第3章 離れませんか?
第11話 名前ですか?
行ってしまう。
ゆずが行ってしまう。
わたしの親友が、大好きな人が、暗闇の向こう側に、手の届かないところに。
廊下に立つわたしは、追いかけることもできなくて。ただ真っ暗な向こう側に行ってしまう親友を見ていることしかできなかった。
ただ立ち、立ち尽くし、やがて倒れるように一歩踏み出す。
すると床がめくれ上がり、無数のウサギがなだれ込んできた。
起き上がると布団がかかっていた。見回すと見覚えのある家具、ぬいぐるみ――自分の部屋だ。体をあちこち触ってみたけど痛くない。
「――悪夢だ」
夢でよかった。そう思いつつも気が抜けて、背中からベッドに倒れ込む。小さい頃に親戚から貰って使い続けているピンクの花柄布団を引き寄せた。こうすると木造の天井だけが見える。
天井はつい最近ずっと見ていたから面白みがないや。横に転がり、白いクローゼットと目が合う。女の子らしくと思って集めた家具やぬいぐるみは、こうして見ると白かピンクばかりだ。ゆずの部屋はどうなんだろう。
そう言えば今は何時だろう。枕元に置いてあるスマホを手探りで探し当て、電源を入れる。
「げ! もう8時じゃん!」
わたしは布団から飛び出してカーテンを開ける。まぶしい光が世界を真っ白にした。ぐあああ、くるしい~。
……こんなことをしている場合じゃない。20分には家から出ないと。ええと、制服に鞄にお弁当に……昨日のうちに準備しておけばよかった!
◆
今朝の夢は絶対にゆずのせいだ。
自分の机に頬を乗せて、ひんやりした感触に顔を緩める。耳に違和感を覚え、入れっぱなしだったイヤホンを外す。今日は授業中、なにも流れなかった。音楽を流すのはゆずの番だったのに。
最近ゆずがおかしい。これをやらなかったのもだけど、なんか余所余所しいし、口数も少ない。深雪さんたちとゲームセンターに行った日の翌日からだ。
わたしのせいかな、とか思ったりしたけど、それもおかしい。ゆずはわたしを生涯のパートナーにしたいと思っていた――はずなんだから!
『少なくとも、わたしはメイがずっと一緒にいてくれることを当たり前だと思いたい』
だって! そんなことを言ってくれたんだもん。そう考えてもいいはずだよね。でも、不安もある。わたしは大した特技も趣味もない。それでどこを好きになるというのか、自惚れているぞ、とか。恋に恋してるだけなんじゃないのか、とも思う。
ううーん、ゆずの心が覗けたらな。
そんなこんな考えていると、時計は12時50分を指していた。時間を意識したらお腹が鳴る。今朝はお弁当用の卵焼きしか食べられなかった。これ以上は待てないとわたしは席を立つ。
なんか最近、ゆずも変だけど、わたしも周囲から視線を感じる気がする。いや、これこそ自惚れかな。
お弁当を持って隣のクラスに行く。緊張はするけど、もう入れるくらいには慣れたのだ。
しかし、ゆずはいなかった。
どうしよう……。思いもよらない事態にパニックが起きる。頭は引き返そうとしているのに、足が動かず、首もくるくる回ってしまう。
ゆず――。
「陽本さん?」
声をかけてくれたのは見知った顔だった。自動販売機やゲームセンターの件を通して、たぶん仲良くなれた人。
「あ、深雪さん」
「あれ、柚葉ちゃんならもう出ていったけど」
「え、もう?」
まさかすれ違った、わけないか。隣の教室同士ですれ違うには窓を伝うくらいしかない。
じゃあ空き教室かな。行きたいけど、会話を切り上げるタイミングがつかめない。なにも言わずに逃げ出すわけにもいかないし。なんとなく深雪さんの頭に生えるパイナップルの葉っぱみたいな髪をじっと見る。
「陽本さん、ちょっと話さない?」
「え、うぇ!」
話しかけられた! 思わず身を引く。ええと、なにか言わないと。これじゃ失礼だし。
「は、はい」
簡単な返事しか出てこなかった。
深雪さんは椅子に座り、わたしにはその後ろの席に座るよう促す。机を1個挟み、向かい合った。緊張するわたしに、深雪さんは笑いかける。
「佐紀はコーヒー買いに行ってしばらくいないから気にしないで」
「は、はい」
はい、しか言えていない。でも頭は真っ白だ。こんなことでいいのかな。様子を伺うと深雪さんの笑顔に曇りは見えない。
「改めて見ても美人さんだね」
「ええ……え!」
わわ、同意しちゃった。けど深雪さんはクスクス笑う。嫌みな雰囲気は感じない。
「この前もゲームセンターには似合わないなって思ってたの。柚葉ちゃんが彼氏だったら失格だなぁ」
「そんなことないですよ。ゆずは……わたしも楽しかったし」
「確かに楽しそうだったね。陽本さんも柚葉ちゃんも。わたしたちがお邪魔なくらい」
「そんなことは……」
深雪さんは後ろを向き、まだ帰ってこないな-、遠くに呟く。
「柚葉ちゃん、最近変なんだよね」
「変!」
「表情が顔に出ないのはいつものことだけど、それ以上に元気がないような。話しかけてもボーッとしていたりするし」
