2 賀茂の烏と雪見風呂~宴~


「ユイちゃーん。久しぶりね。」

 もののふ番所の赤と黒の長暖簾を潜ると、艶のある声が飛んできた。

 今日の帳場には、厳つい寅蔵さんではなく、番所の主である妙齢の女性が座っている。

 私はその姿を見るとすぐに駆け寄って

「あやめさん!お帰りなさい。江戸、長かったですね。寅蔵さん随分と寂しそうでしたよ。」

 と、声をかけた。


 あやめさんは年齢不詳の妖艶な美女で、粋に着崩した着物からはメリハリのある体の線がはっきり見てとれる。

 その艶美な様から元は島原の太夫だの、大名の落胤だの、実は妖だの…色々噂があり、人々の想像力を掻き立てる人だが、実の所は刀鍛冶の娘さんで元「もののふ」だそうだ。

 寅蔵さんとの大恋愛とか色々あって、今は会津のもののふ番所の主人として、ここら一帯を取り仕切っている。

 

「寂しそうだったって?やあねぇ。あの人ったら分かり易くて。うふふ、でも、昨夜沢山構ってあげたから大丈夫よ。」

 あやめさんは艶然と微笑んだ。

 際どい会話になりそうだったところで、

「それで、あやめさん、呼び出しの要件とはなんですか?」

 と颯介が話題を変えた。

 夜の話で、もっとからかう気満々だった様子のあやめさんは、少し残念そうにしながらも、気を取り直すと、

「実はね…連れてきちゃたのよ。『賀茂かもからす』!」

 と、興奮が混じる声で言った。


 カモのカラス?…ピンとこない。

「えっと、カモ?カラス?新種の鳥ですか?」

 と聞いてみると、

「ユイ…大将の名が泣くよ。」

 七重が隣でガッカリしたように呟く。

「ユイ様、『賀茂かもからす』と言えばこの国で最も古い妖討伐の集団ですわ。もののふよりも起源は古いといわれてます。」

 すかさず梅子先生がフォローしてくれた。

「お前会いたがってただろう。4位の陣だ。しかし、何だって格式高いとこ連れてきたな。」

 続く忠道様も追加情報をくれる。


 あやめさんは、初見の忠道様に目を留めると、

「あら、こちら新顔さんね。何だっていい男だこと。これは『立葵』は顔採用だって噂に信憑性が出ちゃうわ。」

 と目をパチリとさせた。

 聞き捨てならない言葉に、

「何ですかそれ!」

 と聞くと、

「だって『立葵』の子、みんなかわいいから。志願して落とされた、むさ苦しいお兄さん達が、『顔採用だった』口惜しそうに言ってたわよ。」

 あやめさんはくすくす笑いながら答えた。

 それは心外と

「うちは完全実力主義なのに!」

 と非難の声をあげた。

「そうねぇ、仕事ぶりみたら『顔』なんて言ってられないわよね。それでね、そんな実力者揃いの『立葵』の皆さんに私からの依頼というか、ご褒美があるのよ。」

 あやめさんはにっこりする。


「あんまりいい予感はしないですけど…。」

 颯介が胡乱な視線を投げかけた。

 あやめさんは、片眉をあげる。

「颯ちゃん、失礼ね。凄くいい話よ。今夜、東山ひがしやまで『賀茂の烏』を迎えての宴を開こうと思ってるの。わざわざこんな所まで来てもらったんですもの、ささやかながら『おもてなし』はしたいじゃない。そこで、私と寅さんだけじゃ寂しいから、あなた達もどうかしら?」

 思いがけない申し出に、私は思わず食いついた。

「本当ですか!4位の人の方々と!凄い。行きます!」

「嬉しいわ。もちろん私が奢るからね。温泉付きよ!」

「やったぁ!」


 あやめさんと2人盛り上がっていると

「やったじゃ無いですよ。それ接待ですよね。泊まりがけの。あやめさん…それこそ『顔』で選んでませんか?」

 颯介がひんやりとした口調で問いかける。

「やあねぇ、そんなことないわよ。前途有望な若手の後学のために決まってるじゃない。」

 そう言ってひらひら手を振るあやめさん。

「そうだよ、颯介、だって4位の陣だよ。会って話が聞けるなんて滅多にないよ。」

 私もつい大きな声で返すと、今度は七重が眉を寄せて言った。

「ユイ、4位の陣って『旗本格』持ってるの知ってる?酒席で無体を強いられても断れないよ。」

「はぁっ?」

 つい間抜けな声が出てしまった。

「そうですよ、どうします、酔った勢いで迫られたら!」

 颯介が勢いよく続く。

「いやいや、そんなことあるわけないでしょ。」

 ないない、と訴えるのだが…

「ユイ、あんた世間知らずのお嬢様だってこと、もっと自覚した方がいいよ。なんだかんだいっても結構身分に守られてんだからね。」

 七重は真剣な顔で言ってくる。

「え、ええー。」

 ひょっとして、昔の時代劇にたまにある、帯グルグル外されて「あ~れ~」って展開を心配されてるのでしょうか?


