4  まつろわぬ者

 髑髏が空を飛んでいる。

 一番星が見え始めた赤紫の空を、カタカタ顎を震わせながら滑空する髑髏。


 漆器問屋の息子の捜索依頼をこなす最中、僅かに残る気配を辿っている所で、そんな奇妙なものに出会った。

「血の気配もします。追いますか?」

 顔を少し顰めて言った颯介に

「息子さんの安否が心配だもの。行こう!」

と答えた。

 人命第一とばかりに安易に下したこの判断を、私は少し後に後悔することになる。



 髑髏が消えた場所には洞窟があり、周囲は異様な気配に包まれていた。

「おかしいですね。妖の気配はごく薄いのに、死の気配が濃厚です。ここでたくさん殺されていますよ。」

 颯介が元々白っぽい顔をさらに白くする。


「何かはあるな。俺ちょっと行って覗いてくるよ。ヤバそうだったら直ぐ戻る。」

 忠道様が入り口に向かおうとすると、

「そんな、先ずは私が行きますわ。」

 梅子先生が慌てて動く。いやいやそれならばと、

「え、だと一緒に行きます。」

 と私もついて行こうとした。

「この流れって、僕に行けって言ってます?」

 颯介は長いため息をつく。

「颯介、顔色が悪いもの、待ってなよ。私は鈍くて、気に当てられることがないから大丈夫だよ。」

 繊細な颯介と違い、霊力の乏しい私は妖気の濃淡に鈍感なため自信あり気に言うと、

「それ、気づいたら死んでた…になりかねないんで、行かないでください。僕が行きます。」

 颯介はウンザリした表情でさらに深いため息をついた。


「いいから、俺が行くっつってんだろうが。大将とへなちょこはここで待ってろ。七重いくぞ。」

「はぁっ?あたし?」

 忠道様が顎をしゃくって促すと、一瞬驚いていた七重だが、

「颯介の探知能力を上回る奴なら、妖術に長けてる可能性がある。耐妖力と物理攻撃の高い俺と、回復特化のお前の2人が一番安定した組み合わせだろうが。洞窟の中は薙刀使いづらそうだしな。」

