7 希え
空は欠けるように、少しずつ漆黒の闇に侵されていく。
息を吸っても胸が苦しいのは、湿度のせいだけじゃない。
「よりによってというか、やっぱりというか。禁呪『
あやめさんが柳眉をひそめた。
「『空亡』がぶち撒ける穢れは、祓ってもそう簡単に消えないっていうよね。国を壊滅させた後も、その後50年…… 下手をすれば100年以上に渡りその土地の命を吸い取り続けるだなんて、ホント最悪な術。」
七重は、険しい表情で両腕を組んでいる。
「あの術をかけるには、相当数の贄、そして術者の魂が必要のはずですわ。梟は、どれ程の配下を犠牲にしてあれを発動させたのでしょう。」
梅子先生は、まつ毛を伏せ重い息を吐く。
鶴ヶ城の一室には、馴染みのメンバーが集まっているのだが、『空亡』という伝説級の禍術を前に、いずれの表情も厳しい。
颯介は、空亡への対応の為、ここの所ずっと城に泊まり込んでいて、全然家に帰って来ていない。
けれど、今日みんなが呼ばれたって事は、対処法が固まったのだろう。
果たしてどんな策にしたのか。正直私の胸は、期待と不安で一杯になっている。
「ユイ、そんな顔しなくても大丈夫ですよ。こんな時のために僕がいます。むしろこうした事態に備えて動いていましたから。守ってみせますよ。ね、忠道様。」
地図やら巻き物やらを抱えて現れた颯介が、穏やかに微笑んで忠道様を見た。
「ああ。心配するな。破邪の呪法をかける。ウチだけの問題じゃないからな、同盟を挙げて事に当たるし、同盟以外からも協力の申し出が数多く来ている。なんとかするさ。」
忠道様も力強く笑った。
「どんな手を使うことにしたの?」
「困った時の神頼み作戦ですかね。少々大掛かりですが、……四獣の力を借りようかと。」
四獣って、アレだよね。
勇生の頃、小学校の郷土学習で白虎隊がらみで調べたから覚えている。
方角を司る神獣『東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武』の事だよね。
「凄い……神様を呼ぶんだ」
頭の中に、遠い昔にやったファンタジー系ゲームの召喚獣登場みたいなシーンが浮かんで、私の中の少年の部分がちょっとワクワクしてしまった。
「ええ。土地の力を頼みに災厄を祓う術式を組みます。僕一人では無理ですから藩、同盟、周辺のもののふの力を合わせます。四獣の力が集まりやすい場所で、それぞれの神と親和性のある加護を持つ者が祈りを捧げることで、神獣の持つ天の気と我々の地上の者の気を交わらせ、厄災を消滅させるといった形式の術ですね。」
「それは、朱雀なら『火行』の加護が強い人、白虎なら『金行』の人って感じで集まるってこと?」
確か、朱雀は火、白虎は金、青龍は木、玄武は水と相性が良かったはずだ。私の食いつきが良いので、颯介も細かく説明してくれる。
「はい、そういう事です。核となる地点に各藩、各陣から選抜した霊力の高い者たちが向かい祈りを捧げ、神獣を呼び出します。四獣にまつわる気が強い大河、水辺、道、山は、事前に選んで基本の術は既に組んでおきました。」
「術をかけたのは、ここだ。青竜は、東に位置する達沢不動滝。朱雀は、南の駒止湿原。白虎は、西の下野街道。そして玄武は、北の明神ヶ岳になるな。」
地図を広げた忠道様は、それぞれのポイントを指さした。
霊力の高い者が祈る術か……。
「成る程ね。それで私は?」
「留守番ですね。」
「留守番だな。」
2人がきっぱり告げた。
そうだよね……。
「ユイ様、空亡の瘴気が強まれば、他の妖達の動きも活発になる可能性があります。まちに残り、人々を結界内に避難させたり、妖を撃退する人員も必要ですわ。」
つい首を垂れていた私に、梅子先生が声をかけた。
ありがとう先生。霊力を使うとなると全然役に立たない私だけれど……やれる分野で精一杯頑張ります。
「分かった。みんなが召喚に集中出来る様にするから、こっちは任せて。」
気を取り直し笑顔で応えると、颯介はほっとした様な表情を浮かべた。
そういう訳で、翌日には神獣を呼び起こすための部隊、青龍隊、朱雀隊、白虎隊、玄武隊、が編成された。
我が立葵のメンバーも、梅子先生が青龍隊、颯介が朱雀隊、七重が白虎隊、そして忠道様が玄武隊といった具合に、加護に合わせて各隊へ入った。
忠道様については、現場に行く事ないって言う人もいてちょっと揉めたらしいけれど、本人はやる気だし、忠道様の力って結構凄いから、もののふ勢は誰も止めず結局は参加する事になった。
術は、七星を辿る型で舞い、大地を踏み鎮め、神獣に祝詞を捧げるもの。
それぞれの隊が型を確認しているのを見たけれど、神聖で綺麗な舞だった。城下で少し舞っただけでも空気が清浄になったから、然るべき場所でならば効果は抜群なんだろう。
2日後。
各隊は、それぞれの目的地へ向けて出立した。
