第四章

1   告白


「ユイ様、最近僕に冷たくないですか?」

 颯介が不安げな顔で訊いてきた。

「そんな事ないでしょ。」

 と答えた声が、どこか素っ気ないものになっていることは、自分でも気づいている。

「今日は、あやめさんとこに行くんだよね。遅れちゃうよ。」

「は、はい…… 行ってまいります。」

 颯介は一礼すると、そそくさと出掛けて行った。

 お願い、そんな捨てられた子犬のような目で見ないで欲しい。


 陣の中に入って書類整理を始める。

 京の秀里さん、江戸の梅子先生からの手紙に目を通す。

 二人とも、それぞれの地域の会津藩の状況、幕府の対応、倒幕派の動きについて、伝えられる範囲で報告してくれる。

 いずれも、センスが良いので時代の動きが良く分かる良文で、いつもとても助かる。

 

 しかし、今日は何度も何度も読み直してしまって、中々頭に入ってこない。

 それは、秀里さんと先生のせいじゃなく、私のせい。


 ここのところ私はオカシイ。


 とにかく落ち着かず、胸が痛い。

 現場では大分ましだが、事務仕事していると集中力が落ちる。


 ああもう。お父様が変なこと言うから!

 ついお父様のせいにしたくなるが、きっとそれだけじゃないんだ。

 元々私の中で眠っていたものがある。

 

 お父様の「私が颯介を好いているように見える」発言はジワジワ効いてきた。 

 最初は何言っちゃってるの⁉と思っていたのだが、一度意識すると……。


 あれ、颯介って可愛い?


 どうしよう。 


 この胸の甘い痛み。

 その病の名を、私は知っている。

 これは、勇生の時にも罹った事がある。

 中3の時、クラスメイトの女の子と毎日一緒に帰るだけの「お付き合い」をしていた。

 それでも当時は嬉しくて、ドキドキして、ときめいていた。

 高校が別々になり自然消滅してしまったひと冬の恋。


 この心のさざめきは、あの時と同じなんだよ。


 「恋」


 自分が信じられない。

 これから大変だって時に何浮ついてるんだろう。

 それに、恋かもしれない思ったら、今まで通り颯介と接することができなくなった。

 本当に何やっているんだか…… ほとほと自分にがっかりしてしまう。



「おはよー。あれ?ユイ喧嘩でもした?なんか颯介しょんぼりしていたよ。」

 一人落ち込んでいると、七重が入ってきた。


 七重は、テキパキと準備を終えて、番所に出す報告書を書き始めた。

 七重の手は良い。さらさらと麗筆をふるって書き上げていく。

 

 私も、とっとと書類仕事は終わらせてしまいたいが、一向に進まない。

「はぁー。」

 ついため息がでる。

 七重が筆を止めて、

「何、本当に喧嘩?珍しいね。」

 と訊いてきた。

「困ってる。」

 両手を握りしめて答える。

 七重は水差しに入れてあった冷茶を、2つの湯呑みに注ぎ、前に置いた。

「一体どうしたの?」


 私は、少し言い淀んでから、勇気を出して訊いてみた。

「…… 颯介って、私の事どう思っているんだろう?」

「ブハッっ。」

 七重は盛大にお茶を吹いた。

「ちょっと、どうしてくれるの!折角書いた書類が台無しじゃない!」

 怒る七重。それは私のせいですか?

「はぁ。鈍いのもここまでくると病気かと疑うよ。」

 こめかみに手を当てた七重は何かゴニョゴニョ呟く。


「ええと、それってつまり何?ユイは、颯介が好きって事?」

 ズバリ指摘され、ブワっと顔に血が巡る。

「はいはい、分かりました。春が急にやってきたのね。」

「それでさ、なんか今まで通りにできなくて……どうすればいいかな?」

 困っていたことを相談する。


「好きって言えばいいじゃない。」

 七重はあっさりとそう言った。

「そんな簡単じゃないから困ってるの。私が言ったら命令みたいになっちゃうかもしれないよ。ただでさえ、命の恩人と思われて崇拝されているんだから。パワハラでセクハラだよ。」

