いじめ
これ以降、そういう種類の『視線』が増えた。
それまで、クラスメイトに話し掛けられるという機会は滅多になかった。
けれど、その班決め以降、やたら僕に絡む人間がちらほらと見かけるようになった。
そしてその度に、「味方」が現れる。本人は僕のことを助けようとでも思っているのかもしれない。
けど、僕に言わせれば、それは単純に邪魔でしかなかった。
だから僕は、クラスメイト達なんかより、「味方」の方がよっぽど憎かった。
僕が何も返事をしないのをいいことに、大声で変な噂を流したり、またある時は僕に聞こえないように(実際はしっかりと聞こえるのだが)小声で陰口を言いあったり。
それらはすべて、「いじめ」と呼ばれる種類のものなのかもしれない。けど、僕にしてみれば、それはいじめではなかった。
そもそも、いじめというものは、いじめられている本人がそれとして認識しないかぎり、いじめにはならない。
よって、この場合はいじめではないのだ。他の誰がなんと言おうと、これはいじめではなかった。
では何だったのか?
それは、僕にも分からない。精神的な苦痛を受けていなかったと言えば嘘になる。けど、それは仕方がないことだった。
考えてみれば当然のことだ。何かしらの障害によって会話ができない、というわけではなく、僕は私情で会話をしないようにしている。
だったら、
だから例の班決めが「いじめ」に該当するものかというと、それは間違っている。
ただ、それは、僕がこうなっている理由を含めて考えれば、間違っていることにおのずと気づいてくるだろう。
友人はいなくてもいい。
いなくても、平気だ。
心のどこかで、その定型文を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます