第6話

 ダギルハーズが魔王だと予言された。

 誰よりやさしいダギルハーズが魔王だなんてなんの冗談かと思ったけれど協会の連中は本気マジ中の本気だった。

 いるかもわからない神の声を聞けるという、神官の当たるかどうかも疑わしい言葉をよくバカみたいに信用できるものだ。

 今まで出現した魔王を言い当ててきた実績があるとかないとかいう話だけれど、それらが偶然や当てずっぽうじゃない証拠はどこにもないのだし。

 つまりあたしは胡散臭すぎる教会の予言なんてまったく、これっぽっちも信じていなかった。お義父様も同じように信じていなかったけれど、正義の味方面した教会の人間達は何をするかわからない。教会に逆らう人間に対して何をしても許されると思っているような集団だ。

 このまま屋敷に留まっていても危険なだけだから、あたし達はお義父様の協力のもと監視をしていたお義父様の隙を見て夜逃げした、という体で王都を脱出した。

 あたしも子ども達もダギルハーズと離れたくないからダギルハーズと一緒に行くのに、ダギルハーズはしきりにあたし達に謝っていた。

 そんなに謝らないでダギルハーズ。悪いのは完全に教会の奴らよ!


「ふふ、焚き火を囲みながら星空を眺めるのもいいわよね。仕事が忙しくて王都を離れられなかったから、どうせだもの長期休暇だと思って楽しみましょ。夜のピクニックも素敵よね」

「……すまない、ファウバスィーヤ…………」

「ダギルハーズ……」

 荷馬車を寝床にして子ども達が寝たあと、ダギルハーズと二人で明日の進路を話していた。

 夜の闇の中であることを差し引いても暗い顔をしたダギルハーズは元気なく謝る。ここ数日で聞き慣れた謝罪の言葉だ。


「もう、謝らないでいいったら。あなたはぜんぜん、これっぽっちも、まったく悪くないんだから。悪いのは完全に教会の連中よ。あなたみたいな善い人を魔王だなんて予言して。許せないわ。

 それはそれとして、不謹慎だけどあたしはあなたと一緒にいられる時間が増えて嬉しいわ。最近は仕事が忙しくてゆっくりを見てお茶をする時間も取れなかったじゃない? 教会の連中には腹が立ってるけど。恨み骨髄だけど」

「ファウバスィーヤ……。本当にすまない。私が魔王だったばっかりに」

「何を言うの!」


 すべすべとしたダギルハーズの頬をぎゅうと圧縮して潰れた丸パンみたいにする。いつもきれいなダギルハーズの顔がちょっぴりかわいく見えるのであたしはこのぶちゃむくれ顔も好きだ。


「ダギルハーズみたいにきれいでやさしくて美しくて頭が良くて気遣いができてかっこ良くて繊細で笑顔を見るとほっとできる人が魔王な訳ないでしょう!」


 一息に言いきるとダギルハーズが驚いたように瞳を見開いた。あらまあきれい。


「ふぁ、ふぁうふぁふぃーふぁ……」

「万が一、億が一、兆が一、ダギルハーズが魔王だったとしてもあんなクソ神官共に絶対渡さないし、何があってもずっと傍にいるから!」

「ふぁうふぁふぃーふぁ……」


 ダギルハーズの宵闇色の瞳が波打つ湖面のように揺らぐ。星屑の雨が降るようなそれはきっと世界一美しい。

 そんな世界一美しい光景をこんなに間近で見られるあたしってば最高に幸運ね!


「ありがとう、ファウバスィーヤ」

「あら、お礼を言うのはあたしのほうだわ。ありがとう、ダギルハーズ。あなたみたいに素敵な旦那様が一緒にいてくれてあたし、とっても幸せだわ」


 はにかむダギルハーズ、プライスレス。

 ちょっとは元気が出たみたいで良かった。憂いを含んだ横顔その他諸々も素敵だし、時間が許す限りいちうまでだって眺めていたいくらいときめいちゃうのだけれど、やっぱりダギルハーズには幸せに笑っていて欲しいもの。

 本当、教会の奴ら余計なことしてくれちゃって。どうしてくれようかしら……。


***


 朝の教義を終えて司祭は次々に挨拶に来る信者達ににこやかに応対しながら、心の中では面倒臭い、眠い、と辟易していた。

 自分に群がる信者をこいつは寄付金が少ない、貧乏人が要望だけは多いな、この娘は身なりは悪いが見目が良い、部屋に呼んでやってもいい、こいつは金払いがいい、と振り分けていく。

 声だけは大きい貧乏人達はさっさと帰らせ、金払いの良い者、見目の良い者、それから新規の信者達を奥の客室に通す。

 ここで茶会を催し、寄付金額を上げたり部屋に呼ぶ娘を決めたりするのが司祭の日常だった。新規の信者には教会に誠心誠意尽くせば自分の主催する茶会にさんかできるぞ、と示してこれからの働きを促す。司祭の世界は完璧に近かった。

 金を積んで今の地位を得たのも、積んだ金以上の見返りがあると知っていたからだ。これからも集めた金の力で今以上の地位と権力と金を得るつもりだった。司祭は腐った思考をおくびにも出さずに張り付いた笑みで談笑していた。


「司祭様。魔王の出現が予言されたそうですけど、どうやって魔王だと判別するんですか? どうやって魔王を倒すのですか?」


 声を上げたのは新規の信者だった。

 寄付金の多い信者は押し並べて金持ちだ。その金持ちを持て成すために用意した高価な菓子を遠慮なしに食べる無作法な女だったが、見目はまあ良い方だった。少しばかりとうが立っているが、生娘ばかりを食い飽きてきたところだ。たまには珍味も良いだろう、と司祭は穏やかに笑顔を返して見せた。


