第2章 出会い 「忠道」‐1‐ 

忠道ただみち様、ユイもお慕いしております。」

 恥ずかしそうに頬を染めながら、どこまでも澄んだ瑠璃のような瞳は、じっと俺を見つめる。

 

「親同士が決めたからじゃない。俺はお前が好きだから、だから一緒になろう。」

と、愛らしい婚約者に告げた後、彼女は俺の想いに応えてくれた。


 胸の内がキュッとなって、本当はその場で飛び跳ねたい心地になったけれど、何とか自分を落ち着かせて、格好をつけた笑みを作る。

 そして、

「おいで、俺、気に入ってる場所があるんだ。」

そう言って、城下を見渡せる高台へと誘った。


 ここは、藩主の一族しか入ることのない特別な場所。

 涼やかな風が吹き抜ける石垣の上で、手をつなぎ、まちを見下ろした。

 

 整然とした美しさをたたえる、白壁の城下町。

 その先には賑やかな商店、民家が。

 さらには緑色の田畑が延々と続き、そしてその奥には雄大な飯豊いいで連峰が広がっている。


「すごく、綺麗だと思うんだ。」

「ええ。まち、田畑、川、山。とても美しいです。こんなに美しい土地で、私たちは生かされているのですね。」 

 俺の感じている、この風景への愛しさと、ここに立つことの重み。

 それを共有できていることが嬉しくて、握る手にほんの少し力がこもる。

「二人で力を合わせて、これを守っていこう。」

「はい。」

ユイは、しっかりと頷いた。


 俺たちは、幼く、純粋な想いの塊だった。

 互いのことが好きで、この地が好きだった。

 支え合い、共にこの地を守ることを誓った。


 ほんの一瞬後、あの幸福が壊れてしまうと分かっていたなら、俺はその手を決して離したりはしなかったのに…




「若、漸くですよ。この峠を超えれば、会津盆地が見えますからね。」

 ほろ苦い過去を顧みていると、近侍の佐竹が声をかけてきて、悔悛を断ち切った。


 あれから5年。

 この手のひらは、あの時の倍ほどに大きくなったというのに、その間この指間からどれほどのものが零れ落ちていっただろう。


 妻子も、生きる希望も失いかけた俺の心に灯をともしたのは、初恋の君の噂だった。

 

 目に見えぬ権力闘争の渦と、急速に変容する世間の波に押し流され、ただ沈みゆくようにも思える、この国の息子として、俺にもまだできることがあると信じさせてくれる最後の光。

 それに照らされるように、江戸の地を後にしてきたのだ。


 坂を上りきると、急に視界が開けた。

「いよいよ、会津に入りますよ。」

気合を入れるように、佐竹が告げる。

 夢に見た祖国を眼下にとらえ、万感の思いが込み上げる。

 冬支度をすっかり終えた薄茶色の田畑が方々に広がり、盆地を囲む山々には、既に白く薄化粧が施されている。

 まだ幼かったあの日に見たのとは違う角度でまちを眺めながら、あの時よりも熱く切実な炎が胸の中を焦がしているのを感じた。

       


 

 会津入りしてから十日が過ぎた頃、かねてより手配していた滞在先の商家の一室で、

「若、なんでこんな格好しなくてはならないのか私には分かりかねますけどねぇ。」

佐竹が、もう何度目か分からないため息をついた。

「いいじゃないの。正体はばれるわけにはいかないんだから。江戸落ちの、ふざけた浪人風ってことでどう?悪くないって。そのままだとお前、いい所のお侍さんそのものになっちまうだろう。あ、いっそのこと名前も変えて…『竹蔵』とかいいんじゃないか。」

 江戸の火消し半纏の裏地のような、華やかな羽織を着付けながら告げる。

「はあ…かといって、こんな派手にする必要あります?もっと地味でもいいでしょうに…。」

中途半端に伸びてきた髭を弄びながら、ため息を続ける佐竹は本当に憂鬱そうだ。

 

「最近、江戸や各地方から会津入りしている輩も多い。高額な懸賞金の付く妖がやたらと多いんだとよ。それを狙って、もののふ崩れのこれより派手な、歌舞いた奴らがゴロゴロしてるさ。身ぎれいな侍がうろちょろしている方が、浮いて目立っちまうだろ。」


 今、会津の置かれている立場は非常に危うい。

 幕府も一枚岩ではなく、諸藩は幕府に付き従うように見えて、実際は様子を窺っているだけだ。

 討幕を叫ぶ志士たちは、江戸や京の街で暗躍し続けている。

 その急先鋒である長州藩やそれを後押しする公家達は、一旦京から一掃されたが、その後も京を火の海にしようとする企みなども続き、昨年は長州藩と、会津藩、薩摩藩の連合軍が激突する戦もあった。

 会津・薩摩が勝利し、長州は退いていったものの、討幕の火は燃えたままだ。

 最近では土佐藩の志士の動きも怪しく、予断を許さない状況になってきている。

 

