8  君は僕らの救世主

「ねぇ、颯介。私、ひょっとして死んだ?」

 ユイの問いかけに、僕の体はびくりと震えた。

 僕の妻は、大抵鈍いのに……たまに鋭い。

 全部妊娠のせいにして誤魔化そうとしていた僕は、突然のことに頭が真っ白になった。

 

「はい。」

 結局、僕は観念して頷いた。

 じっと見つめるユイの瞳に、嘘はつけない。


 「やっぱりかぁ。さっき颯介の顔、変だったもの。」

 ユイは眉を八の字にしながらも、ふうっと息を吐き微笑んだ。

 それを見た僕の胸は、苦しくて悲鳴をあげる。


「ちょっと〜! もっと言い方あるだろ。」

 後ろにいた七重から非難の声があがった。

 情け無いけれど僕の中でも上手く整っていなくて、なんて伝えたら良いか分からない。

 この状況が幸いなのか不幸なのかも、良く分からない。



 ユイの願いは叶い、ふるさとは滅亡を免れた。

 国内には様々な想いが燻り、諸外国の介入が懸念されてはいるが、人々は手を携えて、新しい国づくりを進めようと奮闘している。


 けれど最後の戦いの際、ユイの体と魂を繋ぐ糸は六条によって切られてしまった。

 彼女が今動いているのは、奇跡としか言いようがない。

 今は飛んでいってしまいそうなユイの魂を、お腹の子が必死に繋ぎ止めているという状況なのだ。

 

 僕は心に落ち着けと命じながら、ユイに起こっていることを説明した。

 

「という事は私…… いつまで生きていられるの?」

 ユイは、尤もな質問を投げかけてきた。

「魂は、この世に生まれでた後ゆっくり個として確立していきます。赤ん坊に魂が定着するには、7日から20日かかるといわれています。なので、母体から完全に別れるのもその時……」

「という事は、生まれた赤ちゃん見る時間はあるんだね。良かった。」

 ホッとした表情でお腹を見たユイ。

 僕は、君がいなくなる日を思い、また泣いてしまいそうになった。

 

 

 ユイは覚悟を決めていた。

 僕も覚悟を決めた。

 日々膨らんでゆくお腹を撫でながら、僕らは穏やかな時間を過ごした。


 一時ひとときが、惜しく、甘美な今の永遠を願いたくなる衝動を抑えつつ、僕らは遂にその日を迎えた。


 

「痛ぁ。ゔー…ふーぅ。ゔーん。」

 一刻程前から、ユイは頻繁に痛みを訴えている。

 産婆さんが到着し、危うく部屋から追い出されそうになったが、僕は絶対に立ち会うと決めていたので譲らなかった。

 周囲は相当引いていたけど、関係ない。


 出産というのは自然なことと言われるけれど、自然だからこそ生と死が混在する瞬間なんだと思う。

 僕は、心配で、不安で、何かしてあげたくて、とにかく側に居たかった。

 ユイが痛そうな時は身体を摩ったり、汗を拭いたり、痛みが来ない時は気がまぎれる様に話したりしてその時を待った。

 

「ゔー、覚悟はしていたけど、これはキツい…ふー…… 今、世界中のお母さん達を尊敬してる…くぅ、痛たた……」

「ここ? 抑えていた方が楽? ユイ。ごめん…… 何もできなくて。」

「…… く、颯介…居てくれるだけで…すごく心強いから、ぁっ、ゔーん、ゔくっ、これ……くるかも」


——くる⁉︎


 産婆さんたちの動きが慌しくなる。

 こうなるともう、僕にできる事はもうひたすら祈ることだけで……


 祈って、祈って、祈って


 とても長い時間に感じた。

 早苗さん、産婆さんがユイを励ます。

 そして……


 赤子の産声が響いた。


 ユイは? 良かった生きてる。

「…… 颯介、やったよ。」

 ユイは、呻きすぎて少し掠れた声で微笑んだ。


 もうこれ以上は無いくらい、愛しいと思っていたのに、愛しさに際限はないらしい。

「本当に……愛してる。」

 ぽろぽろ涙が溢れる。


「もう、本当に泣き虫なんだから。」

 ユイの手が伸びてきて、涙を拭った。

 