「深雪さんもそう思うんですね」
わたしは身を乗り出して迫った。やってしまったと思ったけど、深雪さんは動揺せず冷静に頷く。
「陽本さんも」
わたしだけじゃない。やっぱり最近のゆずは変だ。椅子に座り直して考える。やっぱり変になる原因はひとつふたつしか思いつかない。
「言いづらいけど、柚葉ちゃんをどうにかできるのは陽本さんだけだと思うの」
「わたしだけ?」
深雪さんは薄く微笑む。あ、かわいいな。感じたのも束の間、深雪さんはため息混じりで言った。
「あんな笑顔、わたしや佐紀には見せてくれないから」
「笑顔?」
ゆずはたまにしか笑わない――そう言えば、わたし以外には笑顔を見せないことがどうかっていう話を深雪さんがしていたって、ゆずが話していたような話していなかったような。
深雪さんは真剣な眼差しを向けていた。口元は笑って。
「たぶん陽本さんじゃないとダメだから、柚葉ちゃんは」
「わたしじゃないと……いえ、そんな」
「冗談じゃないよ。わたしや佐紀と陽本さんとじゃ、なにか違う。それがなにかはわからないけどね」
わたしはそのなにかに引っかかるものがあった。これだけは自信を持って言える気持ち。口には出せないけど。
席を立つ。体がうずうずしていた。
「最後にひとつ。わたしのことは名前で呼んで?」
「名前、いいの?」
「深雪だとどっちのことかわからないでしょ?」
それもそうだ、そこまで気が回っていなかった。
「それに名前を呼ぶのは大切なことだと思うの。陽本さんが柚葉ちゃんをあだ名で呼ぶのもね」
バレてたか。わたしは屈託のない笑顔の前に、誤魔化しの入った苦笑いをした。
「ありがとう、綾矢、さん」
「こちらこそ」
わたしは教室を出た。廊下を通り過ぎる間、立ち話する同級生がぼやけて見える。
ドキドキする。ゆずは好きの意味を探そうって言ったけど、わたしはいつも違うと言うけど、これはやっぱり恋心だ。ゆずに会えると思っただけで高鳴る理由は、それしかない。
でも、間違っていたらどうしよう。ゆずはわたしを受け入れてくれるかもしれない。それをわたしが裏切ることになったら。
別れ道を曲がって渡り廊下を抜ける。空き教室が目前になったところで足を止めた。
髪型、見直してからいこう。
◆
ドアを開けると、やけに響いた。いつもの空き教室には、ゆずがひとりポツンと中央に座っていた。机にお弁当は置いてあるけど蓋は閉まったまま。目だけはこちらを向いていた。
「は、はろー」
どう声をかけていいかわからず、わたしはふざけて挨拶をしてみる。ゆずはいつもどおり表情を動かさず、わたしを見つめ続けている。
「はろー」
やる気のない声が返ってきた。わたしは体の固さを自覚しながらカクカク歩いてい向かいに座る。
「ごめんね、今日も迎えにいかなくて」
「気にしないでよ。わたしはいつも待ってるだけだったし」
会話が続かない。お弁当に手をつける空気でもない。気まずい。ゆずとこうなるのは初めてかも。
とにかく、なにがあったのか聞かないと。
「あのさ、ゆず」
「ん?」
「最近なにかあった?」
「なにかって?」
「その……恋愛映画を見たーとか」
調子が外れて、似つかわしくない明るい声を出してしまった。自分と空気の温度差に顔が熱くなる。
ゆずは首を傾げた。
「見てないけど」
「そうだよね。あはは、変なこと言ってごめんね」
笑おうとしても乾いたものしか出てこない。ゆずの視線も机の上にずれ、目が合わなくなった。
どうしよう……なにを話していいのかわからない。こんなことなら中学の頃からもっと会話を練習するんだった。
「わたしさ」
背筋がピクンと跳ねた。
突然ゆずが発した一言が、いやに冷たく聞こえたのだ。
「自分やメイが思ってるより臆病かも」
意味を理解できず、わたしはまばたきする。ゆずは続けた。
「騒がしいのが苦手だとか、星が好きだとか、そう考えると全部不安が根っこにあるんじゃないかって思うようになった」
「ゆず?」
「ごめんね、変な話して。食べよう」
ゆずは話を切り上げてお弁当箱を開けた。わたしも同じようにする。中身はふりかけと白米、卵焼きだけ。
自分で作ったお弁当も、品数はともかく、質は最初に比べると随分良くなった。でも、これを食べて欲しい相手は上の空で、とてもあげられる雰囲気じゃない。
ずーっと、なにを考えているんだろう。ゆずは考えるタイプの人間だ。こうして話さない間も、なにかが頭の中で働いているはず。
わたしももう少し考えるべきだ。ゆずに好きを探そうと言われたときから今日まで、わたしはなにも探してなんかいない。好きを恋の好きだと断定してた。
折角だし、もっと考えてみよう。なにもかも行動すればいいってもんじゃない。まあ、わたしのは言い訳かもしれないけど。
ゆずを見ながら、卵焼きをかじる。我ながら甘い味に仕上がっていると自惚れた。
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