第22話 母たちのたなばた
お迎えに行くと、ホールに 大きいたなばた飾りがあって、お母さんたちが囲んでいるのが見えた。
「但馬さん、ほら慧君の見てみて!」とお肉屋さんの中山さんが手招きしてくれる。
「ほらけいくんのよんでごらん。そのピンクの。」ようちゃんのママが指差したのは、朱がかったピンクの短冊。
「この短冊、和紙を色染めしたのね。」
「きのうまでに染めといてね、乾かしておいたんです。」
いつのまにか島先生が入ってきていた。
「おかあさん、けいくんの色染めね、すごく色あいが良くてね、きれいでしょ。」
暖かいピンクに薄緑の模様が渦巻いているその短冊には
『りょうが早く大きくなりますように。』 と、書かれていた。
「今日のね、お昼寝の後にね、ひとりずつ聞いて担任が書いたんです。」
先生が書くのだ。ここの子ども達は字を読まないし書かない。
幼年期に字を教えてはいけない。というのが、保育園の主義である。
今は字なんか書いてる場合じゃないよ、今思いっきり遊ばなくていつ遊ぶのって私も同感。けれど、あまりそれを固持しすぎるのもどうかと思うところもある。
こないだ 高田さんが たいそう憤慨していた。
「かんたくんの絵に、数字が書いてあるんですよ。文字や数字は教えないでくださいね。」ときつく佐野先生に注意されてしまったというのだ。
「ひとりで自然に覚えてしまったんだから、しかたないじゃない。 だいたい子供が興味あるから書いたんだし、それを反対に止める必要ある?」
先生は幼児には、記号のみ教えないでと伝えたかっただけなんだろうなと推察する。まずは中身から、体験から。今は思いっきり体で遊ばせましょう、小学校であいうえおから習うのだから、今はやらなくていいんです。って。
それは理解できるけど、佐野先生は頭から押し付けるような時がある。
「佐野先生の信念て強いからね、一生懸命のあまりよ。」とかばうようなことを言ったら、
「こどもはひとりひとり違うんだから思い込みで言ってほしくないとこある。」って気持ちはおさまらないようだ。
「そうよねえ。絵本読んであげてたら いつのまにか 字よめるようになってるしね。無理に教えこむようなことさえしなければ 適当でいいよ。先生の言うことと自分たちのこどもの個性とうまく結びつけるのが母親の役目かもね。」
そんな会話をしたものだ。
とにかく 字はまだ書くことはないというのが徹底している。そういうわけで
子供達の願い事は先生がひとりずつ聞きだして筆でかいてくれているのだ。
「最初にりょうちゃんのことを言ったんですよ。けい君。優しいよねー。」
それは、実は、慧の優しさのあらわれではないと 私は冷静に受けとめる。このところ、慧が一生懸命につくりあげたもの、ブロックなどを、りょうが突進してこわしにくるものだから、彼としては、りょうの成長が切実な自分の問題なのだ。たぶん。
「もう1枚あるのよ、おかあさん。」と島先生が指した短冊には
『あたまがよくなりますように』って書かれていた。
へえーっ。」 どうしてかなと どきっとしてしまう。
日頃けいに私言ってるんだろうか。
どろにまみれて 体じゅうで 思いっきり 遊んで欲しい 頭でっかちにならないで、と 願っているはずなのに、もしかしたら、慧に、私は期待しすぎてはいないだろうか。
たっくんのおかあさんの大きな声が響いた。
「ほんとにたくみがこんなこと言ったんですか!ひゃー うちでこんなこと言った事なんてないんですけどね。」
しきりに 首をかしげている。
たっくんの短冊ってどれ?てみてみると
『おとうさんがきますように』。
どきんと胸を打たれた。そうかそうなんだ。知らなかった。おかあさんがお勤めをしていることは知っていたけど。
「たっくんのおかあさん!ごめんね。たっくんどうしてもそう書いてくれっていうので。おばあちゃんが、おとうさんがくるって言ったからって。」