残った私は、空亡と四獣の激突の衝撃を緩和するために施された結界へ人々を誘導したり、度々出現する危険な妖を退けたり、市中を駆け回っていた。
これはこれで充実しているけれど、本当は颯介の側にいて彼を守りたかった。
今回の術、沢山の人が関わっていると言っても、メインの術士は颯介になる。
術というのは、中心となる術士が倒れると乱れが生じるもの。
もし、梟がこちらの動きに気づいた場合、颯介に害を加えるが一番手っ取り早い排除方法だから、不安なんだよね。
「颯ちゃんには私が付いて行くわ。用心棒のつもりで頑張るから任せて頂戴。」
火行が強いあやめさんが、朱雀隊に同行してくれたのは本当に心強いが、私も行きたかったな。
見晴らしの良い場所に出る度に、空を見上げた。
7度目くらいに確認した時、闇色の空に向かって、青、赤、白、黒の光の帯が立ち昇り始めているのが見えた。
良かった、始まってる。
何の力にもならないかも知れないけれど、私も手を合わせて祈った。
——お願いします。私達の未来が護られますように。
「ちょっといいかな?」
ふと声がかかり、目を開くと矢彦さんがいた。
「もう、びっくりさせないで下さい。神出鬼没なんだから。転移術で双葉さんたち迎えるって言ってませんでしたっけ?」
先刻、矢彦さんに双葉さんたちが来るという緊急の伝令が入った。
何でも梟のトップである『六条 淡』が京を抜け出して、何処かに行ったらしい。
双葉さんは、六条が空亡の完成を見届ける為に、ここに来ているんじゃないかと踏んで、会津に来るというのだ。
それも転移の術という、瞬間移動的な秘儀を使って来るらしく、矢彦さんは出口側の準備があるとかで慌てていた。
「ああ、それは終わった。彼らは、もう間もなくやってくる。それより、少し手伝って欲しい。」
矢彦さんがそう言うので、一緒に山に入った。
ギザギザした雫型の葉が揺れるコナラの林の斜面を、しばらく無言で登っていく。
そしたら突如、矢彦さんの姿が消えた。
「矢彦さん?」
呼びかけても返事がない。
どうやら矢彦さんじゃなかったようだ。
よく喋る矢彦さんがあんなに静かなんておかしかったもの。
こんな時にがっかり。妖に化かされたのだろうか?
仕方なく下山しようとすると、背筋が凍るような気配がした。
私は、咄嗟に薙刀を構える。
ミケと巨大化したシロが現れた。
ビュン
飛んできた黒い紐のようなものを、シロが噛み切った。
2匹は、守るように私の前に立つ。
シロってば、こんな顔できるんだって位、恐ろしい形相で牙を剥き、唸りをあげている。
ミケも毛を逆立てて威嚇しているが、足はプルプル震えている。
ヤバいのがいるの?
2匹が睨む木の影から、男がひとり出てきた。
「あの術士の妻はお前だな?」
無機質な笑いをを浮かべ、その男は訊ねる。
それを聞くということは、梟からの刺客なのだろうか。
シロが闘気を漲らせ、男に飛びかかった。
速い!
対する男が板扇を開いてひとあおぎすると、黒くてウネウネした影のようなものが飛び出してきた。
しかしその攻撃は、シロの身体を素通りし、シロの爪が男の足元を抉った。
「オンボノヤスか……邪魔だな。」
そう言って男は指を弾いた。刹那、ミケが私に縋りつき、悲鳴をあげた気がした。
相手は何の術を使ったのだろう? 一瞬で、周囲の景色が変わり、私は、薄暗く何も無い場所に立っていた。
ミケもシロも見当たらなくて、いるのは男と私だけ。
「その気配……やはりこの狭間の世界に入れたな。成る程、人形か。」
男は私に向かって訳の分からないことを言う。
「さて、お前をどう料理してやろうか。術中のあの男の目前に首を投げ入れてやり、その後バラバラにした身体を降らせるのはどうだ? それとも鬼どもにお前の身体を貪らせるのを見せてやるのも一興か?」
え、いきなり猟奇的な提案をされたんだけれど……。
まさか梟、颯介を動揺させる為に私を狙ってきたの⁉︎
確かに、私に何かあったら颯介は動転するかもしれない。そう……ともすると、空亡より悪いものが爆誕しちゃうよ。
ここは、負けられない、下手に死ねないや。
私は、きっ先を相手の男に向けて、能面のような顔を睨みつけた。
「やるのか? 梟の長たる私が、貴様のような弱い人形に、やられるはずも無いが。」
男はせせら笑った。
流石に冷や汗が出る。
なんて事だ。この人『六条 淡』ですか。
六条は、扇を掲げて一気に振り下ろした。
ニュルニュルと黒い影が伸びてくる。
私は後ろに飛び退きながら、1本、2本、3本それを切った。
六条は、楽しそうにひらひらと扇を振った。
10本……20本以上の影が迫ってくる。
できるだけ切り捨てたが、全ては躱しきれなくて、やむを得ず急所以外は諦めた。
先に到達した一本が太腿を掠り、焼けるように痛んだ。
影は残り2本、痛みに備える。
しかし、残りの影は私に触れる直前で軌道を変え、胸や首を狙ってきた。
マズイ!
