3  戦端、鳥羽伏見 ~七重と四郎~

 

 賀茂屋敷は、半端ではなかった。


 賀茂一族が、古くから帝に仕える貴族だというのは知っていた。でも、

「双葉さん、来ていいよって言っているし、京で最も安全な場所の一つだろうから、私も安心。遠慮しないで頼っちゃおうよ。」

 ユイが事も無げに言うから、その気になって来てしまった。

 しかしこれは……知り合いの家にちょっとご厄介という水準を超えている。


 賀茂家の邸宅は屋敷というより、宮殿ですか?という佇まいだった。

 門をくぐると、自然石と切り石が巧みに密に敷き詰められた道が長く伸びる。

 灯篭に照らされた美しい庭を横目に進み、舟遊びができそうな池に掛かった土橋を渡る時には、もう眩暈がしそうだった。

 一見簡素で華美な装飾はないのだが、庭の飛び石一つ、部屋の襖の引手一つとっても、並々ならぬ拘りが感じられる。

 これが京、宮廷文化の「美」かと感嘆せずにはいられない。


 そんな屋敷で、主の客人としてもてなされ、私は恐縮しきりだ。

 今は、襖や壁に市松模様があしらわれた、格式が高そうな茶室の中で、抹茶とつばき餅を頂いている。

 深緑色の葉で上下を挟んだ、真っ白い道明寺の餅菓子は、ほんのり甘くモチっとした食感が堪らず美味しい。

 ユイだったら大興奮だろうな。

 

 私は、賀茂の烏の当主である双葉さんに会津の状況を伝えた。

 以前お世話になった雨田さん、矢彦さんも同席している。

 双葉さんは、我々が相対した黒鬼との一件が気になるんだそうだ。


「六条か…… 安全な場所からコソコソと、嫌らしいったらありゃしない。」

 双葉さんが鼻筋に皺を寄せて言った。

「此度の動乱、『ふくろう』も動いている。という事でしょうか?」

 雨田さんが、眉を顰めて確認した。

「『六条』という名に心あたりがあるのですか?」

 皆の反応に、そう訊いてみると、

「ああ、『利木りぼくふくろう』が動いていてる。」

 双葉さんが聞きなれない単語を発した。

「どこかの、もののふの陣ですか?」

「違う。京を本拠とした呪術師の集団だ。古くは摂関家が召し抱えていた、術士の集まりで、今は呪いを得意とする暗殺集団みたいなもんさ。」

 嫌悪感を露わに双葉さんが言う。

「俺達『賀茂の烏』が、一応護国を旨として妖退治を行う血縁集団なのに対して、利木の梟は、一族ではなく、個の術者の集まりだよ。そして、依頼を受けて人を害する術を施すんだ。当主の家も特定されておらず、実力主義らしい。呪術に秀でた貴族が前代を斃すことで代替わりをするんだってさ。」

 矢彦さんも渋い顔をした。

「現在の当主は『六条 あわい』。彼は、霊力の高い者を子供のうちから集めて、より強力な呪術師、暗殺者をより作り出すなどという事まで始めました。そして彼ら使い捨てるということを繰り返しているのです。」

 雨田さんが暗めな声で言う。嫌な思い出がたくさんありそうな顔だ。


「自己中心的で冷淡で良心のカケラもないあの男…… 討幕派からの依頼は受けたのだろうが、どうせ退屈凌ぎに人を操って遊んでるんだろ。まったく、虫唾が走るね。」

「そんな奴らが会津にも手を伸ばしているなんて。」

 討幕派との争いだけでも手一杯だというのに、何とも気が重いことだ。

「あやめ達が追っている妖脈も、おそらく六条……梟が噛んでいる線が濃厚だな。梟が地方で、妖を集めてるなんてのは、うちとしても見逃せないところだから、誰か会津に遣ろう。」

 そう言うと双葉さんが、頼もしく微笑む。

 大丈夫だと思わせてくれる、希望の灯がともる「大将」の笑みだった。



∗∗∗



 兄の拓馬はなんと行方不明だった。

 京都守護職の本陣がある黒谷にも、会津藩邸にもいなかったのだ。

 私は、新春の京のまちを駆け巡り、もののふの陣や、賀茂家からもたらされる情報を駆使し、漸く兄がいると思われる場所を特定した。

 

