9  ユイと

 気づけば、色の乏しい灰色の空間にいた。

 右も左も、上も下も不確かな場所で、温度もあるのか無いのかよく分からない。

 自身の存在さえ曖昧に感じるような場所だ。

 しかし、既視感がある。


「ここは…… 狭間? 参ったな……さて、どっちへ向かえばいいんだろう。」


勇生・・、貴方はあちらよ。」


 独り言のつもりだったのに、凛とした声が答えたので驚いた。

 振り返ると赤髪蒼瞳の若い女性……『私』がいた。


 見つめ合った後、お互いの顔に笑みが広がる。

 彼女からは、常に傍にあったあの温かい気配がしている。


「そうか、『ユイ』…… 。貴女だったんだね。」


 そう言うと、ユイはゆっくり頷いた。

 彼女こそが絶えず俺を見守っていた『守護霊』の正体。

 

「何も出来なかったけれど、ずっと貴方の側にいたわ。ごめんなさい…… 貴方を私達の世界に捕らえてしまって、何度も危ない目に遭わせて。しかも最後には、魂まで迷わせてしまう所だった…… 謝っても謝りきれないわ。」


 彼女は、深々と頭を下げた。


「ううん、そんなの要らないよ。この世界に来たのは必然な気もしているし、何もかも、俺が願ってそう動いた。ずっと見てきた貴女なら、分かるだろう? 俺はここに来れて良かったと思っている。心から。」


 彼女は頷いて、目尻を拭った。


「ありがとう。私の全てを守ってくれて。」


「こちらこそ、ありがとう。俺も、沢山のものをもらったよ。」


 俺たちは最初で最後の抱擁を交わした。


「貴方が彼を、みんなを愛しいと思っているのを知ってる……だからね、貴方の築いたものを、大切なものを全て引き剥がしてしまうのが辛い。」


「大丈夫、俺は感謝しかないっていってるだろう。」


 愛しい人達がいる世界だから、離れ辛い気持ちがあるのは確かだ。けれど、別れはいつ何時でもやってくるものだし、俺は覚悟を決めていた。

 それにあんな風に、みんなに送ってもらえるって、すごく幸せな旅立ちだと思う。


「……ふるさとを護ってくれてありがとう」


「俺にとってもふるさとだよ。それに、俺だけじゃない、みんなが護った。俺は殆ど護られていただけさ。みんなにも、貴女にも。」


 ユイは、俺の体をきつく抱きしめた。

 自分に抱きしめられているみたいで不思議な気分になる。

 この十数年、ずっと共この娘と一緒だった。それも遂に別れの時だ。


「貴女はやはり、いかなくてはならないの?」


 怖いけれど、俺は訊ねた。


「ええ。私はただの古い恋情の欠片よ。未練だけで留まっていただけ。貴方のおかげで思い残すことは無くなったわ。これで漸く彼岸へ渡れる。」


 ゆっくりと体を離し、ユイは微笑んだ。

 その、俺に向けられたものではない、切なく慈しむような表情を見て、俺は唐突に「忠道様から時折投げかけられていた物憂げな視線」の意味を悟った。

 あれはきっと、俺の中にいたこの娘に向けたものだったのだろう。


「そうか………… あのさ、忠道様は、ずっと貴女の事が好きだったんだよ。」

 

 忠道様との出会い、揶揄いと思った告白、パプニングを思い出すと、うっすら何かが繋がる気がした。


「仕方のない人ね。貴方も。」


 ユイは一瞬目を瞬いてから、眉を寄せるとくすりと笑った。

 笑われる場面だったかな? 


