第五章

1  停戦の代償

 遠くに望む山脈の峰には残雪が見えるけれど、会津盆地は春爛漫。

 梅も桜も同時期に咲いてしまう気候のおかげで、白や紅、淡いピンクに濃いピンクがまちなかに溢れ、実に華やかな季節だ。



「よぉ、久しぶり。新婚生活は順調か?」

 忠道様が番所にふらっと顔を出した。

 およそひと月ぶり。

 驚いた。

 もう簡単には会えないと思っていたから。


 第10代会津藩主。

 先代の隠居により、忠道様はお殿様になった。

 形式上だなんだと言われているけれど、ここは取り敢えずは「おめでとう」を伝えた方が良いのだろうか。

 迷ったけれど、一緒にきた佐竹さんの顔色がものすごく悪いので思い止まった。


「何か悪い話なの?」

 と訊いてみると。

「戦を避けられるかも知れない。という点では朗報とも言える。」

 片眉を上げた忠道様は、なんとも言えない微笑を浮かべた。

「どこがですか、私は本音は大反対ですよ。」

 それを聞いた佐竹さんは眉間の皺を深くした。


「『会津は実々死謝を以ての外に之これなく』だとよ。長年の恨みつらみもあるかも知れないが、なんとしても和平に持ち込みたく無い意図を感じるだろう。思うようにはさせたくないからな。」


 会津藩は、戦を避けるために「哀訴嘆願書」を政府に提出していたが、その返答はこれだったという。

「死謝って……。」

 不吉な響きに、胸にヒヤリとした塊が浮かぶ。


「殿に若、今は一応貴方が殿ですが…… それと責任者2名の首級を差し出せなどと。そんなもの、のめる訳ないですよ。」

 佐竹さんのこめかみに青筋が浮かぶ。


「お前まで猛るなよ。領地領民は安堵だそうだ。正義に駆られて戦争に突き進むよりも、多少不正でも平和である方がましだろう。誇りさえ飲み込めば悪い条件じゃないと思う。出来れば、家臣2人の方は何とか取り下げさせたいがな。」

 当の忠道様は涼しい顔で言った。


 首?

 4人の命?


 心臓が大きな音で響き出す。

 藩士ばかりか、女子供も血に塗れる悲惨な結末を変えられるならば、何でもしようという気構えだった。

 たった4人の犠牲だけで戦が終結する。

 それは歓迎すべき事のはずなのに。

 守りたかった故郷が無傷で残るのに、この絶望はなんだろう。


「ユイ、そんな顔するなよ。切腹はさせてもらえるようだから。名誉は守られる。」

 ほんの少し眉を下げつつも、こんな時に爽やかに笑う忠道様の顔を、唇を噛んで見つめた。


「俺を、惜しんでくれるのか。」

「当たり前じゃない。」


「嬉しいよ。」

「馬鹿っ。」


 変に艶っぽい声で言うから、乱暴に返してしまったけれど、言いたいのはそんな事じゃ無い。

 でも、かと言ってかける言葉が見当たらない。


 私だって、もののふをしている位だ。

「死」に対する一定の覚悟はある。

 戦いの中で自分が命を落とすことも、大切な誰かを失うこともある。

 できるだけそうならないようにはするけれど、そういう時は来るかもしれない。そこは覚悟してきたつもりだ。

 けれど……


「すまないな、ユイ。」

 忠道様が柔らかい声をかけてきた。


 でも私は、声が詰まって首を振ることしか出来なかった。

 全力で堪えていたのに、限界を迎えた涙が一筋、頬を伝って落ちた。

 



 鎮痛な気持ちで家へ帰ると、私と同じ位顔色の悪い颯介が待っていた。

「聞いた?」

「はい。忠道様、そして…… 義父上が。」

 

 何だって。お父様が? それは聞いていない。

 父の居室に飛び込んだ。


 柄にも無く、書を読んでいた父が顔をあげた。

「ユイ、如何した。」

 父も、やたらと落ち着いた表情をしている。

「お父様、あの……。」

 勢いよくやってきたものの、上手く言葉が出ない。


「停戦の話を聞いたのか。」

 書を閉じたお父様は、蒼い瞳で見つめてくる。

「はい。」


「大殿と、忠道様、神谷、そして儂の命で何とかなりそうだ。」

「秀里さんの、お父上もですか!」

「ああ。」

「そんな。」

 