 という尤もな理由に、

「分かったよ。行こう。」

 と、表情を引き締めると弾の装填を確認して歩き出した。

 そして二人は松明を持ち、闇色の入り口の中へ消えていった。



 しかし、四半時ほど経ったが、2人は出てこない。

「おかしくない?」

 そわそわ歩き回る私は、痺れをきらして話しかけた。

「何かあれば、忠道様から知らせがあるはずですが、何もないですね。」

「静かすぎるのが逆に心配ですわ。」

 さすがに2人も異変を感じつつあったようで、様子を見に行くべきか迷っていると。


 遠くから銃声が聞こえた。


「あれは!行かなきゃ。ミケはいる?」

「みゃーん。」

「念のため、あやめさんの所に行って、応援頼んで来てね。」

「にゃん。」

 ふっと現れたミケは、私のお願いを聞くとしっぽゆらりとさせ再び消えた。


 大岩に囲まれた入り口から何に入ると、中はどんよりと生暖かい空気が満ちていた。

 少し進むと道は狭くなり、天上の岩肌がすぐそこまで迫って、屈まないと先に進めなくなった。

「これは、忠道様、良く通っていきましたね。僕でもすれすれです。」

 足元の勾配もきつい中、岩と岩の間をすり抜けながら行く。


 体を通すのも大変なのだが、私も梅子先生も武器は薙刀…運ぶのも一苦労だ。

 どうにか狭い道を抜け、少し開けた場所に出た。

 生臭い血の匂いがする。

「何かいます。」

 颯介が松明をかざすとモゴモゴと蠢く何か。

「ジジッツ」

「ジッ」

バサバサッ

「なんだ、蝙蝠こうもりか。」

 天井にびっしりと張り付く黒いの塊をみやりつつ、ほっとして歩き出すと、足にごつんと何かが当たり転がった。

「ん?ひゃあぁ。」

 生首?頭のようなものが見えて、らしくもない声を出して飛びのく。

 颯介は松明を地面に近づけた。よく見ると猿の頭が転がっている。

 少し先には胴体が見えるが、それはタヌキのようなずんぐりとした胴体、そこから縞々の足が生え、尾には鱗が見える。

「断ち切られている。これはぬえですか。」

 頭と胴体を見比べて颯介が言った。

「そのようですわ。3体はありますか。見事な切断面…これは忠道様ですわね。さすがでいらっしゃる。」

 颯介と梅子先生は冷静に妖の屍体を検分しているが、先行した二人の姿は無い。

「こんな大物まで出たというのに、先に進んだのでしょうか?」

 松明を翳して颯介は眉を顰めた。周囲を探ると、隅の方で何かが煌めく。

 駆け寄ってその正体を検めて、震えが走った。

「…どうしよう。刀が落ちてる。忠道様の…。」


パァン


 洞窟の更に奥から銃声が聞こえた。

「七重ちゃん!」

 慌てて再び狭い岩間を潜り抜けていくと、高さ30メートルはある大空間に出た。

 見ると、そこら中にテラテラ光る網状のものがかかっている。


「おや?今日は随分と大漁な。」

 中央にあった大岩かと思ったものが、のそりと動いた。

 丸々太った蜘蛛。

 当然ただの蜘蛛ではなく、巨体には鬼のような女に顔がくっついている。


「ほほう。美味そうな男がもう1人。」

 ニタリと笑った蜘蛛が嬉々とした声を響かせる。

 見れば、蜘蛛の周りには人の頭のついた繭がいくつもぶら下がっており、その中には、七重、忠道様の姿があった。

 七重はまだ意識があるらしく、苦々しくこちらを見ると、

―馬鹿

 と口を動かした気がした。


「嬉しいねぇ。見目がよく、霊力の高い男は大好物だよ。さっきの男もとびきり上物思ったが…お前、いいねぇ。」

 蜘蛛女は赤くて長い舌をペロリと出す。


「痺れるほどの妖圧ですね。梅子先生、全力でお願いします。力の底が見えないんです。」

「承知ですわ。」

 2人が戦闘態勢に入る。

 七重が動けない今、サポート役は必然的に私だ。

 術を使えないため、護符を片手にじっと構えた。

 強敵のようなので、忠道様やお婆さまが作ってくれた特別製を手元に用意する。


 颯介の掌からは、うねりながら蜘蛛に迫る紅蓮の炎。

 一方、梅子先生の周りは、僅かな風が起こり空気が震え、青白い放電の光が見える。


 赤い炎の中から這い出してきた蜘蛛へ先生の切っ先が迫り、無数の風の刃が襲い掛かる。

 滑るような動きでそれらを避けた蜘蛛は、白糸を吹きかけて応戦する。

 梅子先生はそれを薙ぎ払うと、中段からの鋭い突きを叩きこんだ。

 雷の気を帯びた技は蜘蛛の上腕を切り裂き、そこからどろりと白い血が流れ出てくる。

「小賢しい。」

 蜘蛛は、巨体にそぐわぬスピードで鋭い鎌の様な前脚をかざして切りかかってくる。

 私は素早く守りの護符を先生と颯介に使った。

 鋭い衝撃音が鳴り響き、忠道様由来の透明壁がそれを防いだ。しかし、壁には無数の細かいヒビが入っている。


 力も速さもある相手。早く決めたい。術への加護が増す護符を使った。

 オレンジ色に変わった颯介の炎は蜘蛛を追い、熱波は少しづつ体毛を焦がしていく。

 梅子先生は、脇構えから大きく蜘蛛の胴を払う。表面が裂け、傷口からは白色の血が吹き出し、中からゴロゴロと大量の人の首が出てきた。

 かなり気味が悪い有様だが、蜘蛛は動きを止めず、重い攻撃を次々と2人へ打ち放っていく。蜘蛛は血を流しながら暴れるので、次第に動きの精度が落ちてきた。

 いける。と思った時、蜘蛛女の視線がこちらを向き、目が合った。

「邪魔だな、お前。」

 弾丸並のスピードで白い糸が伸びてきて、護符を握っていた左手を貫いた。

「うっ。」

 太い針金が刺さったような痛み。赤い血と護符が宙に散らばった。痛がっている暇は無い。

 つつぅと蜘蛛は動き、梅子先生の斬撃と颯介の炎を掻い潜り、私の眼前に迫ると、鋭利な腕を振り落とした。

 私は咄嗟に傍らの薙刀を構えて受ける。腕が取れそうなほどの痺れが走り、体は吹き飛ばされ洞窟の壁に激突した。

 痛いっ。

 最低限の受け身を取って、頭こそ打たなかったものの、肩を強打した。

 立ち上がって薙刀を構えるも、岩壁に当たった部分が重く痛む。ヒビでも入ったか折れたか。

「ユイ様っ。」

 颯介が駆け寄ろうとしているが、蜘蛛は素早く糸を網状に出して阻み、私に次の一撃を繰り出してくる。

 薙刀に込められた火の力を最大出力で呼び起こし、迎撃する。

 ギシッツ

 刃と鍵爪が合わさったところを上手く往なせた。

 ヒョウ

 梅子先生の風。砂塵や礫が舞い上がり蜘蛛の動きを一瞬留める。

 懐の護符を探る。何か残ってないか?一枚やけに質の良い手触りのものが。


―「ユイちゃん。出会いの記念にこれあげるよ。」

「これは…護符ですか?」

「うん。俺特性の『虫除け』。嫌な虫がでたら使うといいよ。」

「矢彦さん、ありがとうございます。私めちゃくちゃ蚊に刺されやすいので、夏に使いますね。」

「効果抜群だから、期待してね。」―

 

 矢彦さんの手製護符!


