2 しかし現れたのは神様でなく


 そして今日は数ヶ月に一度の定期検診日。2人は検診の前に病院の屋上へ訪れていた。仕事で多忙な両親の代わりに必ず兄が付き添っているのだ。病院の構造やスタッフについては親よりも樹の方がよく知っている。


 紬が事故に遭い、入院をしていた時期はまだ肌寒い春の季節。当時慣れない車椅子をぎこちなく動かして屋上に来ては、そこから一望できる桜の木々を眺めていたものだ。

 

病院の名称が“桜ヶ丘病院”なだけあって、敷地内には多くの桜の木が植えられている。町内ではお花見スポットとして有名で患者や院内スタッフだけではなく地域住民で溢れる時もあった。


 この兄妹も一番綺麗に見える場所が屋上だと知ってからは、春の検診時には必ず足を運んでいる。しかし、学生である樹が妹を連れて行けるのは週末に限られる。その為今年は検診の日がずれてしまい、既に桜から青葉に変わっている木々を眺めることになってしまった。


「お母さんたちも一緒に行けたらいいね」

「あぁ、兄ちゃんから話をしてみるよ」


 それでも文句ひとつ言わず嬉しそうにフェンス越しに眺めていた紬の姿にほっと胸を撫で下ろす。樹は車椅子に手を掛けて、あの頃よりも随分慣れた手つきで車椅子を動かして出入口へと向かった。


「そろそろ検査の時間だな。その間に買い物に行ってくるけど、何か欲しいものは?」

「アイスが食べたい。いつものバニラアイス」

「了解。いつもの場所で待ってるから」


 「はーい」と元気良く看護師に連れていかれる妹の背中を見送る。樹とは違って人懐っこくコミュニケーション力に長けている紬は看護師とも仲が良い。きゃっきゃと女子中学生らしく騒いでいる様子を遠目に確認できる。大して話し相手にもならない自分が一緒に付き添いで回るよりも女同士で話も盛り上がるだろう。だからいつも樹はここで別れるのだ。


 妹の姿が見えなくなったあと、早速踵を返して樹は病院内にある中庭に向かった。買い物に行くとは言っても紬の検査に掛かる時間は約2時間。先に買い物を済ませたところで1時間程は暇になるのだ。荷物を抱えて待合室に座って待っているよりも、検査が終わる前にさっと行って帰ってきた方が良い。アイスを買うなら尚更だ。そう思った樹はベンチに腰掛けて、一人考え事をしていた。

「紬が事故に遭って、もう2年にもなるの・・・か」


 いつも検査の待ち時間に考えることは、決まって紬の足のこと。


 事故から2年が経ち、ようやくこの生活にも慣れてきた。が、しかし未だに彼女の足は本当にもう二度と治らないのか、そう思うことがある。それこそ存在有無すらどうでもよかった神様に助けを乞うくらいには。またいつか、歩けるようになるのではないかと夢見るのはきっと樹だけではない。


 もう少しで中学生になれると届いた新品の制服を何度も何度も鏡の前で身体に合わせていた矢先の事故。入学式で同級生と並んで歩くことは出来ない。体育祭で走ることも出来なければ、友人と気軽に遊びに行くことも出来ない。

 

 これから高校生になって、大人になったら、もっと色々な事が出来た筈だったのに。予想できない自分の将来に夢膨らませたい筈だったのに。待ち受ける未来は、必ず困難が立ちはだかって来るだろう。


 事故当時は普段の生活も大変になると言われていたが、案外紬は器用だったようで、改装された家の中では大抵身の回りのことは自分で出来るようになっていた。仕事で忙しい両親の代わりに料理はもちろん洗濯や掃除まで上手くこなしてしまうのだ。全くもって出来た妹である。


 そうとなると出来ることは車椅子を押すことと買い物に行くことくらい。あまりの力不足に不甲斐なさを感じ、自分自身に腹が立つことさえある。ギシッと鈍い音が鳴るくらいに強く拳を握った。この負のループの終着点、それは結局神様に助けを求めることなのだ。


もし、神様が目の前に現れたら───紬をもう一度、歩ける様に。


「───もしかして貴方、能力持ちですか?」

「は?」


そう願った瞬間、自分の顔を覗き込む様にしてとある人物が姿を現した。それは妹ではなく、もちろん神様でもない。


「隣のクラスの重岡さん、ですよね」


その正体は同じ高校の同級生だった。


 突如視界を覆った人物の登場に樹は思わず身体を仰け反る。ベンチの背凭れに勢いよくぶつかって背中に痛みが走った。手の届かない背中の痛みに無言で悶えていると、頭上から「大丈夫ですか?」と心配の声が降ってくる。今にも滴りそうな冷や汗に気づかれない様に、へらっと余所行きのぎこちない笑みを彼女に向ける。


「あぁ、大丈夫だ。心配するほどじゃないよ」

「そうですか、良かったです。驚かせてすみません」

 

「態とじゃなかったんです」と眉をハの字にして笑みを浮かべるこの女性を、樹はよく知っていた。ただ同級生だからとか、仲が良い友達だとか、そういう訳ではない。


「隣のクラスの佐倉、で間違いないか?」

「やはり私のことは知ってしましたか」


樹は高校入学して以来、その名前を初めて口にした。

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