小話 笹の葉さらさら

 今日も命を狙われた。

 上様が江戸に帰り、戦に負けた責任は私にあるらしい。


 上様を誑かした者。

 

 今や藩内のみならず、旧幕府側の全てから憎悪されていような状態だ。

 確かに、決戦の決意を告げる上様に対し、戦況を述べ、戦線を立て直して再起を図るべしと進言はしていた。

 しかし、こんな形で大坂を脱出されてしまうとは。


 立葵のユイから、その可能性を示唆されてはいたが、兵に檄を飛ばした舌の根も乾かぬうちにいなくなるとまでは、さすがに思わなかった。

 主戦派の怒りは収まるところを知らず、上様の信任を得、非戦を説いていた私に向かっている。まあ、その中には若くして取り立てられた私へのやっかみが、多分に含まれてはいそうではあるが。


 これまで、刺客に襲われたのも一度や二度では無い。

 忠道様は、必死に私を救おうとしてくれるが、庇う程にお互いの立場が危うくなる。気持ちは嬉しいが、あの方の為には放っておいてくれた方がいい。

 もはや、私の存在自体が新たな混乱を生んでいるのだ。

 暗殺されるか、主命により死を賜るか、時間の問題だ。

 

「秀里様は今回の件、無関係だというのに。むしろ戦に負けない術を探っておられた。それが何故? 拙者は悔しくてなりません。」

 長い間、私に尽くしてくれた部下は、唇を噛み、拳を握りしめた。

「関係は大いにあるさ。可能性を知りながら、お止めできなかったのは私の責だ。己の未熟が招いたことだよ。」

 そう静かに告げる。

「そんな事全く無いではないですか。前日まで『最後の一兵となっても』と仰られた上様が、自ら逃げてしまうなんて、誰か予想できたでしょう。あんまりです。」

 彼は、私の為に涙を浮かべてくれる。

「お前は、必ず会津に帰れよ。生きて忠道様のお役に立って欲しい。」


 忠道様は、希望だ。

 よくぞこの時に、ここに来てくださったと思う。

 殿を追う形で敗走せざるを得なくなり、怒りを湛え呆然とする藩士の前に現れた忠道様は、殿の所業を詫び、皆を励ました。

 その姿は、うつけと呼ぶ余地は全く無い、この上なく立派なものだった。

 生きて帰るための策を練り、共に戦い、怪我人の手当てをして温かい言葉を掛ける、そんな若き将の姿に光を見出した者は少なくないはずだ。


 まだ、藩内に本当の味方の少ない忠道様に、少しでも頼れる者を残しておきたい。そう思うのだが。

「嫌です。私は最期まで秀里様のお側に。」

 悲壮な決意を込めた瞳が見つめてくる。

「死に急ぐなよ、優秀なんだから勿体ない。それに、お前にもう一つ頼みたことがある。会津の妻への伝言を。『死を選ぶ事は許さない。愛しているなら生きてほしい。』と必ず伝えてくれ。」

 これまでの忠節への感謝と、生きて欲しい想いを込めて部下に頭を下げる。

「秀里様…………。」

 部下は泣きながら、退室していった。



 後悔を挙げれば、キリが無い。

 明日を想えば、悔しさが込み上げる。

 何のためにこれまで学び、何のために己を磨いてきたのか。

 こんな所で果てる自分は、禍に飲み込まれそうな郷里も、愛する者をも守ることができなくなる。

 なんと不甲斐ないことか。


 やりきれない思いを胸に瞑目していると。


 ガタガタガタガタッ


 突如天井の板が外れ、声が聞こえた。


「わ、意外な台詞。可愛い所もあったんですね。奥様幸せ者。」

「いや、結構残酷なこと言ってるよ。もはや逢えぬ痛み、苦しみを抱えて一生を過ごせと。嗜虐の塊だと思うけどね。」

 立葵のユイと、ん、拓馬の妹……なのか?

