第二章 出会い

1 「梅子」


 淡青の空の下、柔らかな春風が、ふわりと薄桃色の花びらをさらっていきます。

 待ちに待った季節の到来に、まちの雰囲気も浮き立っているようですのに、私の心中は暗雲が立ち込めています。


―なんでわたくしが…

 南紅なんごう家の門前に来てもなお憂鬱なため息がもれるのです。

 会津に戻ってより、ふた月が過ぎようとしているけれど、碌なことがありません。 

 ここは、本当に田舎くさくて。江戸とは全然違う。


 父が江戸詰めの会津藩士だったため、私は江戸で生まれ育ちました。

 父は教育熱心で、女子である私にも、優秀な先生をつけ、詩や和歌だけでなく、経書や史書まで学ばせてくれたし、武道においても一流の道場に通わせてくれました。

 おかげで、この若さで薙刀は免許皆伝、剣術、短刀術も学んでそこらの男には負けはしない腕前と自負しております。

 自分でいうのも何ですが、巷では文武両道な才女といわれ、父の自慢の娘で、江戸での生活はそれは充実したものでした。

 江戸は、勉学や鍛錬も最新の高度なものを学ぶことができますし、最高の環境も整っていたのです。諸藩の家中の方々との交流も楽しみの一つで、華やかな江戸の文化も刺激的でした。

 気の合う友人も多く、私は江戸での暮らしがとても好きでした。


 そして半年前、藩財政の立て直しのため、江戸藩邸の勘定役であった父が、急遽国元に召集されたのです。

 その時は、これまでの生活や、友との別れは辛かったけれど、父母の話を聞いて憧れていた故郷に戻ることを、家族同様に喜んでいました。

 ところが、長旅の末たどり着いた故郷は、私にとっては見知らぬ土地同然。

 物も、文化も、情報も乏しく、覚悟はしていたものの江戸とは比べ物にならないくらい何もない所でした。

 人々も閉鎖的で古くからの慣習にとらわれ、今の世の中の動きには無関心。

 それでも、私もはじめは交流を広げようと、道場などに通ってみたのです。

 しかし、

「気取っている。」

「お高く留まっている。」

 などど、話し方や身なりについて、一つ一つ非難して仲間外れにしてくる始末。

 今世の中は大きく動いていて、油断なく諸藩備えなくてはならない時期というのもまるで分っておらず、女同士の内輪もめやうわさ話に無駄な時をかけている、何とも程度の低いものばかりなのです。

 そのうち、外に出るのも億劫になり、ここでの暮らしにほとほと嫌気がさしてきました。



 江戸への思いが募る中、父からある依頼が舞い込んできました。

「梅子、すまぬが今度、南紅のお嬢様に薙刀の指南をしに行ってはくれぬか。」

「それは、私に子守をせよということですか?」

「いやいや、ユイ様は11歳というから、子守というお年ではない。今日ご家老から薙刀を教えることができる者を探されているという話があったのでな。」

「でしたら、道場などに通われれば良いでしょうに。私など若輩者で役者不足です。」

「まぁ、道場に通われるのも良いのかもしれないが、ユイ様は生まれたころより体が強くなかったらしく、南紅家でもあまり外に出したことがないそうだ。一年ほど前も、長く寝込まれたそうで。きっと、そんな方がいきなり道場というのもご負担が…」

「そんな病弱な方が、薙刀を?」

「梅子、まぁ聞いておくれ。ご家老様は早くに奥方を亡くされ、男手一つで一人娘であるユイ様を育ててこられた。その子がこの度自らかなり熱心に薙刀を習いたいと願い出てきたそうだ。『これまでそういった我がままは全くない娘だったのでな。』と話された時の、ご家老様のお顔といったら、それは嬉しそうに見えたのだ。そして、そうした親心は私もとても良く分かってしまってな。」

