第12話 笑顔ですか?

 五時間目の授業は日本史だ。教科書を片手に持った先生がなぜか教室を緩歩している。わたしは国語にも負けないほど眠気を誘う朗読を聞きながら、頭の半分はゆずのことを考えていた。

 とはいえ、どうしてゆずが変になったのか、考えてわかるものでもない。ただ不安というのは、わたしにも覚えのある気持ちだ。

 わたしは人と話すとき、それか話そうとするとき、正体のわからない不安に怯えている。ゆずや綾矢さんみたいに仲が良いと思われる人には、ほとんど不安を抱えることはないけれど。

 まあわたしのはコミュニケーション不足ってやつなんだろうな。たぶん。メイもそれだったりするんだろうか。それならわたしを不安がるのは変な話かな。

 不安がるというと、恋愛漫画でもその手の悩みはよく出てくる。あの人との関係を壊したくない……みたいなやつ。さすがにゆずがそんな古典的な悩みを抱えているとは思えない。だって、ゆずだ。ゆずだよ?

 それに、最初に好きを伝えたのはわたしなんだから、その心配はないはず。少なくともわたしはゆずから離れる必要ないし……。


「うーん、わかんないなぁ……」


 一斉に視線が突き刺さるのがわかった。顔を上げると、クラス中の目がこちらを向いている。誤魔化そうにも笑顔は作れず、引きつるばかり。先生が気づいていないのは救いだった。

