3 新しい世のために 〜牡丹の雫〜
麓の村は、桜・
しかし、東北の山は目覚めたばかり。山道を往くにつれ次第に雪が多くなり、遂には「かんじき」が無いと進めないほどになった。
快晴微風の登山日和だが、足元は悪い。私達は汗をかきながら、必死に登っていく。
「だんだん休憩しようか?」
先を進む颯介が息を切らしているように見えたので、声ををかけた。
颯介は、日差しや雪面からの反射光から身を守るため、覆面の様に布で顔を覆っているので、私よりもしんどそうなのだ。
「はぁ、はぁ…… 僕は大丈夫です。」
苦しそうな声が応えた。今日中に用事を終えて下山したいものだから、気が急くのだろう。
「じゃあ、もうちょっとだけ、あの木の所まで頑張ろうね。」
私が颯介の背中をポンと叩くと、チラッと振り向いた颯介は柔らかく目を細めて頷いた。
天色と白の景色。澄んだ風が頬を撫でていく。
私達は、あの
∗∗∗
数日前
モヤモヤモヤモヤ……
停戦の条件を聞いて以来、心に靄がかかったようだ。
多分、私でも同じ事をする。
戦になって、犠牲者が多く出てからでは遅いから。
可能性があるなら、賭ける。
例え、命を取られた後、戦が始まったとしても、相手方の正当性は著しく損なわれる。
そして、味方の士気は上がるだろう。
忠道様、お父様、分かるよ…… 分かるの。
でもね。
どうしようもなく、苦しくなる。
ひとりになると、涙が出てくる。
心臓が痛くて、眠れなくて。
自分はこんなに弱かったんだって、思い知らされる。
颯介に分からない様に振る舞っている筈なのに、どういう訳かバレバレで、慰められる度に嬉しくも不甲斐なさを感じる。
幸せにしたいのに、報いられない。
きっと颯介の方が、不安を抱えているはずなのに、私がこんなでどうするんだって。
はぁ。
この心に絡みつく靄はどこから来るんだろう。
何も出来ないもどかしさが苦しいのか?
であれば……
—―私は何ができる?
「みゃ〜ん。」
ゆったり部屋に入ってきたミケを抱きしめ、ふかふかに顔を埋めて思考を巡らせた。
—―私は一番何がしたかったのか。
そのために「もののふ」を目指し、今がある。
しかし、肝心な所で全く役に立てていない。もののふの力は、戦で使えるものでは無いし……。
…… ん?
颯介を探すと、陣の中で護符づくりをしている所だった。
「颯介、今大丈夫?」
「ええ。どうしました?」
筆を置いて、にっこり微笑む颯介に疑問をぶつける。
「あのね、この辺りに呪術が施されているんでしょう?」
「はい。『利木の梟』という呪術師の一団が、動いている節があります。恐らく新政府の手のものではないかと、あやめさんも言っていました。」
颯介の言葉を聞きながら、腕を組んで考える。
「それってルール違反じゃない?」
「え?」
ポツリと漏らすと、颯介はきょとんとした顔を向けてきた。
「決まり事を違反しているんじゃないかってこと。術は国と国の争いでは禁止なんでしょう? だったらさ、梟の術って違反の攻撃になるよね。」
「ま……まあ、そうですけれど。元々梟は、決まり事の枠外のような存在ですし、そもそも建前と本音なんて別物なのでは……。」
「私達が守っているのに、フェアじゃないと思うんだけど。その建前って、誰がいつ決めたんだと思う?」
「はい?」
颯介は、若干裏返った声で返事をした。
それが公式な決まり事なら、どこかに訴え出る事はできないのだろうか。
新政府側のやり方が、おかしいって事を。
∗∗∗
番所の奥の倉庫には、歴代の主が揃えてきた書物や資料が納められている。
少し湿っぽい独自の匂いがする倉庫内で、私は颯介と梅子先生に手伝ってもらいながら、戦で術を禁じる「根拠」を探した。
「ユイ様、こちらは確認完了ですわ。」
「ありがとうございます。私の方はもう少し…… 。」
義兄の
漢字だらけの古書に、朝も昼も夜も、夢の中でも向き合って、数日。
—―呪…… 戦不…… 則…… 御門か。
遂に、300年ほど前の文献に、帝、各地の大名、もののふ省で取り交わされた約束の記述を見つけ、その後の改変の有無も調べた。
「梅子先生、どうでしょうか?」
「…………成る程…… やりましたわね。これを基にもののふ省に訴え出てみましょう。」
梅子先生がしっかり頷いたのを見て、体が軽くなったような気がした。
「良かったですね。証拠の方は僕達が解いて集めた呪の残骸で足りるでしょうか?」
状況証拠しか無いためか、颯介は少し不安気だ。
「それなんだけど、証人になりそうな梟に詳しい人がひとり、心当たりがあるんだよね。」
「そんな知り合い、居ましたか?…… え、ひょっとして……。」
「そう、黒鬼の人。あの人ならば、梟の悪事に通じている。だから颯介、あの人がどこに居るか見つけたいの…… どう出来そう?」
顎に手を添えて、少し難しい顔をした颯介だが、