 蜘蛛は、礫に体をさらに傷つけられててもこちらに進んできた。

 神経を研ぎ澄ます。

 鍵爪がうなりをあげて迫る。右は躱した。左を受けるが、押し切られ、薙刀が弾き飛ばされた。そして、引くのではなく懐に入った。

 ―効いて

 矢彦さんの言動からは想像できないような、流麗な筆遣いで呪法が描かれた護符を蜘蛛の腹に押し付けた。

 やんわり熱を感じた。仄かな光も。


 ピタリと蜘蛛の動きが止まる。

 「おのれ、おのれ、烏か!」

 蜘蛛女は憎々しげに喚くが、動けない。


 颯介と梅子先生の拘束も解けたらしく二人が駆け付ける。

布都御魂ふつみたまよ貴方様の加護を乞い願う。」

 梅子先生の凛とした声が響き。斬撃と雷撃が同時に撃ち落される。

 巨大な蜘蛛は二つに割れていた。

ほむら

 続く颯介の声とともに、火柱が立ち昇り蜘蛛を焼き尽くす。


 倒せた。


 後は忠道様と七重、糸に巻かれている人々を助けなくては。


 薙刀を拾って繭のようにぶら下がる人々の所へ向かおうとする。

 突如、鋭い殺気を感じた。

 構えが間に合わず、白く細い糸の攻撃は薙刀の柄に当たり、柄が砕け散った。そのまま脛が切れる。

「何っ?」

 思わず膝をつく。

 見渡すと、梅子先生は右腕と左腿を貫かれ、颯介は右肩を押さえていた。

「そんな…。」

 先生の声が震えている。

「化け物ですね。妖気が強くて吐きそうです。」

 颯介がいつになく鋭い眼差しを炎の中へ向けた。


 空気が割れるような衝撃があり、あれほどの火柱が一瞬でかき消えた。


 そこに立っていたのは先程までの蜘蛛とはまるで違う人の形の何か。

 ウエーブがかった褐色の長い髪を足元まで垂らした背が高く、四肢もスラリとした美しい女。顔には朱の化粧が施されている。

 口の片端をニィとあげたそれは、前へ突き出した掌から無数の糸を投げかけてくる。

 分かっているのに避けられないスピードで飛んでくるそれは、首を狙って来る。

 僅かに体を逸らし首は飛ばさずに済んだが、肩が抉られ、堪え切れずに地面に倒れ込んだ。


 颯介は、傷だらけの体のあちこちを蜘蛛の糸に絡めとられ、吊るされるような形でぶら下がっている。糸は所々肌に食い込み、赤い血が伝い落ちる。

「痛っ。貴女、何者ですか?」

 颯介が険しい目つきで睨む。

われの名は、阿邪媛あざひめ。この国巣くう土蜘蛛の一人といった方が分かるか?」

 妖は、颯介の胸を撫でながら答えた。

「極上の霊力だな。どうだ、我に従うというなら、子種として生かしておいてやっても良いぞ。」

「死んでもお断りです。」

「無理をするな、お前のような霊力が輩は、生まれつき呪っておるのだこの世を。なぁ、本当は憎かろう?」

 土蜘蛛は這わせた手を顔へ滑らせると、颯介の顎を軽く持ちげて問いかけた。

「呪う?感謝こそすれ、僕は世界を憎んでなんかいない。僕の世界は今日も美しい。」

 颯介がちらりと私の方を見た。

「己が魂に宿る怨みは、例え輪廻を巡ろうとも、根を生やしその本懐を遂げようとするものだ。」

 土蜘蛛が人差し指を立てると、指先から黒い糸のようなものがピンと飛び出して、颯介の眉間に突き刺さった。

「思い出すといい。」


 颯介は血を滴らせながらガクガクと痙攣し、声にならない呻きを漏らす。

 何も映さなくなった瞳からは涙が溢れ続けている。


 どうする、どうすればいい?

