レンコン法

 結婚免許とは。

 二一世紀に入り、いわゆるストーカー犯罪やドメスティックバイオレンス(DV)などの恋愛あるいは夫婦関係に基づく犯罪は増加の一途を辿っていた。

 この状況を重くみた一部の有識者は、先進的な一部の国会議員を焚きつけて、一つの法律を成立させた。


「恋愛及び交友関係の根本的な正常化に関する法律」

通称、レンコン法である。


 この法律のねらいは三つ。

一つ、恋愛関係などに起因する犯罪の予防

一つ、恋愛関係の正常な発展に資する教育・啓発

一つ、恋愛関係犯罪の取締り


 そして、法律を監督し、施行を推進するために新たな行政庁が誕生した。

 それが「恋愛調査庁」である。


 嘘みたいなネーミングであるが、新法成立の折りに行われた世論調査によってこの名前が選ばれたという経緯があり、国会議員のおじさんたちも嫌とは言えなかったのである。


 調査庁は各地方ごとに支局を持ち、関西では大阪府に関西統括局が設置された。

 これに関しては、京都府から揶揄する声が挙がったといわれているが、真相は定かではない。みやことしてのプライドは今に始まったことではないのだ。


 さらに支局の下に各県を管轄する支部が設置された。各支部は都道府県の大きさや人口ごとに応じて、第一支部、第二支部といった具合にいくつか設置されており、大阪ではその数、30を超えるのだが、一郎と花子の住む奈良県では、6支部があるのみであった。


 支部内には、主に予防調査業務に携わる「調査課」、取締業務に携わる「取締課」、各種啓発業務などに携わる「広報営業課」に分かれており、支部の規模に応じてそれぞれ数名から数十名が勤務していた。


 今回、浅草一郎をを悩ませることとなっている「免許」であるが、これは成立した新法に基づき、生まれた様々な制度の一つ、「結婚免許」である。


 読者諸賢は「自動車運転免許」というものをご存じのことと思うが、この免許はそれに類するものと考えてもらって大筋に間違いはない。

 民法で成人と認められた十八歳となれば(正確には取得期間を考慮してもう少し前から取り始めることが可能なのだが、話が煩雑になるのでやめておく)、一定の講習を受けたのち、試験において一定程度の点数を取得できれば、めでたく免許を得ることができる。


 高等学校でそのような課程を持つところもあるが、大抵の者は結婚免許相談所に通って、取得を目指した。。

 あらかじめ断っておくが、この世界において若者たちの結婚願望が特別に高い、というわけではない。


 無論、政府としては、低迷する出生率、高止まりする初婚年齢を何とかしたいと思っていいわけではなかったし、レンコン法成立の背景として、日本の少子化、晩婚化に端を発する、高齢社会、人口現象社会に一筋の光を差し込みたいという意図があったことは間違いない。


 なにしろ、新法策定段階においては、恋愛調査庁などではなく、厚生労働省がその外局として、もしくは本省の一部局として抱え込もうという動きすらあったのである。

 この点に関しては、厚生労働省内に麻薬取締部が存在しており、自力での取締能力に一定の自信を有していたということも背景として存在している。


 結果としては、厚生労働省のお抱えとなる道は、立法の立役者たる国会議員の思惑によって断たれ、新行政庁としてスタートを切ることになったのである。


 ちなみに、立役者たる国会議員は恋愛調査庁の初代長官となった。今はすでに退いてはいるが、その在任期間の長さはまだ誰にも破られていない。

 また、初代長官自身が独身であったことも、立法の背景からすると皮肉な話であるし、それがかえって、厚生労働省管轄とならなかった真相かもしれない。


 ともかく、この時期の若者に強い結婚願望があったわけではなく、「これがないと結婚できませんよ」という類のものであったから、「とりあえず免許を取っておく」ぐらいの感想でしかなかったことは、記しておくべきであろう。


 この精神は、鉄道という公共交通機関に縁のない地方都市在住の若者が生活のために自動車運転免許を取得する精神に似ている。

 彼らとて、車が大好きで車の免許を取ったわけではない。(もちろんそういう若者がいることは承知しているが)

 車に乗ることが必要だから、免許をとったのである。それがなければ、社会人として一人前とは認められない見えない空気が、そこには存在していたのである。


 こうした空気感は新しい制度である結婚免許にも当然襲ってきた。

 免許取得のためのハードルが、運転免許と比べてもおそろしく低いということも相まってか、「とりあえず取っとこう」精神は多いに流行った。

 このフレーズ自体が、恋愛調査庁のキャッチフレーズになったほどである。


 曰く、もっと軽く結婚を考えよう。とりあえず取っとこう。


 十八歳なりたての若い女優を起用して、一大キャンペーンが打たれ、動画サイト広告の三分の一がそのCMで席巻されることとなったが、ふと我に返った調査庁の一新入職員が、

「軽く考えすぎたら、またDVやストーカーが起きちゃうんじゃないでしょうか」

と言ったのをきっかけにあっという間に打ち切られた。役所というところは、新しい制度を起こすのには腰が重いが、やめるのにはとことん早い組織である。


 誰も失敗して叩かれたくないのだ。


 花子が、この失われたキャッチフレーズに乗っかって、結婚について軽く考えていたのかどうかは定かではないが、同棲を打破するための一方策以上のこととして、結婚を捉えていたことは確かである。


 このころの彼女のスマホでは、「け」の予測変換は「結婚」、「ど」の予測変換は「同棲」、続く予測は「やめたい」であった。ちなみに「あ」の予測変換は「浅草一郎のばか」であったが、二人の関係性を保つためにもこの点は伏せておくべきであろう。


 かくして、一郎は結婚免許を取りにいくこととなった。

 そのためには、最寄りの相談所へ行き、免許取得講習の受講申し込みを行うのが一般的な選択であった。二週間の合宿で短期集中に取得するという手もある。


 もしくは、調査庁の最寄り支部へ行き、結婚免許取得試験を飛び込みで受けるという選択肢も存在は、していた。

 読者諸賢の中には、飛び込みで運転免許を取得したという強者もいるに違いないと思うが、そうそう一般の者が真似をできる芸当ではないことはご承知いただけるだろう。


 運転免許を取るためには、車の運転を実技でやった上で合格しなければならないが、運転免許を持っていない者が、車の運転をして合格するというのはもはや言葉の矛盾である。

 実際には試験場において運転練習を一回もしくは数回受けるのが、この場合における常道なのであるが、教習所における運転講習時間を思えば、試験場で合格できる者というのは、かなりのセンスの持ち主と言わざるを得ない。


 これは結婚免許にも通用する考えである。結婚ということを今までろくに考えてこなかった者が、飛び込みで結婚免許、つまりは結婚に適性のある者として認められるのだろうか。

 甚だ疑問である。


 しかし、こうした疑問をモノともせず、浅草一郎はこの選択肢を選んだ。選んでしまった、という方が用法として正しいかもしれない。

 理由は単純。一発で試験に合格できれば、最も費用のかからない免許取得手段だったからだ。


 かくして浅草一郎は、花子とのいざこざの翌朝、早速地元の恋愛調査庁奈良支局奈良第一支部へと赴いたのである。

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