「そうですね、向こうが絶対に僕に見つかりたくないと思っていれば別ですが、そうでないなら出来ます。妖気の形は覚えていますし、義勝様の数珠を今も手放していないのだと、そちらからも辿れます。」
答えた声は、とても落ち着いたものだった。
屋敷の鍛錬場。
探索の精度を上げる為、颯介はもののふ装束に身を包み、本格的に術を組んで臨んだ。
「青龍、白虎、朱雀、玄武、勾陳、帝台、文王、三台、玉女」
神々への祈りを捧げながら、指を空中這わせ術が描かれる。
流れる詞は歌のよう。指先、つま先にまで神経が行き届いた優美な動きは舞のようだ。
真剣な表情の颯介は、とてつもなく綺麗で、普段のふんわりとは違った眼差しに思わず見惚れ、胸の奥が甘く騒めいてしまう。
場にそぐわない感情を振り払うように、目を強く瞑るっていると、颯介から声が掛かった。
「見つけました。良かった、結構近いです。海の向こうならどうしようかと思ったのですが。」
「何処にいたの?」
「出羽の月山に。」
∗∗∗
という訳で、私達は遥々山に登ってきたのだ。
「彼処ですかね。」
小さな庵が見える。
庵の戸口の前で、黒衣の僧が待っていた。
「よく来たな。 まあ、入りなさい。」
男はもう鬼には見えない。
向けられる穏やかな表情にホッとしながら、蒲の円座の腰を下ろした。
「お久しぶりです。陸奥国、会津郡の南紅ユイです。あ、あの地元の銘菓です。お口に合うと良いのですが…… 。」
どう話かけるか迷いながら、先ずは土産の飴菓子を差し出した。
「南紅颯介です。あの節はどうも。」
颯介も名乗ると、男の眉がピクリと動いた。
「これはご丁寧に。私の名は右恭という。その節は世話になった。今はこのとおり念仏三昧の日々を送っている。さて、遠方より何用で来られたのか?」
右恭さんに問われたので、私は早速本題に入った。
「私達は、新政府側の『術による攻撃』について訴えを起こします。そこで、右恭さんに『利木の梟』についての証言をお願いしたいと思って来ました。身の安全は守られる様手配します。どうか力を貸してもらえないでしょうか。」
私達は深く頭を下げる。
「……こんな俺を頼ってくれてありがとう。」
右恭さんの言葉に、期待を込めて顔を上げた。
しかし、
「すまないが、今それはできない。」
続く厳しい答えに、息を呑む。
「今更惜しい命など無いが、ここを離れる訳にはいかない。戦火の気配が、この地に鎮められた古の妖を解き放ちそうなのだ。」
「この地の土蜘蛛ですか。」
「ああ。俺の力で何とか抑えている。今、離れれば、麓の村々が食い尽くされるだろう。俺は、俺たちを慰めてくれたこの地を守りたい。」
右恭さんの微笑に、かける言葉を失いかけていると、
「代わりといってはなんだが。」
右恭さんは、小ぶりな水晶球を差し出してきた。
「これは?」
「牡丹のものだ。彼女は、これで色々なものを見ていた。霊力の高い者であれば、ここに映されてきたモノを見る事が出来るだろう。新政府と六条、梟と身内の奸物、その辺りの繋がりを解く鍵があるはずだ。」
そう言って右恭さんは愛おしそうに、水晶球を撫でる。
「颯介さん、貴方が持って行くといい。貴方なら、その玉の記憶を見ることができるだろう。…… 救えると良いな。」
颯介は、労るような微笑みを向ける右恭さんから、水晶を受け取ると深く一礼を返した。
私達は、右恭さんと牡丹さんの思い出話に耳を傾けた後、仏さまに線香をあげさせてもらった。
そして、何度もお礼を言うと、互いの健闘を祈り庵を後にした。
山を下る途中に休憩していると、颯介が先程の水晶を取り出して、空にすかしていた。
中には七色の光が見える。
「虹の雫みたいだね。」
キラキラとプリズムが煌めく玉は、とても綺麗だ。
「美しくも、辛く、悲しい雫ですね。牡丹さんの涙の塊みたいだ……。」
颯介は切なげに呟くと、瞳を閉じて深く息を吸い込んだ。
私には見えない何かを、颯介はみているのだろうか。
「右恭さんにとって、大切なものだっただろうに。本当にありがたいね。」
この水晶は、牡丹さんの形見。あの2人の思い出も、数多く記されているのだろう。
「ええ、僕らにとっても宝ものです。それに、これは忠道様の助けになれるかもしれませんよ。」
「本当に⁉︎」
思わぬ言葉に、前のめりになる。
「はい。少しでも早く知らせた方が良い情報があったので、式鬼を飛ばしておきますね。」
颯介は懐から和紙を取り出すと、ふっと息を吹きかけた。
紙はたちまち隼へと姿を変え、ゼニスブルーの空をくるりとひと回りすると、光の矢のように南に飛び去っていった。
新しい世のために、私が出来る事なんてほんの僅かなことだけ。けれど、微力を尽くし、大切なものを守りたい。
グッと拳を握りしめると、颯介の掌がそれを優しく包み込んできた。
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