 クラスの目はすぐにいなくなり、各々に戻る。わたしはひとり、引きつった顔が熱くなっていることを徐々に感じていった。


 ◆


 放課後になると、ないと思っていたはずの不安に襲われた。

 今からゆずを下校に誘っていいだろうか、迷惑に思ったりしないだろうか。そんな、いつもなら考えないことが頭を過ぎる。

 そのせいで、今日は教室に入れず廊下で立ち止まっていた。これじゃ逆戻りだよ。


「盟梨? なにしてるの?」


 声に振り返るとこれまた見知った顔だった。頭にパイナップルの葉っぱがないのと、目つきの鋭さが見分けるコツだって、ゆずは言っていたっけ。


「さ、佐紀さん」

「正解。双子でも結構違うんだから、覚えなさいよ」

「ご、ごめんなさい」


 わたしからすると、顔だけは同じに見える。話してもらえば喋り方も声もわかりやすい。

 よく見ると、左手にボトルタイプのブラック缶コーヒーをぶら下げていた。これは佐紀さんだ。


「ん、なに、これ飲む?」

「い、いいえ!」


 嬉しそうに声をあげたから、つい強めに断ってしまった。佐紀さんは怒るというより残念そうに目を細め、コーヒーの蓋をひねる。


「誰も飲まないのよ、おいしいのに」

「そ、そうなの?」

「同い年はみんな敬遠するわ。綾矢は刺激が欲しいからって炭酸に走るし。人間ならこの冒涜的な苦さを一度は体験するべきなのよ」


 それは言い過ぎだと思うけど……佐紀さんがそこまで言うなら、良いものなのかな。


「なによ、じっと見つめて。飲まないんでしょ?」

「…………ください」

「え、本気? 本気で飲む?」

「はい」


 覚悟を決めたわたしは佐紀さんから缶を受け取り、缶を一気に傾けた。


「ちょっ!」


 水というには濃く、舌が震えるほどの強烈な衝撃が口の中に広がる。黒としか言い表せない、他の味が割り込む隙を一切与えない苦さ。

 覚悟がなければ、わたしはコーヒーのボトル缶を落としていた。


「お、おいし……おいしくない……」

「大丈夫?」


 いつにない心配を佐紀さんからかけられ、わたしの味覚は不思議と落ち着いた。ボトル缶を返し、それでも辛くて背中を丸める。


「ごめんなさい、わたしにはとても」

「いいのよ。わたしの方こそ、無理強いしたみたいで……」

「いえ、佐紀さんがそこまで言うなら、それだけの理由があるんだろうと思って――あ」


 そうか、それだよ。こんな簡単なこと、どうして思いつかなかったんだろう。


「とにかくごめんなさい。今度ジュース奢るわ」

「いや、そんな、悪いよ」

「わたしも嬉しかったのよ。これを飲んでくれただけでね」


 ささやかな、けれどとても良い笑顔を残して、佐紀さんは廊下の向こうに去って行った。

 良い人、なんだな。

 心が軽くなった。人と話すのは苦手でも、嫌いじゃない。 

 緩やかな足取りで他の教室に入る。ゆずは人もまばらになった教室で、ちゃんと自分の席に座っている。


「ゆず、帰ろ」

「おあ」


 なにその返事。わたしは笑った。


 ◆


 商店街を抜けた住宅街は、これといったものがない。アスファルトで舗装されていて電柱が立って小鳥が電線に留っていて。味気ない道がただただ続く。

 そんなところでも、住んでいるわたしやゆずには心地いいらしい。特にゆずは騒がしいのが苦手だから、商店街よりこっちが性に合ってるとか。

 わたしとしても、こっちの方が話を聞きやすい雰囲気だった。けれどさっきから聞こうとして、口を閉じて、を何度も繰り返している。

 ゆずはなんでわたしのこと好きなの? とは聞けない。わたしは恥ずかしいのだ。どう言うのが正解か探っている。ちょっと勇気が足りないのもあるけど。

 一度深呼吸してみた。そうすると、遠くてそれっぽい聞き方がパッと思いつく。そのまま勢いに乗った。


「ゆずとわたしってさ、どういう関係なのかな」


 遠回りしても恥ずかしくて、下を向きながら聞く。


「時間だけの関係じゃないよ」

「それは前も聞いた気がする」


 強めの口調に軽口を返す。ゆずは目尻を下げ、考えていますと小首を傾げた。


「親友?」

「あー親友かー」


 今まではそれでしっくりきた。でも今の状態をそう表してしまうのは違う。


「じゃあわたしの好きが恋心だったら、どうかな?」


 目を逸らされた。そりゃそうだ、わたしもいきなりこんなこと聞かれたら同じことする。

 やっぱり本題から、単刀直入にいこう。


「変なこと言ってごめん。ただわたし、どうしてゆずのこと好きなんだろうなって、わからなくて」


 ゆずの目が戻ってきた。あ、あぶない……。


「わたしはメイのそういう不器用なところ好きだよ」

「ぶきよう?」


 わたしは不器用なのか。人と話すのは器用と言えないけど。


「それならわたしもメイの不器用なとこ好きだよ」

「わたしが?」


 そうかわたしは不器用だったのか、とゆずは呟く。実際に言われないと言葉にできないものなんだな。

 ゆずの表情がわかりやすく変わっていた。ゆずは顔が固いけど、変わるときはすぐに変わる。不満げだ。


「まだある?」

「あるよ」

「じゃあわたしから」


 よく照れるとこ

 笑うとかわいいところ

 変にマジメ

 ちょうどよくふまじめ

 熱出すくらいがんばり屋

 お見舞いに来てくれる

 実は肝が据わってる

 実はロマンチストでだらしない

 胸!

 身長!


「あ、今の違うかも」

「メイも?」

「少し熱が入っちゃった」

「わたしも。メイがずけずけ言うから」

「えー、好きなとこなのに」


 まあいいか、とゆずが喉を鳴らす。そして人差し指を立てた。


「次で最後ね」

「わかった」

「同時に言おう。せーの」


 わたしに笑顔をくれる

 わたしが一番気持ちよく笑える


「ふふっ、なんで同時なの?」

「その方がいいかなと思って」


 照れ隠しか、ゆずは片手を頭にやる。わたしも恥ずかしかったから、少し大袈裟に笑った。

 無理が入っていても、ゆずが相手だと気持ちいい。ゆずは時間だけの関係じゃないと言うけれど、わたしは時間も関係を語るうえで外せない要素だと思う。もちろんそれは、ゆずもわかっているだろうな。それでも時間以外の結びつきを探して、喜んでくれた。わたしとの繋がりを肯定してくれたみたいで、嬉しかったな。


「わたし、ゆずのこと大好きだ」


 ゆずは表情を変えなかった。


「それ、どういう好きかわかったの?」

「ううん、まだよくわかんない。でももうすぐわかる気がするんだ。どんな意味でも、心から大好きだって思えるんだから」

 

 ゆずは表情を変えないよう努めていた。変に引きつっている。

 

「どうして、わたしなの?」


 ゆずにしては意地悪な質問だ。声も意識して突き放そうとしている。じゃあ、わたしも意地悪な返事をしよう。


「そんなのわかんないよ、まだ女子高生だもん」


 わたしは噴き出した。ゆずの顔は我慢していた笑みと驚きが同時に表れ、目と口を両方開き切っていた。お腹を抱えても口を閉じようとしても、わたしの笑い声はあふれて止まらない。


「ゆず! やっぱりゆずは大好き!」


 笑いながら言っても、説得力ないかも。一抹の不安は無限の喜色に流された。閑静な住宅街を、わたしの笑い声だけが跳ね回る。

 騒がしい声の元が隣にいても、ゆずは良い笑顔を見せてくれた。

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