第三章

1  初東雲


 「会津藩は『義』のために戦った。自分たちに正義があり、誠があると信じていたから、一か月も籠城戦に耐えたんだ。でも負けた。朝敵となって負けた。完敗だった。…辛かっただろうなぁ。老いも若いも多くの血が流れた。戦火によって城郭内、侍達の住んでた場所は全部焼けちまった。商人や職人たちの住む地域も大きく焼けたそうだ。そして、会津武士はこの地からいなくなった。なんとか家名再興が許されたが、そこは会津じゃなかった。寒さ厳しい斗南となみ、青森県下北半島3万石の土地だ。しかもそれは、許されたというより、藩を挙げての流罪みたいなもんだった。実際の石高は三分の一程度しかねぇ、食料、寒さを凌ぐ家、衣服、炭さえ乏しい荒野だ。刀を鍬や鋤に持ち替えて懸命に努力したけど、厳しい気象条件や痩せた土地は思うようにはならなくて、飢えや寒さで大人も子供もたくさん死んじまった。武士であることを何より誇りにしていた会津の侍たちは、耐えがたい苦しさだっただろうに。戦で死んだ方が良かったという思いだったんじゃないかなぁ。その後、廃藩置県により支えだった藩すら消えてなくなっちまった。藩士たちは全国に散りぢりとなった。戊辰戦争で傷ついた藩はいくつもある。東北の諸藩はみんな苦しんだ。でも、会津藩ほど全てを失くした国はなかったよ。何とかならねかったもんかなぁ…ああ、せめてあの時…」


 じいちゃんは、お酒が入ると歴史について饒舌に語る。会津のターニングポイントは、いくつかあったんだってさ。

 その「あの時」を悔しそうに、けれどどこか楽しそうに語るじいちゃん。

 俺はジュース片手におつまみを頂きながら、ふんふん聞いているんだ。

「なあ…勇生ゆい。」

 ひとしきり語ったじいちゃんが俺を見つめる。

 その瞳がいつもより陰っている。

 なにか悲しいことでもあったの?

 あれ、じいちゃんなんか歳とったなぁ。

 調子悪いの?

 ねぇじいちゃん。




「………様、ユイ様、起きてくださいってば。もう、いい加減起きないといたずらしますよ。ユイ様。」

「ううーん。」

 なんか、懐かしい夢を見ていたような、ああでも眠いよ。眠い…

初日はつひ、見るのでしょう?早くしないと白んできてしまいますよ。」

 困ったような声で、颯介が布団ごと揺する。

「……うわっぁ。そうだった。」

 夢の余韻を吹き飛ばすように、私は慌てて起き上がって準備を始めた。


「まったく、一年の計は元旦にありって、おっしゃられてませんでしたっけ?」

 既に出掛ける準備を完璧に終えている颯介は、傍らであれこれ口を出す。

「待ってよ、直ぐに用意できるから。」

「着替え、お手伝いしましょうか?」

 にっこり笑みを浮かべて聞いてくる。

「いいから、あっちで待っててよ。」

 本当に手を出してきかねないので、全力で断り、さらに手を速めた。



―昨日

 大晦日の夜に響く梵鐘の音を聞きながら、ほんのり甘い小豆湯あずきゆを嗜みつつ、旧年にあった色々な出来事を思い返していた。

「心地よい音です。打ち手の腕も良いのでしょう。祓いの効果も高そうだ。」

 火鉢の向こう側で、同じように小豆湯を啜る颯介が呟いた。

「除夜の鐘って、人間の煩悩を打ち消すためのものじゃないの?確か百八つ分…。」

「仏教の考え方ではそういう捉え方もあるようですが、根本的には鬼門封じの術ですね。12月31日から1月1日にかけては、時間軸的には丑寅、鬼門になります。1年のうちでも魔が隙間から入ってきやすい時間なんですよ。鐘や鈴の音ってほら、清めや祓いの効果があるじゃないですか。この時間帯に梵鐘を鳴らすことで、鬼などが入り込まないようしているんですよ。」

「へぇ、そうなんだ。」


ゴオォォォン…


 響いてくる鐘の音をしみじみと聴く。

 時代や世界を越えても変わらないもの。この音もその一つだなと、感慨深く味わった。

 


 昔…勇生であった頃、大晦日は家族と賑やかに過ごしたものだった。

 神棚には尾を加えたお頭付きの塩鮭を供え、歳徳神としとくじん様に一年を無事に過ごせたことを感謝する。

 ざくざく煮とおせちの煮しめの出汁の匂いが部屋に残っていて、お正月気分が盛り上がってくる。

 父さんとじいちゃんは買い込んだ地酒やつまみを片手に紅白を見ながら酒盛りをし、俺や妹はその傍で、リンゴやミカンを片手にトランプなどのカードゲームをしながらまったり過ごす。

