午前0時の向こう側

原ねずみ

午前0時の向こう側

 あの5分間はなんだったんだろうといまだに思う。


 完成されたジグソーパズルのけれどもなぜか余ってる1ピースみたいな。どこにも当てはまらない、うまく説明をつけることができないでもたしかに……きっとたぶん、存在したもの。


 神様がくれたへんてこで不思議な5分間。




――――




 一年が終わろうとしていた。私は、姉の沙織ちゃんと幼なじみの藤本と、三人一緒に沙織ちゃんの部屋にいた。


 時刻は11時をまわっていてそろそろ12時が近い。新年をむかえようとしている。新しい年が始まろうとしていた。


「眠いよ~。どうして私は夜が苦手なのか」


 沙織ちゃんが大あくびしている。大晦日だから頑張って起きていようとしている……のだけど、朝型の沙織ちゃんには辛いみたい。


 沙織ちゃんは大学二年生で私と藤本は同い年で高校二年生。藤本は近所に住んでる男子で、親同士が仲がいいから子どものころからよく三人で遊んでた。


 毎年大晦日には、藤本一家がうちにやってくる。そして親たちは階下で酒盛りをし

て、私たちは沙織ちゃんの部屋で過ごす。こたつに入って、テレビを見ながら。お酒は駄目だけどお菓子をいっぱい食べて。


 沙織ちゃんが大あくびで涙目になりながらも、スナック菓子を口に突っ込んでいる。藤本はみかんの皮を丁寧に向いている。いつもは適当なんだけど、変なところで細かいやつなんだな。


 テレビはそろそろカウントダウンの準備とか言ってる。タレントさんたちがわいわい出てて、華やかな雰囲気で、年が改まるのが待ちきれないみたい。そうだよね。新しいことの始まりって嬉しいものだよね。


 昔は新年を迎えると一つ年をとってたんだっけ、みたいなことをぼんやりと考える。と、藤本が言った。


「来年は受験生なんだよな。こんなふうにのんびりと年越しできるかなあ」

「できるよ。一日くらい勉強休んだってどうってことないよ」


 楽観主義者の沙織ちゃんが言う。


 沙織ちゃんは、ついに、耐えきれなくなったぞ、とばかりに立ち上がった。


「私お風呂入ってくる。そして寝るわ」


 えー、これからクライマックスなのに、と私は思う。時刻は12時の5分前。風呂場で年越しだな。でも沙織ちゃんはそういうことを気にしないし、私も別にそれはそれでよいと思う。


 沙織ちゃんが部屋を出ていって、私と藤本だけになった。沈黙が流れる。なんか――ちょっと変な沈黙。


 藤本巧。私は横眼でちらりと彼を見る。私の幼なじみ。


 子どものころはちっちゃかった。それがいつの間にかにょきにょきと背が伸びて、小柄な沙織ちゃんとは30センチ以上も差がある。


 子どものころは泣き虫だった。でもお調子者。あ、お調子者は今と変わらないのか。でも泣いてるところは長い間見ていない。泣かなくなった……わけではないと思うけれど、隠れてこっそり泣くようになったのかもしれない。


 私と沙織ちゃんの後をぴーぴー泣きながらついてきていたちびっこが、まあ大きくなったものだなあと思う。


 ……ほんとはちょっと、時折わからなくなってる。


 小さいころはよく一緒に遊んでたんだけど、年齢が上がるにつれて遊ばなくなってしまった。双方とも同性の友人と過ごすことのほうが多くなってしまって。


 藤本は背も高くなったし、声も変わった。お調子者でうっかりさんなところは相変わらずだけど、でもどんどん別人になっていくみたい。


 これが成長するってことなの、と思う。


 そうだよ、そうなんだよね。知らない顔がどんどん増えて、どんどん遠くなっていって。


 ――遠くなるの?


 私はそこで戸惑ってしまう。新年あけたら、一つ年をとるみたいに、藤本はまた一つ大人になって私から離れてしまう。いや、私も年をとってることは同じなのだけど、でも――。


 以前、学校の階段の踊り場で、藤本と何気なく会話してたことがある。そのとき、下の階から男子たちが呼んでる声が聞こえて、藤本はそれに応えてそちらに行こうとした。


 私はなぜだか呼び止めてしまった。


 階段を下りていく途中で、何? って藤本が振り返る。その笑顔が。こちらを見上げる表情が、幼いときを思い出すようで。私はとっさになんでもないって、言った。


 藤本は笑って、なんだよって言って、背を向けて階段を下りていく。


 ――私はさっきから何を考えているのだろう。


 藤本が来年の受験について、あまり気乗りのしない感じで、ぼそぼそとしゃべっている。私もそれに上の空で答える。二人ともテンションが低くて、会話が長続きしない。


 会話が途切れて、テレビの音だけが大きく聞こえる。12時までほんとうにあと少し。ますます画面の向こうが賑やかになってきた。カウントダウンですー! ってなんだかとても楽しそう。


 そして藤本がぽつりと言った。


「……あのさ、香織は――好きな人とかいるのか?」


 香織は私の名前。学校では私のことを苗字で呼ぶ。でも沙織ちゃんも一緒のときは、紛らわしいので名前で呼ぶ。


 なんだか深刻な声で。私はどきりとした。


「……え、えっと……」


 なんなんだろう。この展開。いや、なんとなくわかる。わかるけど、そういうドラマチックなことがいきなり私の身の上に――!


 テレビの声が言う。新年まで後少し! さあみなさんご一緒に!


