「味方」

「それで、どうして学校で誰とも話さないの?」春川雅美はまずそれを最初に聞いた。


 当然、僕は無言で応える。数秒間粘ると、春川は重く、長いため息を吐いた。


 それからくだらない話を聞かされた。内容はくだらないのであまり覚えていないが、人間のコミュニケーションの重要性がどうとか言っていたような気がする。


 途中で、僕は何度も口を開こうかとも思った。僕は喋れる。僕はちゃんとした人間なんだ、と。


 だけど、僕は我慢した。当たり前だ。僕は喋ることはできるけど、喋ることはしてはならないことだ。



 僕は春川の奥にあるものをじっと見つめていた。


 春川が、僕にいじめられていないか、という旨の質問をした頃だった。




 唐突に、春川の横にあった椅子に、一人の天使のようなものが現れた。




 それまでの景色に溶け込んでいたかのような自然な振る舞いで、それはこちらを向いた。


 僕はすっかり、春川の存在なんて気に留めてもいなかった。




 まず最初に目に飛び込んできたのは、虹色の髪だった。


 それは左半分と右半分のバランスがおかしい。そのとき、それは椅子に座っていたのだが、膝にかかるくらいには長かった。けれど、右半分はショートヘアーかそれ以下の長さだった。


 次に、背中の羽だ。二つの純白で、大きな翼をそれはつけていた。


 それから、この世界の光を代表するかのような金の瞳。


 虹色の髪と、非対称な髪型、不自然な翼と、金色の瞳。それらに排除して彼女のことを表現すると、元気溌剌な小学生のようだった。


 背丈は小さく、肌は小麦色より少し黒め。顔は中性的だった。


 ——おかしい。


 ありえないくらいに、それは特徴的で、奇抜で、独特だった。


 あきらかに飽和しきった要素に埋もれ、なおも個々が特筆していた。


 そして、彼女は(便宜上、この後の口調や中性的な音域から、彼女と表記するが、彼女の本当の性別というのはだ)ぷるんとした唇を動かして、言葉を紡いだ。


「私は味方。あなたの味方。あなたに、どうしても伝えたいことがあるの」そして「味方」と名乗った彼女は続けた。



「今のあなたは、このままでは押し潰されてしまうわ。早く、契約を破って」


 契約? と僕は一瞬何のことかと思ったが、「味方」が指しているのは、「神」の契約のことだ。


 何かこの重たい空気に取り囲まれた教室から抜け出す手段を提供してくれるのではないだろうか、と少しでも期待してしまった僕は、たちまち彼女に塵ほどの嫌悪感を抱いた。



 だが、彼女の姿を見ていると、それは急速に積もり、積もってゆく。



「このまま言う通りにしていては、いずれあなたがあなたでいられなくなる。あなたは、あなたを大事にしなくてはならないの」


両手を合わせて握り、床に跪いて懇願した。背中の翼も相まって、本当に天使さながらの懇願だった。

だが、「味方」の髪型や肌色は、天使とはかけ離れており、それを天使と呼ぶには、あまりにも神々しさが欠けていた。



「望月さん? 聞いていますか?」ぱん、と乾いた発砲音のように横から春川が言った。



 僕はすぐに教室を見回したが、「味方」がどこにもいなくなっていることに気づいた。


 彼女は一体何者だったのだろうか。


 目まぐるしく彼女に対する印象が変化し、先ほどの状況を理解しようと記憶をさかのぼっていた。


 けれど、何度見直しても、「味方」のあの奇妙な姿を理解するのは不可能だった。


 考えているうちに、二十分はあっという間に過ぎ去ってしまった。


 教室を出て、廊下から窓の外を眺めると、明日から夏休みに入ることを思い出した。


 明日から夏休み。


 その時の僕は嬉しさを忘れてしまったかのように感じていなかった。


 そして、これ以降「味方」は僕の前に現れることになる。

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