入学式

 静寂。


 だが、遠慮がちに会話がポツポツと繰り広げられている。


 その内容は実に簡素で、井戸端会議いどばたかいぎか何かだと思われるようなものばかりだ。


 飼い主がいないときのペットみたいにおとなしくしている教室に、僕もいた。


 だけど、やはり僕は誰とも会話をしなかった。


 それが条件だから。それが決められた「ルール」なのだから。


 別に何も孤独感や寂しさは感じなかった。当然かもしれないが、まだ友人がいないクラスメイトだって、かなりいる。それは教室の様子を見れば一目瞭然だった。



 そんな教室に、ゆっくりと扉を開け、教師が入り込んできた。それまでの会話ははピタリと止み、皆の視線はその教師へと向く。


 彼女は教卓まで近づいて白のチョークを取って黒板に春川雅美はるかわまさみと書いた。


 それから、彼女は振り返って、僕らを見渡しながら言う。(この時、僕は春川と目があった。僕は最前列の右端だったのだが、二度も目があった)


「このクラスの担任になりました。春川雅美です。一年間よろしく」枕詞のような挨拶をして、春川は頭を下げる。そして続けた。


「私は皆さんの個性を大事にしたいと思っています。ですので、お互いに個性を尊重できるようなクラスが、私の理想です」明るく、懇願こんがんするかのような口調で春川は言った。



「では、まず皆さんに、自己紹介をさせていただきます。名前と出身中学校、生年月日と……自分の個性を言ってください」春川はさらに黒板に、今言った事項を書き並べた。



 僕は油断していた。


 普通、この場合の自己紹介というのは、出席番号が若い方から、つまり出席番号一番からだ。


 だが、春川はなぜか僕を指名した。にっこりと笑う春川は、何の躊躇ちゅうちょもなく「では望月もちづきさんから」と言った。僕はその笑顔に多少の恨みと、疑念を抱いた。


 仕方がなく僕は立って、そこから頭が真っ白になってしまった。



 ——



 そうだ。僕は会話ができないのだった。僕はどうすることもできず、頭を掻いたり、視線をゴロゴロと変えたり、新品の制服の裾を手で弄ったり、鼻を掻いたりしかできなかった。


 そんな時間が、永遠に続いたかのように錯覚した。

 先ほどまで、何とも思っていなかったクラスメイトが全員、余すことなくたっぷりと僕に視線を注いでいる。それはメスのように鋭く、僕は生きた心地がしなかった。



「じゃあ、最後にしましょう」と春川はあっさりと言って次の人に順番が回った。



 後ろで椅子を引く音が聞こえ、それに合わせるように僕はだらりと脱力するように着席した。


 僕は着席しても、まだ視線が残っているように感じた。こそこそと、僕のことを哂っているのではないだろうか、そう思うと、今度は何か熱いものが胸をこみ上げるように感じた。


 上の空で他の人の自己紹介を聞いていたが、僕には関係ないことだと途中で気づいた。


 誰とも会話しないのだから、誰とも仲良くする必要はないのだ、と。


 結局、最後に順番が回ってきても、僕は何も言わなかった。


 けれど、頭も掻かなかったし、視線は前を向いて、ただ無言で立っていた。



 それが、入学式初日のことだった。

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