第4章 友情ですか?

第15話 前向きですか?

 窓から差し込む光が、とても明るく思えた。

 遠回りする時間は終わったのだ。メイははっきりと答えを出してくれた。それなら次はわたしの番だ。

 鬱屈は晴れた。前向きになる準備もできた。メイのお陰だという意識もある。なによりメイは言ってくれた。一緒にいたい、離れない。何度も何度も、真っ直ぐにぶつけてくれた。前までそういうのじゃないと言い、被っていた皮で隠していた気持ちを日の下に出し、きっとわたしを信じて。

 自分の肩を抱く。一晩中抱きしめられていた、あの温もりがまだ残っている。

 やはりメイを失いたくない。それは変わっていないけど、このまま止まっているわけにはいかないとも思える。変えたくないけど、変えたい。不安と同じくらい期待が膨らんでいる。

 失う恐怖以上に求めていた。

 これが恋情か友情か、その答えはまだだ。それが見つかったら、わたしは――。

 さて、ひとまずは目の前の問題だ。8時を過ぎてもわたしのベッドで眠っているこの眠り姫をどうやって起こそうか。わたしはおもむろに腕を組んだ。


 ◆


 メイを起こすのにも苦労したが、起きてからもまあ大変だった。本人は朝早く帰るつもりだったらしく、携帯の時計を見て大慌て。朝ご飯はいらないと連呼しながら顔を洗い、わたしの歯ブラシを使いそうになり、上だけ下着になって着替えがなかったと叫ぶ。挙げ句、それだけすっぴんで騒いでいたにも関わらず、化粧してない、だ。

 鉄面皮を自覚するわたしがはっきり苦笑いするくらいにはうるさくて、でも不思議と嫌にはならなかった。

 なんだかんだと準備に手間取り、玄関で靴を履いたのが8時30分だ。今からならギリギリ間に合う。そう、今日はまだ平日だ。


「お、お騒がせしましたー……」

「本当に騒いだね」

「あ、あはは……ごめん」

「いいよ、メイは楽しい」


 するとメイは目を丸くした。その感情を読み取ってわたしは不満を表に出す。


「悪かったね、らしくなくて」

「いやだって、騒がしいのはいつも苦手だったから」

「そのはずだよ」


 丸くなった目は中々戻らない。普段以上に愛らしく思えてきて、悪戯心が芽生える。


「服、明日にでも返しに来てね」


 メイの困惑を置き去りにドアを開ける。横目にリンゴのような頬を急成長させる姿が見えた。

 妙な支配感に浸る一方、不安が主張する。またたく間に感情は頭から心に転がり落ち、曖昧なものとして固まった。

 わたしの中には――わたしだけと思うつもりはないが――相反する感情が常に天秤にかけられている。そんな思考がヌルリと入り込んできた。

 一息に家から道路まで出ると、遅れてメイが追いつく。小鳥のさえずりが細やかな歓声に聞こえた。


「カギ、いいの?」

「親がすぐ帰ってくるみたいだから」


 そっか。何気ないメイとのやり取りが、天秤の均衡を崩す。

 わたしはたぶん、笑っていた。


 ◆


 ふたり一緒に登校すると、変に視線を意識してしまう。どうせそんなことはないのに好奇の目に晒されている気がして、いい気はしなかった。悪い気もしなかった。教室の前で別れて、また一緒に登校したいと思う。

 席に座り、昨日のことを思い出していた。メイのことばかりが頭を過ぎり、これが恋情か、と冗談交じりに考えたりする。

 実際はどうなのだろう。恋情と友情を分けるものが、せめて自分の中で定まればいいのだが。

 メイの怒濤の攻勢に、わたしはやる気か勇気を出した。後はこれをぶつけるだけ。

 考えるだけでわからないのは百も承知なのだけど。


「だーかーらー……わたしは今の自分が気に入ってるんだってば!」

「だけど、いつまでもそのままじゃ心配だよ!」


 近所の高音が耳を刺した。前の席を挟み、深雪姉妹がにらみ合っている。

 珍しいな。まあ仲直りするだろうという投げやりな信頼で意識を逸らした。


「大体どうして綾矢がわたしの趣味に口を出すの?」

「それは、心配で」

「いくらお姉ちゃんでも同い年なんだから、そんな心配不要よ」

「昔はもっと素直だったのに……魔法少女のおもちゃをなくして泣きついてきたのに」

「なっ、昔は昔よ!」


 聞き慣れた声は勝手にわたしを引き寄せる。綾矢が劣勢に見えて、佐紀の動揺も激しそうだ。

 微笑ましい姉妹喧嘩ではあるけど、学校でやらなくてもいいじゃないか。

 わたしは両腕を枕にして顔を埋め、徹底抗戦の構えを取る。


「それを言うなら、綾矢も昔は、わたしのことなんか興味なかったくせに」

「そんなことないよ! わたしより佐紀の方が色々できたから、言えることなんかなくて……わたしより凄いから」

「そんな……こと……」


 茶番染みてきたな。ここまで早いとは思わなかった。

 双子は産まれたときから一緒。喧嘩するのも仲直りするのも手慣れているものなのかもしれない。

 それともわたしに喧嘩の経験がないから、こういうのが軽く見えてしまうのか。

 メイとも喧嘩したことないな。喧嘩のひとつくらいやっておいた方がいいのではないか。喧嘩するほど仲がいいとも言うし。それに一度危機を体験すれば、恋情と友情もわかるようになるかも。ピンチはチャンス、火事場の馬鹿力、つり橋効果、その手の話は挙げれば切りがない。