 どうしようと視線をめぐらせると、

「お前らほんと過保護だな。安心しろ、今の賀茂の烏は気風の良い女大将だそうだ。配下はみんな尻に敷かれているって話だから、滅多なことはねぇよ。」

 忠道様が、ため息をつきながら言った。

「あーら、お兄さんよく知ってるわね。そんな訳だからユイちゃん、安心していらっしゃいな。」

 再びあやめさんがにっこりと誘ってきた。

 なんだ良かったぁ。

「はい!是非。」

 

∗∗∗


 会津東部に位置する東山ひがしやま温泉は、奈良時代の高僧が発見したという歴史ある温泉で、刀傷も立ち所に癒える名湯と言われている。

 今日の接待宴会(?)の舞台は、そんな東山温泉の渓流沿いにある旅館「湯宿きつね」。

 泉質も評判だけれど、江戸の料亭で修行を積んだ板前が地元の素材を生かして腕を振う、料理自慢の店だ。


 千鳥破風の趣き深い玄関を抜けて、歴史を感じるが良く手入れのされた数寄屋造の回廊を進むと、その先の大広間で3人の賀茂の烏を紹介された。


 大将である双葉ふたばさんはカッコいいお姉さまって感じ。その甥っ子の矢彦やひこさんは小柄でやんちゃな少年っぽい人。そして雨田うでんさんという温厚そうな大柄なお爺ちゃんという3人組だ。

 彼らは、状況調査のため先遣隊として来たらしい。

 しかし先遣隊なのに何故か大将自らが来ているのは不思議。

からすは血の濃さが力になるからね。今回は精鋭3人で来てくれたのよ。」

 とあやめさんは言っていた。

 確か会津藩も追ってる4位の案件がらみというから、それ程の大物がこの地に潜んでいると事だろうか。


からす、しかも大将が来るとはね…。藩は幕府や朝廷に躍らされて、もののけどころじゃ無い。そりゃ追いきれないわな。」

 杯を傾けつつ、忠道様がため息混じりに呟いた。

「やっぱりすごいことですよね4位の陣って。」

 確認すると、忠道様は少し難しい顔をしていった。

「4位って事より、賀茂が動いている方が重要だ。『賀茂の烏』は神代まで遡れる、もののけ封じの名門だ。全員が賀茂姓をもつ血縁者で成り、帝の剣として都を守り、古来より妖と戦って来ている。その歴史は、もののふより遥かに古いぞ。そんな奴らが来てるってことは…。」

―やはり、とんでもない妖の可能性か。


「しかし、上手く隠していますが、3人とも霊力が桁違いです。この圧では、並の妖は恐ろしくて動けないでしょうね。」

 上座に目を向けながら、颯介が額を擦った。

 すると

「俺らのこと、そんな化け物みたいに言わないでよ。君だって人のこと言えないじゃない。」

 寅蔵さんと話していた、矢彦さんが、徳利を片手にこちらへやってきた。あやめさんによると、若く見えるけれど、私より一回りは上のお兄さんらしいとのこと。


「どーぞ、立葵の大将。」

 ニコッと酒を差し出してくるので

「ごめんなさい。私、凄くお酒弱くて…山葡萄液飲んでるんです。」

 と慌てて断った。

「代わってお受けいたしますわ。」

 梅子先生がそっと杯を出してくれ、矢彦さんはそれになみなみと注いだ。

 残念なことに、私は酒に弱い。

 一度立葵のみんなで飲んだ時、一口飲んで真っ赤になり、コテンと横になって寝てしまったらしい。

 揺すっても何をしても、朝まで目を覚さなかったそうで、みんなから危ないからもう絶対飲むなと言われている…。

 