 肩が、足が痺びれ、痛い。

 でも、そんな事言っていられない。

 心は体以上に繊細だ。颯介を早く助けなければ壊れてしまう。

 動ける限りできることはあるはず。思考と視線を巡らせろ。


 視線の先に七重の瓢箪水筒が転がっていた。

 あの中には確か…。

 でてこいアドレナリン、大丈夫、きっと動ける。

 土蜘蛛の注意は颯介に向いているが、きっかけが欲しい。更に注意を逸らせる何かが…。

「ううぅ…」

 梅子先生が小さな呻き声とあげてこちらを見る。

 私の視線を確認した先生は軽くうなずいた。

 先生の手のひらが挙がり、一つずつ指が折られる。


 5、4、3、2、1


 駆けろ!

 土蜘蛛の足元から蔓が伸び、一瞬体を拘束している。


 私は、七重の瓢箪を拾うと、栓を開ながら颯介に近づき、中の液体を口に含んだ。 

 口内が焼けるような熱さを感じる。


 傷口から血を流し続けたまま、ゆらゆらと揺れる颯介は、震えながらうめき声をあげている。その瞳は深く暗く翳っていた。


 私は、鼻から大きく息を吸い込むと、口一杯に含んだ液体を颯介に吹きかけて、残りを糸に蒔いた。

 液体の正体はお婆様が祈祷したお神酒。並みの妖なら消し飛ぶ位の神気は纏っている筈。


 颯介の瞳が揺れ、拘束の糸はトロリと溶けた。 

 支えを失い、崩れ落ちる颯介を抱きとめる。

 

「ユイ様…。」

「大丈夫?」

 瞳を覗くとそこには先ほどの濁りはなく、いつも通りの澄んだ水色があった。

「ユイ様…愛しています。」

 …頭はちょっとまだダメかもしれない。


「洒落臭いな。」

 蔓をあっけなく断ち切った土蜘蛛がゆっくり歩み寄ってくる。

 忠道様、七重は囚われ、梅子先生は動けない。颯介は血まみれだ。

 こんな所で負ける訳にはいかない。みんなを死なせる訳にはいかない。

 策を考えろ、無いならまずは時を稼がないと。

 颯介をギュッと抱きしめ、一度目を閉じる。

「阿邪媛、教えて欲しい。貴女は只の妖ではないのでしょう。なぜこんなことをしているのか。」

 再び目を開けて発した声は、落ち着いた低い調子のものでほっとする。

 土蜘蛛は一瞬視線を彷徨わせると、歩みを止めた。

「ずっと見てきた。帝の一族は、我らを滅ぼした後も己が欲の為に、騙し、奪い、殺し、争いを生み続けてきた。そんな世ならいっそ滅んでしまえと何度か暴れてやった。ほかのいにしえの王はどうか知らぬが、我はこの250年間は実に大人しくしていたよ。東照大権現…自ら望んで国家鎮撫の神となった男の覚悟は伊達では無かったのぅ。見事、戦が無い実に平らかな時代であった。それが今、帝の一族は己が手に力を戻そうとし、再び争いの火が燃え始めているではないか。それは見過ごせぬ…我は己の正義のために力を取り戻すのだ。」

 土蜘蛛は憤怒の相を向けてくるが、同時に何故か大きな悲しみが伝わってきた。

「だからといって、貴方が罪なき命を奪う権利なんてない。自分の正義のために他人生命を犠牲にしていい理由なんてどこにも無い。人の生命を奪った時点でやっぱり貴方は化け物になってしまったんだ。」

 眉宇を引き締めて言葉を返す。

「青臭い。『罪』を判断するのも己自身の正義である以上、武を振るう者は全て化け物という事になるのではないか?お前自身も含めてな。あの時、帝の一族は何をしたと思う。騙し打ち、惨たらしい殺戮だ。親も、子も、愛する民も殺され血の川ができる程だったのだぞ。あれを罪と言わず何という。」

 土蜘蛛は蔑むような笑いを浮かべた。

「確かに正義は堕落しやすいらしい…今の貴女のように。私が師から受けた教えが3つある。それは『義』『勇』そして最も大切な『仁』。人を慈しんで、憐みや思いやりの心が無ければ、武を振るう資格は無いと言われていた。武力を使う誇りと共に慈悲がなければと。私は未熟者だけど、それを忘れたことは無い。」

