班決め

 二年生になると、修学旅行がある学校がほとんどではないだろうか。僕の高校もそれにのっとり、六月上旬くらいに京都へ修学旅行をした。


 その修学旅行の計画をクラスで練っていた時に、僕を中心としたある事件のようなものが起こった。


 班決め。それは、修学旅行という高校生活における一大イベントを、どのような編成で過ごすのか、といういわばそのあとの思い出の形を決めるための一種の争奪戦だった。


 そのために、それまでの人間関係に亀裂が入ったり、そのあとの人間関係が悪化、もしくは良好化したりする。


 だが、僕はそんなこと、全く関係なかった。誰と過ごそうが、何も変わらない。


 最後に余った班に入れてもらおう。そう思って、僕は班決めの間、ずっと本を読んでいた。


 しかし——


 ふと、黒板に目をやった。生徒が書いたと思われる汚い板書には、二つの班が書かれていた。


 一班と、五班。

 どちらも班員は六名。そして、両方が五名で、そのほかの班はすでに決定したらしく、綺麗に名前が六個羅列られつされていた。


 辺りを見渡すと、多くの生徒が騒ぎながら話しており、その中にちらほらと不満と焦燥しょうそうを浮かべる者がいた。


 そして、僕の名前は黒板のどこにもなかった。


「ねえ、もう早く決めて」女子生徒の声が目立って聞こえた。


「そう言われても……どっちの班に入れるかを決めてくれないと……」教卓の前に立っていたメガネの男子が僕のことを一瞥してから、言った。


 なるほど、と僕は苦笑しながら本に視線を戻した。


 要するに、一班と、五班のどちらの班に、僕を入れるかという議題らしい。


 一班と、五班の班員の名前を見てみると、女子生徒らしき名前がたくさんあった。つまり女子グループ間の熾烈しれつな争い、というわけだ。(ちなみに、宿泊時の班員はくじ引きで決まっていた)


 僕はその争いに参加するつもりは毛頭もうとうないし、その争いを収めようとするつもりもまたなかった。だからずっと下を向いて、本を読んでいた。


 陰鬱いんうつな視線を動かしていると、先程のメガネが僕の名前を呼んだ。一回は無視したのだが、二回、三回と呼ぶので、仕方がなくその男の方を見た。


「本を読むのはやめてもらえるかな?」メガネはやんわりと言った。辺りをもう一度見ると、険悪そうな表情で僕を睨みつけている。隠そうとする素振りは見られるが、あきらかに気づいてしまうほどで、それは僕に対する怒りをあらわにしていた。



 僕は本をパタン、と閉じて机にしまった。それから、黒板を見つめていると、メガネはため息をついてからまた例の性悪しょうわる女達と議論し始めた。


 僕が先程までひたっていた小説の世界を思い出し、頭の中でゴロゴロと転がしていた時だった。



「話すのよ」



 鋭く、透き通る声が前から聞こえた。視線を動かすまでもなく、目の前に「味方」がいた。


 話すわけが無い。検討の価値すらないその提案に、僕は心底うんざりした。


「ダメよ。話さないと、取り返しのつかないことになる。あの男の言うことを聞いてはいけないの」


「味方」が言う、男というのは誰のことだろうと思ったが、すぐにあの黒づくめの男、「神」の真っ黒な姿が脳裏をよぎる。


「味方」からふと視線を外した。


 その時、僕は気づいた。教室がとても静かだということに。ありえないくらいの静寂に、僕は焦りだした。


 辺りを見回すと、クラスメイトが全員、こちらを見ていることが分かった。「味方」がなにかしたのか、と思ったが、彼ら彼女らはちゃんと普通に動いていた。だが、僕を見たままじっとしている。


 その目は、今まで見たものとはまるで異なっていた。


 鼓動は急速に速くなり、五感は鋭く研ぎ澄まされる。それよって、かすかに聞こえる不満のため息や憂鬱ゆううつの塊である呟き。

 体の骨の内側を刺すような、刺々しい視線。


 ひどく逃げ出したくなった。


「もういいの。これ以上続けると、あなたが酷い目にあう」


 懇願しながら「味方」が言った。


 しかし、「味方」のことはどうでもよかった。

 それよりも、クラスメイト達の沈黙と視線が僕は気になってしょうがなかった。


 どうしたらいいのか分からなくなった。けど、誰も助けてはくれない。皆、示し合わせたように黙り込んで、僕だけを一点、見つめている。


 まるで、親を殺され、憎悪に飲まれた子供のような目で。


 しばらく、それが続いた。


 何度も逃げようかと思った。椅子を引いて、立ち上がる。カバンをもって、ここから出る。それだけの事なのに、足は絶対に力をいれようとしなかった。


 僕はうつむくことしかできなかった。そしてその間、ずっと僕はあの時の浅井の死んだような顔を思い出していた。


 思い出していた、というより、それを見せられていた、という方が正しいかもしれない。巨大なモニターの前に、じっと座って、浅井の顔を見せられる。


 けどそんなものは見たくもなくて、僕は必死に何かにすがろうとした。



 が、その時の僕にはそんな物は持っていなかった。



 結局、夕日が落ち始めた頃に、班決めは終了した。僕は修学旅行中もずっと一人だったから、今、僕が一班だったか、五班だったか、それを思い出すことはもうできない。




 当時の記憶はもう、深い泉の奥に、捨ててきてしまった。




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