「………。ちょっと何言ってるか分かんないんだけど。あんた、感情隠すとかできないでしょう。とりあえず素直にしてるだけでいいと思うよ。」

「それができたら困ってないよ。」

 私は弱り切って、またため息をつく。

「確かに、困ったね、それは。……うわぁ、まさか石橋を叩き壊す種類の人間だったとは。」

 七重はまた何か小声で呟いていた。


∗∗∗


「ユイ様…、その、実家に僕の縁談が来ているらしいんです。」

 山童やまわろと猟師の諍いを平和的に解決した帰り道、颯介がそんな事を言い出した。

「え、縁談⁉」

 動揺して声が裏返ってしまった。

「婿養子に是非と。うちよりも家格の高い家からのようで、父は大分乗り気なんです。」

 颯介は淡々と告げる。

 前に聞いた話によると、次男以下の出世の一番は、婿入りということだ。

 颯介にとってはこの上なく良い話なのではないだろうか。

 目の前が暗くなる。

 

「で、颯介はどうしたいの?」

 気を強く持って、何でもないように訊ねる。

「今、ユイ様のお側を離れるのはちょっと…。時勢も良くないですし。」

「断るの?」

 縁談に後ろ向きな回答に、思わず食い気味に言ってしまった。


「お相手も、実家うちも前向きな話なので、説得に苦労しそうですが……。」

 苦痛を滲ませる颯介の表情。

 どっち?

 断るのが辛いの?

 断りづらいのが辛いの?


「ユイ様はどう思われますか?」

 真剣な表情で颯介が問う。

「えっ。私はもう少し一緒にいて欲しいなって思ってるけど……。」

 私は表情を崩さないように本音で答えた。

「ありがとうございます。断固断ってきますね。」

 とてもいい笑顔を返す颯介。

 うう、分からない。

 私は颯介の可能性を潰そうとしているの?


∗∗∗


 その日の夜

 明日の食事の簡単な仕込みをしている炊事場に顔を出し、早苗に颯介の縁談について確認した。


「ああ、颯介さんの縁談のお話ですね。今回は大分良いお話のようですよ。御祐筆の井上家からだそうです。知行もお持ちだそうなので、整ったら大出世ですね。」

「え、『今回』ってことは?」

「はい、これまでも随分あったようです。霊力の高い血を入れたい家は少なくありません。以前は颯介さんの外見が多少障害になっていましたが、今や5位の陣の祓魔師で、優秀なのは知れ渡っていますから。」

 なんと。颯介、結構人気があったらしい。


「それに、井上家のお嬢様は、颯介さんに一目惚れしたらしいのです。」

 追い打ちをかける早苗の言葉。

「そうかぁ。颯介、可愛いものね…… 。」

 実力もあって、気遣いができて、美人て、素敵な人だもの。

 はぁ、私がいつまでも縛ってもしょうがないのかも…。

 何だか泣きたくなってきた。

 でも、笑顔で送り出せるかな。

 颯介が、他の女の子に笑いかけたり、慰めたり、抱きしめたりしたら、やっぱり嫌だなぁ。


「大丈夫ですかお嬢様。黙って変なものでも食べました?」

 想像して悲しくなってしまった私の表情を見た早苗が、眉を顰めた。

「もう子供じゃないよ。颯介がいなくなったらさ、その、凄く寂しいなって思っただけ。」

 私は、涙を堪えて、笑ってごまかした。

「…………… まぁ。お嬢様!それは早々に義勝様に相談なさっては?」


「何を」と言いかけて、お父様の言葉を思い出す。


―「その、相手は…颯介でも良いと思っている。」


 七重の声が頭に響く


―「好きって言えばいいじゃない。」


 


∗∗∗




「ユイ様、大事な話って何でしょうか?」

 不安そうな表情の颯介が部屋に入ってくる。

 こっちはもっと強張った顔をしているだろう。

 私の顔を見て颯介の表情もさらに曇る。

 正直とても緊張している。


 人生初の告白。

 

 勇生の時も付き合って欲しいと言ってきたのは相手の女の子からだった。

 私は、いいなと思っても自分からは何も言えないヘタレだった。


 でも、今ここで言っておかないと、絶対後悔する。

 好かれてはいると思うんだ。

 もし颯介が、義理で「はい」と答えたとしても。likeをloveへと変えて見せる。

 よしっ、と気合を入れて颯介を見つめる。

「ユイ様…僕何かしましたか?そんなに睨んで、ちょっと怖いです。」


 無理だ。ガチガチだもの。

 無言で座ると、颯介も正面に座った。


 とてつもなく気まずい。


「あのね、颯介。」

「はい。」


「私の婿になって下さい。」

 そう言って私は頭を下げた。


 …… 何も返事がない。

 痺れを切らして頭を上げると、颯介は固まっていた。


「颯介?」

「っ。すみません。自分勝手な幻聴が聞こえまして。もう一回お願いします。」

「もう一回⁉…… わ、私の婿になって下さい。」

「すみません。僕今日、すごく調子が悪いみたいで。あの、もう一度……。」


 これは…… ずっと聞こえないフリされる?

