調査第三係

 帰りの車中、阿佐比が

「山田とは、長い付き合いになりそう」

と、ボソっと言った。


 つまりは、暴力を振るう男と同棲している家庭として、うちの係が担当していくことになりそうだ、ということだ。

 結局、涙目の山田の主張に、阿佐比も栄伍も特に言い返すことはせず、今後の危険性だけを伝えて、その場を辞したのだった。


「主任、結婚って本当になんですかね」

 栄伍は言ってからハッとした。

「あ、いえ、すいません、今のは口が滑っただけで……」

「始末書もんだぞ、私でよかったな」

 阿佐比はため息をついている。


「たしかに、結婚なんて個人間のこと、国が口を出すことではないのかもしれない。でも、過去を振り返ってみろ。どれだけの人間が家庭内で殴られたか」

 阿佐比は助手席で目をつぶっている。

「国は長らく、DVはいけない、ストーカーはいけない、と言い続けてきた。だが、それに対する国民の姿勢はどうだった。何も変わっていない。相変わらず夫は妻を殴るし、妻も夫を殴る。マスコミはそれをおもしろおかしく報道するし、コメンテーターはそれを国の無策だと対策を求めてきた。そして国民はそれに同調している」

 阿佐比はそこで一息ついた。


「だから、うちの庁が生まれたんだ」

 そう言うと、阿佐比は窓の方へ顔を向けてしまった。


 国民の声に答えて生まれた行政庁、と言えば聞こえは良いかもしれない。だが、やっていることは結婚制度という私権の制限だ。

 栄伍は我ながら、本当にしようもないことを聴いてしまったと思い、それ以上は一言も発せず、車を走らせた。


 課に戻ると、大坂が広報営業課の佐倉係長と話し込んでいるところだった。佐倉は免許担当だ。

 年の頃は大坂とそんなに変わらない。免許業務一筋で、仕事も早いというのが定評だった。生まれも育ちも大阪で、関西圏から離れたくないということで、ある程度の出世と引き替えに近畿地区のみの異動しか発令されないようになっているらしい。


「おお、おかえり」

 大坂が手を挙げてこちらを見た。

「ただいま戻りました」

 阿佐比が荷物を自席に置いた。

「それでどうだった?山田は別れそうか」

 栄伍は黙って首を振った。


「やっぱりだめでしたかぁ」

 佐倉は額に手を当てると

「じゃあ、やっぱり申請却下の方向でいきますわ」

と大坂に向き直って言った。

「わかった。じゃあ、こっちの報告書ができ次第そっちへ送っとくよ」

「お願いします」

 佐倉はそう言うと退室していった。


 大坂は、阿佐比と栄伍に向き直ると

「まぁ、今回はお疲れさんっちゅうことで。阿佐比が現逮してくれなきゃもっとひどいことになってたのかもしれんし。ここらが俺らの限界だろ」

「…ですかね」

 阿佐比は少し肩を落としている。


「これから、浅草がどう出るかだな。免許はしばらく取れんだろうし、大人しくしといてくれりゃいいが」

「そうですね、私、しばらく山田の担当やってもいいですか」


「おう、いいぞ、どんなもんだった山田は?」

 大坂が尋ねると、阿佐比は鞄に手を入れて、小型の電子機器を取り出した。

 ICレコーダーだ。阿佐比が再生ボタンを押した。


「…結婚なんて個人の自由を国が免許にするなんておかしいじゃないですか」

 山田の声が再生される。


「…うん、十分だ。それで山田をリストに載せよう」

「わかりました」

 そう言うと阿佐比は、ノートパソコンを開いて、山田と浅草の個人調査ファイルをプリントアウトした。


 大坂の脇にある、鍵のかかった袖机から黒いファイルを取り出して、その一番最後に二人分の資料を差し込んだ。

 ファイル名は「要調査対象」。


 これから山田・浅草については、レンコン法に基づき、継続調査が行われる。

 レンコン法の目的、理念に従わない国民としての調査だ。


 証拠が積み重ねられれば、やがては反結婚分子とのレッテルを貼られ、何らかの罪状が与えられて検挙されることになるだろう。


 全ては、恋愛関係の正常化とそれに連なる国家の安寧のためである。


 法に背く結婚は認めることができない。


 そうした異分子を見つけ出して調査する。それが調査課第三係のもう一つの任務である。


 栄伍は思った。

 交際関係を経験したことの無い自分が、こんな仕事をやっていていいのか、と。


 時は西暦202x年。日本という国から、本当の意味での自由恋愛が失われ始めていた。


 了

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恋愛調査官 上野栄伍 黒井ごま @null2019

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