恋愛調査官 上野栄伍
黒井ごま
序
結婚免許
第一条(目的)
この法律は、恋愛及び交友関係の正常化及び婚姻制度の再構築が喫緊の課題であることに鑑み、その解決に向けた取組について、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、基本的施策を定め、これを推進することを目的とする。
※※※
「あんた、結婚免許持ってないのぉ?!」
女は素っ頓狂な声をあげた。
男-浅草一郎(仮名)は、額から大粒の汗を垂らしている。
これまでの生活状況に照らして、男の分はかなり悪そうだった。
※※※
浅草一郎(仮名)が山田花子(仮名)の家に転がり込んで、なし崩しに同棲を始めてもうすぐ一年になる。
スマホの無料オンラインゲームで知り合った二人は、ネットの戦場で絆を深め、知り合って1カ月で実際に会うことになった。
第一印象はお互いに「思ったよりも内向的な人だ」と感じたようだが、スマホの画面内では自動小銃片手に人を撃ち殺していたのだから、それに比べればほとんどの人は内向的であろう。
それ以外の印象は概ね良好であったため、二人はその日の内から交際を始めた。
当初、一郎は実家暮らしだった。
しかし、元から悪かった親との折り合いが、ソシャゲの重課金が明るみにでるや決
定的に破局を迎えた。
精神的に居場所を失った一郎は、花子の住むハイツに入り浸る時間が長くなり、結果として同棲へと発展した。
そうして一年が過ぎた。
二人の生活はそれぞれのバイトによって成立しており、花子は日中にコンビニのバイト、一郎は夜間にコンビニのバイトと、つまりは二人ともコンビニのバイトとして生計を立てていた。
二人の勤務時間からも分かる通り、シフトが同一日に入った場合は、ほとんど顔を合わせることがない。一緒の家に住んでいるといっても、生活時間が全く異なっていたのである。
そしてさらに、幸か不幸か二人はコンビニ店員としては非常に重宝されていた。体調は崩さず、学生や主婦が空けた穴を埋め、時には店長の言いつけを守るバイトリーダーとしての役割を果たしていた。
他の店員と時給の差がほとんど無かったことについては本人達も異論のあるところであったが、二人が優秀なコンビニ店員であったことに変わりはなかった。
お互いがお互いに「優秀なコンビニ店員」と気付くのにそう長い時間はかからなかった。コンビニ店員特有の匂いというのだろうか、それが
特に口には出さなかったが、もし仮に二人でコンビニのフランチャイズを経営することができたならば、今働いているコンビニオーナーの地獄のような暮らしぶりを差し引いても、それなりに楽しくやっていけるのではないかという予感はあった。
ただその予感は予感でしかなく、変わらぬバイトを続けているにあたり花子は、人生に一抹の不安を覚えていた。
フランチャイズの道へ進むにしろ、二人が道を分かつにしろ、その道を決する機会の必要性を、花子は感じていた。
そうして、9月10日午後1時30分、花子は意を決し、「結婚」の話を持ち出した。
一郎はリビングの二人掛けソファを一人で占領し、アシカのように横たわっている。無論、愛らしさなどは伴っていない。
右手に握られているのはスマホ。片手で親指をしきりに動かしているところを見るに、SNSのタイムラインを流し読みしているようだ。
花子はソファの斜め向かいの丸いリビングクッションに座り込むと口を開いた。
「ねぇ、ちょっと話があるんだけど」」
「・・・」
一郎は無反応だ。だが、これまでのパターンからして声は耳に届いているはずだ。花子は構わず話を続けた。
「もうそろそろ一緒に住んで一年になるし、次のことを考えても」
「・・次?」
一郎が無愛想に返す。目線はまだスマホの画面のままだ。
「ほら、その……」
花子は一度言いよどんでそして、
「結婚とか?」
と、数日前から考えていた流れに沿って言葉を紡ぎ出した。
一郎が無愛想な反応を返すであろうことは想定内だ。
「は?」
やはり一郎の目線は動かない。
「だから!」
花子は口調を強める。
「そろそろ!私たち、結婚とか考えてもいいんじゃないっ!?」
花子の両手がリビングのローテーブルに振り下ろされた。
テーブル上のガラスコップが一瞬浮き上がって着地する。ガラスの甲高い音が室内に響いた。
「なに怒ってんの?」
一郎はやっと身を起こした。目線は花子に向けられたが、右手にはスマホが握られたままだ。
「・・そうじゃなくてっ」
語気を強めたところまでは予定通りだったが、自分の気持ちがここまで高ぶったのは誤算だったと、花子はシミュレーションの甘さを嘆いた。
「ほらっ、もう1年なんだし、ずるずるいくのは嫌だし、二人のこれからを決めてもいい・・・んじゃないかなと思って」
「これから」をもう少し具体化しておこうと思って花子は言葉を継ぎ足した。
「結婚するか?・・・それかもうおしまいにするか?」
花子としては後者が選択されることは不本意であったが、そもそもこのようなことを切り出さねばならない状況になったことは、自分だけの責任ではないという自負もあったので、思い切って問い詰めることとした。
「なんか、考えてないの?」
花子の問いに一郎は、数秒間沈黙した。
そして、
「おしまいにしたいとかは全然考えてないよ。全然。花子ともっと一緒にいたいし・・・」と言った。
ここまでの発言で花子としては十分に報われた気持ちだったが、それを伝える前に相手の次の言葉を待った。
「ただ、結婚・・・は・・・うーん」
煮え切らない男だ。
「どうなの?!」
「いや、じつは・・・・・ないんだ」
「はぁ?!」
花子は右耳に手を添えて聞き返した。
「免許・・・ないんだ・・」
一郎のか細い声は、蟻の足音にもかき消されてしまいそうだったが、内容の重大さから、花子の耳まで届いた。
こうして話は冒頭へと戻る。
「あんた、結婚免許持ってないのぉ?!」
「え、あ、え、うん、でも、別にいらな・・」
「なにバカなこと言ってんの。私を犯罪者にさせたいの?」
「いや、そういうわけじゃ」
「取りに行って。すぐ行って。明日行って。絶対行って」
花子は凄まじい勢いでまくしたてた。鼻息は荒く、頬は赤く膨れ上がっている。
一郎はその勢いに押されて
「わかったわかった。行くよ行く、免許取りに行くよ」
と言ってしまった。
特に結婚することが決まったわけでもないのに、一郎は結婚免許を取得することになった。
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