「それにしても、噂以上に可愛らしい大将さんだね。酔わせてみたかったなぁ。」

 そう言った矢彦さんの動きは、流れるように素早くて、いつの間にか頬を撫でられていた。

 隣の颯介の気配が鋭利なものに変わる、まずいっ、接待接待!ここはスマートにかわす言葉を…と焦っていると。


「これ、あまり若いもんを虐めるでない。」

 雨田うでんさんがやってきて、ポカリと矢彦さんの頭を叩いた。

「申し訳ないですな、この馬鹿が…美味い酒や肴にすっかり浮かれてしまったようで。」

「いいえ、田舎のお酒、料理なので京の方のお口に合えば良かったのですが。」

 ほっとして、食べ物へ話を振ってみた。

「いやいや、米も水も良いのでしょう。うま味もキレもある良い酒ですよ。それにこちらはにしんですかな、塩梅も丁度良く酒が進む。」

「そちらは、にしんの山椒漬けですわ。みがきにしんを山椒の葉、醤油、酒、酢で漬けたものです。会津は山に囲まれておりますので、海の幸を工夫して調理するしかありませんの。」

「いやはや、にしんのうまみと程よい酸味の味付けが絶妙です。木の芽の香りもいい。酒飲みには堪りませんな。」

「さすが、良い飲みっぷりでらっしゃいますね。こちらの酒もいかがですか?また違う蔵元のものなのですが、華やかでのど越しがすっきりしていますよ。」

「どれどれ、…おおっ。これもまた良いですな。」

「会津は四方の山々のおかげで、豊かな水と沃土に恵まれております。そのため、良質な米がとれ、芳醇な酒ができるのです。」

 助けに入ってくれた雨田さんは、梅子先生の郷土料理の紹介や、続く忠道様の酒談義を興味深く聞いてくれた。


「しかし、藩の方も大変ですな、こんな美しいまちを離れて、遠く京の地で任務とは…あちらで何度か拝見していますが、中々難儀していそうだ。」

 雨田さんが、京にいる会津藩士に思いを馳せる。

「殿が京都守護職になられて、もう5年以上になります…早く後任が見つかればいいのですけれど。」

 梅子先生は少し眉を潜めた。

「まあこの状態では難しいでしょうな。世の乱れは気脈の乱れ、全国的に妖の動きも活発で各藩国元を鎮めるのに手一杯でしょうし、何より誰でも面倒事は避けたいですから…。」

 雨田さんも少し渋い顔になって答える。

「やはり、京は荒れているのでしょうか?兄が行っているのですが、最近は忙しいのか余り便りが無くて。」

 拓馬さんを案じて、七重が京の状況を尋ねた。

「そうですなぁ、禁門の変はひどかったですな。町家も火をかけられ、町人たちも逃げまどっておりました。火は3日間ほど燃え続け、多くの者が家を失いました。以降も攘夷派どころか倒幕派が流入し、それに対抗する幕府勢力、佐幕派の浪士隊が血生臭い争いを続けておりますよ。そういう場所は妖も好みますから、さらに混迷しますしな。けれど、事態を何とかしようと、会津公はとても良く勤められているようですよ。帝の信頼も群を抜いて厚いとか。」


 雨田さんが状況を教えてくれていると、

「でも、帝に近すぎるのも、ちょっと問題かもね。幕府もやきもきしてるんじゃないの?」

 酒杯を重ねていた矢彦さんが声をあげた。

「えっ?」

 驚いて矢彦さんを見る。

「おい、矢彦。」

 雨田さんが咎めるような声をだした。

「いいじゃないか。あくまで俺の私見だよ。今の会津のお殿様は京、帝に肩入れしすぎて心配だって事。きっと江戸はそんな事望んじゃいなかったじゃない?」

 矢彦さんの問いかけに、思わず忠道様を見る。

「そうなの?」

「帝は未だゴリゴリの攘夷派だ。幕府は朝廷の権威を上手く利用したいが、外国船への対応、今後のこの国の為には『開国』が理に適うと判断している。うちの殿さまは、そこら辺の幕府の本音と建て前を分かってねぇで動いている節があるってことだ。」

 忠道様の説明に、矢彦さんは静かに頷く。

「え、どういうこと?」

 いまひとつ掴めないでいると

「つまり、幕府は、もう時代的に鎖国は無理、開国しかないって思っているのに、長く政治から遠ざかってた朝廷は攘夷に拘ってるんだって。幕府としては、殿様には京を動乱から守りつつ、幕府と朝廷を取り持って、上手く幕府の権威回復に尽力してほしい所だってのに、帝に抱きこまれつつあるってこと?」