 無かったことにしたいの?

「もう!嫌なら嫌って言ってよ。颯介の馬鹿!私と結婚して欲しいって言っているの。」

 怒鳴るように言ってしまった。


「僕と結婚ですか?」

 かつて、こんなにぽかんとした颯介の顔を見たことがあっただろうか。

「なんで?」

「好きだからに決まってるじゃない。」

「嘘……。」

「もういいよっ。」

 さすがにこれ以上は辛い。


 颯介なら、とりあえず「はい」と言ってくれるんじゃないかなんて、とんだ思い上がりだった。

 立ち上がって振り返り素早く立ち去ろうとする。


 颯介も立ち上がった気配がする。


「ユイ様っ。」

 後ろから抱きすくめられた。

 首元に熱い吐息がかかる。

「何っ。離してよ。」

 半分涙声になって暴れると。


「求婚、ヘタクソですね。」

 そう言った颯介は首筋に口づけを落としてきた。

 驚いて振り向くと、蕩けるような微笑みを浮かべた颯介の顔がある。

「ユイ様、愛しています。僕と結婚して下さい。」

「いいの?」

「喜んで。ずっと前からお慕いしていました。」

「本当に?」

「気づいていないことの方が信じられません。」

「だって、私の中身、半分男かもしれないんだよ。」

「そんな事、僕はユイ様が好きなんです。男だろうと、女だろうと。例えなんであっても、どうでもいいくらい好きですから。」

 熱烈な言葉と共にギュッと抱きしめてくる颯介。すごい、想いが通じ合った。嬉しすぎる。



「口づけしてもいいですか。」

 一旦抱擁を解いた颯介が、私の許しを請う。

「ど、どうぞ。」

 すると、形のよい唇が近づいて、ゆっくり押し当てられる。

 颯介の温度が伝わってくる。

 キスが甘いって、味じゃなかったんだ。

 胸の中が熱くなる。

 心の中が甘いなにかが満ちていく。


 名残り惜しそうに、そっと唇が離れる。

「ああもう。どうしましょう。」

 そうして、ぎゅうっと強く抱きしめてきた。

 おう、ちょっと力、強すぎるよ。


「ユイ様、でも僕を選んでお家の方は大丈夫でしょうか?あの……駆け落ちとか想定されてます?」

 颯介がそれすら辞さない瞳で問いかける。

「何を心配してるの。お父様の許可ならもらってるよ。むしろ喜んでる感じだったし。颯介の家だってちゃんと行ってきたからね。颯介のお父さん、腰抜かすし、お兄さんは泣き出すし…… なんかドタバタだったけどさ。」

「ユイ様、そんなにしっかり脇を固めてくださったのに…… 最後はちょっと残念でしたね。」

 颯介はクスリと笑って、優しく髪をなでる。

「笑わないでよ。無茶苦茶緊張したんだから。」

 そう言いながらも、私もあのひどい有様を思い出した笑ってしまった。

 良かった。

 今まで通りの私達だ。

 いや、今まで以上の私達になるのかな。

 


 二人揃って、陣に顔を出すと、七重が柔らかく微笑んだ。


「颯介、おめでとう。」

「ありがとうございます。」

 七重と颯介が意味ありげな視線を交わす。

 不思議顔で颯介を見上げると。

「ちょっと助言を頂きまして。」

 と颯介は頭を搔いた。

「私は、お見合いの話、ユイに相談してみたら?って言っただけだよ。」

 七重を悪戯っぽくニヤリとする。

「七重ちゃん…… 私を煽ったの⁉」

「ふふん。颯介、これは貸しだからね。さあて、何奢ってもらおうかな。」

「僕としては、随分大きい借りを返してもらっただけの気もしますけれど、いいですよお好きなものをどうぞ。」


 時代は移り変わり、季節は巡る。

 その中で、私達の関係も少しずつ変わっていくのだろう。

 過ごした時間の分だけ、力強く温かい繋がりを深めていければいい。

 そんな風に思う。


 






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る