第17話 ロマンチストですか?

 荒れ果てた道を抜けたら、誰も知らない絶景がある。

 その絶景を想像していたわたしは、どうやらロマンチストだったらしい。


「これは……」

「酷いね」


 あるいは、絶景があると想像した時点で、わたしはロマンチストだったのかもしれない。

 あの道と呼べない道を登り切った頂上では、朽ち果てた樹木や数え切れない雑草が地面で群れている。下の景色を見ようにも頂上の空間は狭く、周囲には背の高い木が生えていてそれも無理だ。

 酷い。わたしの言葉がここまで的を射るのも珍しいんじゃないか。


「あ、でもここにベンチが……」


 なにかを見つけて駆けたメイは、しかしすぐに勢いを失った。

 確かに、メイの指先には木造のベンチらしきものがある。絵の具でも塗り込めたかのように黒ずみ、つついたら崩れそうだ。

 触るのは気が引けたので、試しに足で小突いてみる。予想以上に固い感触で、意外と頑丈さを保っていた。


「座ったら呪われそうだ」

「あ、こっちのは?」


 ベンチの隣には、丈の長い雑草に紛れて中途半端な高さの柱が立っている。わたしより頭ふたつ大きいくらいだろうか。よく見つけるな。

 この柱にモニュメント以上の意味はなさそうだ。上の出っ張っている部分をつかめばぶら下がるくらいはできそうだけど、学校の鉄棒の方がまだ楽しそう。


「なんのためにあるのかな、これ」

「さ、さあ……」


 心を惹かれるだとか、とにかくここまで登ってきたことへの報酬がなにもない。秋にでもなれば紅葉で周りの木が彩りをくれそうだが、そんな忍耐力があるものか。ただただ気を落とすだけ。

 メイもそうだろうと思っていた。しかし考える素振りをしながらベンチや柱を見ている。


「これ、どうしてこんなところにあるんだろう……」


 メイが考え込むなんて珍しい。わたしは少し離れたところから様子を伺ってみた。

 引きの絵で見ると、ここの景色も悪くない。寂れた公園に佇む少女って感じだ。いや、これはメイが美しいだけか。

 まあ当然だ。メイの魅力は無限にある。陽本盟梨という名前を考えた親御さんは天才じゃないか? 太陽のような笑顔と梨、つまり果物のようなフレッシュさを併せ持つ美少女の名前としてこれ以上のものはない。わたしと比べれば安売りもいいところな笑顔だが決して八方美人ではなく、楽しいや嬉しいを素直に表現するのはまだ基本。メイはそこから誤魔化しや照れも笑顔で押し通す、要は力業としての笑顔も使っている。何事も笑顔で喜び笑顔で恥じるメイの特長は、顔が良いとでも言えばいいのか。顔と言っても顔だけじゃない。人付き合いに消極的で弱腰になったり羞恥心が高じることも多いけど、芯は通っているし親切だ。わたしの不安も素直に吐き出していれば、きっと受け入れてくれたのに違いない。メイは照れがあっても拒絶はないと言い切れる包容力を持っているのだ。そんな美人がお昼を誘ってくるまで教室で待っていてくれる。こんなに憧れることはないだろうと自慢してやりたいくらいだ。それだけに最近の成長振りに寂しくなることもあった。けどそれは情けないわたしをフォローするために取ってくれた行動であって、そこもやはりメイの人の良さなわけだ。もっと早くそういったメイの良さに気づかなかった自分が恥ずかしい。見返りがなくても一途にわたしを信じてくれていたと考えると、それもまた心が温まる。何度も告白みたいなことを言ってしまう女子高生らしい制御不能なエンジンの燃料は、わたしへの信頼だったかな、なんて思ったりして。あの感情が漏れ出した言葉のひとつひとつや、めげない心がわたしを揺らし続けてメイへの気持ちをはっきり自覚させた。そう、メイには行動力もある。勇気や羞恥心に邪魔されがちだけど、感情を形にする力も持っている。外見、内面に続くメイの本質であり、大袈裟かもしれないけど性格の芯を貫いているものだ。メイは魅力の塊、内面と外面どころか存在そのものが星のように輝いている。


「……ふう」


 心の中の一人言を終え、わたしは適当な木の幹に寄りかかる。制服が汚れないよう手をクッションにして。

 いや大袈裟だった。ここからの絵が綺麗だからって、話を盛ったなこれは。メイが美人って、今さらわたしが思うことか。綾矢がよく言うからうつったな。わたしのせいじゃない。というか己の心中の一人言に物申すのも変だ。

