車の運転も業務の内です

 栄伍は思わず、

「え、浅草の家ですか?」

と言ってしまったが、

「他にどこか行くとこあるの?」

と詰められることとなった。


「いえ、ありません。一緒に行ってくださるんですか?」

「ちょうど午後から空いてるから。ささっと終わらせましょ」

ということになった。もはや、大坂の「ひとりでやれるか」はどこへ行ってしまったのかわからなかったが、これはあくまで阿佐比の「手伝い」の範疇なのだと、栄伍は自分に言い聞かせて、車の段取りをすることにした。


 全くどうでもいいことだが、調査庁の車は大半がセダンである。

 なぜかはわからない。

 しかし、大半がセダンであった。


 今時セダンを買う若者などは相当奇特な人材だと思うのだが、調達価格が一番安く済むからなのか、調査庁はやたらとセダンを買う。

 犯人の秘匿追尾なども状況次第では必要のある仕事のはずであった。

 これでは「役場の人間ですよ」と声高に宣言しているようなものではないかと、栄伍は入庁当初思っていたが、実際に任務についてみると意外に気付かれることがないのに驚いた。


 運転中の人というのは周囲に気を配っているようでいて、案外間が抜けているのかもしれない。あるいはもしかすると、時速数十キロで加速する乗り物の中で周囲に気を配るなどということは、人間にはそもそも不可能なのかもしれない、と栄伍は妙に納得していた。


 栄伍が車を庁舎の前に回すと、丁度阿佐比が降りてくるところだった。

「じゃ、安全運転でよろしく」

 阿佐比は助手席に乗り込むとシートベルトをかちっと締めた。


 ここから、浅草の自宅までは二十分ほどの道のりだ。

 栄伍と阿佐比は、同じ係に所属する上司と部下であるから、当然のこととして、同じ車両の運転席、助手席に座る機会が多いのであるが、栄伍はこの時間が苦手であった。


 阿佐比は、仕事に関しては一切の妥協を許さず、予断も持たない。

 常に事案に真剣に取り組んでいるのが端から見ていてもひしひしと感じ取れる。

 そんなこと、職務に専心すべき公務員なのだから当たり前だという非難を受けるかもしれないが、人の色恋沙汰に土足で踏み込んでいくこの業種において、その高い精神性を保ち続けられるのは並大抵のことではない、と栄伍は拝命二年目ながらに感じていた。


 実際、他所属のベテラン調査官などがため息混じりに業務の愚痴をこぼしているのをよく聞く。愚痴くらい仕方のないことだと思っていたが、阿佐比を見ていると、考え方を改めるべきことなのだと、学んだ栄伍だった。


 それだけに、阿佐比と密閉空間で二人というのには息苦しさを感じるのが正直なところだ。思わず窓を開けて、FMラジオの一つもかけたくなる。

 無論、ラジオをかけようと手を伸ばした瞬間に、阿佐比に止められるのは目に見えているので、それを実行に移すことはない。彼女にとって職務中にそのような娯楽は不要なのだ。


 そうして、栄伍が口をつぐみ、目の前のハンドルと一体になろうとしていた時、阿佐比が口を開いた。

「上野は、今回の男どう思う?」


「どうって、まだ直接話してもいませんし……。でも、口頭で聞いた限りでは犯罪歴もありません。書類を見る限りでは特に問題のある人物のようには思えませんね。試験さえうまく突破してくれれば、ちゃんと免許取れるんじゃないですか」


 栄伍は、自分なりの浅草評を話した。広報営業課から回ってきた申請書類や経歴書などを見る限り、一般の成人男性のように思えた。書類も丁寧に作成されており、申請者の真面目さが透けて見えてくるようだった。


 実際のところ、問題のある人物は、字が汚い、誤字脱字が多い、漢字が書けないなどの場合が多い。受けた教育水準云々ではなく、役所の書類を作成することに関する意気込みが、現れるのではないかと栄伍は感じていた。


 その点、この浅草という男は、免許を取りたいという気持ちを、丁寧な書類作成に反映させているかのようだった。


 しかし、阿佐比は

「では、なぜ今まで免許をとっていないかったんだ」

と否定的な印象を述べた。


 たしかにそれは栄伍も引っかかったところであったので、申請書類にあった申請の理由欄を確かめていた。そこには

「今同棲している相手と結婚を考えており、免許の必要性を感じた。これまでは結婚制度のことは当然知っていたが、相談所にはお金もかかるし、行くのが億劫だったので取っていなかった」

というようなことが書いてあった。


「まぁ、書類を見る限りでは、お金のことと、行くのが面倒だったみたいなこと書いてありましたね」

「上野は、結婚相談所が面倒だと感じたことはあったか」

 栄伍は段々と自分が調査されているような気がしてきた。


「いえ、高校の友達と一緒に行きましたし、内容も別に難しくなかったので、高校の延長戦みたいで楽しかったです」

「私も大体同じ感想だ。あれを億劫だとは感じなかった」


「そうですよね。浅草も単に食わず嫌いじゃないんですかねえ」

「そうだろうか。私はそこに違和感を覚えてしょうがない」


「え、どこにです?」

「ほとんどの人間が面倒ではないことを面倒だと感じる人間。その時点ですでに価値観の相違が生じてないか?」


「まぁ、言われてみればたしかに」

「しかも、その相違点が、これからまさに浅草がしようとしている『結婚』に関することなんだ」

 気がつくと、阿佐比は腕組みをしている。


「それって大丈夫なのか?」


 阿佐比の問いかけに、栄伍はしばらく黙り込み、そして

「大丈夫……じゃない、と思います」

と答えた。


 免許試験に関する形式的な調査。栄伍はそう簡単に考えていたが、もしかしたら、この調査は思ったよりずっと難しいのかもしれない。

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