小話 師弟の手紙

 — 江戸にて —


 結婚を機に、生まれ育った江戸の和田倉藩邸に戻ってきて一年。

 わたくしは上屋敷の奥にお勤めに行ったり、道場で稽古に励んだり、最近ではもののふの活動を再開したり、時に嫁姑の関係に悩んだりすることもございますが、愛する方のお側で充実した日々を過ごしております。


 ユイ様が喜ばれるご様子が目に浮かぶので、江戸の状況を認めた報告書のようなお手紙を、まめに送るようにしています。

 そして会津の仲間達からも、返事が届きます。

 妖討伐の成果(黒鬼の一件などは、心底肝が冷えました。こういう時に、ご一緒できないもどかしさを強く感じるのです。)や、会津城下状況、そして賑やかな皆の様子に思いを馳せるのは、特に楽しみな時間の一つです。



 就寝前のひととき。

 行灯の明かりで書を楽しむ夫の隣で、昼間届いたふみを開きます。


 今回の手紙は、上品で力強い忠道様でも、流麗な七重さんでも、几帳面な颯介さんでもない。可愛らしいユイ様の字で書かれたもの。


 少し読み進んでから、

「まあ!」

 思わず声をあげてしまいました。

「どうしたんだい、梅子。」

 夫が驚いて顔を上げます。


「ユイ様が、ご婚約されたのですって!」

 弾んだ声で伝えると、

「それはめでたい。それで、お相手となった幸運な男は、どなたなのかな?」

 一瞬驚いた顔をした夫が、優しい眼差しで訊いてきます。

「それが、なんと颯介さんですわ。」

「へぇ。白沢家の次男のあの子か。驚いたな。」

「正直、私もびっくりですわ。これは会津城下に激震が走ったかも知れません。」

「京でも騒ぎになっていそうだね。」

 夫がほんの少し眉を顰めました。

「ということは、京に居る御家老さま方が、ユイ様を御正室に推しているという噂、まことでしたの?」

「火のないところに煙は立たないからね。しかし、忠道様としては複雑だったろうに。」

「気の毒でなりませんわ。繋ぎ止めたいけれど、今ではない、そんな思いが見え隠れしていて、こちらも心苦しかったですもの。」

 たまに揶揄からかうことはあっても、忠道様がユイ様に真剣に想いを伝えることはありませんでした。

 けれど、私は何度も見ています。

 ユイ様の気づかないところで、愛おしそうに、時に切なそうに、忠道様の視線がその姿を追っている様を。


「ご本人は世の動乱、家中の難事が落ち着いてからと思われていたのかもしれないね。」

「そうですわね。それに…… ユイ様は色恋に全く関心が無さそうでしたから、油断もあったかもしれません。」

「忠道様、それは下手を打ったな。颯介君、頑張ったんだね。」

 夫は感心したように言ったけれど、私は首を傾げてしまいました。

「それはどうでしょう。この手紙によるとユイ様が強引に求婚したようにも読めるのですわ。本当に…… 一体何があったのかしら。」

 

「少し、残念そうだね。颯介君では心配かい?」

「いいえ、心配なんてないわ。ただ、そうね、奥方様になられたユイ様にお仕えする。なんて夢もありましたから、その点は残念なのかもしれないわ。でも、文からは、ユイ様のとても嬉しそうなご様子が伝わってくるから、これで良かったと思うの。それに、颯介さんも私の大事な教え子ですもの。あの子の幸せも心から願っているのよ。早速、お祝いの言葉を送らなくては。」

