2  戦端、鳥羽伏見 ~七重の旅立ち~

 京に行かなくては。


 弟の四郎からの手紙を読んで決意した。

 数年前から気にかかっていた兄の目の病は、どうやら深刻らしい。


「あの馬鹿……。」

 どうりで、最近兄からの手紙が途絶えていた筈だ。

 砲術師が、失明したら終わりだろうが。

 

 

 私、川本七重は会津藩砲術指南役の家に、5人兄弟の2番目として生まれた。

 現在、17歳離れた兄、拓馬と、ひとつ下の弟、四郎は藩務で京に行っている。

 弟からの手紙には、

「拓馬兄上、実はもう殆ど目が見えてない恐れがあります。」

 という懸念が記されていた。

 銃器の買い付けや、情報収集であちこち飛び回っていた兄は、自分のことを後回しにしてきたのだろう。

 

 大政奉還により江戸幕府は終焉を迎え、新たな世が始まろうとしている。

 しかし、新たな国家体制の中で祥山家(旧将軍家)が力を持ち続ける事を恐れた、討幕派の公家、薩摩・長州は、武力を背景に政変をおこし、祥山将軍家に辞官納地を要求してきた。

 けれど、祥山家側、公議政体派も黙ってやられている訳もなく、外交力を駆使して勢力回復を図っている。政変の成果が水の泡となることを恐れた討幕派は焦りを募らせ、武力行使に持っていきたい構えだという。

 祥山家を組み込んだ体制か、排除した体制か、両者の政治的対立は正に一触即発、今にも戦が始まりそうな状況なのだ。


 ったく、一番肝心な時に役立たずじゃしょうがないじゃん。

 私は目を患っていると思われる兄を、医者に引っ張っていくために、京へ行くことを決めたのだった。


 元々、「立葵」の仲間で大坂に行く話は持ち上がっていたため、私が先行して京に行き、その後大坂で落ち合う形になりそうだ。



 先日、ユイから重大発表があった。

 どうやらユイには、「前世の記憶」というものがあるらしい。

 そして、その中には、会津藩の滅亡が記憶されているそうだ(厳密には同じではないが、かなり似ている世界らしい。)。

 ユイは滅亡を避けたい、会津を守りたい想いを持って、今までやってきたというのだ。

 それを聞いて、妙に納得した。ユイの必死さは、ずっとそこからきていたんだと。


 ユイの記憶によると、近々大きな戦が起こる。

 彼女は、その戦場から敗色濃厚となるや江戸に帰還する、元将軍を止めたいんだそうだ。

 戦の最中、総大将が逃げ出すなんて真似、俄には信じ難いが、ユイの世界の歴史ではそんな事が起こったらしい。


「前世の祖父が歴史に詳しくて『あの時、慶喜公が大坂に留まって下されば、戦いの行方は分からなかった。』って何度も言っていたの。あ、慶喜公って最後の将軍様ね。だから、同じになるとは限らないけれど、可能性があるならそれをどうしても止めたいんだ。」

 と言っていて、あわよくば元将軍本人に、せめて殿様に会いに行くらしい。

 斬られてでも、訴えてくると言ってるけれど、まあそれはないだろう。

 だって、忠道と一緒にいくから。

 ユイは気付いていないかもしれないけれど、あいつ会津の若殿になる前は…… ね。


 ちなみに、颯介は会津に居残りだ。

 あやめさん達と探る、異常な妖気の流れとやらの解析に忙しいからだ。

 そっちはそっちで一刻を争う危機があるので、手が離せない。


 颯介は、この世の終わりみたいな顔をしているけれど、そのくらい我慢しろと思う。

 何せ、大坂から戻って来れば婚礼だ。

 行きは何があっても、忠道が守るだろうし、帰りは私も一緒だ。

 そして、ユイはどういう訳か、颯介に惚れている。

 きっと何も起こらないさ。…… たぶん。


 

 さて、私もいよいよ潮時か。

 無理矢理止めていた時間が動き出したかのように、遂に声が変わり始めた。

 これまでと同じ、という訳にはいかなそうだ。



∗∗∗



 出立の日。

 準備を整えた私は、皆に挨拶してから行こうと番所に立ち寄った。


 すると……。


「ええっ!嫌だよ。」

 番所の扉を開けようした時、中からユイの大きな声が聞こえ、思わず手を止めた。

「お願いです……。」

 颯介の懇願する声。

 なんだろう、入りづらいぞこれは。

 でも、万一に備えて、立ち去る訳にもいかない。 


「ユイ様の… … … を下さい。」

 んんっ?

