5  夜をこめて ~こぼれる想い~


錦旗きんきか……。」

「本物かなんて分かんないのにね、やったもん勝ちかぁ。」

 街道沿いの茶屋で、飴湯を頂きながら、忠道様と私はため息をつく。

「真偽は闇の中さ。しかし、いずれにせよ効果は抜群だったな。帰趨きすうが定まらなかった諸藩も、味方かと思っていた藩も、西側に下った。紀伊藩ですらな。我が藩の力闘も水の泡さ。」

 忠道様はもう一度息を吐き出して、睫毛を伏せた。


 薩摩長州を中心とした新政府軍に、錦の御旗が翻ったそうだ。

 錦の御旗は、朝敵の討伐に出征する大将に天皇から与えられる旗。

 尊王思想が高まっている今、「朝敵」の意味は重く、これまで日和見的な態度を示していた諸藩は、瞬く間に新政府側になびいていった。


 今回の戦いは当初、会津・桑名と薩摩・長州の私闘とする向きもあったが、錦旗の登場より新政府軍「官軍」対旧幕府軍「朝敵」という構図が完全に出来上がってしまった。


「幕府側は結局大坂まで退いてしまったな。籠城戦に持ち込むのかどうか。俺達もいよいよ大坂に入るぞ。もうひと歩き頑張ろうな。」

 忠道様は気合を入れ直すように、ニッと笑った。



 会津から大坂は長旅だった。

 当初は、若殿様との2人旅だから、私が身の回りの世話とかしないといけないのかな? と若干身構えていたけれど、忠道様は全く手がかからないどころか、私の何倍も旅慣れていた。

 

 私が疲れを感じると、絶妙な所で休憩を取ってくれるし、各地の特産物にも詳しくて、道々名物の甘味なども味わうことができた。

 むしろ、私がエスコートされているような、予想以上の快適さだったのだ。

 

 そんな訳で、時々妖の襲撃はあったものの、それらも難なく撃退し、旅は極めて順調に進んできた。

 ここまでは。


 最後に問題が発生した。

 宿泊は、情報収集も兼ねて、ずっと番所を利用してきたのだが……。


「空きが無いって! そんな、私達前から予約していましたよね。」

 番所の案内所で、思わず声をあげてしまう。

「堪忍なお嬢さん。戦のせいで異常事態や。泊めてやりたいのは山々なんやけど…… 。」

 大坂の番所は凄く大きいのに、満杯だって。

 ショックを受けて振り返ると、

「なんだ部屋がねぇのか? 姉ちゃんだけなら俺の布団に入れてやるぜ。」

 と品のない男の声が掛かり、周りの男らからも「俺も俺も」と笑いながら手が挙がった。


 はぁ、嫌になっちゃう。

 番所は諦めて外に出た。


「どうしよう。戦で閉めている宿も多いから、今から探すのって難しいよね。一つ前の番所に戻ったほうがいいかな。寒いから野宿は嫌だなぁ。」

「親父と会う約束は、明日早い時間だろ? 戻るのは無理だな。」

 焦る私に、忠道様の冷静な声が言う。

「うーん。じゃあ、宿じゃないお店とかに、泊めてくれるか聞いてみようか。」

 無い知恵を絞って提案すると、

「…… あては、無いこともない。」

 少し気乗りしない様子で忠道様が呟いた。



 ついて行くと、大通りから外れた風情のある小路に入った。

「知り合いの家?」

 宿の気配も店の気配もないので訊ねたが、

「いや、宿だ。」

 と答えが返ってきた。


 立派だが、普通の家にしか見えない家の門を叩くと、男が2人出てきた。

 男達は強面だが対応は丁寧で、忠道様と何かを話すと、深々とお辞儀をした。


「お嬢様、いらっしゃいませ。お疲れでしょう。どうぞこちらへ。」

 

 大きくはないけれど、質の良い調度品で整えられた上品な室内は、ほっとする感じがして寛げる。

「他のお客さんを見ないけど、ここ宿でいいんだよね。」

「ああ、所謂『一見さんお断り』の宿だ。他の客にはまず会わないし、宿の人間も必要以上に干渉してこない。そして秘密は絶対に守られることが売りの宿だな。」

「偉い人がお忍びで使うようなやつ? 高いんじゃない?」

「そうでもないさ、泊まるのが難しいだけで。使いたくはなかったが、実家の親父の名前を出させてもらった。」

 忠道様の実父は水戸のお殿様だよね。そのレベルの人が泊まる宿ってやっぱりセレブの宿じゃあ……。


 夕食も期待以上で、優しい味付けの懐石だった。

 忠道様はお酒も付けてるし、二人して思い切りここまでの旅の疲れを癒した。


 極め付きは、貸切の檜風呂。

 爽やかな香りが心地よく、一人でのんびり浸かって足の疲れも大分取れた気がする。


 部屋に戻るとふかふかの布団が敷かれており、ご機嫌になって飛び込んだ。

 番所は個室なのだが、寝るだけの2畳程のスペースに最低限の設備だったから、寝苦しかったのだ。


「子供だな。」

 忠道様は呆れて鼻で笑う。

「いいじゃない。今日までの疲れをとって、明日の緊張をほぐしている所。気持ちいいよ。」

 ゴロゴロしてみせると、片眉を上げた忠道様だが、


 バフっ


 と隣の布団に仰向けに転がった。


「お前の無自覚は、おっそろしいなぁ。」

 深い溜息が聞こえた。

「えっ?」

「……何でもない。衝立、借りてくるか。」

「別にいいよ。気を使わないで。」


「…………。」


 次の瞬間、忠道様が素早く動いた。

 あれと思った時には、手を押さえられ、忠道様は私に覆い被さっていた。


 直ぐ近くに秀麗な顔がある。

 近すぎて、忠道様の硬質な髪が額にチクチク刺さる。

 見つめてくる瞳は真剣にもみえる。

 これは…… 冗談だよね。

 慌ててその腕から逃れようともがくが、とこに縫いとめられ、体はびくとも動かない。


「好きだ……」

 掠れた声を発した唇は、さらに近づいてくる。

 どういうこと?