 文机に向かおうとしたところ、

「明日は大事な用があるんだろう。後にしたら?」

 と、夫に止められました。

 確かに明日は、幕府のお役人と会う予定があります。

 従兄の秀里様が、面白い人がいるからと紹介状を書いてくれたのです。

「それは……そうですわね。」

「あのような方によく繋いでもらえたね。秀里さまは底が知れない。」

「長崎で遊んでいる際に、色々な方と知り合いになったそうですわ。幕臣だけでなく、土佐や長州の方とも親交を深めたのですって。」

「流石だな。…… よし、では灯りを落として寝るとしようか。」

「随分、急かしますのね。」



 薄闇の中、床に入ると、夫が私を抱き寄せてきました。

「どうしましたの?」

「ごめん。明日の件は言い訳に使った。良い話を聞いたら、私も自分の幸せを確かめたくなってしまってね。…… 貴女が好きだ。」

「ふふっ。まだ口説いてくれますの?」

「当たり前さ。きっと一生かかっても口説き足りない。」

 甘い言葉と口づけが降ってきます。

「あの方、力のある方なのだが、美人に目がないとも聞くから、明日は少し心配だよ。」

「いやだわ。私、貴方以外の殿方なんて目に入らないのに。」

 

 愛する方の体温を感じて眠りにつける。

 幸せね。


 こうして人は、守りたいものが増えていくのでしょうか。

 時代が連れてくる嵐の予感を感じる中、私は、この人も、友も、ふるさとも、全てを賭けて守っていきたいと思うのです。

 



∗∗∗




— 会津にて —


「ねぇ颯介、梅子先生婚礼には、都合を合わせて来てくれるって!楽しみだね。」

 先生からの手紙を読んでいる途中のユイ様が、顔を輝かせて話かけてきた。

「それは、嬉しいですね。」

 穏やかに返したけれど。期せずして胸は高鳴る。

 ユイ様の好意は遠慮がない。

 まっ直ぐ素直に飛んできて、僕の心臓を打ち抜く。


「どうしましょう。ユイ様が可愛すぎます。」

 堪らずに、ごく小さく呟く。

「うっわ。背中がめっちゃムズムズするから、やめて欲しいんだけど。大体あれ、あんたとの婚礼を楽しみにしてるんじゃなくて、梅子先生に会うのが楽しみな笑顔だから。」

 隣の七重が腕を摩りながら、こちらを睨む。


「幸せすぎて、どうにかなりそうです。どうにかしてしまいそうしなりますし……。しかも、思いが叶ってからの方が不安も大きいんです。本当にどうしたらいいんでしょうね、これ。」

「……婚礼前に、ユイのことどうにかしてしまったら、義勝様とサキ様に八つ裂きにされかねないのを忘れないように。」

 七重が脅してくる。

 ユイ様は隙だらけで、僕を信頼し過ぎなのが辛い時がある。

 無防備な様に、全て許されているんじゃないかと錯覚するほどで。危険だ。

「ここは仕事場だからね。その緩んだ顔やめてよ。忠道なんかたまに、悲壮な目でそっち見てるからね。」

 ウンザリした調子で七重が告げた。


「確かにあれは、僕ですみませんでした。って思いますね。譲りませんけど。」

 怒られるかと思ったけれど、忠道様は僕に対しては「やられたな。」と言って力なく微笑んだだけだった。

 それでいて、哀切極まる視線をユイ様に向けている時があるんだ。

 



「え!すごい、ちょっと聞いてよ七重ちゃん。」

 手紙を読み進んだユイ様が、またこちらに声をかけてきた。

「何?」

 七重が訊くと、

「梅子先生、江戸で『もののふ』再開してるって。」

 ユイ様が嬉しげに話した。

「へぇ〜。何でまた。」

芳徳院ほうとくいん様から、『勿体ないから続けなさい。』って言われたみたいなの。高位の案件は避けて無理はしないようにしているみたいだけど、現役で動くと情報収集もはかどるし、楽しいって書いてあるよ。」

「なるほどねぇ。これは、先代の殿様と、報徳院様が若い頃はけっこうやんちゃだったって話は本当かもしれないね。」

「そんな話があるの?」

「前の殿様は、放っておいたら『もののふ』始めたんじゃないかって言われてる。あ、これユイに無関係の話じゃないからね。やんちゃ仲間にサキ様と南紅の先代様も入っているから。」