島先生がそう言うと、
「おとなの話しを聞いてるんかもねえ、母が私のこと心配で話しを持ってくんのよ。恥ずかし、全く。先生、いいのよ。こんな願いじゃ七夕さんも困るよね。」
「これも たっくん。」私は『白いいぬください』っていうのを指差した。
「あー、 そうなのよ、今考え中で。それがね」とたっくんのおかあさんは 続けた。
「前にうちの物置にのらが子猫を生んじゃってね、たくみは飼いたいって言ったんだけど、そのときに犬ならいいよってつい言っちゃったのよ。」
「でも 飼うと結局私に手がかかっからねえ。…でも飼ったげようかなあ。」
「飼ったげなあ。おかあさん。たっくんならきっとちゃんと世話すっから。」
と島先生が勧めた。
かっちゃんのおかあさんが、「そうなんだよねー、ったく、すぐにいじめんだよ。」と短冊を見て声をあげた。
『にいちゃんがなぐりませんように』そう書いてあった。
「かつみがまだ二歳になったときに死んじゃってねー。ほんとにかわいそうで、」っていうのがおかあさんの口癖だ。会ってしゃべるたんびに ご主人が亡くなって生活が大変という話になるので、悪いと思いながら、つい逃げ出したくなってしまう。そばにかっちゃんがいる時でも、おかまいなしに、その話になる。私はいつもかっちゃんのことが気になって、気が気ではなくて、言葉に詰まってしまうのだ。おにいちゃんがいるのは知らなかった。
「おにいちゃんて 何年生?」って尋ねると、稲垣さんは、
「もう中学生なのにねえ、小さい子いじめてよ。」と吐き棄てるように言った。
「いちばん難しいときかもね。」と言った私に
「私が忙しくしてっから目が届かなくてねえ、どうしたらいいのか 父親がいないもんだから、なにもかも ほんとにうまくいかない。」
周りにいたおかあさんたちは いなくなっていた。
かっちゃんのおにいちゃんの心境がわかるような気がした。四年前といえばまだ小学校の3,4年生。父親を亡くし、母親はきっと二歳のかっちゃんの世話だけで手いっぱいだったろう。
慧がリュックをさげて教室から出てきた。かっちゃんも一緒にいる。
「かっちゃん、休みの日とか 遊びにおいでね。」ついそんな声をかけた自分のことが、なんだかたまらなくいやらしく思える。
「今日、歩きー、車―?」けいの大きな声で救われる。
「車よ。あさちゃんたちを新田さんに頼んできたから、すぐ帰らなきゃ。」
「なーんだ」
「何?どうしたの?歩きがよかった?」
「ほんとはね。でもやっぱ今日はもう歩くの疲れたからいいや。」
「ふーん」
「でもお、歩きだったら教えてあげたのになと思って」
「何を?」
けいはさっさと赤い車の後ろのドアの前に行き、にやっとして言った。
「みずたまり。」
「みずたまりぃ?」
「うん、ささだけとりにいってね、たっくんのおじいちゃんの家の庭で遊んだよ。アイスクリームも食べた。」
「みずたまりがあったの?」
「こーんなでっけーの。」
と けいは、両腕をいっぱいに広げた。
「全部さかさまなんだ。」
「さかさまって?何が」
「みずたまりの中」
「みずたまりの中はおもしろいねー、むこうにも空があるもんね」と言うと
けいは ぱっと わたしの顔を見た。そして
「ぼくたち行ってきたよ」と
「あー、先生が言ってた。みんなで、みずたまりでびしゃびしゃになったんだってね。どろどろのパンツとシャツを 帰ってきてから洗ったんでしょ。」
「うん、水道で、洗っといた。」
さっき 先生にビニール袋に入った下着を渡してもらったっけ。
「いつのまにか どろんこ平気になったねえ」
と けいの顔をのぞくと、
けいは
「平気だよ。さいしょっから平気だよ」と満足そうに言って車に乗り込んだ。
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