 私にも過分な教育を施してくれた父だ。そういわれて絆されてしまったのだろう。

「断り切れなかったのですね。」

「まあな。それに、ユイ様は薙刀ばかりか、歴史や漢学にも興味がおありと聞いた。そうするとそなたは中々の適任と私も思ったのだよ。」

「既に引き受けてしまったでしょうから、仕方ありません。一度は参りましょう。ただし、見込みのない方であったなら、私はっきりそう申し上げてきますからね。」

「分かった分かった、でも手柔らかに頼むぞ。少し年の離れた妹だと思って優しくな。」


 と、そんなことがあって、いま私は南紅家の前に立っているのです。

 南紅といえば、会津藩でも随一の名家で、血筋を辿れば藩祖に辿り着く程。

 ご養子続きの蒼井家のお殿様よりも実はその血が濃いというとても由緒あるお家柄です。

 父にはあんな風に言ったものの、粗相があっては大変なことになってしまうでしょう。たとえ、どんなにとんでもない姫様であっても、ここは上手くやらなくては。


 憂鬱を振り払うように首を振って、気合を入れなおし、いざ参ろうとしたところ、

「これは、大野家のお嬢様でしょうか?」

 と門内から声がかかり、中から優し気な女性が出てきました。

「はい、大野梅子と申します。」

 と挨拶すると、深々と頭を下げられ、

「私、ユイ様の身の回りのお世話をしている、早苗と申します。この度はお引き受けいただき誠にありがとうございます。さぁどうぞお入りくださいませ。」

 と中へ案内されました。

 途中、

「あの、ユイ様はお体の調子はどのよう調子でらっしゃいますか?」

 と話しかけると

「ええ、お陰様で今はすっかりお元気におなりです。むしろ元気すぎるというか…。」

 と苦笑いが返ってきました。内心不安がさらに膨らんでいるところに。


「早苗さん、お嬢様のお姿がどこにも見当たりません。」

 使用人と思われる女性が困り顔で駆け寄ってきました。

「まったく、刻限までにはお戻りをと念を押したのに。」

 早苗さんは渋い顔でため息をつき、私に深々と頭を下げた。

「大野様、誠に申し訳ございません。お嬢様は外からまだもどっておりませんで、私共で探してまいりますので、お時間が大丈夫でしたら、少しお待ちいただいてもよろしいでしょうか。」

「もちろん、色々お話を伺うつもりで参ったので、時間の方は全く構いませんが、ユイ様が行方知れずとは大変なのではないですか?よろしければ私も一緒に探させてくださいませ。」

 南紅家の姫君が行方不明とはこれは一大事のはずです。私はすぐに申し出ました。早苗さんは一瞬迷ったようでしたが、

「そうですね、本当に申し訳ないのですが、お願いいたします。大野様とのお約束があったのでそんなに遠くはいっていないと思います。お嬢様は背丈はこの位、赤みがかった髪ですので、見つければすぐにわかると思います。」

 と共に探すことを認めてくださいました。


 私と数人の南紅家の者は、ユイ様捜索のため町へと繰り出しました。

 供の者とはぐれたのでしょうか?良家の娘が一人で家の外へなど、危険極まりありません。

 金品狙いの物取りやかどわかし、若い娘とあっては人買いに売られてしまう恐れもあります。

 最近は違う土地から流れてきた不逞の輩も増えたようですし。さらに、世の荒れ具合を反映して妖達の動きも活発化していると聞きます。

 早く見つけてお連れしなくは。


 しかし、南紅家の奉公人と組んで探すもそれらしい姿は見当たらず焦りが増します、ついに城郭を出て、下町はずれの橋の袂にまでやってきました。

 その時、一緒にいた南紅家の者が「あっ」と声を上げたのです。

 橋の上を見やると、何やらもめごとが起きているようです。


「このクソガキッー、ぶっ殺してやる。」

 明らかにならず者風の男が、刀を振り回してどなっており、その後ろでは仲間の男が2人ニヤニヤしながらそれを眺めています。

 怒鳴られているのは、袴姿の小柄な少年で、こちらからは後ろ姿しかみえませんが、長い竿を持ってならず者と相対しているようです。

 少年の後ろでは、少し衣の乱れた町娘が泣きじゃくっています。

 男たちは酒を飲んだ後のようで、一様に赤ら顔。子供に刃を向けるなど、理性も働いていないようです。


 困りました。まだ、お役人も駆けつけておらず、人々も遠巻きに不安な様子で眺めるばかり。こんなことなら、私も薙刀、せめて刀を持ってきていれば良かったと悔やまれます。

 服装も顔合わせが主と思っていたので普通の着物です。もう少し動き回れる格好で来ていれば…。

 このままでは酔っ払った男が少年に切りかかってしまいます。

 しかしやはり、見過ごせません、やむを得ず懐剣の袋に手をかけたとき、

「大の大人が、昼間から酔っぱらって女の子に絡んで、子供に刀を向けるなんで、ホント情けない奴だね。」

 少年はからかうような声でいったのです。

 ああ、もうっ、そんなに煽ってどうするのですか。

「てめぇっ、死ね!」

 男はすぐさま刀を振り上げて切りかかってきました。

 ―だめ、間に合わない!