 母さんは明日の元旦そばの準備でまだ少しバタバタしている。


―懐かしいな。

 そうそう、年が明けるとじいちゃんに連れられ鶴ヶ城つるがじょうに元朝参りに行ったっけ。

 普段は夜中なんてやっていないけれど、大晦日の深夜から元旦にかけて、鶴ヶ城は真夜中も開いていて、天守閣に登閣できた。

 市内を一望して、一年の無事を願って、縁起物のしゃもじをもらって無性にワクワクしたなぁ…


…また

「登ってみたいな、元旦の天守閣…。」

「はぁ、それは無理ですよ。不審者として捕まりますから。…まさかそれ、忠道様がらみの深い意味とかないですよね。」

 耳聡く私の呟きを拾った颯介が、呆れと何かが混ざった顔で聞いてくる。

「深い意味あるわけないでしょ。いや、あそこ眺望良さそうだから、お正月に登ったら気持ちよさそうだなぁって。」

 慌ててごまかすと

「仕方ないですね、もう遅いですけれど、少し寝たら早起きして城下を望める所で初日はつひでも拝みますか。」

 と安堵した顔で提案があった。

「あっ、それいいね。来年は勝負の年になりそうだし。縁起がいいよ。よーし、一年の計は元旦にあり!一緒に初日を見に行こう。」



 そんなことがあって、早起きして初日を見に行くことになっていたのだった。

 厚着をして表に出ると、青墨色の空にはまだ星が瞬き、深夜のうちにまた少し積もった雪がまちをぼんやり照らしている。

 そのため、日が昇る前というのに思いのほか明るく、歩きづらさは感じなかった。

 

 風もなく穏やかなお正月。でもさすがに空気はとても冷んやりしていて、鼻はツンと、頬はピリピリする。

かんじるねぇ。」

 速足にして体を温めようとする私に、颯介は

「余分に持ってきてますから、よろしかったら、使ってください。」

 と布にくるんだ温石を差し出した。

「さすが、準備がいいなぁ。」

 感心して受け取ると。

「何年一緒にいると持っているんですか。ユイ様が欲しがるものなんて大概分かります。」

 と、くすっと笑った。

 最近また背が伸びた颯介。何だか大人っぽくなった。昔は泣き虫で庇護欲をそそる弟みたいだったのに、最近は世話焼きの兄みたいになってきている。

 実は、もののふの陣立ち上げを機に、颯介は南紅家に住むようになった。といっても寝起きも含め普段居るのは、陣のある離れの蔵で、24時間陣への依頼に対応するためなんだけれど。

 最初はそこまで頑張って陣の運営は考えていなかったものの、番所からはありがたがられるし、何より親との折り合いの悪い颯介が家を出たがっているのが分かっていたので、颯介のお兄さんとも相談して決めてこうなった。

 居候だと、体裁が悪いので形式上は、うちに奉公していることになっている。奉公人としては働かなくて良いと言っているものの、悪いと思っているのか、時間があれば何かと私の世話を焼いてくる。



 あまり深くは考えずに、どこか適当に見晴らしのいい所と考えていた私と違い、颯介はここぞというポイントがあるらしく、迷うそぶりもなく目的地の高台に辿り着いた。


「良かった。間に合いましたね。」

 颯介がほっとした声を出す。


 少しづつ、空が白み出し、山際が黄金色、空も雲も薄オレンジ色に染まっていく。

 郭内からそんなに歩いてはいないというのに、その場所からは城下町が一望でき、背炙り山ははじめとした東の山並みが美しい影絵のようにくっきり浮かびあがって見える。まさに絶好のビューポイントだ。

「よく知ってたね、こんな場所。」

「寝る前にちょっと考えました。概ね予想通りの眺望ですね。満足していただけたなら良かったです。」


「あっ、きた。」

 山々の縁が赤く染まり、オレンジ色の眩い光がゆるゆると昇ってくる。

 黄金色の光が差し、世界にあかりが灯る。

 

 今年は、きっと、激動の年になる。

「俺」が「私」となって、いや「私」の中に「俺」が目覚めて、6年が経った。

 梅子先生、颯介、七重ちゃん、忠道様、思いがけず妙々たる仲間に恵まれている。

 もう一息。

 微かな抵抗かもしれないけれど、全力を尽くす。

 決意を新たに初日を見つめ、全身に光を浴びた。

 


「あれ、拝んだりはしないんですね。」

 横から颯介が声をかけてくる。

「こんなに綺麗なの。一秒でも見逃したら申し訳ないよ。一生懸命目に焼き付けているとこ。」

 と答えると

「確かに、この瞬間だけの唯一無二の見事さですものね。」

 柔らかい声音で颯介が答えた。

 