 よく聞こえない。

「… … … はちょっと… …。」

「僕は、ユイ様と離れて… … 我慢できません。」

 颯介の切なげな声。

 いや、確かに忠道との2人旅に全く平気そうなユイが心配なのは分かるよ。

 でも、一体あいつ何やってんの⁉

「僕の… … … 差し上げますから… …。」

「いや、要らないよ!」

「何で… … 貰ってください。」

「やめてよ、嫌だったら!」



 ああもう!

 ついに耐えきれなくなり、


 バシンッ


 結構大きな音を立てて扉を開けてしまった。

「ちょっと颯介、なにやってるの!」

 叱るような口調で中に入ると、2人が振り返った。

「七重、聞いて下さい!ユイ様が『お守り』を受け取ってくれないんですよ。」

 潤んだ目で訴えてくる颯介。

「だって颯介、変な『お守り』渡してくるんだよ!」

 困った顔でユイも訴える。


 お守り???


「……。ユイ、颯介は凄く心配しているんだから、『お守り』位受け取ってあげなよ。例え、どんなにヘンテコなのでも、こいつが勧めるなら霊験あらたかだろうからさ。」

 宥める様に言うと、

「ええーっ!」

 ユイは非難の声を上げ、颯介は嬉しそうに頷いている。

 なんだか、出立前なのに疲れた。




 門前に出て、2人にしばしの別れを告げる。

「七重ちゃん、声まだおかしいよね。風邪治ってないんじゃない?大丈夫?」

 ユイが以前より低くなった私の声を心配する。

「平気平気、生薬持って行くから。」

 そう言ってちょっと誤魔化した。

「松井先生への紹介状とか、ちゃんと持った?」

「大丈夫だよ。」

「拓馬さんと、双葉さん達にもよろしくね。」

「了解!じゃあ行ってくるね。」

 色々心配してくるユイに後ろ髪ひかれながらも、笑顔でそのまま歩き出そうした時、


ピィーッ


 明るく高い空を、一羽の鷹が翔けていく。


 離れようとした一歩を逆に近づけて、瑠璃紺色の瞳を見つめる。


「ユイ、実は私も、ちょっとした秘密あるんだよ。次会う時には話せるようにしておくね。」

 自分に言い聞かせる様に告げた。

「そんなの。話せるときに、教えてくれればいいよ。」

 気遣う笑顔に心臓が軋む。

 堪らずにぎゅっと抱きついた。

 甘すぎない、朝の森のような爽やかなユイの匂いがする。

 癒される。 


 脇から飛んでくる殺気は気にしないでおこう。

 こんなことができるのは、きっとこれで最後になるかもしれないから。

 まわす腕に、ほんの少し力がこもる。

 

「どうしたの。なにか不安?大丈夫、秘密でもなんでもちゃんと受け止めるから、ね、親友。安心して行っておいでよ。私達も準備出来次第発つから、向こうですぐに会えるよ。」