頭を逸らして首は躱したが、胸が間に合わない。
最後の一本が私の心臓を狙うのが、スローモーションのようにゆっくり見える。
バチン
私に触れた途端に影は、吹き飛んだ。
と同時に、長年愛用していた組紐が千切れた。
ふわり。髪が広がった。
それを見た、六条が顔を顰める。
よく分からないけれど、致命傷は無い。
薙刀を構え直すと、突如地面が揺れた。
六条が忌々し気に、斜め上をにらんだ。
誰か来ている? すぐそこに。
またグラグラと揺れる。
『ゆい、ぶじか。こちらはせいこうした。』
少し聞き取り辛いが、聞き覚えのある声が響いた。
これは……双葉さん!
やったって! みんなも颯介もやったんだ。
『もちこたえろ。みんなここによびよせる。』
了解です。私は気合いを入れ直した。
「空亡を破ったか……成る程。予想よりはるかに速い。お前の夫、やはり恐るべき逸材だな……。ふふふ……。」
術が破れたというのに、六条は不気味に笑う。
「さぁて、お前の魂を繋ぐ糸、どの道長くはもたなそうだが……烏がうるさい。遊んではいられないようだから、もう断ち切ろうか。術で生かされる人形が、糸を絶たれ往く道を失った場合、どうなるか知っているか? もちろん成仏などできるものか。浮かばれぬ魍魎となり、永遠にこの世を怨んで漂い続ける。それを、お前の夫は耐えられるかな? きっとこの世を呪うだろう、その時こそ稀代の悪鬼が……」
ああもう聞いてらんないよ。
烏がすぐそこに来ている。
そして、みんなが来るんだもの、私はこの変な場所からコイツと出るだけでいい。
いくぞっ。
話の途中だけれど、八相に構えた薙刀を振り下ろす。
「効かぬ。」
六条は薙刀を扇で受けていなした後、人差し指と中指を揃えて私の頭上を真横に払った。
プツリ
音はしなかったのに、何かが切れた。
一気に体が重くなり、心臓が潰される様に捩れて痛い。
物凄い眩暈がする。
倒れるな。
歯を食いしばって耐えた。
姿勢、呼吸、心、を整え、振るう刃に、想いをのせろ。
閃
熱を帯びた刃が光の筋を描き、扇を持つ六条の肘から先が飛んだ。
驚いた表情の六条が、私から距離を取り始める。
逃がさない。もう二度とおかしなことをしない様に。
表に引き摺り出してやる。
「何故動く! お前をこの世に留める繋がりなど、もう何も………… まさか。」
六条は私の体を凝視している。
よし。私、苦しいけれどまだ死んでない。
守りたいよ、颯介。
止まるな。
体が崩れそう。
負けるな。
私のこれまでは、この時のために。
動け、足。動け、腕。
走れ、私。血よ滾れ。
掌は、薙刀を離さないで。
六条の喉元を狙って切っ先を突き出す。
ひらりと躱されたが、本当に切り裂きたいのは。
みんなの気配がする、ここ!
暗い空間の中、わずかに白んだ所からは温かい気配がする。
私は想いを込めて、その場所を薙ぎ払った。
空間が揺れ、割れ目が入りみんなが見えた。
白金の弾丸が走った。
青紫の稲妻が落ちる。
黒い波は渦を巻き、動きを封じる。
紅蓮の炎は生き物のようにうねり、六条を呑み込んだ。
烏の歌が響き、彼を包み込むように降ってきたのは、黄金色の鎖。
「ユイ!」
六条の術は解けて、颯介と七重が飛び込んできた。
身体中が痛くて、ひどい目眩がする。
もう立っていられなくて、フラッとなった所を颯介に抱き止められた。
「やってくれたんだ颯介、ありがとう。やっぱり格好良いよ……」
「ユイがいるから。僕は強く……強くなれた……」
颯介、涙声になってる。
「ユイ……ユイ……」
治療してくれている七重の頬からは、涙の雫がポタポタ落ちてくる。
忠道様も梅子先生も、濡れた眼差しを向けてくる。
ねぇ、泣かないで笑ってほしい。
私達、やり遂げたんだよ。
希いは叶ったんだ。
颯介に抱かれながら見上げた空は、優しい色に戻っていた。
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