第16話 サボりですか?

 実際に学校を抜け出してみてわかったことがいくつかある。気持ちのいい背徳感があることと、行くところがないことだ。

 午前中の商店街で制服姿の女子ふたりを見かけたらサボりかコスプレと思うのが普通だし、家に帰るのはもってのほか、ゲームセンターは不良っぽい。公園も覗いてみたけど、ターボ全開で小技も強いママさんたちと同じ場所にいる気力は湧かなかった。

 サボっているのにサボりと思われたくない。妙なプライドが行動範囲を狭めている。携帯の時計が13時30分になろうとしていても未だにわたしは気を張って、隠れるところのない歩道を歩いていた。まれに小鳥や猫の鳴き声が聞こえる以外は静寂そのもの。風の音さえはっきり聞こえた。

 風は空をもくもくと埋め尽くしている灰色の一部を切り裂き、太陽の光を点々と地上に落としている。


「いいところ見つからないね」


 メイは能天気に言った。

 本当に抜け出してくれるなんて、言ってみるもんだ。しかし学校から出た瞬間まではその嬉しさと悪いことをしている緊張があったのに、今では過去のこと。サボるのも難しいという現実に直面して肩を落とすくらい。


「これなら学校の中にいればよかった」

「まあいいことじゃないよね」


 本当によく思っていなそうな口振りだ。メイはサボりとかするタイプじゃない。わたしも今回が初めてだけど。


「どうしてついてきてくれたの?」

「あー、なんとなく……」


 なんとなくで学校を抜け出してくれたのか、この人は。

 その無条件の肯定が、メイの言う恋情の賜物だったりするんだろうか。一緒にいたいという言葉が、恋情だとするなら。……いや、メイならそうでなくともついてきそうだ。

 