 それなのに殿は、京都に行ったっきり。

 あれでは国元や江戸、諸藩の様子を正確に把握しているとはとても思えなかった。


 他藩や外国の動きをいくらか調べた後、俺は、国元会津の様子を、直に見に行くことを決意した。

 危険を伴うが、危ないのは江戸藩邸にいても一緒だ。

 とにかく、手遅れになる前に、何かしらの動き出さねばねばと焦燥に駆られていた。



「ほーら、やるなら徹底的にやろうぜ。」

俺は、唇にも軽く紅を乗せ、目尻にも朱を引いた。

「ゔっ。若、正気ですかぁ。」

「どうよ。」

ニヤッと笑って返すと、

「うわぁ。似合っているところが逆に怖いです。町娘の百人どころか男も落とせそうな勢いですね。その筋だったら伝説になれそうな色気ですよ。ホント。」

佐竹はまたも嫌そうな視線を投げてよこして言った。



 装いをすっかり変えた俺達は、まちへ繰り出した。

 妖の出現状況を確認しようと、もののふ番所に向かう。

 赤と黒の長暖簾を潜って戸を開くと、中は討伐依頼を確認したり、報酬を受け取ったりするもののふ達で溢れていた。

 

 だれでも受けることができる通常の依頼は、番所の脇の壁に張り出されていた。 

 多くの人がそこに群がり、依頼内容や報酬額を見定めている。


「やはり、増えていますね。」

「ああ、下級の依頼だがこんなに出ている。」

壁一面を埋め尽くす依頼の札を眺める。

 ざっと見て50枚はある。数年前まで20枚出ていれば多い方だったというから、かなりの勢いで悪さをする妖が増えているということだ。

 俺たちは帳場格子の向こうに座っている、番頭と思しき厳つい男に声をかけた。


「お兄さん。中級以上の依頼、どんなのが出てるか教えてもらえないかな。」

男は、こちらをギロリとひとにらみすると、

「お前さん達、陣持ちのもののふなのかい?そっちの札以外の依頼は、陣持ちにしかやれない決まりでね。」

と見た目通りの太い声で答えた。

「確かに俺たちは会津にきたばかりで、陣に属しちゃいないが、化け物の出具合によっては、どこかの陣に売り込みでもかけようと思っていてね。」

一瞬値踏みするような目で、俺と佐竹をみやると、

「…そうかい。お見込みの通り、ここのところ化物の大売出しだ。どこの陣も人手不足だろうから、あんたらの腕次第では、声をかけてくるところもあるかもな。向こうの張り紙には、人を募集している陣の案内もあるから、それも見とくといい。」

といって奥の案内板を指さした。


「ありがとよ。ところで、実際のところ、7位以上の案件はどれほど出てるんだい?」

改めて、上位の依頼の塩梅を尋ねると、軽く帳面をめくり男は答えた。

「…7位が12件、6位が4件、5位が2件、それに…藩も追っている4位の案件が一つだ。」


 予想以上だった。

 もののふ番所では、陣持ちのもののふに位を付与をしているが、同様に妖についても強さの順に、位付けをしている。

 1位は神の領域、2位が伝説級、3位が災害級、4位が最強級、5位が上級、6位が中の上級、7位が中の下級、8位が下級、それ以下が雑級となっている。

 これは、もののふの位とも対になっていて、通常なら同等の位のもののふでないと、倒すのは困難と言われている。


 妖も1位、2位なんてのは滅多に出ない。出たら国が滅ぶかどうかという話の代物だ。

 現存するもののふも、あるのは、2位の陣がひとつだけ。

3位の陣も片手で数えられるほど。4位も20程度だったはずだ。


 つまり、量も増え、めったにあらわれない階級の妖も出現しているマズイ状況ということだ。

 予想以上の事態の悪さに、先々を思いやっていると…


 ガララッ

と戸口が開いて

「寅蔵さんお疲れさま〜、あやめさんは今日はお出かけ?」

明るい声が飛び込んできた。


―彼女だ。

 心臓が止まるかと思った。

 首にぐるりと巻き付けた襟巻をほどきながら、帳場に駆けよると、親し気に番頭と話し出した。

「おう、『立葵』の大将。あやめの奴は、もののふ省に呼ばれて出てる。」

「江戸まで!それはまた精が出るね。」

「まぁこんな御時世だからな。でも、上手くいけば4位の陣が見れるかもしれねぇぞ。」

「凄い!連れてくるの?うわぁ、その時は紹介だけでもして欲しいなぁ。」

「ああ、あやめはお前のこと気に入ってるからな、機会はあるかもしれねぇ。」

「本当に!じゃあ楽しみに待ってるね。ところで今出てる依頼確認させてもらえるかな?」

「いいともよ。お前らにおすすめなのは…あっと、この辺だな。北山の麓に中型の狒々が出てる。こいつはあまり妖術使わない代わり、力押しな。もう一つは、調査依頼で大峠で氷女か雪男か分からんが、強力な氷結系のなんかが出てるらしい。颯介を連れてけばある程度分かるだろうから、これも悪くないと思うぞ。」

「うーんどうしようかな。颯介ちょっと風邪気味なんだよね。」

「くぁっ、あいつ相変わらず貧弱だなぁ。」


 番頭と会話する彼女をちらちらと盗み観た。

 ここに来れば、目にすることができるかもと、うっすら淡い期待があったのは確かだ。

 が、まさか初日に会えるなんて。

 

