小話 彼は心配症

 

 ユイ様は今日も元気でいるだろうか。

 凶悪な妖に遭遇してはいないだろうか。

 戦で危険な目にあってはいないだろうか。

 変な男に絡まれてはいないだろうか。


 無茶していないか。

 疲れてはいないか。

 笑顔でいて欲しいけれど、僕の隣でない笑顔は少し寂しくもある。


 そばにいたい。

 会いたい。

 不安だ。

 心配で、心配で、心配で……



∗∗∗



 橙赤色の猛火がうねり、妖の咆哮をも焼き尽くす。


「颯ちゃん、もうっ。落ち着きなさいな。」

 傍らで大太刀を構えていたあやめさんが、端麗な顔をしかめる。

 

 しまった、火力を誤った。


 若い娘を幾人も喰らった悪妖ではあったが、奴の妖気の根源、正体を探る前に、妖は消し炭と化していた。


 いけないとは思っても、ふつふつと湧いてくる憂いごとに気もそぞろになってしまう。

 はぁ、情けない。


 ガッカリしているうちに、あやめさんが、手がかりになるかも知れない白炭を集め始めたので、僕は慌てて手伝った。

 

 


 ひとり会津に残った僕は、あやめさん、寅蔵さんと一緒に妖が急増する謎を探っている。

 これまで、妖の出没地点の分布や妖気の質から、その出現経緯を推理して、自然発生的なものなのか、はたまた人為的なものなのかを調べてきた。

 そして今のところ、人の手が入っている可能性が極めて高いと思われる。


 というのも、古の術者達が鬼脈を抑えるために施した戒めが意図的に壊されていたり、新たな呪術の痕跡も見つかったりしているからだ。

 

 京の双葉さんによると、「利木の梟」という強力な呪術師集団が、会津を標的に動いている節もあるという。

 そして、もののふの情報網から、京都所司代を務めた桑名藩の所領も似たような状況下にあるらしい事が伝わっている。

 ということはやはり、討幕派の公家、それと繋がる西国諸藩が一枚噛んでいると思わざるを得ない。

 

「厄介ねぇ。新政府を作ろうという人達は何を考えているのかしら。相手の国力を削ぐにも、安易に負の呪術使うと大地に穢れが溜まるのよ。祓うのは凄く大変だっていうのに。それに…… 『梟』だなんて困るわ。」

 あやめさんはそう言っていた。

 梟そのものはかなり昔から存在し、貴族社会の闇の一部を担ってきたという。

 金を積めば、貴族以外の依頼も受けるらしく、大名や豪商なども使っているとかいないとか。

 しかも、近年の梟の動きがやたら活発なのも気がかりらしい。

 



 番所に戻って来てから、改めてあやめさんの指導が入った。

「色々心配なのは分かるけど、ちゃんと集中して頂戴。」

 あやめさんは、こめかみを押さえる。


「京の双葉から連絡があったわ。七重ちゃんは上手くやったそうよ。行方不明だった拓馬さんを無事確保したって。今、藩内に彼を置いても危険でしょうから、本当に良かったわね。颯ちゃん、私達も頑張らないといけないわよ。」

 非戦の道を探り、西国諸藩との繋がりも強かった拓馬さんは、会津藩内の強硬派と折り合いが悪い。

 戦争に入ってしまった今、情況によっては同胞に消されかねない。

 行方知れずの報を聞いた時はヒヤリとしたが、何とか無事だったようで一安心だ。


「それにしても戦、激しいらしいですね。ユイ様は大丈夫でしょうか。」

 つい心配が口をつく。

「そのつもりで行っているんだから、ユイちゃん達だって考えて動くわよ。」

 あやめさんはあっさりと言う。

「そうですよね。はぁ。それに、戦以外の事も気になって仕方ないんです。」

 我慢できなくて溢す。

「情けない声出さないの。そんなに心配しなくても、ユイちゃんは、颯ちゃんのこと大好きだから安心なさい。それに、一緒に行った田中君がちゃんと守ってくれるわよ。」


 あやめさんの慰めは慰めになっていない。

「その田中さんが心配なんじゃないですか。あの人、男なんですよ。自制心にも限界がありますよ。なにかの拍子に、ムラってきたら分からないじゃないですか。ユイ様もユイ様で警戒心が薄いから、とにかくそれが一番心配で仕方ありません。」

 胸の内のモヤモヤを吐き出す。

「結納も終えて、きちんと婚約済みでしょう。多分大丈夫よ。あの子だって、その辺は弁えているから、間違いなんて起こらないわよ。」

 あやめさんはニッコリ笑って言うが、釈然としない。


「七重もそんな事言っていたし……なんでみんな、あの人の事そんなに信用しているんですかね。僕が逆の立場だったら、相手に婚約者が居ようがいまいが、千載一遇の好機だって思ってしまいますけれど。」

「颯ちゃん…… 危ない子ね。」

 え、僕がおかしいのでしょうか。


「俺は、颯介の心配も痛いほど分かるな。好いた女が別の男と2人旅だなんて、苦痛でしかねぇ。男の下半身ほど信用ならねぇもんはねぇからな。」

 脇の机で帳簿をつけていた寅蔵さんが、ふと顔を上げて言った。

「そうですよね、寅蔵さん!」

「ええ! ちょっと、何であなたが煽るのよ。」

 僕は賛同者を得た喜びの声を、あやめさんは驚きの声をあげる。


「でもな、颯介、分かっていると思うが、事ここに至っては、ドンと構えて、女を信じて待っているしかねぇんだよ。テメェが腑抜けてて、仕事していなかったら、そん時こそ振られちまうかもしれねぇぞ。」

「…… 仰るとおりです。」

「戻ってきた時、やっぱりお前が1番だって思わせてやるために、いい仕事しようぜ。心配事は溜め込むと自分の中で膨んじまう。仕事の合間なら俺が聞いてやるから。」

「寅蔵さん、ありがとうございます。集中し直します。」

「戻ってきたら婚礼だろ、それまで気張っていこうぜ。」

「はい。」

 寅蔵さんが頼もしい。

「まぁ。気合いが入ったなら良かったわ。心配してもキリがないもの。今自分がやれる事をしっかりやっておきましょうね。」

 あやめさん、意外とユイ様と似た所があるのかも。

 そして、過去には寅蔵さんを、さぞやきもきさせた事があるんじゃないかな。

 


「…… そういえば颯ちゃん、婚礼と言えば、夜の準備は大丈夫のなの?」

 仕事の話に戻るのかと思いきや、あやめさんがそんな問いをしてきた。

「えっ、何の事ですか。」

 意図が掴めず訊きかえす。

「だから、床入りの心得とかよ。」

 なんて事聞いてくるんだこの人は。

「ゲホッッ。ええと…… まあ、艶本とか読んで勉強中ですけど。」

 むせりながら答えた。

「ああ、ああいうのって興奮するように書いてあるだけだから、実践ではまるで役に立たないわよ。」

「はいっ?」

 声が裏返る。

「2人とも初心うぶだと大惨事になりかねないから、気をつけてねぇ。」

 あやめさんは悪戯な視線を投げ込む。


「あやめさん…… 僕をどうしたいんですか…… あの、心配事が増えてしまったのですけど……。」

 あやめさんは楽しそうにクスクス笑っているだけなので、僕は縋るような目で寅蔵さんを見るより他なかった。


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