 すっかり仲直りして同じ椅子に半分ずつ座る深雪姉妹に、わたしはにらむくらいの勢いで体を乗り出した。


「ねえ、喧嘩ってどうやるの?」


 ふたりは顔を見合わせる。そして一様に言った。


「相手のことを思いすぎるの」

「喧嘩を売る」


 意見は一致しなかった。綾矢の方はジト目で佐紀ににじり寄る。


「わざわざ喧嘩売ってたの? さっちゃん」

「違うわよ、あーちゃ……あやや!」

「あやだよ!」


 またふたりの激突が始まった。もはやわたしには軽口の応酬程度にしか見えない。

 相手のことを思いすぎる。喧嘩を売る。どっちもわたしには難しそうだな。元が人を遠ざける生物なのだよ、わたしは。

 どうしようかと考えている間にチャイムが鳴った。半端に頭を切り換える。

 一応、どうなったかと深雪姉妹を見ると、完全に仲直りしていた。この双子、一日に何度喧嘩と仲直りを繰り返すつもりだ。


 ◆


「綾矢さんと佐紀さんが?」

「うん。休み時間の度に喧嘩して仲直りしてる」

「えー。機嫌でも悪いのかな」

「佐紀はともかく綾矢はそう見えなかったけどな」


 双子だから機嫌が悪い日も一緒なのかな。馬鹿みたいな考えを口に出しそうになって、代わりたまごパンを口に詰める。

 購買のパンでお昼を済ませるのは初めての経験だ。無骨ないつもの空き教室には彩りのあるお弁当より似合っている。

 同じく購買のあんパンを小口で食べるメイを見ながら、どうしたら喧嘩できるか考えていた。

 あまりスマートじゃないやり方はこれからの関係に支障が出る。下らない言い合いをするくらいが好ましい。


「わたしの顔、なにかついてる?」

「なにも。これがわたしのメイク道具を使ったメイかーって」

「な、なに言ってるのゆず」


 笑い声に無理が見えているぜ、メイ。よし、褒め殺しの路線でいこう。照れすぎて怒る女の子はアニメかなんかで見覚えがある。


「最低限のメイクでここまで綺麗にするの、わたしにはできないよ」

「わたしがメイクの時間を確保できるよう、メイが手伝ってくれたから」

「綾矢の言うとおり美人さんだよね」

「そんな……ゆずだって」

「いやいや、わたしよりわたしの制服着こなしてるよ」

「ゆずの制服だと思うと、気合い入っちゃって……」


 なんか、わたしの方が恥ずかしくなってきた。頬に手を当てるといやに熱い。昨日、お互いの好きなところを言い合ったことが勝手に思い出されて、余計に恥ずかしい。相乗効果ってやつか。


「あ、あー。ゆずの焼いた卵が食べたいなー」

「そ、それほんと!」


 うお、急にゆずが目の色を変えて飛び出してきた。思わず目をしばたたかせる。


「う、うん。おいしかったし、お母さんのと違って甘くなくて、新鮮だったというか」

「砂糖、入れなくてよかった……」


 ゆずは倒れるように椅子の背にもたれた。どこを見ているのかわからなくて身構えたが、嬉しいことに浸っているだけに見えた。

 わたしは窓に早足で寄り、開ける。


「今日はあついなー。夏も近いよね」


 棒読み気味の一人言は期待通りスルーされた。メイの心ここにあらず。あったらわたしは狼狽えていた。 

 吹き込んだ風が目を乾かせる。自然と目は閉じていた。

 メイと喧嘩できない。まあ喧嘩なんて疲れるし良いことではないし、積極的にやろうとするのが間違いか。佐紀は喧嘩を売ればいいと言っていたけど、急にわたしが佐紀みたいになったら怖いだろう。わたしもメイが佐紀みたいになったら怖い。

 陽の光が額をほんのり焦がす。気持ちのいい緩やかな光はやがて苦しむ熱になる。そのときを引き延ばすように、そよ風が冷やす。

 メイはわたしに、今までの関係を劇的に変えるような行動をした。あの照れ屋なメイが、たった1日で。それに応えなければわたしの気も収まらない。だからって焦り過ぎた。遠回りなわたしが、突然感情をぶつけ合おうなどと思うのが間違いだ。

 ゆっくり、微妙な、近くて、でも日常の平行線にあるような時間の方が、わたしらしい。

 綾矢と佐紀がふたりにしかできない喧嘩仲直りをするように。わたしとメイは、自分たちの気持ちを考え続けてきた。それこそ、ゆっくりと。まだ女子高生だもん、と言い訳して。


「メイ、提案があるんだけど」

「なに?」


 わたしは未熟な女子高生らしく無謀な喧嘩を売ってみようと思った。

 喧嘩を売るっていうのは、こういうことじゃないだろう。少なくとも佐紀は違う意味で使ったはずだ。

 だけども、これも立派な喧嘩じゃないだろうか。感情のまま、いつもの小さな火種をぶつけるのだから。


「今から学校、サボらない?」


 カーテンがめくれ、机の上でひしゃげている空の袋が宙を舞う。

 静寂を確かめるかのように、強風が空き教室を巡った。

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