 しかし、私が恐れた惨状は訪れず、男の手から刀は弾き飛ばされていました。 

 少年が巧みに棒を操り男を翻弄しているのです。

 武器を失った男は、拳で突っ込んできましたが、少年はふわりと身をかわすと、その手首、次に腹を薙ぎ払います。

「ぐわっつ。」

 男は無様にも橋の上でひっくり返り、その後の少年の見事な打ち込みで意識を失いました。


 それまで、へらへらした笑みを浮かべ野次を飛ばしていた仲間の男たちの表情が変わりました。いっせいに刀に手をかけ、少年に切りかかります。

 一人目の刃はうまくかわした少年でしたが、2人目は多少は腕が立つのでしょう。刀を受けた竿は真二つに切り割られてしまいました。

 しかし今度は黙ってみている私ではありません。

 先ほどの男が取り落とした刀を素早く拾うと、少年と2人目の男の間に素早く入り

「お節介させて頂きます。」

 と声を掛けました。

「ありがたい。」

 少年の落ち着いた声が答えます。

「おい、女死にてぇのか。おらぁあ。」

 男どもは刀を振りかざして掛かってきますが、こちらは真剣に怖気ずくような、やわな鍛え方はしておりません。

 相手の剣がこちらに届く前に体を落とすと、みぞうちに一発首筋にもう一発みねうちを食らわせてやりました。

 男は失神して崩れ落ちます。

「てめぇえ。」

 残ったひとりが、ギラギラした目で切りかかってきましたが、男の一閃を受け止めるとそのまま薙ぎ払い、男の手から刀を弾き飛ばしました。

 そのまま切っ先を下げ、男の喉元に突きつけます。

「さぁて、覚悟はできてらっしゃる?」

 笑顔で問いかけると、男は腰を抜かし

「悪かった、ゆ…ゆるし、許してくれ。」

 と震えながら泣き始めました。たわいもないものです。


「おおーっ。」

「すごいぞ。」

 これまで固唾をのんで見守っていた人々から一斉に拍手と歓声が起こりました。

「どなたか縛るものありませんか?」

 少年が呼びかけると、人々の中に縄などを提供してくれる方がいたので、私たちは降参した男と伸びている男たちをしっかりと縛っておきました。


 そして、先ほどまで泣いていた町娘を落ち着かせた後、

「助かりました。ありがとうございます。」

 少年は改めてこちらを向いて礼をのべてきました。

 悪漢に立ち向かう勇ましさから、逞しい面立ちを想像していましたが、こうして彼をみると、大きな藍色の瞳と、美しい緋色の髪が印象的なとても可愛らしい男の子でした。

「女の人なのに、あんなに動けるなんて、驚きました。すごく格好良かったです。」

 彼はキラキラした瞳で見上げてきます。

「貴方こそ、素晴らしい動きでしたよ。藩校、日新館に入るのが楽しみですわね。」

 と答えると彼はちょっとはにかみつつも

「ありがとうございます。でも、私は日新館には、入れませんので…。」

 と言葉を濁した。

 身なりをみても、武家の御子息と踏んだのだが、違ったのだろうか。

 不思議に思っていると。


「お待たせしましたー。」

 と、南紅家の者が、お役人と何故か早苗さんを連れて戻ってきました。

 男たちを引き渡すと、

「お嬢様、なんて危ないことをしているんですか。」

 こちらをキッと振り向いた早苗さんが叱りつけてきました。

 確かに、あのような場に女子がしゃしゃり出ているのは不相応かもしれませんが、あのままではこの男の子の身が危ぶまれましたし、正直江戸の名だたる道場で稽古をつけて頂いた私にとって、あのような輩、小刀一本でも負ける気は致しませんのに。などと思っていると、

「早苗、悪かったよ。でも、女の人が酔っ払いに襲われたんだよ。見て見ぬふりは無理でしょ。」

 と、彼の少年が答えたのです。


―んんん?

「それにしても、お嬢様がでるところではないでしょう。大野様にもご迷惑をおかけして。大野様、この度は誠にありがとうございます。」

 と早苗さんは申し訳なさそうにしながら礼を言ってきます。


「南紅の姫様??」

「大野梅子先生!!」


 その子と向き合って、声を上げたのはほぼ同時でした。

「やった、マジが。さすが父さま見る目ある!先生めちゃ強いし、かっこいいじゃん。」

 少年にしか見えない、お姫様は少々訳の分からない言葉遣いをしていますが、どうやらとても喜んでくれている様子です。


―しかし…それにしても…どこが深窓の令嬢ですか、父上。

 とんだ腕白小僧ですよこれは!



 それが、私とユイ様の出会いでした。

 その後彼女は正式に私の教え子となり、武術、学問を学んでいきます。

 それはもう、本当に熱心に。

 なんでも、「もののふ」になりたいのだとか。

 どこかの殿様の奥方になってもおかしくない身分なのに…本当に面白い子。

 そして、とても時流に敏感なのです。

 十一歳とは思えない感覚をお持ちで、今の日本国の状況、会津藩の立場など、実に冷静に考えているのです。

 教える私も力が入ります。江戸の友人などから最新の情報を仕入れ、世の中の様子について議論したり、もののふとして立ちゆくために武芸にも身が入ります。

 ユイ様を通して、会津の他の友人たちも少しづつ増えてきました。

 これまで私も頑なになり、見過ごしてきたこの地の美しい面が見えてきたように思います。

 これからも、このお転婆な姫様と共に過ごすことで、会津の地が私の故郷となっていくのでしょう。

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