 これは……まずいよ!?

 顔を逸らそうするが、首の後ろ回された手はしっかり頭を捉えて逃してくれず、そのまま口を塞がれた。

「んんっ!」

 貪るような口付けに驚いて抗議をしようとしたが、その隙に舌が侵入してきた。

 強引だけれど乱暴ではない巧みさで、こちらを絡め取ろうとしてくる。


 まてまてまてまて。

 急展開に、とにかく混乱している。

 忠道様が押し付けてくる体からは、熱と欲望が伝わってきて、いよいよ恐怖を覚える。


 唇は一旦離れ、襟元ぐいと広げられた胸元へと落ちてきた。

 裾から分け入ってきた手は太腿をなぞる。

「くっ…… やめて、ちょっと、離れて。」

 抗議をするものの、その手は緩まる気配は無く、むしろ上へと向かってくる。


「やっ、だめ、…… 颯介っ。」

「!!」


 バチンッッ


 恋人の名を呼んだとたん、忠道様は弾け飛んだ。

「痛ってぇ。」

 激突の衝撃からは受け身をとって体は守った様だが、何かから咄嗟に庇った腕には赤い火傷の筋が入っていた。


「アイツ…… ひでぇ術かけてやがるな。」

 傷を確認してブツブツ言う忠道様。

 私は衣を直すと、スパンとそんな忠道様の頭を殴った。


「この酔っ払い。当然でしょうが。こんなこと……貴方でも死罪だからね。」

 さすがにこれには怒り心頭だ。颯介にだってされたことないのに!


「ゴメン、揶揄うつもりがやり過ぎた。しかし、今まさに死ぬとこだったぞ。俺じゃ無かったら間違いなく死んでた。」

 顔色の悪い忠道様は、私の胸元を見つめる。


「熱線で首を焼き切ろうとするなんて…… やばい術掛かってるぞお前。その…… 首から下げてる紐の先の布切れ、そいつに恐ろしい念がこもってる。いっそ呪いじゃないのかって位、颯介の念が…… 怖ぇ、中身はなんだソレ。」

「………。颯介の……。」

 颯介から貰ったお守りなのだが、言いづらい。

「颯介の……下帯……。」

「変態か、あいつ。しかも、絶対使用済みのだろう。」

「ちゃんと洗ったて言ってたし、身につけたものの方が、お守りとしていいってお互いに……。」

 互いの衣を贈りあって無事を祈るって、古典的なまじないなんだってさ。肌着の方が効果的だって力説してたし。

 それに、七重ちゃんが貰っとけって言うし。

「お前……まさか、あいつに腰巻きやったのか。」

「それは断固拒否したけど、襦袢は取られました。」

「変態だな。」

 変態ですね。言い返せない。

 たった今、襲いかかってきた忠道様も大概だけどね。


「なぁ、ほんとにあいつでいいのか?どこが良いんだ?」

 傷を治しながら忠道様が訊ねる。

「どこだろう。」

 どこがっていうよりも、一緒にいると嬉しくて幸せな気持ちになる。

 強い所も弱い所も好ましく感じてしまうから、全部って答えるの? それはさすがに照れてしまうから、なんて言おうか考え込んでしまう。

 

「はぁ、理屈抜きであいつの方がいいってことか。」

「うーん、恋するのに理由なんてないんだよ。」

 恥ずかしさも相まってごまかすように答えた。

「そうだな。そういうもんかもな。だからこそ……まあいいさ。本当に悪かったな。ちょっと欲求不満だったみたいだ、俺。もうしないから、そろそろ寝るか。明日は勝負の1日になるからな。」

 忠道様は一人の男の顔から、ほんの少し若殿に顔になり、わざとらしいあくびをした。


「ホント、もう勘弁してよ。明日は頼りにしてるからね。若様。」

「おう、任せとけ。あ、取り敢えず衝立は借りてくるわ。」

「お願いします。」

 色々危なかった。取返しのつかない大事故になるところだったよ。


 

 忠道様が部屋を出ようとした時、光の蝙蝠が飛び込んできた。

「式鬼か。」

 忠道様が腕に止まらせると、秀里さんからのメッセージが伝えられた。

 

『殿の姿がどこにもない。今夜かもしれない。至急、港へ。』


 忠道様と私は顔を見合わせて頷くと、すぐさま準備を始めた。

「まさか、真夜中に動き出すなんて。」

「バレない様に逃げるなら夜だろ。俺は想定内だったぞ。」

「妖だって活発に動くし、危ないじゃない。」

「あいつら、本当に馬鹿なんだよ。」

 素早く身支度を整えた私達は最後に、それぞれ刀と薙刀を手に取る。


「じゃ、行くよ。」

「おう。」


 なんて忙しい夜だ。

 でも、これがこの旅の本番。

 説明や説得の前に、現場直行になってしまったけれど、やむを得ない。

 全力で元将軍様と殿様の大坂脱出を阻止しないと。

 ここが、潮目。

 出来るかどうかじゃない。やらなくちゃ。


 冬の夜半は、刺すような寒さ。

 胸の中には熱い思いを抱えて、私達は大坂湾を目指して駆ける。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る