 いつまでも口を閉ざしているわけにはいかない。邪魔をするようで悪いが、メイの肩を叩く。


「どうしたの? さっきから」

「ごめん。考えたら色々思いついちゃって」

「なに考えてたの?」

「ベンチとか柱とか、人工物があるってことは、ここも昔は公園だったのかなって」


 盲点だった。なぜわからなかったのか不思議なくらい、言われてみれば当たり前な発想だ。

 わたしの脳裏をかすめた自分の発想に、口元が固く曲がった。


「でも、そんな昔に公園なんてないか-」


 可能性にひとつ気づくと、自分をわかった気になる。これを信じていいものか不安にもあるけど、不安なんてどうせメイには些細な問題だ。

 少なくともこの不安は、メイがもう答えをくれているから。


「あったら、おもしろいかもね」


 メイの驚いた顔を見る前に、わたしは身を翻した。

 行きはよいよい帰りは怖い。戻るまでは口に出さないでおこう。


 ◆


 山を降りて携帯を見た頃には、学校はとっくに終わった時間だった。

 パワーの強いママさんたちがいなくなった公園のベンチにメイと隣り合って座り、わたしはどこへでもなく視線を巡らせた。学校帰りの小学生は休むことなど頭にないのか、遊び場を楽しんだら次の遊び場へ、それを楽しんだらまた次へと、エネルギッシュなペースで公園中を駆け回っている。

 わたしも小学生の頃はこんなに元気だったのだろうか。なんとなく、外遊びは苦手な子どもだった気がする。

 メイはどうだったのかな。と、これはいけないと思い直す。

 もう随分、わたしはメイばかり見てしまっている。


「メイって、視線を浴びる方?」

「え?」


 メイは間を置いた。


「浴びない方だよ。賞を取ったりしたこともないし」

「そう」


 それを聞いて自信が出た。今なら言える。

 ベンチから腰を浮かし、メイの前に立つ。きょとん、とした表情が胸をざわめかせた。


「じゃあわたしは、いつもメイに賞を贈ってるみたい」

「ゆ、ゆず?」


 胸の中から急速に上ってくる熱いものを感じる。自分という人間をぼやけさせてしまうような妙な感覚が体を支配した。夢見心地とでも言うのだろうか。メイへ贈る言葉がどれほど大切なものか、体が教えている。


「やっとわかった。わたしはメイと一緒にいるときだけ、感情という感情があふれてくる。なんでもない行動に目を見張ったり、交わした言葉のひとつを摘まんで取り出したり。それで不安になることもあって、メイのことを考える時間だって」


 自分の言葉にまとまりがなくなりかけていることに気づき、ストップをかける。胸を撫で下ろして落ち着いた。


「こんなこと、他の人には絶対しない。メイだけだよ、わたしの心が元気になるのは。メイだから一緒にどこか行こうとしたし、ロマンチストにもなった」


 メイは言葉を失っていた。わたしの勢いに飲まれたのか、それとも幻滅したのか。

 不安だ――でも言うしかない。言いたい。

 熱さを圧し殺して、全身に力が入る。


「わたしはメイが好きなんだ……」


 もう一度、強く。


「メイに抱く感情の激しさが、わたしの恋情なんだ……」


 わたしも言葉を失った。メイは呆然と座っている。

 全身の力が抜け、体が崩れた。ふらついた足取りは体を反転させ、背中がベンチに打ちつけられる。

 公園には誰もいなかった。体感していた以上の時間が経っていたらしい。

 振り向くと、メイは間の抜けた顔で固まっていた。小出しにされた手は、わたしを助けようとしてくれたのか。

 嬉しい、申し訳ない、ありがとう。一瞬のうちに逡巡した。

 わたしは努めて笑顔になる。


「告白が公園は、風情がなかったかな?」


 メイは表情を崩し、安心したような、今にも泣き出しそうな顔をする。


「ううん。最高だよ」


 口元にしょっぱいものが垂れた。

 両脇を温かくて、優しい腕が抱いている。温もりを辿ると、首筋のくすぐったさに気づき。埋められた顔は見えず、けれど荒い息と水滴らしき感触が必死に伝えていた。

 わたしは目を閉じる。しょっぱいものはまだ流れていない。言い聞かせる。わたしは感極まってもいないし、安心しきってもいない。

 待たせたのはわたしだから。

 そう思ったのに、体を通して伝わる心が、感情をさらに激しくする。ついには耐えきれず、頬に流れた。

 やっぱり、しょっぱい。

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