小話 もう一つの任務
会津を発ってから暫くすると、周囲の山々は水墨画のような雪景色から、いつの間にか茶と緑の春待ち色へと変わっていた。
「あれは、間違いないだろうな。」
私は供の2人に、今回のもののふ省からの依頼について、一応の確認をした。
「双葉様、そうですな。人の消え方、妖気の痕跡、そして何より我らの血が訴えかけてきとりますな。」
と雨田。
「おれもアレだと思う。だから、一刻も早く本隊率いて戻ってこないとね。人を食らうほど強くなるから、アレは。」
そして、矢彦も。
どうやら2人とも確信を得ているようだ。
「しかしあやめの奴、さすがだな。随分早くから、うちに召喚依頼を出してたんだろう。」
中々食えない、会津の番所の主を思い浮かべる。
「ええ。引退したといえども元4位は伊達ではありませんな。気づくのが遅れたら、みちのくばかりか、江戸も危なくなりますから。」
件の妖は、放置すればとんでもない厄災となる。今の段階で我々を呼び寄せたのはあいつの大手柄と言えるだろう。
「ううー腕が鳴る。血が騒ぐ。早く鎮めてやりてぇ。」
血が、衝動を滾らせる。
「矢彦、逸り過ぎるなよ。我らが宿敵、これまでも多くの同朋があの為に命を落としてるんだ。抜かりないようにしっかり準備するんだよ。」
落ち着くよう諭すと、
「分かってるって。」
少しばかり反抗的な声が返ってきた。そこで、
「そうだな。さしあたっては、護符を100枚、破魔矢は500本を準備してくれ。」
と言ってやると。
「うへっ。どのくらいで?」
恨みがましい視線が飛んできた。
「5日でできるか。」
並の術士であれば、1日で護符なら3~5枚、破魔矢も2~3本がせいぜいのところだが、矢彦であれば少し無理すれば間に合うだろう。
「はぁ。ユイちゃん達のためだ。善処しますよ。」
「時に、双葉様、もう一つの件『白沢颯介』についてはいかがしましょう?」
雨田が、重々しい調子で訊いてきた。
「うーむ。とりあえずは放置でいいのではないか?」
問題なかろうと答えると、
「俺もそう思う。殺気を受けたときは、やっばい奴だと思ったけどさ、ユイちゃんがいる限り、『もののけ堕ち』はなさそうだよ。」
矢彦も賛同してきた。
「あれほどの霊力…儂は確かに脅威に感じました。巫女様方からの指示は『憂いがあるようなら今のうちに消せ』でしたが…。」
雨田が、本拠地にいる隠居達の指示を確認してくる。
「はぁ、『護国の烏』が聞いてあきれるな。いつからうちは『神』になったっていうんだ。人であるものを、起こしてもいない罪で殺して回ったら、何が正義か分からなくなるだろうよ。そんなのただの暗殺集団じゃないか。ばあ様達の事は気にしなくていい。あの子たちは大丈夫さ。」
古狸、古狐たちの顔を思い浮かべると苛々し、口調が少しきつくなってしまった。
「それを聞いて安心しました。報告書には『全く憂いなし』と記すとしましょう。」
雨田は、綻んだ顔で答える。
「ああ、それで頼む。あんなに可愛い子らの将来を、因習にとらわれた我々が奪ってはいけないんだよ。」
「仰せの通りに。」
「それにしても面白い陣だね『立葵』は。」
愉快な面々を思い出して、思わず笑みが漏れる。
「小規模ながら、有望な若者揃い。将来が楽しみですな。」
雨田の声も僅かに弾む。
「今でも、会津の番所の依頼、3割は彼らが処理しているらしい。あやめが我が事のように自慢していたよ。」
駆け出しの陣にしては実に優秀だと、ほくほく顔のあやめだった。
「あー、大将のユイちゃん。可愛かったなぁ。あの純真さにもっと癒されたかったよ。」
はぁーっ、ため息とともに矢彦の腑抜けた声が聞こえた。
「お前、大分構っていたものな。颯介を煽る為だけでなく、素だったか。」
思わずニンマリして言うと、
「どうだろうね。楽しかったのは間違いないよ。でも…ちょっとユイちゃんの魂の不思議な感じが気になったんだよね。仲良くなって、確かめてもみたかったんだけどな。」
矢彦は思いの外しっかり見ていたようだ。
「なんだ、気づいていたのか。大分変った色をしていたな。ひょっとすると…。」
思い返し可能性を探っていると、
「双葉様も気に掛かりましたか。では、颯介にまずは疑義だけ伝えておきましょう。彼も全力で対処するでしょうからな。」
雨田も心得ていたようで、助けの手を打てることが嬉しそうだ。
「賀茂の烏」の歴史は、輝かしいものばかりではない。むしろ血生臭い勝利と悲劇の繰り返しだ。
災厄とも呼べる妖との戦いの中で、ある時烏達は気づいた。
元を断てばよいのだと。
妖は、様々なものが転じて生じるが、深淵の力を持つ妖の多くは、元「人」であることが多い。
人は容易に魔に魅入られ、怨み、妬み、欲が人を堕としていく。
そして、霊力の高い人間が堕ちた場合、取り返しのつかない深淵の妖が生まれる。
だから烏は狩り始めた。
より早く、高い霊力を持つ者を見つけ出し、危ういと判断すれば、容赦なくその芽を摘んだのだ。
烏になりたての頃、そうやって先代に殺された子供を見た。
小さな骸を前に、正しさとは何か?足元が崩れそうな感覚と、このままではいけないという衝動が湧きあがり、力を求めた。
己の正義を貫く為には、「力」が必要だった。
権力を手にしなければ、なし得ない事が、守れないものがあると思った。
そうして、穏やかな人生と引き換えに手にしたこの力は、未来に何を残していけるのだろうか。
感傷に浸りつつ上を見上げると、淡青の空の合間を、白く輝く雲が見る間に形を変えながら次々と流されていっていた。
早春の風はまだ冷たいが、その中にほんの少し甘い梅の香が混じる。
時代が幾ら混沌としていようとも、季節は巡り、本格的な春の訪れは、もうすぐそこまで迫ってきている。
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