「矢彦さん、兄の居場所が分かりました。」

 相談にのってくれてた矢彦さんに報告すると、

「良かったね、何処にいたの?」

 彼もほっとした表情を浮かべた。

「それが、ちょっと厄介な所なんですよね。……どうやら薩摩藩邸で拘束されている様なんです。」

 知り得た情報を整理するとそれが一番可能性が高かったのだ。


「それはまた、なんだって面倒な所にいるねぇ。妖関係なら力になれたんだけど、それだと政治的な話になるから、俺たちは表立っては手伝えないや。ごめんよ。」

 矢彦さんは、心底残念そうに言ってくれる。

「ここに置いて頂いて、情報を分けて貰えるだけで十分です。心から感謝しています。私だって、5位のもののふですから、奪われた兄の奪還くらい1人で何とかして見せますよ。」

 ニコッと笑って見せた。

「一緒に乗り込めないけど、必要な道具くらいは提供するから、遠慮なく言ってね。」

「助かります。」

 矢彦さんに改めて感謝しながら、乗り込むのに何が必要だろうかと考えているところに、

 「七重さん、大変ですぞ!」

 血相を変えた雨田さんが飛び込んできた。


「何だよ、雨田さんが慌てるなんて珍しい。」

「遂に、戦が始まったようです。」

「げげっ、正月だってのにか?」

「江戸での薩摩藩の暴挙に、祥山家側が堪えきれなくなったのでしょう。旧幕府軍は大坂城から京都に向けて北上中だそうです。すでに一部は伏見奉行所へ入ったとか。」

 

 始まってしまった。

 2人のやり取りを聞きながら、動悸が早くなる。

 

「大丈夫?七重ちゃん。」

 矢彦さんが心配そうに声をかけてくる。


 正直あまり大丈夫じゃない。

 

 既に会津を発ち、大坂を目指しているとの知らせは受けたが、ユイと忠道は間に合うのか?

 四郎は、戦闘に加わったのだろうか?

 敵軍に捕まっていると思われる兄は無事なのか?

 心配が一気にせり上がってきた。

 鍛えてきたつもりが、私の覚悟や胆力など、たかが知れていたようだ。

 自分自身の時には感じない、身内の命が危機に晒されるこの恐怖は独特のもので、中々静まらない。

 くそっ。

 止めたいのに、止まらないんだ。指先の震えが……。



 翌日

 進軍してきた旧幕府軍は、鳥羽口で待ち構えていた新政府軍に行く手を遮られ、戦闘に入った。

 伏見方面でも戦闘があったようだ。

 旧幕府軍1万5千、新政府軍5千。

 数では勝るはずの旧幕府軍だが、策戦や火力不足により劣勢となり退却。

 さらに、富ノ森では会津藩と薩長が激戦を繰り広げたとの知らせが入る。

 

 私は、会津藩に多数のけが人が出たと聞いて、堪らず本陣のある金戒光明寺へ赴いた。

 もののふの陣章を外して 入ると、寺の中は怪我人で溢れていた。

「な、七重!どうしてこんな所に。」

 幼い折、一緒に山野を駆け巡った仲間が声をかけてきた。

「兄に用事があって京に来てたんだよ。戦の知らせを聞いて、手当位は手伝えるかと思って入らせてもらった。しかし、酷いな。」

「見ての通りの有り様だ。手伝ってくれるのだと助かる。お前の癒術の腕は確からだからな。」

「戦況は悪いのか。」

「ああ、まだ一部で戦闘は続いている。怪我人は増えるかもしれないな。」

 私は、襷をかけると直ぐに手当てに回った。


 妖にやられた傷は数えきれないほど治療してきたが、これは人間同士が傷つけ合ったものだ。

 刀で刺され、切られ、抉られた傷。

 銃弾がかすった傷、銃弾が貫通した傷、体内に銃弾が留まっている傷。

 言葉が通じる人間同士なのに、なんで殺し合わなけければならないのか。

 私は「もののふ」で良かったのかもしれない。

 同胞の傷を治しながらそんなことを思ってしまう。


 怪我人を励ましながら、黙々と治療を続けていると、先ほどの友人が蒼白な顔で私を呼んだ。

「七重……ちょっと。」

 促されながら廊下から庭へ出ると、そこには新たな怪我人の一団が運び込まれてきていた。

 

