6 夜をこめて ~大坂湾の攻防~
目の前には、真っ黒な大坂湾。
「殿様達、本当にこの中を行ったの?」
「おそらくな。ユイの警告が無ければ、思いもよらず、全く気づかない所だったと秀里も言ってたらしい。」
忠道様と2人、闇色の海を睨んだ。
しかし、秀里さんは仕事が早い。
港には、船が手配されており、数名の藩士と漕ぎ手として海の男っぽい人達が控え、既に出港の準備は整っていた。
私達は、威勢の良いお兄さん達に挨拶をすると、船に乗り込んで真夜中の海へ漕ぎ出した。
秀里さん…… 今は大坂城内で事態の収拾に当たっているというけれど…… 。
勇生の時に、じいちゃんがよくボヤいていた言葉が心に蘇る。
「ああ、あの時…… 慶喜公が江戸に戻らなければ、大坂で指揮を執ってくれれば。そして、修理様が生きていてくれればなぁ。」
そう、大将である元将軍が、突如江戸に帰還し、その責任を負って、将軍に非戦•恭順を説いた会津藩軍事奉行添役の修理様は切腹した。
おそらく、修理様≒秀里さん。
私を突き動かすものの中には、友人を死なせたくないという思いも混じっている。
勇生の世界では、会津藩の運命はここからひたすらに暗転していく。
だから今、大きな岐路にある。
「若様! 前方に何かいます。」
秀里さんの配下が声を上げた。
「親父か?」
「いえ。うねっているんです。波ではない大きなものが。」
篝火だけでは判然としないため、忠道様は術で光の玉を作ると空に放った。
証明弾の様に弾けたそれは海面を照らす。
見ると、キラキラとした鱗が波間に踊り、巨大な渦を描いている。
ウミヘビか。
とてつもなく大きく、細長い。
「デカイな、イクチか。って! あいつら、言わんこっちゃない。」
厳しい眼差しの忠道様が、苛立ちのこもった声を出す。
目を凝らすと、波と巨大な海妖がうねる狭間に、今にも転覆しそうな小舟が漂っている。
ええっ! 私達のより格段に頼りなさげな小さな船。
「まさか、アレって。」
「信じがたいが、親父達の船だな。」
妖が体をくねらせることもあり、海面は大揺れ。
殿様達の船は転覆寸前だ。
忠道様は瞳を閉じて集中する。
「
祈りの言葉とともに、展開させた術が海を鎮めていく。
水行の力が強い忠道様の真骨頂。
波が穏やかになるにつれ、雲も切れ、白い満月が顔を出して辺りを照らした。
ウミヘビは、こちらに気づくとノロノロと体を起こし、大口から牙をのぞかせた。
「なぁ、イクチが鎌首をもたげる姿なんて聞いた事あるか?」
「ないよ。でもコレ、めちゃくちゃ殺気だっているように見えるんだけど。」
赤く大きな目が爛々と輝き、殺る気満々。
脇で戦が起こっている為、凶々しい気配が近くにあることになる。その気に当てられ、普段は大人しい妖だって気が立っているのだろうか。
「ユイ、俺らだけでも、十分いける相手だ。」
「了解。」
私は妖気を読めないが、確かにイクチ気配はそれほど脅威には感じない。
「いくぞ、藍鼠。」
月光を受け、忠道様の刀は深い銀の煌めきを放つ。
- いくよ、颯介。
私は薙刀の柄に軽く唇を当てる。
熱を感じる。
込められた炎の力が応えた気がした。
イクチは、大口を開けて突っ込んでくる。
私は、風の加護札を使って、忠道様の跳躍力を上げた。
甲板を蹴って飛び上がった忠道様は、難なく妖の攻撃をいなすと、刀を振るって首を落とした。
イクチの動きがピタリと止まる。
胴体が海面に落ちておきる波に備えたが、海妖は細かく身を震わせたまま、タワーの様な姿で海から突き出ている。
「これは、どうなってるの?」
「分からん。妖気は死んでないぞ。」
警戒を怠らずに見つめていると、イクチの震えがブルリと大きくなった。
次の瞬間、私は目を疑った。
なんと、切り落とした首元から再び頭が生えてきたのだ。それも2つも!