「颯介様、ユイ様。おめでとうございましす。元気な男の子ですよ。」

 そう言って早苗さんに見せられたのは、とても頼りない感じの生き物で、受け取るのも怖かった。

 軽くてフニャっとした小さな人間は、僕の腕の中で目を瞬いた。

「どうしよう。君の気配がする。義勝様も、サキ様の気配もするんだ。そして困ったな……僕も混ざってる。」

「当たり前じゃない。血が繋がっているんだから。」


 赤子は、未だ見えていないであろう瞳をクリクリさせ、笑ったような顔をした。

 かつて、こんなにも澄んだ瞳を見たことがあっただろうか。


 愛しい。


 酷いや。

 これじゃ、あっさり「君」を追っては逝けないよ。


「想像以上に堪らなく嬉しい…… ありがとう。」

 喜びと感動に身体中が痺れた僕は、ユイの疲れの見える目元に、優しく口づけを落とした。



 ユイ…… 絶対に「君」を救ってみせる。

 それには、あの人の力が必要だ。



 

 

 10日後


 極力抑えた霊気を追いかけ、僕は眼下には城下、遠くに純白の飯豊連峰を見渡せる、会津盆地の東にある小田山の中腹にやってきた。


 早朝の空は澄み、霧氷による雪の花がきらきらと繊細な輝きを見せている。


「さてと。」

 僕は、綿密に練られた結界を破り、ピリリとした霊気の満ちる領域に入った。


「早いですよ。ユイは、まだ頑張れます。」

「颯介さん……」

 声をかけると、白衣に緋袴の人物が振り返った。


「気配を消すの、上手くなりましたね。」

「師匠が良かったんです。」


「口も上手くなりましたね。」

「ふふっ。それも師匠譲りでしょうか。…… 水臭いですよ、『魂依り』ですよね。僕も一緒に解かせてください。」


「颯介さん……」

 サキ様は言葉を詰まらせ、睫毛を伏せた。瞳が僅かに潤んでいた気がした。


「本当に優秀な弟子だこと。いつから気づいていたの?」

 サキ様は、顔を上げると観念したような微笑みを見せた。


—— 秘呪「魂依り」

 遍くこの世の全ての魂の中から、最も近しく共鳴する魂を呼び寄せて、一体化させ、命を永らえさせるという究極の延命術。

 

 扱える術者がごく限られる事から公に禁じられてはいないが、術者自身が命懸けであり、他者の魂を奪う可能性もある事から、暗黙のうちに禁呪とされているものだ。


 サキ様は、かつてユイにその術を使った。

 そして今、死を覚悟して術を解こうとしている。


「ユイが前世を覚えていると知った時から疑ってはいました。別の魂をここに呼んだ人物がいるのではと。そして、先の六条との一件。『狭間の世界』にユイが入れたことから、確信しました。あそこには、この世のものは入れないですから。……お堀への転落事件の時ですよね? 動機があって、成し遂げることができたのはサキ様以外にいないと思いました。」

 確認するように告げると、サキ様はゆっくり頷いた。

「その通りです。わたくしはあの日、己の願望のため罪を犯した愚かな悪党なのですよ。」


「確かに罪ですね。…… けれど、その罪によって救われたものもあります。ユイがいなければ、僕は生きられなかったでしょうし、国だって灰燼に帰していたかもしれません。」


「言い訳にしかなりませんが、あの時、可愛い孫娘の死以上の絶望が訪れようとしていました。ひとつは、忠道様の廃嫡による会津藩の危機。優秀な若者の未来を断つばかりか、きな臭い一派に勢いを与える事になりかねませんでした。」

「他にも危ぶまれたことが?」

「ええ。もうひとつは、私にとってはより切実な、我が息子の『もののけ堕ち』です。先に妻子を失っていた義勝は、非常に危険な状況でした。ユイまでもあの様な事で死んでしまったら、この世を怨んで悪鬼と化してもおかしくなかった。目覚めぬユイを前に悲嘆に暮れる息子に、闇が纏わりついていくのをただ見てはいられなかったのです。ですから私は、生命を削ってでも、鬼になってでも、あのままユイを死なせる事は出来なかった…… 身勝手なことです。甦ったユイさんが、あまりにも愛らしく成長していくものですから、己の罪を忘れたくなった事もしばしばありましたが、いよいよ罪の精算の時ですね。」