 夢に何度も見て、幾度となく今の姿を想像していたけど…現実はそれ以上だ。

 あの頃より背が伸びた。

 体つきもだいぶ女らしくなってきているが、さすがもののふ、程よく筋肉がつき、しなやかな感じがする。

 色白でキメの細かい肌。

 外が寒かったので少し紅潮している頬も愛らしい。

 楽し気に煌めく、深い紫みの青い瞳。


―ああ、何年たっても愛しいものは愛しいのだな。

 妄想の中でひしと掻き抱いた。

 艶やかな赤茶色の髪は、後ろの高い位置で結わえられ、背中にするりと流れる。

 髪を留めるは、深縹色の大将章。

 この短期間で、本当によく頑張ったんだな。我が事のように、誇らしく思える。


 僅かに懐かしい気配を感じ、その深い藍色の位章のあたりに目を凝らすと、

 信じられない。

 心臓が止まりかける。

 そこには

 大将章の端から僅かに見える、曙色。


 ああもう、堪らない。

 ほとんど無意識に体が動いて、ユイの体を後ろからギュッと抱きしめた。

「会いたかった。」

耳元にそっと囁く。

 一方ユイは悲鳴を飲み込んで、体を固くした。


―しまった。妄想を体現してしまった…


 本当に無意識だった。気がついたらユイが腕の中にいた。

 マズイと思った時はもう遅い。

 ユイが身を震わせて固まったままでいる。

 誤魔化そうと、即座に出た言葉は

「きみ、可愛いね。ねぇ、俺とこれからお茶屋にでも行かない?」

ありきたりな口説き文句。

 ついでにそのまま、頬をユイの髪にすり寄せた。

 佐竹のとても残念なものを見るような視線が刺さる。


 ユイが動く気配、殴られるかなと身構える途中。

 一拍早く、横から拳が飛んできた。 

ゴスっ

 横腹に思いっきり入ってよろめく。

「痛ったー。酷いなぁ。」

 腹を抑えて見やると、

 殴ったのは、ユイの連れの少女。

 黒目がちな大きい瞳を、怒りに染め上げて睨みつけてきた。


「あんた、うちのユイになんてことしてくれてんの。」

「なあに、君も口説いて欲しかった?でもごめんね、俺、この子の方が好みなんだ。あ、俺の連れは、君みたいな艶髪美女好きなんだよ。一緒にこの後どう?」

 佐竹は、心の底から「巻き込まないで」という顔でこっちを見ている。

「はぁ!ふざけんな。表に出ろ。」

「何?お茶してくれるの?」

「テメェ」

 血の気の多い少女は、俺の襟首につかみかかった。

 その時、スッと大きな影が間に入り込んだ。

「お兄さん、ここで娘を引っ掛けるような真似はよしてもらえませんかね。」

 さっきまで帳場にいた寅蔵と呼ばれた番頭が、苛立つ少女の手を取って後ろにかばうようにして立ちはだかった。

 6尺以上はあろうかという巨体は、声音が静かであっても、威圧感十分だ。

「番頭さん、悪かったよ。彼女が可愛かったから、ついね。面倒掛けたね。日ぃ改めてまた来るわ。」

 俺は軽く礼をした後ひらっと手を振って、番所を後にした。



「いやぁ、番頭さんに感謝だな。どうやって収まりつけようか困っていたところだったよ。」

「はぁ、全く何てことしてくれたんですか。絶対目立ってましたよ。最悪です。あの赤髪の方、ユイ様でしょう。悪目立ちもいい所です。」

「仕方ないだろ、数年越しの想い人が、昔自分の贈った品を身に着けて現れてみろ。理性飛ぶぞ。」

「どんだけ軽い理性ですか、私なら飛ばしませんけどねぇ。それに、ユイ様覚えてらっしゃらないのでしょう?」

「おまえさぁ。恋心ってのはそんな乾いたもんじゃないんだよ。いいの。俺はめちゃくちゃ嬉しかったんだからさ。」

 不機嫌な佐竹を横目に、俺の心はまだ舞い上がっており、雪片すら楽し気に踊っているようにみえていた。 


「とにかく、さっきのは収穫もあっただろ。」

「確かに、依頼の数、内容、集まっているもののふの数。…異常でしたね。」

ゆるんだ頬を引き締めなおし、周囲を警戒しながら、俺と佐竹は情報を整理しつつ歩いた。



 吐く息がことさらに白くなる。

 先程まで穏やかで、ちらつく程度だった雪は、あっという間にひとひらひとひらが大きくなった。

 被っている傘の雪も、直ぐに払い落とさないと重いほどだ。

「見通しが利かなくなってきましたね。急いで戻った方が良さそうです。」

「いや、もう遅いかもな。」

「えっ?」


ヒョゥゥゥ


 不意に風が強くなる。

 先ほどまで降り積もるだけだった雪は、その風にあおられ舞い狂いだした。

 そして、濃厚な妖の気配がすぐそこまで近づいてきていた。

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