「神の言葉を聞いた神官の導きによりまおうの器宿した者が発見されるのです。巧妙に存在を隠匿している者もおりますが、神の眼は欺けません。どんなに善人に見えようとも一皮剥けば悪辣な姿を現します。そこを特別鋳造した神器で誅するのです。さすれば魔王は退治され、世の平和が保たれるのですよ」

「まあ、そうなのですね」


 聞いてきたくせに興味のなさそうな返事をした女は例えば、と言いながらやはり無遠慮に高級菓子を口に運ぶ。

 自分に崇拝の視線を向ける信者の手前それ以上食べるなと言うこともできず、司祭はどうやって女を退出させようかと言い訳を考え始めた。


「一皮剥けば、と仰いましたけど、どのような方法で剥くのです? 相手は魔王ですもの、司祭様といえど簡単ではないのでしょう?」


 金を落とさない貧乏人を相手するのは煩わしかったが、無知な者に自分の威光を示すため司祭は咳払いをして答えてやる。


「魔王といえども覚醒するまではただの人間と変わらないのです。魔王を伴侶、或いは家族と呼ぶような不信心者を先んじて捕らえてしまえばあとは至極簡単なのですよ。魔王のほとんどは最後まで人間の振りをしていますからね、家族に手を出すなと白々しいセリフを吐きながらも大人しく捕まるのです。そしてどんなに人間の演技が上手くとも神の信徒たる我々はけして騙されません。聖別された神具を使い正体を暴くのです」

「そこを特別鋳造された神器を使って誅する、のですね?」

「ええ、そうです」


 遠慮の無い馬鹿にも自分の凄さが理解できたか、と司祭はわずかに胸をそらした。


「神具とは名ばかりの拷問器具を使って心身を弱らせて魔王に無理矢理覚醒させて親しい人間の心臓から造ったエセ神器で魔王になっちゃった可哀想な人を滅してるのよね?」

「……は?」


 言われた内容を理解する前に司祭は蹴飛ばされていた。

 酷い衝撃が蹴りを受けた顔に、吹き飛ばされた先で壁に当たった背中に走る。衝撃と痛みのせいで呻くことも動くこともできなかった。

 部屋にいた信者達が叫び声を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


「すっとぼけてもムダだから。拷問してたあんたの部下にはもう言質取ったのよ、こっちは。

 あんた、予言にない人間も魔王だって言い掛かりつけて責め殺したうえに財産没収して私腹を肥やしてるんですって? どうりでムダに立派な太鼓腹をしていらっしゃるわけだわ。あたしの旦那様はあんたの財布じゃないのよ、ふざけないで」


 めきり、と骨の折れる音が司祭の耳に響く。自分の骨が折れたのだと理解しながら司祭は蹴られた腹を押さえて咳き込んだ。

 奮発して買った絨毯に血の染みが点々と落ちる。


「だ、誰か、この女を取り押さえ……」

「あんた達が今まで魔王認定してきた人達ってあんた達が何もしなければ覚醒しなかったんじゃない? 誰だって大切な人を人質に取られて死ぬほど拷問されれば世界を壊したくなるわ。余計なことしてんじゃないわよ生臭クソ神官。

 それからこの部屋の周りにいた人達は今床に転がって日頃の疲れを癒してる最中だから呼んでも誰も来ないわよ」


 手を踏まれゆっくりと押し潰されていく様を呻きながら見ているしかできない。手を引き抜こうとしてもびくともしないのだ。


「ま、待って、やめ、やめろ、痛い、痛い、いたいぃぃぃ!」

「これくらい我慢したら。あんたが拷問した末に殺してきた人達に比べたらまだまだ序の口じゃない。本ッ当、あんたド最低よね。拷問内容を聞いた耳が腐るかと思ったわ」

「わが、わがった、わがりました、取り消す、取り消します、あなたの旦那の魔王認定を取り消しますから、だから、やめて、ください! お願いします!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて司祭は床に額をすり付けた。絶対に復習してやる、一族郎党拷問にかけてやる、と決意して。


「あら、話が早いのね。本当に取り消してくれるの?」

「はいっ! 旦那様のお名前を教えていただけたら、必ず……!」

「ダギルハーズ・zxc」


 女の告げた名に司祭は動きを止めた。

 ダギルハーズ・zxcは最高神官に予言された本物の魔王だ。偽の認定ならいくらでも覆せるが、本物の予言はいくら司祭でも無理だった。最高神官の予言は本人がしない限り決して覆らない。

 そして予言は今まで一度も覆ったことがない。

 そして司祭はダギルハーズの妻に返り討ちにされた部下の話を思い出した。人間とは思えない力で骨を折られたという部下の話を夢でも見ていたのかと笑い飛ばした司祭だったが、その時の自分を今猛烈に後悔していた。


「……あら、静かになっちゃって、まあ。どうしたの? 取り消してくれるんじゃなかったの?」

「……ひっ、あ、その……」


 がちがちと歯の根が合わずに音が鳴る。

 最高神官に異を唱えれば出世の道が閉ざされる。けれど今目の前にいる女に逆らえば命の危険があった。

 司祭は今だ痛みを訴える腹を無事な方の手で押さえながらよろよろと立ち上がった。


「わ、わたくしの力ではあなた様の旦那様の魔王認定を取り消すことは残念ながらできませんが……、予言なされた最高神官様なら或いは取り消すことができるやもしれません。その方の部屋まで案内します……」

「ふうん?」


 女は小首をかしげて司祭の首根っこを掴み上げた。

 小柄な女の体のどこにそのような力があるのか、女の体重の倍以上ある司祭の体は軽々と誅に浮いた。


「じゃあ案内してもらおうかしら」


 そう言って笑った女は今まで対峙したどの魔王よりも恐ろしかった。

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