 太陽はすっかり姿を現した。

 朝日に照らされた城下町は、所々で雪がその光を反射してきらきらとして、明媚な朝の景色が広がっている。

 まちが目覚め、人々は新たな年を営みだす。



「颯介、本当にありがとう。これで今年一年頑張れそうだよ。」

「どういたしまして。こんなことでよろしければ何度でも。」

 颯介の口元から笑みがこぼれる。

 そして、そのあと少しそわそわした目つきになると、ひと呼吸して

「あの、ユイ様、ひとつお聞きしたいことがあります。」

 と、真剣な声で訊いてきた。

「え、何?」

「その…ユイ様は、後のちの事…未来についてご存じなのでしょうか?」

「えっ!」

 一瞬呼吸をするのを忘れた。

 鼓動が早くなる。

 まさか、この日、こんな場所で訊かれるとは思っていなかった。

「すみません…急に。実は前々から気になっていて。これまでも何度かユイ様から確信めいた悲しみを感じる時がありまして。普段は明るいユイ様が時折浮かべる、悲痛な表情の正体を知りたいと。そう思ってきました。」

「颯介…。」

 そんな風に見ていたんだ。

「思い過ごしかと何度も思ったんですが、ユイ様がその顔をする時って会津の将来に関する時が多くて。そして、そもそも何でユイ様はもののふなんて始めたんだろうと考えて。ひょっとしたら未来に対する恐れを持ってらっしゃるのかもって…違いますか?」


「すごいね、颯介。違わない。」

「予知の体質とかなのですか?」

「違うよ。記憶があるんだ。」

「記憶ですか?」

「そう、私の中に今から150年後に生きた男の記憶があるの。」

「150年…だいぶ先ですね。それによると会津が滅亡していたとかですか?」

「まあ、そんなとこ…かな。」

「…はぁ。予想していましたが、滅亡ですか…キツイですね。」

「あ、でも違うの。未来のようで未来でなく、過去のようで過去でもないんだよ。似てるけど…。」

 それから私は6年前、目覚めてからの事を話した。


 颯介は真剣に聞いてくれた。

「なるほど、違う世界の方の記憶が…。」

「でも、最近は良く分からなくっちゃった。6年かけて、2人分が綺麗にまとまって来たというか、融合したというか…しっくりはきている。でも時々怖くなるんだ、ひょっとして、前世だ何だって思い込みかもしてないって。例えば、私って実は二重人格で、男性の勇生は私が作り出したもので、近似の未来だと思っているものも全部現実ではないのかもって。」

 最近感じる恐怖も吐き出す。

 勇生の記憶と信じているものも、懐かしい思い出も、全て私自身の脳が見せる幻だったら。

 そう考えると、会津が滅ばない未来かもしれないから幸せな筈なのに、足元が崩れ落ちるような恐怖を感じるんだ。


「ユイ様。」

 颯介がそっと手を取り。しっかりと握った。

「重かったですね…。それ、貸してください。今日から僕も一緒に背負いますよ。」

 淡い水色の瞳がやわらかく見つめてくる。

「颯介…。」

「だから、不安になったら何でも話してください。聞いて、一緒に考えますから。貴方はあなただし、未来は真っ白で何も決まっていない。今の貴方と私達がこれから、造っていくものでしょう。とにかく、大丈夫です。」

 温かい笑顔に、私の胸にも熱いものが込み上げてくる。

 まずい、泣きそう。

 泣き顔が恥ずかしくて、颯介にしがみついた。

 涙が止まらないので、そのまましばらく胸を借りる。


 6年間、心のどこかに不安があった。この世界への愛しさが増すにつれ、滅亡への恐怖はより大きく付き纏い、時々何が正しいかなんて分からなくなって、たまに自分が何者かすら分からなくなって、眠れない夜もあった。

 

 すっかり大きくなった颯介の手のひらが、優しく背中を擦る。

 漸く落ち着いた後

「ふふっ、昔と逆ですね。」

 愉しげに颯介は呟く。

「あーあ、泣くと思わなかった。なんか悔しい。」

 顔を上げると、

「もっと、甘えていいのに。」

 そういって、颯介は私の目元に残る雫をそっと掬っていった。何だか嬉しそうに、とびきり艶やかな笑みを浮かべて。


 太陽はすっかり山並みを離れ、空はいつの間にか柔らかい白みを帯びた青色へと変わっていた。

 まるで颯介の瞳のような優しい色に。


「帰りましょうか。早苗さんが自慢のつゆ餅、準備してくれてますよ。」

「うん、あ、なんか急にお腹すいてきちゃった。」

 私たちは笑い合いながら、新年の城下町を歩き出した。

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