 耳元で囁く優しい声。まずいなぁ、睫毛が濡れてしまうよ。

「うん。」

 としか言えず。抱きしめる腕にさらに力がこもった。



 2人に見送られ、私は会津を発った。

 忠道は自分の準備に忙しく、来なかった。

 あいつは結構不自由な身の上だから、旅をするにも色々と仕込みが必要なんだろう。

 今回は、忠道の存在が肝になりそうだから、ここはしっかり頼んだよ若殿。



∗∗∗



 会津を発って十数日。

 京の市中まであとわずか。

 各地の番所で宿をとりながら進んできた旅はここまで順調だった。


 薄暗くなってきた、逢魔時。

 嫌な感じの気配がして歩みを止める。

 集中して気配を探ると、道の先に……。


 血の匂い、争う声、 悲鳴。

 誰かが妖に襲われているようだ。


 街道から林に身を隠して進み、落ち着いて状況を分析する。


 妖は一体。

 侍と思しき3人の男が交戦中だ。


 地面には既に2人の胴体、首が転がっている。


 やばいやつじゃん。


 私は元々、後方支援型、遠隔攻撃系のもののふで単独戦闘は向いていない。

 見て見ぬ振りはしたく無いが、突っ込んでいっても犬死しかねない。


 更に観察すると、残った3人の侍はそこそこ腕が立ちそうなことが分かった。

 特に中央の大男。

 体躯に見合った膂力で、妖の攻撃を払っている。


 朱、白、薄紅…… 花弁を散らしながら、鞭のような腕を振るうのは、狂った椿の精か。


 怨みの血が沁み込んだ、曰く付きの大地は、樹木の精を穢れさせるという。人の残した災い、その気を吸い上げた植物が狂うのだ。


 禍々しい妖気。

 瞳を真っ赤に染めた美しい少女の妖が、ケタケタ笑いながら、男たちの首を落としにかかっている。


 しかし、この相手なら…… いけるか。

 私の霊力は、「金行」の気が強い。

 銃器との相性も良く、霊力を込めた弾丸は通常の銃の何倍もの威力を発揮する。


 あの妖は見るからに「木」。

 相性的には私の方に分がある。


 私は、銃に弾を込めて木陰から狙いを定めた。

 妖と相対する男達は体力に翳りが見え始め、先程まで躱していた攻撃が掠るようになってきていた。


 椿娘のしなる腕が、よろけた一人の侍の喉元に迫る。


 パァン


 音が響くと同時に、妖の半身が吹き飛んだ。

 やはり効いてる。相性って恐ろしい。


 攻撃はてき面だが、付随させた細やかな浄めの術は、霧散しただけ。

 残念ながら、ここまで狂ってしまった花の精を元に戻す程の力を私は持っていない。

 祓いの名手、賀茂の烏くらいになれば別だろうけれど。


 頭が割れそうな、キンと高い大きな悲鳴をあげながら、妖は残った方の腕を振るい、残る男たちの胴や背中を切り裂き、その命を奪おうとする。

 

 やむを得ず、再び引き金を引いた。


 正に、木っ端微塵。

 甲高い叫び声を最後に、椿は動かなくなった。

「ごめんね。」


 

「おいっ、大丈夫かしっかりしろ!」

 重症を負った仲間を、侍達が取り囲む。

 これ以上は関わり合いになりたくないし、早く洛内に入りたいのは山々だが、放って置いたら危なそうだしなぁ。


 仕方なく林から出て、男達の元へ向かう。


 私の銃に目を留めた大男が。

「誠にかたじけない。」

 居住まいを正して頭を下げた。


「気にしないで、それよりその人達を見せて。」

 私は怪我人2人に間に座り、素早く状態を確認した。

 消毒の後、快癒の術を施す。

 血は止まり、怪我人の顔色が幾分良くなる。


「ほう。」

 大男は感嘆の溜息をし、軽症の方の男は、信じられないという顔で此方を見ている。


 言ってはなんだけど、私は外見だけなら中々の美少女だからね。今、この人達から見たら、天女位には見えているんじゃない?


「信じられない……。」

 大きな傷が塞がった男は、ぽうっとこちらを見ている。ほらね。

「この人の額を見ろ。実力通りって事だ。」

 大男が言うと、頬を染めた男がハッとした。


 私は、もののふ装束で旅をしているので、頭にはバッチリ陣章を巻いている。


 深緑の陣章が目に入らぬかぁ!とばかりの様なのだ。

 このお陰で道中、同業者に声をかけられる事はあっても、不埒なマネを仕掛けてくる輩は無かった。

 スペンサー銃(改)を背負い、5位の陣章巻いた女なんて危険物以外の何者でもないでしょ。



「さすがの手際です。銃の腕も見事でした。名のある陣の癒術師とお見受けしますが、名を伺っても?」

 目力のある大きな瞳を向け、大男が訊いてきた。

「名乗る程のものではありません。只の通りすがりです。」

 私はそう言ってニッコリした。正直、面倒くさいだけ。

 この男達、言葉の抑揚が京風ではない。おそらく陸奥以北でも無さそうだ。

 礼を期待したわけでもないので、どこの者かも分からない奴には迂闊に名乗りたくない。


 手持ちの布切れに、神酒を浸してから、大男に渡す。

「擦り傷だけど、あなたも消毒しておいた方がいいですよ。」

 男は大人しく受け取ると、裂けた手の甲の血を拭った。

「傷薬、置いていきます。では、私は先を急ぐので。」

 そう言って立ちあがろうとした所、男に手首を掴まれた。

 ぐぬぅ、素早い。こいつ、やはりやる奴だな。

「また、お会いできませんか?」

 穏やかな口調だが、中々に圧がある声が問いかけてくる。まるで逃がさないと言っているような。

「悪いけど、私、あなたの様な男は趣味じゃないから、無理ですね。」

 睨み返して手を払う。

「それは、残念だ。」

 そう言って眉尻を下げる男を見下ろしながら私は立ち上がった。

「本当にありがとうございました。道中お気をつけて。」

 男も立ち上がり、深く頭を下げた。

 軽く一礼を返して、私はその場から離れた。



 ほんの少し先に、淡い桃色の花がついた椿の枝が落ちていた。

 僅かに残る邪気を祓って、そっとそれを拾い上げる。

 穢れのない明るい場所に挿してやれば、再び美しく咲き誇る日が来るかもしれない。

 そんなふうに思って、椿を手にしながら、私は再び、京の賀茂屋敷を目指して歩きはじめた。



 

 





 




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