「……それは……。おばあ様、番所の手伝い嫌がらなかった訳だね。」

 そうか。義勝様がたまに言う、血は争えないってこの事だったのか。

 僕は密かに納得していた。



「しかし先生すごいなぁ。こっちも気合い入るね。んん?なんか幕府の人とも会ったみたい。軍艦奉行だって。」

「それ、かじ様って人かな。幕府の海軍に貧乏旗本から実力でのし上がってきた強者がいるらしいんだよね。漢学、洋学、のほか剣術、砲術もよくこなす才人がいるって兄さまが言ってた。」

 ユイ様の、言葉に七重が反応する。どうやら梅子先生は、拓馬さんと縁のある御仁と会ったようだ。

「そうかも。今は幕府が海軍の新体制を敷くにあたりイギリスの教官を招いた軍艦伝習も担当している人らしいよ。」

「じゃあ多分その人だ。昔兄さまがが通った塾の先生と縁がある人なんだよ。幕府の使節として咸臨丸かんりんまるっていう、蒸気軍艦でアメリカに渡ったこともあって、兄さますごく羨ましがってたから。」

「か、咸臨丸⁉……それってこの人、ものすごい人かもしれない。やるなぁ梅子先生……。」

 ユイ様が目を丸くしている。記憶の中にある高名な誰かと繋がったのだろう。

 

 

 会津や幕府を取り巻く状況は悪くなる一方だが、みんながそれぞれ、やれる限りのことをやっている。

 


 江戸城の幕閣は外国と提携して幕権を強化しようと躍起になっているようだが、国の情勢は刻一刻と変わってきていて、政治・経済・社会は混乱したまま、幕府の弱体化は止まらない。


 そんな中、新たな将軍様は、新たな体制を視野に入れて動き始めているらしい。

 どうやら、朝廷のもと祥山家を筆頭としながらも、諸藩の合議による連合政権を作るという構想があるようで、京では討幕を目論む勢力と熾烈な駆け引きが行われているということだ。


 つまり、いずれにせよ、およそ260年続いた江戸幕府は終わりを迎えようとしていることになる。

 

― 大君の儀、一心大切に忠勤を存すべく、列国の例を以て自ら処るべからず。

 

 会津藩の家訓の第一条には、こう記されている。

 他の藩がどうしようが、将軍家に尽くせと言う教えで、藩の根源になるものだ。

 これがあったが故に殿様も、国庫が苦しくても、重臣から反対されても、京を守りに何年も赴いていた。

 だからその幕府が、「将軍家」が無くなろうとする今、何を以って会津藩が動くべきか、甚だ難しく、殿様や忠道様の憂いは並々ならぬものがあるだろう。

 

 一方で、倒幕派は今や討幕派となり、恨みと野望でぎらつく刃をこちらに振りかざしている。


 お願いだから、僕が夢で見るような、あんな悲劇だけは決して起こらないで欲しい。



 僕の物思いを遮って、ユイ様から声が掛かる。

「颯介、手紙がもう一通入ってたの。これは、颯介宛みたいだよ。はい。」

 



-― 颯介さん、ご婚約おめでとうございます。

 世情は慌ただしく、心憂いことも多いですけれど、嬉しい知らせに私の心も浮き立ちました。


 たまにベソをかきながら、ユイ様に引っ張り回されていた貴方が、ユイ様の隣に並び立つ男になるなんて、とても感慨深いものです。


 貴方は確かに、人並み外れた霊力を持って生まれてきたけれど、今あるその力は、楽をして手に入れたものではない。

 懸命な取り組みの賜物だということを、私もユイ様も知っています。


 そして貴方は、ユイ様の心を奪うくらい、一人前の男になったのね。

 

 これからも、ユイ様を頼みましたよ。

 婚礼で会うのを楽しみにしています。


                    梅子 

 


 ユイ様から渡された手紙からは、梅子先生が好む優しい花の香の匂いがした。


 

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