 七重が確認してくれた。

「良く分かってるじゃないか。うちの殿さまはお人好しなの。目の前の人が困って助けを求めてたら、全力で助けちまう訳よ。幕府の役職で来てんだから、何を優先すべきかは自ずと分かるだろうに…ったく、それにまず第一に考えてほしいのは領地領民の事なんだけどよぉ。」

 忠道様は僅かに遠い目になった。つまりは

「うーん、幕府に言われて止む無く京に行ったのに、帝のために頑張りすぎて、幕府的には空気読めない奴って思われてるってこと?」

と聞いてみる。

「くくっ、正解。」

 あけすけな言い方がツボにハマったのか、矢彦さんが笑いながら答えた。

「えー、残念過ぎない?」

「残念だと思うよ。長州藩やそれに近い公卿たちとそりが合わなかったのは帝だからね。その意を汲んで追い出しちゃって、それで、あんなにも長州の恨み買っちゃってさ。」

 

 そうなのか、帝が望むのが攘夷だとすると、それを実行してるのに遠ざけられる長州としては、会津なんなん⁉︎って思うよね。こうやって確執が生まれていくわけか。

 「会津公、今は帝に寵愛され、幕府からもまあ当てにされてるけどさ、長州、薩摩、そして…土佐あたりもかな。水面下の動きはかなり激しいから、よく見ておいたほうがいい。薄氷の上を渡らせられてるのを自覚しながらね。」

 口調はあくまで軽やかだが、見つめてくる目は真剣な矢彦さん。


 これは、警告?

「なるほど…薩摩もか…油断ならないな。」

 忠道様もそれを感じとったのか、噛みしめるように呟いた。

 長州、薩摩、土佐。

 さすがに、これにはピンときた。

 勇生ゆいの頼りない日本史知識でも、思い当たる。

 幕末の勢力図を大きく変え、倒幕への要となる同盟-「薩長同盟」。

 確か、禁門の変の頃までは、会津と薩摩は共闘していた。幕府も絶大な信を置いていた薩摩が方針が転換したことは、日本のその後が決定づけられる一大事だったはず。


 その時が近い事を匂わされ、胸の奥は重くなったが、ここは折角の賀茂のみなさんとの一席。滅多に体験できないんだから、もっと話しておかなきゃ。

「そういえば、賀茂の烏の由来ってなんですか?」

 「狼」とか「虎」といった猛々しい動物名の陣はよくあるが、「烏」は珍しいので聞いてみた。

「俺達、賀茂一族は『ヤタガラス』の子孫って言われているの。」

 矢彦さんが教えてくれた。

「『ヤタガラス』ってあの、足が3本ある?」

 と首を傾げると。

「そうだよ。えらい、よく勉強してるね。」

 褒められてしまった。

 ごめんなさい…頭の中にサッカー協会のシンボルマークが浮かんだだけです…。

「ひょっとして、羽とか…3本目の足とかあるんですか?」

 子孫ということは、と気になって聞いてみると。

「ふふん。特別に見せてあげようか?」

 矢彦さんはニヤリと笑って身を乗り出す。

「え、いいんですか!」

 すごい、見せてくれるんだ!と乗り気で答える。

「いいよ。だから後で、俺の部屋においで。存分に見せてあげる。」

 素早く距離を詰めた矢彦さんは、ほとんど耳元で囁くように言った。


「ユイ!」

「ユイ様!」

「痛っ。」

 七重、颯介の叫びと、雨田さんが再び矢彦さんの頭を殴るのはほぼ同時だった。 

 梅子先生と忠道様からも咎める様な視線が…あれ、今何かマズイこと言ったかな?



 御手水に立って、戻る途中の廊下に颯介が立っていた。

「大丈夫ですか。酒気に当てられました?」

 心配そうに顔を覗き込む。

「飲んでないもの、流石に酔っぱらわないよ。」

「ユイ様は危なっかしいですからね。」

 子供を諭すように言うので

「失礼な。颯介こそ平気なの?雨田さんにガンガン注がれてたけど。」

 と言い返す。

「僕は大人ですから、きちんと調整できてますよ。」

 という顔は確かに、いつも通り涼やかだ。


「そうだ、宴は一旦お開きですかね。あやめさんが風呂だ〜って騒いでますから。」

「ほんと?じゃあ早く戻らなくちゃ。」

「はい、あの男は僕がしっかり見張っているので、温泉ゆっくり楽しんできてくださいね。」

 覗きとか警戒?いや、そんな漫画の修学旅行みたいな事、誰もしないでしょうよ。

 颯介の心配性ぶりに苦笑いを浮かべていると、遠くからあやめさんの私を探す声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 





 

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