双頭となったウミヘビは再び鋭い牙を向ける。
斬り払う忠道様。
「しまった、また切っちまった。」
妖は再び身を震わせ…… 頭は3つになった。
「ちょっと! この調子だとヤマタノオロチになっちゃうよ。」
キリがない。
「焼いてみるか。」
「私が切る?」
「頼む。」
攻撃役交代。
祈りを込めて火力は最大!
私は、再び迫ってきた牙剥く頭のひとつを焼き切った。
すると思いの外、魚が焼けるいい匂いが…… 。
「美味しいのかな。」
ついそんな一言がポロッと口からこぼれた。
そして、焼かれた痛みに悶えていた妖は、どぶんと海に潜ると、見えなくなった。
「良かった。退いてくれて。火が苦手だったんだね。」
むやみに妖を狩りたいわけではないのでほっとする。
「食われのは嫌だったんだろ。」
忠道様がボソッと言った。
「……。 さて、こっちは退かないでくれるかな。」
殿様達の船に近づく。
小船には、涼しい顔でこちらを見る小柄だが迫力のある男性、表情の読めない殿様、鎮痛な面持ちの若い男性。そして2名の漕ぎ手が乗っていた。
「ご苦労だった。」
船から声がかかる。
「上様、殿、大坂城にお帰りを。今ならまだ間に合います。」
小柄な男に忠道様が低頭して言う。
「我々は、江戸へ帰還する。」
上様と呼ばれた方が、よく通る声で告げた。
「今は敗戦が続き、一旦は籠城になるでしょうが、援軍は直ぐ集まります。何より鍛えられた海軍もある。今退かなくとも、策を練ねばいくらでも負けない術はあるかと。このままでは、戦場から逃げ出した臆病な将軍と言われかねません。」
忠道様は訴える。
「忠道、出過ぎたことを申すな。」
静かな声で殿様が忠道様を制する。
「私が居続ければ、戦争は続くだろう。肥後が残っても私の代わりに立たされるだけだ。分からないか? 私は元々戦などしたくはなかった、今は何より戦を避けたい。私には祥山の世を終わらせてでも守りたかったものがある。それが叶うなら、臆病者という誹りなど、喜んで受け入れよう。」
そう言って上様は、口元に僅かな笑みを湛えている。
「敵は貴方様ほど崇高な志を持ってはいないでしょう。奴らはなりふり構わずこの国を手に入れようとしている…… ケダモノと一緒だ。祥山の築いた全てを根刮ぎ壊し尽くされるかもしれないのです。退くのは今ではない。時を稼ぎ、より良い道を探ってはいけませんか。」
もう一度、忠道様は問いかける。
「敵は、ケダモノなのであろう? であれば、時をかけてもそれは変わるまい。事ここに至っては、此方が負けたとしても、戦を収めて一刻も早く国を一つにすることこそ肝要。私がここから居なくなれば戦は成り立たなくなる。戦争の終結にはそれが最も早く、確実。それは今でなくては成らない。」
上様のこの言葉を聞いた忠道様は、唇を堅く引き結んだ。
話は終わったとばかりに、殿様が漕ぎ手に出発の指示を出しかける。
「恐れながら…… 殿様っ、お願いします。せめて、秀里さんを救ってください!」
私は堪らずに殿様の方に声をかけた。
「何の事だ?」
表情を変えない殿様が、目を細めてこちらを見る。
「皆さまが退いた責任を、現場で取らねばならない人が出てくるでしょう。それにはおそらく、非戦を説いた秀里さんが狙われます。」
「そんな馬鹿な。あの者は此度の事、何も知らぬのだぞ。」
殿様の表情が揺れた。
「いや肥後、それはあり得るな。頭に血が上った主戦派達はそう簡単には収まるまいよ。誰かの首は必要となろう。」
上様が当然とでも言う様に落ち着いた声で応えた。
「それも分かっててやりやがったのかよ! クソ兄貴!」
忠道様が急に声を荒げ、上様に食って掛かった。
え? 兄貴?