 藁むしろに寝かされている藩士を見て、目の前が真っ白になる。


 そこには、元の色が分からなる程、着物を赤黒い血で染めた四郎がいた。

 青白い顔で、ピクリとも動かない弟。

 温もりを失った手、首筋に触れ、脈が無いのを確かめる。


「七重さん…… すみません。私が途中できちんと手当てをしていれば。四郎、途中まで喋っていたんです。私に何度も『大丈夫だから』って声をかけて。全然苦しそうな声じゃなくて、でもそのうち話さなくなって……。なんてお詫びをすれば……。」

 涙を堪えて頭を下げる、四郎の友人の背中は血の色に染まっていた。


「顔を上げて下さい。」

 そう声をかけ、彼に向かって両手をついた、深く頭を下げて、心を込めて最敬礼を贈る。

 ゆっくりと上半身を起こし、

「ありがとう。ここまで連れて帰ってくれて。そして、四郎がこんなに穏やかな顔なのは、きっと貴方のお陰だよ。本当にありがとう。」

 少しばかり無理をして、綺麗に微笑んで見せた。

 向かい合う彼の瞳から、大粒の雫が溢れ、地面に吸い込まれていった。



「また後で。」

 四郎の頭を軽く撫でて、私は立ち上がった。

「七重…… 。」

「まだまだ怪我人がいるんだろう?私は今日一日それを癒すために来たんだからね。」

 兄さまも、四郎もそうである様に、川本家の男は少しばかり嘘が上手いんだ。

 平静を装い治療に戻る。

 私は日が暮れても、一心不乱に傷を癒やし続けた。




「頑張ったね。」

 綺麗に体を拭かれ、畳の室内に寝かされた弟に、最期の別れを告げ、短刀で彼の髷を切った。

 遺髪は、郷里の母と父の為に私が持ち帰ろう。

 着物や身の回り品を遺品として受け取り、私は寺を後にした。



 賀茂屋敷では、私の遅い帰りを心配した矢彦さんが出迎えてくれた。

 事情を話すと、何故か双葉さんに取り次がれ、賀茂家の御神体が安置された神殿に呼び出された。

「俺がやってもいいか聞いたらさ、双葉様が自分がやるって言い出しちゃってね。」

 矢彦さんが、労わるように声をかけてくる。

 何が起こるのかと思って中に入ると、そこには巫女姿の双葉さんがいた。


「弟君の事、残念だったな。心からお悔やみを申し上げる。」

 双葉さんが頭を下げる。

「ありがとうございます。」

 心を込めて礼を返した。

「髪は持ってきたな。では、『魂送たまおくり』を行う。」

 双葉さんの言葉に、

「そんな、勿体ない。」

 思わず叫んでしまった。


 「魂送り」は「もののふ」流の葬送の儀の事だ。

 霊力の高い祓魔師が、戦場で力尽きた仲間などを鎮魂の祈りを込め天に送る儀式なのだが、何というか、賀茂の烏は神話級の存在で、伝説でも戦で倒れた帝を送ったりする、非常に格の高い存在だ。

 その当主の術ともなれば、この国最高峰なのは間違いなく、例え将軍が望んでも受けられるものではないのだ。

 畏れ多すぎて、腰が引けていると、


「私がやりたいんだよ。最近紙仕事ばかりで、やらせてもらえないから、腕が鈍る。」

 双葉さんはフッ笑って、私を神殿の中央に導いた。



 鈴の音が響き、燭台の炎が揺れる。

 双葉さんの歌う様な祝詞が響いた。

 澄み切った空気は震えているが、嫌な感じはしない。

 むしろ、優しい温かさに包まれていく。


 そしてふと、頬を撫でる四郎の気配がした。

 ホロリと涙がこぼれた。止まらない。

 せっかく今日一日泣かなかったのにさ。

 弟の気配は私の周りを幾度か回ってから、ゆっくり天に昇って行った。


 

「弟のために、ありがとうございます。何より私の心が凪ぎました。」

 術が終わって、お礼を言うと、双葉さんは優しく頷いた。

 葬送は、旅立つもののためでもあるし、遺されたもののためのものでもある。

 今、私の心の一部は双葉さんに救ってもらった。

 


