小話 禁呪
「何とも気が進みませんなぁ。大人しく同行しては、もらえんでしょう。」
六条邸の門前まで来てなお、雨田は重いため息を吐いている。
「仕方ない。烏と梟は腐れ縁さ。仕舞いまで付き合うしか無いんだろうね。」
もののふ省からは、利木の梟を束ねる六条を捕縛する旨の依頼があった。それも、状況によっては生死は問わないという厳しいものだ。
六条家は身分のある家である。そして梟は、古くから闇を担い、あらゆるものと別の理の中で動く事を容認されてきたような特殊な存在なのだが…… 先帝の最期に対する疑惑に加え、禁呪の発動となれば、上も対処せざるを得なくなったのだろう。
内容的には、3位以上の陣に依頼して欲しいものだが、まあ最上位の陣は曲者揃い、何やかんやで断わられたか……。
「それにしても、静かですな。」
精鋭を揃えて、六条邸を訊ねたが驚くほどあっさり門を通された。
あまりに普通で、雨田が言うように静寂が不気味でならない。
青々と茂る萩の回廊を抜けた先、高木の葉に日の光が遮られた場所に立つ東屋で、六条淡は筆を執っていた。
細面で眦のあがった童子面のような顔は、昔から少しも変わっていない。
家人が我々の訪問を告げたが、出迎える素振りもなく、彼は竹製の腰掛けに座ったまま、目の前の池と手元の紙を眺めている。
ちらりと覗くと、よく分からない生き物が描かれていた。
「蛸か?」
「…… 鯉だ。」
まるで妖気のような、重苦しい霊気を纏う細身の男は、漸く光の無い目をこちらに向けた。
「…… 賀茂。何か用か? 遊びに来たわけではないのだろう。」
視線で座るよう促されたが、それに応じずそのま続ける。
「もののふ省へ同行願おう。此度の件、やり過ぎだ。」
六条は、全く眉を動かさず、ゆったりとした動作で筆を置いた。
「心外だな。私にしては珍しく世の為になる事をしていると思っていたんだが。」
くつくつと笑う六条。
「ともかく術は、直ぐにでも解いて欲しい。あれは本当に危険だぞ、この国を滅ぼす気なのか?」
梟が奥州で展開しようとする術は、民を無差別に殺戮する恐ろしく破壊力のある禁じられた術だ。人だけでなくあらゆるものの生命を奪い、大地を穢す。
「あの『呪』を求めたのは、私ではない。依頼があったからこそ施した。依頼者は、破壊の力を利用して不平分子を一掃し、ついでにその力を海の外にも示したいようだ。」
まるで他人事のようにあっさり語る六条。術を敷いた本人にも関わらずだ。
「制御することもままならない、破壊の力で無差別に人を死に至らしめる禁呪を、新政府の高官たちが求めたというのか? 赤子だろうが年寄りだろうが容赦なく生命を奪い、その土地を長く苦しめる悪行となる故、禁じられたあの術を! そのような人の道に劣る行為、仮にも新しい世を作ろうとする者たちが求めるとは思えない。」
「だから烏は昔から阿呆なのだ。人の良心や志は危うく、人とは脆い。不安に心を支配されると、それを抑えるためにどんな残虐なことも平気でするようになるものだ。時代が大きく揺れ動いている今、憂さを晴らすためにとにかく力が欲しい者は少なく無いぞ。奴らにとって禁呪の存在は、この上なく魅力的に映ったようだ。」
「私とて、人が元より善なるものだと、無垢に信じてる訳ではない。揺れ動くものだと思っている。六条、お前はその揺れを巧みに利用し、人々を非道へ唆したのだろう。」
悪業への誘惑。それが梟が最も得意とするところだ。
人の願いを叶えるふりをして、速攻で地獄行の予約を入れてしまうのだ。梟を頼った末、己の所業を悔いることになる、痛ましい様をどれほど見てきたことか。
「良いか、私は人が望まないことは一切していない。梟はな、古来より
「やはり、お前は『まもの』だな。その邪悪な目で常日頃から人を狙い呪っている。……解呪する気が無いのなら、力ずくでも同行してもらうぞ。」
「やるのか? ふふふ、お前を人柱にしたら、どれほど強力な呪を練れるか……楽しみだ。」
六条がニタリと笑うと、呪法の匂いが立ち上り、周囲の気温が下がった。
「双葉様っ。」
他の烏達も応戦の構えを整える。
ふぅっと六条が、手元の紙に息を吹きかけた。
紙はふわりと宙に浮き、もぞもぞと動いた。
そして、ピリリと裂ける音がしたと思ったら、切れ目からぬらりと赤い蛸……ではなく魚が生まれた。
魚妖は直ぐに膨れ上がると、巨大な尾びれで跳ね上がり、牙のような尖った歯がびっしり生えた口を大きく開けて飛び込んできた。
「六根清浄!」
人差し指と中指を揃えて、空を切った雨田が風の刃を走らせた。
魚のぬらついた腹が裂け、青い血が零れる。
他の烏の面々も、縦横に九字を切ると、指を弾いて術を発動させ、魚妖の動きを封じていく。
六条は魚を囮にして退こうとしていた。
「逃がすものか。」
私は、式鬼から弓矢を受け取ると、丹塗矢を番えて、引き絞って放つ。
青白い雷光を纏った朱塗りの矢は、わずかに弧を描きながら六条に迫った。
六条が扇で矢をいなすと、空が破裂するような音が響いた。
引き続き2の矢、3の矢を放つ。
轟音が大地を震わす。
4の矢を受けた六条の扇は砕け散った。
5の矢。受け止めた六条の左掌が焼け焦げた。
間髪を置かず、6の矢を放つ。
事前に示し合わせた通り、数名の配下か縛術を展開しつつ、じわり包囲網を狭める。
祓術と、縛術にかけては、我々烏は他の追随を許さない。それは、容易く逃れる事はできない強力なものだ。
術が六条を捕らえようとした瞬間、奴はニタリと薄気味悪い笑いを浮かべた。
「お前が言うように、私は『まもの』なんだよ。」
そう言葉を残すと、六条は
奴の霊気も、気配も絶たれた。
「飛天、もしくは隠形の術ですか?」
六条が消えた葉陰をみつめ、雨田が問う。
「いや。狭間へ逃げられた。六条淡は人であって人でないものだったようだ。」
握る拳に力が籠る。
「左様ですか。それに双葉様、あの気配……性質は異なりますが
雨田は、眉間に皺をよせる。私は心配そうに揺らぐ瞳をを見て、しっかりと頷いた。
「矢彦には私が直接伝える。至急あやめに伝令を、そして我々も早急に飛ぶぞ。準備を急げ。」
「はっ。」
湿った風が吹き、しな垂れた萩の枝先、くすんだ緑の葉が揺れた。
さわさわという葉擦れ以外、音はない。
この閑静な場所で、あの男は何を思い禁呪にまで手を染めたりしたのだろうか。
詮無きことを考えてしまった私は、頭を振り門へと向かった。
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