小話 鬼のなり損ね
奥州鎮撫総督府総督久師実隆卿と共に東北に入り、会津討伐を仙台藩に促し続け、ひと月以上が経った。
今も、奥羽鎮撫総督府軍事局がある福島で折衝に当たっている。
恨まれるのも仕事のうち。
そう割り切って職務をこなす。
『一切の妥協はせず、降伏させよ。
会津の味方は敵とせよ。
––攻め入る口実を探せ。』
上司からは、「一刻も早く『叛意あり』として戦端を開け」との指示が出ているのだが……。
そこに道理などない。
あるのは圧倒的な武力と野心。
気づく者は気付き始めた。
仙台藩の言い分に、総督を始めとする公卿方々は揺れておられる。
「一旦会津藩が提出した嘆願書を京都に報告して、指示を仰ぐべきでははないか。」
そんな声すら出てきている。
この国は変わる必要があった。
血筋や家柄だけで高い地位に収まり、民を心を知らぬ政治など滅べは良いと思った。
新しい世を作るのだと。
しかし。
この、長閑なまちむらを。
美しき山河を。
我々は今、血に染めようとしている。
奥羽諸国は、我々に対し平和的解決を要求している。
みな国を守るために必死だ。
亡き師、亡き友よ。
善とは、天の道とは、人の道とは。
至誠とは、如何なるものであったか。
私の進んでいる道は、果たして正しき道なのか。
『もっと、冷酷に。
もっと、厳格に。
煽れ、煽れ。剣を取らせろ。
戦を始めよ。』
酷いお役目だ。
何故、私だったのだろう。
近頃は、胃の調子は悪くなり、頭痛は起こり、肩は凝る。
あれやこれや思い悩めば、夜も眠れぬ。
これが、和平への交渉だったのならば、どれ程良かったか。
交渉が長引けば、上司は動くだろう。
最も確実に戦を引き起こす道へと。
そう。
この役目の行き着く先は……。
それ故、これが最後の酒。
毎夜そう思って過ごしてきた。
どうやら階下が騒がしい。
漸くその時が来たようだ。
階段を駆け上がる音がしたかと思えば、大きな音で襖が開き、刀を手にした侍達が4人ほど飛び込んできた。
我々も刀を抜いて相対する。
「某が、奥州鎮撫総督府下参謀、笹木祐吾と知っての狼藉か。」
努めて静かに、侍に問う。
しかし返答は無く、ただ身を震わせ、
「違う、違うのだ。」
「逃げろ。頼む、逃げてくれ。」
「誰か助けて、俺じゃない。助けてお願いだ。」
奴らは、喚き散らしながら襲いかかってくる。
何故お主らが泣く?
死ぬのは我々だ。
簡単に斬られては武士の名折れ、一応は刀を取り刃を交える。
襲いくる奴らの様子は何やらおかしいが、剣筋には殺意がこもっており、突き出された切先が上腕を掠った。
ああ、父よ、母よ、妻よ。
死して、私は新しい国の礎となる。
例え鬼と呼ばれても。
腹を括って、僅かに隙を作ってやったところで異変が起こった。
ピタリと、襲撃者の動きが止まった。
そして4人の男は、魂が抜けたようにバタバタとその場に倒れたのだった。
何が起こった?
私は事態が飲み込めず、刀を持ったまま立ち尽くす。
すると直ぐに、
「ご無事ですか?」
と女の声がかかった。
「5位の陣、会津郡『立葵』の者です。妖を追って此方に参りました。お怪我は?」
現れたのは、吉祥天と見紛うような美女だった。
「よしっ。死んではいないよね。」
一緒に現れたもうひとりの隻眼の青年は、昏倒した侍達に目を止めるとすぐに駆け寄り、何らかの癒術を施しはじめた。
「まあ、腕にお怪我を。失礼いたします。」
私の腕に目を止めた女は、裂けて血が流れていた傷口に手を当て、癒術を施した。
「何故、会津のもののふが、こんな所に?」
「近頃、妖が頻出しておりまして、諸藩からも各地の番所に依頼が殺到しているのですわ。陸奥には5位の陣は少ないため、我が陣の守備範囲は広くなっているのです。」
「先程のも妖か?」
「ええ、正確には妖が侍達の身体を操っていたというか。本体はほら、ご覧ください。」
女がそう言って窓の外を指さした時、
ドウっと火柱が見えた。
窓に駆け寄って見下ろすと、赤と白のもののふが黒いイタチのような化け物と戦っていた。
薙刀を扱う討鬼士と、祓魔師の組み合わせだ。見事な連携にイタチは追い詰められ、消え失せた。
「先生ー、こっちは大丈夫。追い払ったよー。」
赤い方のもののふが、こっちを見上げて手を振ってきた。
「こちらも、守備よくいきましたわ。」
隣の女は、手を振り返した。
「さて、あなた方はどうやら妖に狙われている様ですわ。でも安心なさいませ。今後は陸奥のもののふ達が、総力をあげてお守りしますから。」
にっこり艶然と微笑む美女に、部下たちは目を奪われているが、私の背中はゾクリと震えた。
「ふふっ、絶対に殺させやしませんわ。」
その美しい眼差しは笑ってはいない。
そして、鋭く私を射抜いた。
任務を果たせぬ無念やら、不甲斐なさやら、感じてはいけない安堵やらで、私は急に体の力が抜けて、壁に背を預けながらゆっくりと畳に座り込んだ。
ひんやりした風が窓から吹きこみ、花の香りを運んでくる。
窓から空を見上げると、そこには白く美しい真珠のような星が輝いていた。
…… 私は、鬼になり損ねるかも知れない。
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