 こんな時に、この言葉が自分の口から出てくるなんて、自分でも驚いた。

 土蜘蛛の視線が僅かに揺れた気がした。が、

「…愚かだな、そのような甘い考えで武器を取るからお前はここで死ぬのだ。我が子らの糧となり、あの世からこの世が滅ぶ様を泣きながら見ているといい。」

 そう言うと、50センチほどの蜘蛛が地から湧き出してきて、地面を埋め尽くす。

 さわさわと子蜘蛛の群れが近寄ってくる。


「ユイ様、死んでもお守りしますから。」

 腕の中で瀕死の颯介がフラフラ立ち上がろうとする。

 それをぐいと押し留めて背に庇う。


 その瞬間、光が走った。

 見ると、白金色の神気を纏った矢が、目前の蜘蛛を射抜いていた。

「ユイの言葉、随分と耳が痛いな。」

 数日ぶりの頼もしい声が響く。

 そして更に無数の光の矢が空を切り、蠢く蜘蛛達の動きを封じていった。

「お待たせ〜ユイちゃん、よく頑張ったね。」

「後は、お任せなされ。」

 双葉さん、矢彦さん、雨田さん!


 黒袍を纏い、赤色の陣章を身につけた数十人が弓を番え、姿を表した。

「帝の犬が。」

「我らは賀茂の理によって動く、古の王阿邪よ、其方の国はもう無いのだ、禍と成るならば再び眠りにつくがいい。願わくば永久とこしえに。」

 無数の護符が舞い、鈴の音が聞こえる。

 そして、賀茂の烏は一斉に何か唱え始めた。

 呪文、いや祝詞?

 むしろ魂を震わすような「歌」。

 鈴の音と相まった荘厳な調べがあたりを包む。

 土蜘蛛の表情から、ぎらついた険が消え、悲しみと、何かを悼むような静けさが見て取れる。

 そして、緩やかに霞のように空気に溶けていった。

 

 颯介を抱きしめているつもりが、いつの間にか抱きしめられていて、烏の皆さんの登場に安心しきった私は、急に酔いが回ってきて、夢の世界に落ちていった。


 


 賀茂の烏方々の、速やかな処置のお陰で、立葵の面々は誰も損なうことなく帰還。

 けれど、傷も深く、毒や穢が酷いそうで、我が家で賀茂の皆さんの治療を受けている。

 今日は贅沢にも双葉さんが往診に来ていた。

「いいね。ユイが一番回復が早いよ。結構重傷だったんだけど。今日からは普通に生活しても問題ないね。」

「ありがとうございます。烏の皆さんには感謝してもしきれません。私が未熟なせいで全員命を失うところでした。」

 双葉さんに改めて、心からの感謝を伝えた。

「でも、全員無事だった。土蜘蛛相手に大したもんさ。」

「助けて頂けたからです。ホント運が良かっただけで。」

「運も実力のうち。いくら力が充実していても運が無ければ死ぬからね。それに今回はうちも大分助かったよ。土蜘蛛鎮めで烏が全員無傷って、始まって以来ではなかったかな。」

 ニコニコと答えてくれる双葉さんに気になっていたことを聞いてみた。

「あの、ところで土蜘蛛ってなんなんですか?戦いの最中、王って呼んでましたよね。」

「ああ、アレは古代の権力闘争の中で、怨みながら抹殺されていった者の魂の成れの果てだ。ユイはヤマトタケルの伝説は知っているか?」

「うーん。神話の英雄ってことくらいですね。」

 古事記や日本書紀の世界の話だろうか。

「そうだな、文化の遅れた野蛮な異民族を打った英雄といったところか。しかし、それは中央の役人が作った政治的概念みたいなものなんだ。」

「英雄ではない?」

「まあ、あの時戦った人々は異民族でもなんでもない、多少の差はあっても、同じ文化を持つ地方豪族だったんだよ。」

「ええっ。」

「国を焼かれ、民を殺され、全てを奪われただけでなく、帝の権威づけのため、夷狄とされ、その後巨大な蜘蛛の妖怪に身を落とした。正直、あの阿邪媛の嘆きも怨みも、最もだと思うさ。だからなおの事、まつろわぬ者を殲滅していった、あの戦に携わった一族の責務として、我々は各地で蜘蛛を追い、鎮めていくのさ。」

 それが賀茂の宿命と双葉さんは自嘲の笑みを浮かべた。


「そういえば、阿邪媛に向けた、『武』を語るユイの言葉には、身につまされたよ。いいね、あれは梅子さんの教えかい。」

 そう訊ねられて少し焦る。

「あ、いえ、あれは祖母からなんです。」

「ユイは良い師に恵まれたね。」

 双葉さんが優しく頭をなでてきた。

「はい、本当に。」


 嘘は言っていない。

 あれは、勇生の時、祖母から貰った言葉だ。

 様々な人から受けた教えが自分の中で息づき、今日の私を生かしてくれている。









 



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