∗∗∗



 早く目が覚めた。

 京の冬の朝は会津よりは幾分ましだが、しんと冷え切って身が引き締まる。

 思ったより深く眠れたのは、双葉さんのお陰だろうな。



 よし、髪を切ろう。

 昨日の昼間の気持ちのままなら、激情に駆られてザクザク切ってしまう所だった。

 正直昨日は、動揺していた。

 悲しみと苦しみが、胸内を這いずり回り、どうすることもできない喪失感が心を刺した。


 四郎は私に代わりに死んだ。

 もしも、私があの時から「男」として生きていれば、戦場に立ったのは私で、今も四郎は生きていたんじゃないか。

 私が死ねば良かった…… そんな想いが渦巻いていて、苦しかった。

 


 けれど、魂送りで、触れた四郎の魂は、温かく私を励ました。

「前を向いて、七重、まだやらなきゃいけない事、たくさんあるよ。兄様をお願い……。」


 聞こえたのか、思ったのかは分からない。

 胸はまだ痛むけれど、四郎がどういう奴だったのかを思い出し、私自身の足も再び地面についたんだ。


 私は、鋏を取り出した。

 そして、長く伸びた艶々の髪の先を紐で結ぶ。

 昨日までの自分との別れを惜しみながら、丁寧に髪を切っていく。


バツン


 と最後の一筋を切断した。


 頭が軽くなって生まれ変わった気分だ。

 四郎の衣類の中から、洋風の軍服を取り出して着てみると、面白い程にぴったりで驚く。


 

 静寂の中1人動きだし、整えられた庭を覗くと、枝垂れ桜に雪の華が咲き、濃紺の空を彩っていた。


 ほうっと見惚れていると、

「何だ、気配がするかと思ったら七重ちゃんか。眠れなかった?」

 と突然声がかかった。

「…… 矢彦さん。おはようございます。お陰様で意外にも眠れました。」

 私のこの姿を見ても、全く驚かない矢彦さんは安心した笑顔を見せる。

「それは良かった。髪、スッキリしたね。でも、ちょっと乱れているから、揃えてあげようか。俺器用だよ。」

「え、あ、ではお願いします。」

 私は思いがけない申し出に、賀茂の烏の平常心は凄いなぁと感心しながら、大人しく厚意に甘える事にした。



 矢彦さんは大判の風呂敷を2枚取り出すと、一枚は床へもう一枚を私の首にかけると、鋏を器用に使って、切り揃え始めた。


「どうして急に髪を切ったのさ?」

 半分くらい整えた頃、矢彦さんは訊ねてきた。

「元々、切るつもりはあったんです。最近声も変わってしまいましたし、元々男姿に戻る時期かと思ってはいたのです。昨日弟が亡くなって、あいつの一部も背負っていこうと思って。それで、何となく切るなら今だなと思ったんです。」

 ふうんと、髪を漉きながら矢彦さんは次の質問をした。

「何で男の子なのに、あんな格好していたの?って聞いてもいいのかな。」

 

「女の姿でいたのは、私の単なる我儘です。私は生まれた時、男か女か見た目では判然としなかったんだそうです。父の判断で取り敢えず女で育てられたんですけれど、違っていたみたいで。実は数年前に、医師からも『男でしたねぇ。』と診断されたんです。けれど、女子姿でいるのも心地良かったので、我儘を通していただけなんですよ。」

 家族以外に言うのは初めてだったけれど、矢彦さんの雰囲気のせいか、さらっと口から出てきた。

「なるほどねぇ。立葵の大将さんを、女の子なりの形で支えられる部分もあっただろうしね。」

 頭上から、面白がるような矢彦さんの声が降ってきた。


「ほら、どう?姿見、見てごらん。」

 促され、鏡に映った自分を見る。

 耳下で切り揃えられた髪。

 隠していた眉や首筋が顕となり、凛々しく見える気もする。


 これが、私か。


 私は私なのだけれど、この中に兄の面影も四郎の面影も見え隠れしていて、不思議だ。

 

「新生、七重ちゃんの誕生だね。おめでとう。」

「ありがとうって返して良いんですかね。」

「いいんじゃない。格好いいよ。」

 矢彦さんに励まされ、少し照れた笑みを返した。



 空には朱華はねず色の雲が浮かび、今日という日が始まる。

 兄を救い出すのは今夜。

 いざ、薩摩藩邸へ。




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