「家督は、久丸様が継ぎ、国はそのままという条件だ。戦になる事を思えば悪くはない話だ。」

「命を差し出さねば、戦は収まらないものなのでしょうか。」

 そう訊かずにはいられない。


「そうだな。禁門の変の折には、長州藩とて3家老の切腹と4参謀の斬首で何とか収めた。儂と神谷はやむを得まい。せめて忠道様のお命は何とかして差し上げたいが……。」

 最後だけ視線を逸らし、小さな溜息を漏らすお父様。

 しかし、自身の死への覚悟が出来ているようで、

「武士たるもの、安らかに布団で死ぬような最期は良しとしないものなのだ。むしろ、死すべき時に死ねるは本望。というものだ。」

 と言葉を次いだ。


 だめだ、私は。

 本当に覚悟が足りていない。

 心中が乱れきっている。


 戦を避ける事が幼い頃からの望みだったが、言われるがまま大切な人達の生命を差し出すというのは、自分の命を賭けるより苦しい。


 長州は自ら兵をあげ、敗北の責任を取った。

 会津はどうか、主命に従って勤めた結果がこれ。

 主戦派の怒りが分からなくもない。そう思ってしまう私の「志」は、エゴと偽善だったのか。


「どうしてお父様が……。」

 守護職就任にも、戦にもずっと反対してきたお父様が何故と、分かっていても口からでてしまう。

「主席家老は儂だ。責任は負うべきものが負うものだよ。それにうちには立派な跡継ぎもいる。ユイと颯介がいる。実に恵まれているよ。国にだって、秀里や拓馬をはじめとした日新館が生んだ優秀な若い人材が残るのだ。」

 お父様の微笑みが胸に突き刺さった。



 ふらふらと部屋に戻った私を、颯介が優しく抱きしめてくれた。

「天気が良いから、ちょっと出かけましょう。」

 颯介は落ち込む私を、外へと誘った。


 人間の営みなんて、自然には関係ない。

 会津には暗雲が立ち込め、私の心も雨模様だけれど、外は陽気な春。


「どこに行くの?」

 颯介に訊ねると、

「花見へ。」

 という答えが返ってきた。

 花を楽しめる気分じゃ無いけれど、颯介に連れられて外に出た。




 郭内から離れた、長閑な村の田んぼの脇に、樹齢500年は超えるエドヒガンザクラが雄大に花を咲かせていた。

 樹高は10メール程だが、のびやかに広がる枝は20メールはあり、淡紅色の小輪の花がたわわに枝先を彩っている。


 石部桜…… 勇生の時にも来たことがある。小学校に写生会だったかな。あの時より少し若々しいけれど、殆ど変わらない圧倒的な姿がそこにある。

「懐かしい」

 時間も時空も超えては咲き誇る巨木。



「魂は巡ります。」

 颯介が呟く。

 それは分かる。ここに私がいるように。

「でも、死んだらその人にはもう会えないよ」

 魂は無くならないとしても、私の今は今だけ。

 みんなの今も今だけ。


「ええ」

「大切な人の命が失われる、こんなに理不尽な形で。お父様も、忠道様も躊躇いなんて微塵も感じさせていないのに、私は悲しくて、寂しくて、怒りが湧いて、それも情けなくて。」

 震える手を、颯介が握る。

「『死すべき時に死に、討つべき時に討つ』お二人は武士だから、見極めておられる。そしてユイは、その立場も想いも分かるから辛いんですよ。苦しいのは当たり前です。」

 犬死にじゃ無いと分かるから受け入れるしかない。理性は受け入れかけているのに、感情がついていかない。

「でも、悲しんでダメな訳じゃない。思い切り泣いてもいいんですよ。」

 労るような優しい声に、涙腺がジュワッと緩む。

 颯介は背中に腕を回してゆっくり私を引き寄せる。私は颯介の胸に頭を預けて、声をあげて泣いた。


 急に吹きだした風は桜の枝を揺らし、はらはらと降る花びらが私達を包む。



「ありがとう。」

 涙と一緒に心の澱は少しだけ流されていったらしく。事態は変わらなくても、私の胸の中は少し整理されたようで、桜がさっきより、鮮やかに見える。


「前いた世界ではね。お城に桜が沢山植っていたんだ。」

「それは…… 鶴ヶ城にですか?」

「そう。1,000本位の桜が花開くと凄く綺麗で、それを目当てに、あちこちから人が集まってきてたの。」

「花を見に、城に人が集まるなんて…… とても平和ですね。」

「うん、そう思う。いつかこっちの城にも植えられたらいいのにな。」


 平和が訪れれば良い。

 戦わずに平和になれば一番良い。

 その対価として失うものを想うと、明日が来るのが怖いけれど、明日は決まったものではなく、恐れるだけでは何も生まれない。

 のんびり花見ができる未来のために、今日私が出来ることは沢山あるはず。


 私は、桜の香気を胸いっぱいに吸い込んだ。


 顔をあげて、口角も上げる。

「番所からの依頼はまだあったっけ?」

 隣から颯介の穏やかな声が答える。

「今日のものは、あらかた終わっているので、帰りにあやめさんの所に寄りましょうか。きっと手ぐすね引いて待っていますよ。」

 

 差し込む陽光ひかりに照らされた花びらが、目の前をはらり、きらきらと舞い落ちていった。

 

 

 

 

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