてきたのに、なぜ! 痛い、痛い、痛いぃぃ!」

「なるほどー。人に冤罪ふっかけて甚振って財産奪って着服しまくってる奴が邪悪じゃないわけなかったわね」


 痛い痛いと喚く司祭を放置して、ファウバスィーヤは部屋の外へと顔を出した。脅して道を譲らせた兵士やら神官たちが一斉に身構える。


「神様と話をつけたんだけど、あたしの夫を追い回すのやめてくれない?」


 ファウバスィーヤの背後から聞こえる声のせいか、警戒の色が濃い。ファウバスィーヤはため息をつきたくなった。


「貴様、司祭様に何をした」

「別に、何も。神様の声を聞かせようと聖陣に放り込んだだけ。弾かれて火傷してたわ。悪どいことばっかりやってたんだから、自業自得よね」


 司祭の所業を知っていた者たちも、そうでない者たちも一様にどよめいた。


「き、貴様……あなたが、神の御言葉を聞いた、と……?」

「あんなに大きくて立派な聖陣の真ん中に立ったら誰だって聞こえると思うけど。敬虔な聖職者たるあなたたちでしたら、もちろん聞こえるでしょう?」


 痛いと喚いてらっしゃる司祭様は例外だったようですけど、とファウバスィーヤが笑ってやれば、その場にいた神官たちは顔を見合わせて黙り込んだ。呆れ半分、怒り半分でファウバスィーヤは扉を開け放つ。


「この際ですから皆さんも神様の御言葉を聞いてくださいな。あたしなんかの言葉よりよっぽど信用できるでしょう? 小さな子どもばかりに負担をかけるのも良心が痛むでしょうし?」


 手近にいた聖職者を捕まえて、ファウバスィーヤは聖陣に投げ飛ばした。残念ながらギャアッと悲鳴を上げて弾かれた。聖職者ではなかったらしい。


「あらあ、今の方は聖職者ではなかったのかしら。怖いわあ、きっと教会の評判を落とそうとする輩でしたのね」


 心の中で罵詈雑言を吐き捨て、けれどファウバスィーヤは殊更美しく笑ってやった。それなのに、聖職者たちは化け物を見るかのような視線をファウバスィーヤに向けてくる。幾人かは逃げ出そうと後退りした。


「皆様は敬虔なる神の信徒ですものね? まさか聖陣に入ることを恐れはしませんよね? でなければ今後一切聖職者を名乗るのはおやめなさいな」


 兵士たちが動揺して、逃げ腰になっている神官たちを見た。その視線を受けて踏みとどまった者と、我慢できずに逃げ出した者とがいた。逃げ出した者は兵士に取り押さえられる。


「はいはい、皆様ちゃっちゃと聖陣に入ってくださいましねー。神子様は疲れて寝ていらっしゃるので、できるだけお静かに。入れた人はあんまり長居すると心身に影響を受けて人間辞めちゃうかもなので、質問は手短に」


 その日、その場にいた聖職者たちは全員が聖陣に入り、その大半が弾かれ、火傷を負った。兵士たちが聖女様、と呼んできたが、ファウバスィーヤは無視した。魔王の妻だから、と魔女だの悪女だのと呼ばれた過去を忘れられるほどファウバスィーヤの心は広くないのだ。

 聖陣に入れた数少ない聖職者たちは平身低頭でファウバスィーヤに謝罪し、今後は聖職に就く者すべてを聖陣に入れると約束した。ダギルハーズへの振る舞いは誤りであった、と認め、街へ戻れるよう取り計らうとのことだった。

 得られた成果に、これでこそダギルハーズと離れてまでやってきた甲斐があったものだ、とファウバスィーヤは微笑んだ。


「聖女様、いつ街へお戻りになりますか?」

「どうせ旅をするなら、って家族旅行も兼ねているので当分戻りませんわ。それじゃ、これで!」


 ほとぼりが冷めるまで戻る気にはなれなかった。聖女様ぁ! と追い縋る声を華麗にかわして、ファウバスィーヤは家族の元へ帰ってきたのだった。



「――というわけで、世界旅行でもしましょ! お義父様には手紙を書いて、路銀は道々で稼いでいけばいいと思うの」

「やったー!」

「お出かけだー!」


 両親と長く一緒にいられる、と無邪気に喜ぶ子どもたちと同様に、ダギルハーズもまた嬉しさに表情を綻ばせていた。


「どうせなら行商をしながら旅をしよう。――君のご両親みたいに」

「──ええ、そうね! ふふ、ありがとう、ダギルハーズ。またあたしの夢を叶えてくれて!」

「お礼を言うのは僕の方だよ。ありがとう、ファウバスィーヤ」


 そうして行商を始めた家族は行く先々で仲睦まじく旅を続けた。

 ある日、ファウバスィーヤを訪ね当てた神官に予言はもう訂正が入りましたから、戻ってきてください、と請われた彼女は大笑いして首を傾げた。


「なあに、それ。美味しいの?」


 予言のことなど旅が楽しすぎてすっかり忘れていたのだ。呆然とする神官を置いて、家族はまだまだ行商の旅を続けたのだった。

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予言?なにそれおいしいの? 結城暁 @Satoru_Yuki

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