第46話 無くなるもの そして新しく生まれ出るもの

「かあさん、ねえ、さっちゃんのおかあさんが来てる。」ようやく慧が何を言っているのか気がついた。

いつのまにかうとうとしたらしい、もうまっくらだ。

「中にあがってきてって言って。」

美和さんが枕元に来てくれる。

「ひなぎくで聞いたのよ、ダウンしてるって。かぜ?」

「うん、オーバーヒートかな?」

「走り回ってたから、疲れたのよ。ひとりで全部だもんね。」

「そうかもしれない、なかなかゆっくりできなかったから。」

「ゆどうふを持ってきたけど、今 なにかお手伝いできることある?さちよはおねえちゃんといるからだいじょうぶ。」


 私は こどもたちにごはんを食べさせてほしいと頼んだ。福井さんが用意していってくれたのを、温めておちゃわんに入れてくれる?悪いけどりょうには食べさせてもらえる?

 こどもたちにそれぞれごはんをあてがってから、美和さんは私の枕もとでりょうにごはんを食べさせてくれながらずっとしゃべっていた。

 「ほんとにまいっちゃうよね。動いてがんばる気十分なのに、なんで体がストップかけるんだろうね。つくづく人間てひとのために使えるパワーって限られてるんだと思う。きっと。」


私は 夢うつつに聞いていた。

「こどものためにと、つい無理してしまってる。いくら自分のこどもでも 自分の肉体ではないんだから、そのへん、コントロールしないといけないのに、のめりこむんだよね、こどもに。」


「こどもたちはまだ小さいから、わたしたちのこと うるさいって思わないでしょ、それがまたこわいのよ。私たちを全部受け入れてしまう。いいことも悪いことも全部。母親がコントロール機能を失ってるとこどもはいい迷惑よね。夫はそのことを全然気づかないでしょ、自分中心にしか物事考えられないから」

霧にすっぽり包まれた船の上で、ゆらゆら揺れながら美和さんの話を聞いているようだった。

 確かに、無理して熱出したら結局は子供に迷惑かけてる。そうだなあと朦朧としながら考えている。他にどんなことを彼女がしゃべっていたのかもうあんまり覚えていない。

美和さんが薬のせいで、ゆっくりゆっくり話をするせいもあって、ずいぶん長い間、枕元にいてくれたような気もする。

「もうりょうちゃん食べないみたい。」という声が聞こえて、美和さんは台所に行った。

「美和さん、もう主人も帰ってくるでしょうから、さっちゃんたち心配だし」

「うん、じゃあ、あとはご主人にやってもらってね。」


他人のことを面倒見てあげられるまで、美和さんは回復してはきてるけど、まだちょっと危うい感じがした。どうしてそういう印象を受けたのか、よくわからなかったが、彼女がいなくなると、一種の緊張が解けた気がした。


  それからしばらくして夫が帰宅した。

「電話せえよ、帰ってくるのに。」夫はそういいながらまとわりつくこどもたちに閉口している。「良子はもうだいじょうぶなのか?」熱を測ってみてくれて、あーまだ七度七分あると言う。でもそれくらいだとこどもは元気だ。

 慧の連絡帳読んで、返事書いといてくれる?

 お風呂洗って、けいとあさと入れてくれる?

明日、福井さんが午後から来てくれる。それだけ言って、私はもう限界だった。


 薬のせいか、夜中に汗ぐっしょりで目がさめた。悲しい夢を見た。

横を見るとみんなずらっと並んでよく寝ている。 夫はこどもたちを寝かせるまで悪戦苦闘だったろう。だいぶすっきりした頭でそう思い、可笑しくなった。

 トイレに立つと、頭がふらふらした。パジャマを着替えもう一度床についたとたんに目覚める時まで見ていた夢を思いだした。

 誰かといっしょにいるところはどうもすみれ保育園のようだ。はっきりとはわからないが私はそう思っているようだ。そばにいる誰かは子供たちを遊ばせている。部屋の隅にベッドがあり、乳児室ですよという。あー、ここにたえちゃんがいるじゃないと私はほっとする。でもおかしいなー、ひなぎくじゃない保育園に預けるなんて、なんかおかしいなあととまどいながら、そうだ、たえちゃんは死んでしまったんじゃなかったっけ? そんな夢をみていたのだ。

 八木さんはたえちゃんの夢を見るだろうか。

朝、目覚めると、夫がおでこに手をあてていた。

「下がってるんじゃないか?」うん、もうだいぶ気分がいいみたい。今日一日寝ていたら治りそう。

「慧送っていって、すぐに戻ってくるよ。」

午前中くらいなんとかなるという。でもそのあとがいけない。

「おかあさんに電話して来てもらおうよ。」もう!すぐ頼るんだから。できるだけ自分たちでやろうと思ってよと心の中で思う。

「福井さんが来てくれるからだいじょうぶ。」そう言いながら情けなくなる。

男が自分の仕事のほかに家の仕事をできるわけはないかもしれないが、でも、はなからひとに投げるのではなく、なんとかしようと試みてくれてもいいじゃないと思う。けど、あんまり考えるのはよそう。お昼までいてくれるだけよしとしよう。

 いてくれるだけで、よく眠れる。こんなに眠れるのはずいぶん久しぶりの気がする。体の不調が頭の働きを止めてくれるおかげでなんにも思い煩わないで眠ることができる。

その日一日中、私は眠り続けた。


 

「おかあさん、良くなってよかったですね、けいちゃんが心配してましたよ。」

お迎えに行くと白石園長先生が声をかけてくれた。「ありがとうございます。慧に移らなくて良かったです。」


「けいちゃんは元気でしたよ。たけうまを毎日のように練習して、もうあの高いので歩いてますよ。」

そうか クリアーしたんだ。

「ひゃっかいやったらできるって、口癖みたいですよね、けいちゃんの。」

そう、さかあがり、自分では100回やったからできるようになったと思い込んでいる。

こまもそういいながら投げていた。大ゴマにはてこずっているようだ。ものすごく大きいもの。

あれを卒園式には回して見せてくれるらしい。


そうそう、園長先生に話があった。


「いいと思いますよ。父母の会の主催だし、私らが何も言うことないですよ。」


昨日中央通り銀行のロビーに幼稚園の生徒の作品が飾られているので思いついた。廃止されるひなぎくのこどもたちの写真展をしたらどうだろう。思いついて夜に木田会長さんに電話したら、それはいいですねと賛成してくれた。

 白石先生がオーケーなら父母にお便りをだしましょうということになった。

 

 一週間後にはお楽しみ会。らいおん組の父母は「てぶくろ」の劇をする。

 私はいのしし役をすることになっている。

「役決めのときに欠席したからっていのしし役はないでしょう?!と高田さんに文句を言ったら

「ゆきさんは案外猪突猛進型なんだよねって、満場一致で決まったのよ。エニシダを村長に持ってったり、傍聴席から佐古川議員に抗議したでしょ!?。思い出して、みんなでまた大笑いしたよ。」とケロッと言う。

 怒るより、一年前の父母会とはまるで違っている打ち解けた雰囲気を思って、自然と口元が緩む。からかわれても本望、無くなってしまうものがあるけれど、新しく生まれ出てくるものもある。






  



 

 



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