「わたしはメイの人生が心配だよ」

「人生! 人生かぁ……ふふ」


 おう、なんだちょっと怖いぞ。笑顔が綺麗過ぎる。


「わたしがゆずの人生を貰ってあげましょうか?」

「あんまり調子に乗るとリンゴにするぞ、新芽イくん」


 肝心なリンゴの意味がわかっていないらしく、メイは抑えた笑いを続けた。


「わたしが新芽ならゆずは……なんだろね?」

「柚子じゃない? 果物の」

「それはダメだよ! ゆずはわたしだけのゆずだもん。あ」

「わたしだけね……」


 いつもそこまで考えて、このあだ名を呼んでいたのか。

 ここはボケて、気持ち悪いな、とか言うべきか。でも嘘をつくのはよくない。おもしろい嘘ならいいけど、これは違うだろう。


「じゃあメイもわたしだけのものか」

「……うん!」


 メイの顔はふにゃふにゃになっていた。

 今日のメイはテンション高いな。わたしの服を着ているからか。まさかね。


「ゆず、気を遣わないでね」


 感じていたものと真逆の震えが響いた。


「わたしに気を遣って、恋心です、ってなっても、後から大変だろうから」


 わたしは少し考え、わざと驚いたように目をしばたたかせる。

 考えてもみなかった。メイの気持ちに引っ張られて、自分の気持ちまで決めてしまうこと。意識しようとしまいと、その可能性はあるじゃないか。

 気を遣っているのはメイの方だ。わたしはおかしくなって細く息を吐く。


「メイ、なんで歌舞伎役者みたいなポーズして顔隠してるの?」

「これは、恥ずかしいこと言ったかなって」


 クサイ台詞ってやつかな。女子高生には多々思いつく。わたしもよく言うし、慣れてしまった。

 メイはいつも、わたしを受け入れてくれていたんだな。

 これこそクサイ台詞ってやつか。わたしは好きだけど。


「およ、ここは」

「あ、例の丘だ」


 例の丘とは素直じゃない名前をつけるな。いつの間にか、流星群を見た丘の麓に辿り着いていた。


「行ってみる?」


 メイは期待を持っていた。

 応えたいのは山々だ。とはいえわたしは思い出巡りをしているわけじゃない。どうせなら、とあらぬ方向に目を向ける。


「こっちにしない?」


 それはとても道とは言えない。もはや山だ。例の丘に続く道は整備されているが、こっちは無法もいいところ。なにかが通った痕跡もなく、獣道にすらなっていない。

 思ったとおりというか、メイは目を丸くして、わたしと道を交互に見る。


「ゆずが行きたいなら……わたしも」


 おお、その言い方は反則じゃないか? わたしのチャレンジを軽く上回ってくる。


「メイ、よくモテない?」

「え? 全然そんなことないよ」


 同じクラスの男共の目は節穴だな。優越感に胸を躍らせた。


 ◆


 細枝が足下で音を発てた。地中から盛り上がった根っこに足を引っかけそうになる。手を着いた木の幹の凹凸が軽く刺さる。


「つら……」

「あはは……」


 メイに愛想笑いをさせてしまう自分が情けない。こんなところを制服の女子高生が進むもんじゃないな。常に上り坂なうえ、平らな道がまったくないのだ。


「がんばろう、ゆず。こういうのって登れば良い景色だよ」


 メイが励ましてくれているんだ。わたしが泣き言を言うわけにはいかない。気を取り直し、一歩を強く踏む。

 寒く思って空を見やると、日が完全に隠れていた。さっきまでもうちょっとがんばっていたのに。

 ふと、思い出すことがあった。


「ねえ、高校に入学した日のこと覚えてる?」

「高校に?」


 聞き返すメイに、前を向いたまま頷く。やや間を置いて、あー、後ろの声は下降気味になっていた。


「わたし、ちょっと寂しかったんだよね」

「ゆずが?」


 意外そうな声に、わたしはまた頷いた。脳裏には今日と同じように雲によって閉じられた空が浮かんでいる。


「メイと一緒に登校しなかったし、学校についてからも会えなくて、クラスも入学式も別のところにいて」

「丸一日会えなかったんだよね」

「うちの担任が迷子で、最初のホームルームが遅れたからね」

「わたし、待ってればよかったかな」

「初登校だったから仕方なかったよね」


 メイは放課後の学校に残るタイプじゃなかった。それだけの話だ。


「仕方ない……かなぁ」

「うん。友情ってもろいものだから」


 後ろから足音がやんだ。失言だったな。反省しつつ体ごと振り返る。メイはなにか言いたげな表情でこちらを見つめていた。


「変な意味じゃないよ」

「変な……」

「わたしは綾矢や佐紀には言えないこと、いっぱいあるからさ。メイもそれと同じだったと思う……から」


 メイの顔は晴れない。わたしはスカートのポケットに入れている星形の鈴を取り出し、鳴らしてみる。

 いくらなんでも、これは誤魔化しにもならない。

 どうしようかと戸惑っていると、不意に物音が聞こえた。


「あ」


 同時に反応したときには遅かった。わたしの手にあった鈴を、野生の猿に窃盗された。


「待って!」


 血相を変えたメイがわたしを抜き去る。わたしは頭が追いつかず、走り出すのが遅れた。


「メイ!」


 荒れた道にも関わらず、メイは猿にも劣らないスピードで駆けていく。見失うのも時間の問題だ。

 あれが火事場の馬鹿力か。無駄な思考が時間を食う。

 走るのに慣れて気を抜いたとき、視界がグラリ揺れた。


「わっぷ」

「ゆず!」


 奇跡的に、と言うべきか。雑草の集団が間に入ったお陰で、制服はほとんど汚れていない。受け身も取れてよかった。体育の授業も役に立たないことはない。それでも手のひらがじんじんする。


「ごめん、ゆず」

「どうしてメイが謝るのさ」


 わたしが図々しく手を伸ばすと、メイはつかんで立ち上がらせる。


「いいんだよ、あの鈴。どうせ安物だし」

「でも、好きなものでしょ?」

「好きは好きだよ。たぶん、そこまでの好きじゃなかったんだ」


 お互い、息を荒くしながら話した。

 好きにも色々ある。わたしが恋情と友情に悩んでいるように。


「いつ誰に貰ったのか、もしくは買ったのか、なんにも覚えてない」

「じゃあ、いつも大切に持ってるのは」

「なくして初めてありがたみがわかることもある」


 思ったよりそうじゃなかっただけだ。ひとり頷いて先を目指す。後ろから草木を踏む音がした。


「メイが鈴を取り戻してくれようとしたことの方が嬉しかったよ」

「わ、わたし?」

「メイだから嬉しかったんだと思う」


 綾矢や佐紀だったらここまで言えなかっただろう。わたしはあのふたりの喧嘩を見て見ぬ振りするくらいには距離を取っている。喧嘩しようとしたり、行動の一々に喜びを感じることはまずない。

 ――ああ、これが恋情ってやつなのかな。

 いや、まだ早い。ここで決めるには臆病な性格だ。メイが入学式にわたしを待てなかったのと同じように、わたしも曖昧な境界線で自分を邪魔する。親友からのランクアップに必要なものがまだあると思うから。


「この道を進んで、たぶん頂上に着くよね」

「登ってるから、ね」


 覇気がない。これは照れているんだろうな、と経験則から考えてみる。

 またわたしがやったのか。わたしは無自覚系たらしロマンチストなのかもしれない。かっこつけ系なんちゃって吟遊詩人だったらどうしよう。


「変なとこ出ちゃったらどうしようか。隣の町とか」

「そうなったら……どうしよう?」


 わたしも考えてない。これをそのまま言うのも風情がないと思った。メイの抑揚にも、微かな不安を感じ取れる。

 ここは詩文系おもしろくんさんとしてバッチリ晴れやかな気分にさせよう。

 それっぽく空を見上げ、自然の恵みを貸してもらうはずがアウェーな雰囲気に飲まれた。


「人がふたりいて行動すれば、大抵のことはなんとかなるよ」


 あ、待って今のなし。メイも黙っちゃった。

 やっちまった、この曇り空め。やつあたり気分で頭に手をやる。

 ふっと薄い布でも裂いたような、透き通る笑い声がした。


「それは、ゆずとわたしだけ?」


 振り向かなくても、メイが顔を赤くしながら言っていることがわかった。照れ屋とは、感情が豊かということだ。


「そう。わたしはゆずだけ」


 この豊かに上下する感情こそ、恋情なのかもしれない。

 わたしはとても重要な取っ掛かりをつかんだ気がした。

 この山とも呼べない坂を登り切る頃には、その答えも出るだろうか。出る気がした。

 だって、曇っていた空はまるでメイの笑顔を映したように微笑んでくれているから。

 メイも空と同じくらいの輝く笑顔をしてくれていると思うのは、さすがに自惚れだろうか。

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