 みかんを見つめながら、テレビからの大声にかき消されながら(「5、4、3、2……」)、小さく、藤本は言う。


「俺は、おまえのことが、す――」

「ま、待って!! ちょっと待って!」


 テレビからの「あけましておめでとうございまーす!」という陽気な声に、私の声が重なる。


 私は混乱した! とても大変、混乱した!


 藤本は一体なにを言おうと……いやわかってるよ。予測はついている。まさかこの「す」のあとに「すっぱい」とは続くまい。みかん見ながら言ったけど。


 ともかく私はひどく慌ててしまっていて、びっくり箱のように立ち上がってしまった。藤本も驚いた顔にになってこちらを見る。


「待って! 冗談はやめて! からかってんでしょ! 私、ほんと、そういうのは――。――あー私、下に行って飲み物とってくる!」


 そして私は大急ぎで部屋を後にした。




――――




 一体、一体、何をやってるんだー自分は! と思う。


 階段の途中で、耐えきれなくなって、座り込んでしまう。上にも行けないし、下にも行けないよ……(下に行けないこともないけど、特に行く理由がないというか。そんなに喉はかわいてないし)。


 両手で顔面を抑えた。心臓がどきどきしてる。初めての告白。最後まで聞いてないけど、たぶん。


 藤本が私をそんなふうに思ってるなんて知らなかった。


 好き、だなんて。


(たぶん、そうだよね? これで勘違い、なんてことはないよね?)


 心がふわふわする。嬉しい――そう嬉しいんだと思う。私喜んでるんだ。なんなら、舞い上がっちゃってるんだ。


 そう。たぶん、私も藤本が好き。


 でもそう言ったらどうなんちゃうんだろう。付き合おうってことになるのかな。友達じゃなくなるってこと?


 変わっちゃうんだ。藤本の背が伸びて、声が変わったみたいに。今までの関係じゃなくて、変わってしまう。


 それはどうなの? なんだか怖い。


 私は変わることを恐れているのかもしれない。今のままがずっといいって、心のどこかが言ってる。


 でも……でも――。


 ほんとに上にも下にも行けなくて、私は座り込んだまま、手の中に顔を深く埋めた。




――――




 次の瞬間、気付くとそこは沙織ちゃんの部屋で、私はこたつに横になっていた。どういうことだ? これは。


「あ、おはよう」


 起き上がると、沙織ちゃんに言われた。スナック菓子を食べながら。藤本は真面目にみかんの皮をむいでいる。


「……えっと……。私寝てた?」

「うん、寝てたよ。5分くらいだったけど」


 沙織ちゃんがあっさり答える。寝てた……。えっ! じゃあ今のは夢だったの!? 全部夢!?


 なんだーなんなんだよー!!


 藤本が私のことを好きだなんて。すごく恥ずかしい夢を見てしまった。まともに藤本の方を見れない……。こたつにもぐりこんでしまいたい……。


 テレビではカウントダウンがどうのと言っている。タレントさんたちがいっぱい出てて、どこかで見たことある光景だなと思った。毎年あまり変わり映えしないからそう思うのかも。


 時計の針は11時55分を指している。突然、沙織ちゃんが立ち上がった。


「私お風呂入ってくる。そして寝るわ」


 あ、あれ、これ前にも聞いたような……。もしかして、夢と一緒?


 でもそんな風変りな台詞というわけではないから、たまたま一致することもあるよね……と私は思う。そして二人きりになった部屋に妙な沈黙が流れた。


 ……うん……。なんだか夢と似ている。テレビの内容も夢と似ているな……。偶然……だろうけど。


 もしくは私が記憶を捏造している。


 私はどきどきしてきた。これは一体どういうことなの? 何が起こってるの? 一生懸命、説明をつけようとしているけれど、全然追いつかないみたい。


 そのうち、受験の話になった。私のどきどきがますます大きくなっていく。だってこれって……。さっきした話だよ。藤本の言葉、夢の中の言葉とやっぱりよく似てる。似てるというか、同じじゃない。


 どういうことなの?


 私は夢の中で、ちょっぴり未来を見てきたの? ということは……次に来る話題は――。


「……あのさ、香織は――好きな人とかいるのか?」


 藤本がそう言って、私の心臓は跳ね上がった。私は答える。やっぱり動揺しながら。


「……え、えっと……」


 どうするの、今度は。どの未来を選ぶの? 変わってしまうことを? 変わるのは怖い。今のままでも十分幸せなのに、ひょっとすると恐ろしいことが待ってるかもしれないから。


 でも。


 藤本が変わっていくなら、私も一緒に変わっていきたい。二人で変わっていく世界を、一緒に見たい。


 テレビがカウントダウンを始める。私は、藤本の言葉を待ってる。きっと言うはずだよね。そして今度は最後までそれを聞かなくちゃ。


 テレビの音が大きい。5、4、3、2……。


「俺は、おまえのことが、好きなんだ」


 よかった勘違いじゃなかった。画面の向こうから、「あけましておめでとうございまーす!」の声が聞こえる中、私はほっとした。


 じんわりと温かくて、幸せで、落ち着かなくて、変な気持ちが体中に広がっていく。嬉しくって舞い上がってて、そう、とってもはしゃいでる。見た目は大人しくこたつに座ってるけど、でも心がぴょんぴょんしてる。


 そうだ。返事をしなくちゃ。私は心を決める。テレビからの賑やかな声が聞こえる。新年あけましておめでとう。ようこそ、新しい年。


 私は口を開く。私の答えは、もちろん――。

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