「なんでもない。そろそろ行きましょうか。貴方は向こう、白んでいる方へ進むのよ。寄り道しないで真っ直ぐね。」


 俺が首を傾げていると、いよいよその時を促された。


「ああ、分かった。でも、貴女は寄り道をしていくんだろ?」


「ふふっ、そうね。私のは急ぐ旅でもないからゆっくりと最後にひと仕事…… あの方にお別れくらいしていこうかしら」

 

「貴女に逢ったら、きっと泣いてしまうだろうね、忠道様。」


「どうかしら? 笑顔で送ってくれるわよ。そういう人だから。でも、これで私は漸く思い出になれるでしょう。」

 

 ユイの温かい微笑みに、胸がチクリと痛む。

 颯介にとって、自分は思い出になれるだろうか。

 なって欲しいけれど、少し寂しい…… 我儘だな。



「ではそろそろ本当にさようならね。ありがとう。」


「こちらこそ、ありがとう。」


 別れを告げ、俺たちは、反対方向へ歩き出した。

 本来、あるべき世界へ。

 

「勇生!」


 数歩進んだ所でユイに呼びかけられた。


「しっかりね。」


「おう!」


 俺は拳で胸を叩いた。

 ユイは同じ仕草をしてニコッと笑い、手を振ってきた。

 俺たちは、灰色の霞で互いが見えなくなるまで手を振り合いながら遠ざかった。


 再び前を向いた俺は、ユイに示された方へ進む。

 しばらく歩いて、途中橋のようなものを渡った。さらに行くと大きな白い鳥居があり、そこをくぐってさらに進む。


 明るい方、明るい方へと。


 そのうち眩しさで目を開けていられなくなった。

 止むを得ず一度目を瞑り、再び目を開けると……見知らぬ白い天井が見えた。



 俺、寝かされてる?


「お兄ちゃん? お兄ちゃん! お兄ちゃん‼︎ 」


 大声に驚いて横を向くと、妹が抱きついてきた。


「うわぁぁ、良かった。」


「……わ、俺ってば、どうした?」


「お兄ちゃんね、昨日の朝、登校途中で貧血で倒れて救急車で運ばれたんだよ。全く…… ちゃんと朝ごはん食べないから……。お医者さんは、身体なんとも無いって言うのに中々起きないからさ、みんなすごーく心配したんだからね。」


「ごめん。」


「本当だよ。お母さん今ちょっと買い物に出ちゃったから、電話するね。」


 妹はスマホを取り出し話し始めた。


「……あ、お母さん。お兄ちゃん今目覚ましたよ。うん、大丈夫そう、元気みたい。」


 俺は、戻ったのか。

 妹は、あの時と同じ、記憶のままの姿だ。

 そして…… 倒れたのは昨日?

 昨日・・だってさ。


 母と話す妹、俺の手、俺の顔、俺の体。

 驚くほど何もかもが変わっていない。

 俺にとっては遠い昔、あの時の、高校一年の勇生だ。


 デスクの上に、懐かしい赤いスマホが置いてあった。

 ゆっくり起き上がり手にとってみると、級友の小林からのメッセージが幾つが入っていた。


8:07

小林:おーい、遅刻か?

   俺のやったラノベ面白すぎて徹夜でもした?



12:45

小林:入院したってきいたよ。

   勇生。大丈夫か?



21:20

小林:意識不明? 

   嘘だろ、早く目ぇ覚ませよ。


 

 俺は、メッセージを返した。



15:07

勇生:今、起きた。

   心配かけてごめん。

   

15:07

小林:良かった。

   大丈夫なのか?


15:08

勇生:何とも無い。ただの貧血だって。

   ありがとう。


15:08

小林:無理すんなよ。

   また学校でな。


   

 完全にあの時に戻ってる。


—— 必ず君を戻すから。


 颯介、仕事が完璧過ぎだよ。

 あの十数年が、まるでひと夜の夢のようじゃないか。

   

 日常、未来。

 全てが元通り。

 なんか…… 泣けてくる。


 ふと、胸の辺りに手をやると、

 あれ? 慣れ親しんだものの手触りがする。

 まさかと思って、首に掛かった紐を引いた。

 紐の先には……颯介のお守り⁉︎


「何でこれだけくっつけてんだよ……。」

 

 守りたいっていうか、独占欲だよなこれ……全くあいつらしいや。

 

「ねぇお母さん! やっぱり早く来て! お兄ちゃんさ、さっきから泣いたり笑ったりしてるの。どこかおかしいかも知れないよ〜」


 妹の焦った声が病室に響く。


 

 帰ってきた。

 21世紀の日本に。

 俺は若くて、生きているよ。


 ありがとう、颯介。

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