「おい、忠道、控えぬか!」
殿様がいよいよ慌てた声を出した。
「ふざけるな、家臣を、人を何だと思ってやがる! 政は、何より戦は…… 机上や頭の中で行われるものじゃない。そこには人の命が、想いが、営みが懸かってんだよ。あんたの為に既に多くの兵が命を落としているんだ。彼らは無駄死になのか? うちの奴らだってあんなに沢山…… 」
忠道様は声を詰まらせる。
「だから、なんだ。愚弟に言われずともそんな事は百も承知。私の肩にはな、お前とは比べ物にならぬ程の命。そして、この国の未来が乗っている。目前の情に惑い、右往左往するお前とは訳が違うのだ。妖より助けてもらったことは感謝する。行くぞ、肥後。」
「ははっ。」
上様は、変わらない声色で忠道様を少し睨むと殿様を促して発とうとする。
「父上、行かないでくれ。頼む。あいつらを見捨てるような真似はやめてくれ。」
忠道様は懇願する。
命を賭けて戦ったのに、現場に置き去りにされる、将兵。
最後の一兵となるまでと鼓舞された彼らが、大将に見捨てられたと知ったら…… 忠道様の必死な眼差しを殿様は受け止めている。
しかし、
「我が身は、祥山家と共にあるのだ。」
と殿様は答えた。
「馬鹿親父…… あんたはどこの領主なんだよ。」
悲痛な声。
殿様が立ち上がり、小舟が少し揺れる。
「忠道、これをお前に。」
長い棒の先に、細長い革の房を垂らしたものが差し出された。
「これは……采配。」
「皆を会津へ。頼む。」
殿様の手から、忠道様の手へそれは手渡された。
「立葵の大将殿。依頼を一つよろしいだろうか。」
殿様が私の方を向いた。
「は、はい。」
「…… 神谷を救ってくれ。」
表情を殺した瞳の奥に、僅かに苦痛と切望が見えた気がした。
「はい!」
私はしっかりその瞳をみて応えた。
月明かりに照らされながら、殿様達の小船が遠ざかる。
その先には大きな軍艦が姿があった。
「米国の船とはね。外国を巻き込んでの逃亡とは用意周到な事だ。」
それを見て忠道様が呟く。
「外国船で江戸まではまずいんじゃない?」
「大坂湾を警備する、幕府の船はいくつかある。後で開陽丸あたりに乗り移るんだろう。」
私たちがぼやいている間に、小舟はどんどん小さくなる。
「行っちゃった。」
止める事は出来なかった。
私の意気込みは空回り、彼らは遠ざかった。
殿様なんか、忠道様に丸投げだし。
「馬鹿な兄貴と親父で悪かったな。」
忠道様が眉を下げながら言った。
「ううん、上様、頭いいんだね。もの凄く広い視点で物事を見ているみたい。私なんて自分の事しか考えていないように思えて、全然反論出来なかったよ。」
負けてもいいと思っている上様に対し、私は対抗する術はなかった。ついがっかりした声が出てしまう。
「あれはあれで間違っていないからな。守りたいものは人それぞれだ。仕方ないさ。ただ、あの人の答えと、俺の答えは違ってしまう。甘いんだろうよ、俺は。つくづく上に立つのには向かないようだ。」
「そんなことないよ。国って人だから。私は、目的のためには当然のようにそれを犠牲にする人に、上に立って欲しくはないよ。」
「全く、お前も甘々だな。」
でも、忠道様は少し嬉しそうに微笑んだ。
∗∗∗
僅かだが睡眠をとって、朝がきた。
部屋の中に、ぴっちりと後毛ひとつなく髪を結い、紋付の着物を着込んだ凛々しい若侍がいる。
纏う空気がきらきらしい。
「誰?」
「分かってて言うなよ、失礼だな。」
化粧を落とし、正装になった忠道様はむっとした声を出す。
「ごめんなさい。だって雰囲気も違うから。」
「正体を誤魔化す為にかけていた術も全部解いた。」
覇気が違う。
私も術の影響を受けていたんだってしみじみ感じた。
「秀里の事は頼んだ。おそらく、俺でも親父でも庇いきれない。しかし…… ここであいつを失いたくはない。」
「任せて。七重ちゃん明日には来るって言うし。2人で何とかするから。」
「俺も、できる限りのことはする。藩士を死なせず、腐らせず、士気を保ったまま会津帰還を目指すとするよ。万一の場合、俺の首で数百人位は救えるだろうしな。」
「もう、変なこと言わないでよ。会津で会おうね。」
「ああ、そうだな。お前の花嫁姿、ちゃんと祝ってやらないといけないしな。」
優しく笑った忠道様は、子供にするように私の前髪をくしゃりと撫でた。
情況は好転せず、不安は尽きないけれど、立ち止まってなんていられない。
私達はそれぞれの役目を見極めながら、濁らずに今日を進んでいく。
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