小話 花見 〜友と師と〜
淡く柔らかい青空、温くて優しい風はふわふわと桜の花びらを降らせている。
颯介の腕に抱かれた赤子は、まだ良くは見えていないであろう瑠璃色の瞳をぱちくりさせながら、その緩やかな花の舞を見つめていた。
「こんな花盛りの季節だったかしら。ユイ様と初めて出会ったのは。」
ユイの五十日祭を終えた後、梅子先生がそう呟いた。
それを聞いた颯介が急に石部の桜を見たいと言い出したので、私達は4人で一箕村を訪れたのだ。
美しいものを見るのは良い。
綿雲のようにたわわに咲いた淡い紅色の花は、時折不安定に沈んでしまう私の心を慰めてくれる。
「見るたびに顔が変っていくわね。」
梅子先生はそう言って幼子の薄茶色の髪についた花びらを摘んだ。
「そうなんです。子どもって日ごとに成長していくんです。顔つきもまだ定まっていないんですよね。出来れば僕じゃなくてユイに似て欲しいって思っているのですが……。」
父親の顔をした颯介が、愛おしくて仕方ないといった眼差しを赤ん坊に落とした。
「うーんどうだろう。確かに今の所はユイっぽさが強いかなぁ。」
屈んで赤ん坊に顔を近づけると、にっこり微笑まれ胸の奥が熱くなった。
「七重! やっぱりそう思いますよね。」
嬉々とした颯介の声が降ってくる。
ユイ、この子男の子で良かったかも知れないよ。娘だったら、颯介はかなり鬱陶しい父親になりそう……。
「そういえば、七重さん。先ほどの『清祓いの歌』、友を思う実に見事な七言絶句で胸を打たれましたわ。」
霊祭では、縁のあった者たちがそれぞれ別れを詠ってユイに捧げたのだ。
「和歌は名手が揃っていたので、漢詩に逃げただけですよ。先生こそ、春の美しい情景が伝わる優しい歌でした。」
「ありがとうございます。ユイ様のお人柄でしょうね、皆さん明るく温かい歌を詠まれていて心が洗われました。」
「まあ、颯介のは『呪い』でしたけどね。」
チラリと隣を見ると、颯介は眉を寄せた。
「ふふっ、万葉集の『白妙の下衣〜』のような歌、私は颯介さんらしくて素敵だと思いましたよ。」
梅子先生は優しい。
颯介の詠んだ歌は『あなたにあげた真っ白な下着の衣、また逢えるその日まで失くさずに持っていて』的な歌だった。
「あんたがやると、変態にしか聞こえないし、仮にも祓魔師なんだから殆ど呪いでしょ。」
梅子先生の評に嬉しそうにしている颯介に、そう言ってやった。
剝れるかと思ったが……
「仕方がないじゃないですか、逢いたいんですから。」
颯介は一瞬、ここではない何処かを見つめるような表情をした。
「ちょっと…… いきなり後追いとかしないでよね。」
「しませんよ、託されたものが山程ありますからね。この子の事、義父上のこと、お義祖母様のこと、立葵のこと、会津のこと、お城に桜を植えて欲しいなんて事まで……。今世はそれらを必死にやっているうちに終わりそうです。追いかけるのはその後で。」
悪戯っぽく微笑む颯介の目には大丈夫だと思わせる光が灯っていた。
むしろ私の方が —— 。
捕まえた花びらを指先で弄びながら、私は小さな溜息を吐いた。
「恋う」とは「乞う」からきているらしい。そして、乞うものは、愛しい人の魂だとか。
ユイ、覚悟しておいた方がいい。
颯介は地獄の果てでも追いかけていきそうだよ。
私は、また2人の面倒見るのは大変だから行かないからね。
穏やかな春風が吹き抜けて、ゆったり回りながら花びらが降ってくる。
疲れて眠くなったのか、赤ん坊がぐずり始めた。
梅子先生が落ち着いた声で子守唄を響かせ、欠伸をした幼子はあっという間に眠ってしまった。
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