 僕は黙ってサキ様の告白を聞いた。

 サキ様は、ユイに報いるためにも死力を尽くし『魂依り』の解呪を試みようとしていたのだろう。


「あの……サキ様。僕の自惚れなんですけれど『ユイ』は僕に逢いに来てくれたとも思うのです。僕の魂がずっと呼んでいたから。」

「それは、どういう?」

「実は、僕にも前世の記憶があるんです。僕らはその時も恋仲だった。だから僕の魂は、ずっと『ユイ』を求めていた。……何を言いたいかというと、サキ様の術はただのきっかけだと思うんです。『魂依り』って他の世界の魂まで容易に呼び寄せるものじゃないでしょう? だからきっと僕も共犯なんです。それと、実は魂依りを疑った時から、烏の方の助言を受けながら、解呪についても探ってきたんです。僕の術式の理論、聞いてくださいますか?」

 僕は改めて、共に術を解く提案をした。


「…… 弟子は師匠を越えるものなのね。」

「僕なんかまだまだです。それに、お義父上ひとりに子育てを任せられませんからね。」

「颯介さん……私は償えるかしら?」

「大丈夫です。僕に任せてください。一緒にユイを還しましょう。」


 僕は、腰を折るサキ様の冷えた手を取った。

 頭上を、瑠璃色の小鳥が、澄んだ口笛のような鳴き声をあげて飛び立っていった。





「最後の最後まで颯介たちの側に居たいよ。」

 この世界でユイが死を迎える前に「勇生」として、元いた世界に還す。

 そう話したら、ユイは喜ばなかった。


「戻らなきゃダメですよ。そうしないと…… 輪廻の輪からも外れて未来永劫魂だけで彷徨うことになる。」

「私はそれでもいいのに。」

 言い聞かせる僕に対し、少しむくれた様子のユイに胸が震える。


「ありがとう。でも、誘惑しないで。」

 そういって、僕は彼女の唇を吸って抱きしめた。

「……颯介、戻るのが怖いの。それに、戻っても、生きていたとしてもこうして貴方に触れられない。命があってもきっと辛いよ。」

 耳元でユイが呟いた。

 ごめん……今の言葉で喜んだ。僕も離れるのは死ぬほど辛いけれど、俄然やる気がでてしまったよ。


「僕は、ユイに恋してる。」

「私もずっとそう。」

「『恋』は『乞ふ』からきている言葉だって知っていますか?」

 僕は体を離すと、空に文字を書いて訊ねた。

「『乞ふ』? 求めているってこと?」

「そうです。僕は、本気で君を求めています。だから決して逃しません。魂が巡る限り、ちゃんと君を見つけます。安心して、僕はこう見えて結構しつこいですから。」

「うん。分かってる。」

 間髪入れずに答えたユイに、僕は片眉上げて見せた。

 ふふっと彼女が微笑む。

 悪戯な笑みが可愛くて、もう一度彼女を抱き寄せた。

「ユイなら、大丈夫。君はどこにいっても君だよ。安心してお還り。そして、また僕と出会って、好きになって。」

「ふふ、私はダメだなぁ。寂しくて怖くて。楽な方に逃げようとしていた。ごめんね。颯介、愛してる。」

 ユイに腕が僕の背にまわり、僕らは固く抱き合った。

「僕も、愛してる。」

 


 

 本音を言えば、今でも、甘美な望みは執拗に僕を誘う。

 行き場を無くしたユイの魂ごと、僕が飲み込んで死ねたなら……永遠に一つになれるのではないかなんて。


 昔の僕なら、その欲に負けてしまったかもしれない。

 でも、お日様みたいな匂いのする小さな命が僕をより強くしている。

 今を閉じ込めるより、未来にもっと素敵な事が起きるんじゃないかって思える。

 

「君のおかげで、僕は愛する人の魂を救うことができるよ。」

 キョロキョロ眼を動かす息子の、小さな小さな手に指でそっと触れると、キュッと握り返された。

 

 愛しい……。

 ありがとう、僕らの救世主。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る