 2人は畳の上にストンと降りてきた。


「お前達……。一体どこから湧いてきたのやら。」

 流石の私も驚いた。

「窮地に陥っていると思って助けにきたんです。」

 ニッと笑みを浮かべるユイ。

「一度できた流れは止められんよ。もう、私ですら私を救えない。」

 私を粛清せよという声は、もう誰も抑えられない。

「主命ですよ。一旦野に潜ってもらいますが、今を凌げば何とかなります。」

 力強く告げるユイ。

「殿が?」

 正直、見捨てられたと思っていた。

「はい『頑固親父とクソ兄貴はいっちまいやがったけどよ。親父の奴ちょっとは考えてるっぽかったからな。』って忠道様も言ってましたから。」


 私はまだ、必要とされていた。

 これは想像していた以上に嬉しい。

 絶望で冷えた心に火が灯る。


「そうだ、拓馬の消息は何か分かるかい。」

 七重に訊ねると

「安心して、生きてるよ。目はまだダメだけと、良いもん食べさせたら体は滅茶苦茶元気になったから。」

 との答えが。

「良かった。」

 安堵のため息が出る。

 天はまだ、我々を見放してはいないのかもしれない。



「では、秀里さん、もう少ししたら、外に出て、なぶり殺しにあってくださいよ。」

 七重が面白そうに言うので思わず睨む。

「そんな目で見ないでよ。おっかないんだからあんたの顔。分かるよね、一回死ぬしかない。橋から血塗れになって落ちてもらうよ。」

 七重が言う。確かに、怒りに燃える彼らを鎮めるには、死を装う必要があるだろう。

「死体は用意したんだろうな。」

 そう確認すると、ユイは頷く。

「それでちょっと時間がかかりました。いいですか、橋の下で私が船で待っていますからね。これ、血糊です。七重ちゃんが襲いかかるので、上手く斬られて下さい。」

 そう言って皮袋に入った液体を手渡された。

「ユイさんの方が、切るの得意じゃないのか?」

 七重は銃術士、剣を振るうにもまだユイの方がいい気がするが。

「私一応女なので、体形でバレると足がつきやすいから七重ちゃんにお願いします。」

「おまえ、男だったのか。」

 以前からどこか怪しいとは思ってたが。

「驚きますよね、私も知った時、心臓が一瞬止まりました。」

 ユイが言うと、

「大げさだよ。」

 七重が肘でユイをつつく。

「だって、ほんとに驚いたんだから。」

「ユイが鈍すぎなんだって。」

 目の前で軽快なやり取りが続く。

 

 ふっ、なんか生きてるって感じがしてきたな。



 月も星もないその夜、会津藩軍事奉行添え役、神谷秀里は覆面をした何者かに襲われた。

 随従した者は軽症で逃げ帰ったが、本人は戻らず、翌日川から神谷と思われる死体が見つかった。



 と、そんな事件があり私は生き延びた。

 しばらくは、会津の番所の主の伝手で、元もののふという農夫の家に匿われることになった。



 数日後。

 ユイ達が出立のあいさつに来た。

「では、私達は江戸に寄って、それから会津に帰りますね。奥様に伝言はありますか?」

 ユイに聞かれて、冬の庭を瑞々しく彩る笹の葉に目をやる。

 うっすらと霜のかかるそのうちの一枚を、そっと摘み取り、指でなぞって霜を払うと、軽く唇を当てた。

「これを妻へ。」

「分かった。こっそり息災である事を伝えるよ。」

 七重はサッと懐紙を出すと、丁寧に笹の葉を包んで受け取った。

「?」

 ユイが不思議そうにそれを見つめる。

「『妻のことを一筋に思っています』っていう恋文だよ。やっぱり結構可愛い所あるんだね。」

 そう言って七重がニヤけるので、キッと睨みつけた。


 けらけら笑いながら、ユイと七重は旅立っていった。

 拓馬も拾って、まずは江戸を目指すらしい。あいつの目に光を戻すために。

 そんな術が果たしてあるのだろうか。

 しかし、彼らなら、何とかしてしまいそうだ。


 直ぐには動けない分、策を練る時間はある。

 若い彼らが挑んでいくのだから、私も負けてはいられないな。



 風が吹き、笹の葉が揺れる。


『小竹の葉は み山もさやに さやげども われは妹思ふ 別れ来ぬれば』


 古き歌人の一句に想いを託し、故郷に残る愛しい女性の顔を思い浮かべた。


 ああ、私は今まだ鼓動を刻んでいる。

 早く君に逢いたい。






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